Mint condition

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 バッチンッ!

「なんてことをしてくれたんだ!」
 怒鳴り声から平手打ちのコンボを決めた父は、すぐさま取り押さえられる。

「翠は人様を殴ったんですよね? なら殴り返されても文句はないでしょうが! これがうちの躾、この子は痛い思いをしないと分からないんですよ!」
 わたしが警察署にいるとの一報を受け、両親は仕事着で駆けつけた。
「翠は優しいんです。大人っぽいと皆も言うんです」
 頬を押さえ、隣を見る。女性の警察官に背中を擦られ、母は号泣。
「ご両親には退室してもらいましょうか」
 スーツを着た男性の指示に色々な制服が従い、スエットのわたしだけ残された。

「成瀬さん」
 テレビで見た取調室じゃなく、会議室のみたい部屋へ通される。
 座って、ジェスチャーされるが席が多い。交通事故ゼロを目指すポスターを眺めた。ここへ連れて来られても、意外と冷静だ。

「成瀬さん」
 もう一度呼ばれ、椅子を引く。四角く囲む席の中で、男性から一番離れたところへ座る。
「大丈夫ですか?」
 なにが? と聞き返す前に、男性は自分の頬をつつく。
「……あぁ、慣れてます」
 わたしもつつく。
「日常的に?」
「毎日殴られるようなヘマはしないです」
「ヘマ、ね。ひとまず、お父さんのことは記録しておきます。今日は別件でご足労頂いたので」
 頷く。冷静というより、思考が冷え切っているのかもしれない。父の怒りも母の悲しみも、映像でしかなくて。

「ご存知でしょうが、翠さんがバイトする古着屋で傷害事件が起きました」
 書類をめくる音が耳につく。
「被害女性の証言によると、逸木要に殴られたーーと。本当に君が殴ったのか?」
 口調と声音が変わる。しかし想定内の質問、こう返す。
「はい、殴りました」
「逸木を庇っても無駄だぞ?」
「……逸木さんを?」
 悲しそうな表情を作る。わざと。
「逸木とは個人的な交流があった?」
「カレー、食べに行きました」
「そういう意味で聞いてないのは分かってるだろ? なんだ、ほら、気持ちが通い合っているとか」
「合ってません。全く」
 未成年に対して言葉は選んでも、人を疑うのは躊躇しない。

「君、いい学校に通ってるね。捜査協力は市民の義務、教わらなかった? で、逸木はどこ?」
 書類を近くまで寄せ、かけていた眼鏡を頭の上に乗せた。
「家に来た刑事さんにも言いましたが、居場所なんて知りません」
「なら、どうやって殴った?」
「暗かったのでよく覚えてません」
「殴った理由は?」
「言いたくありません」
「ちっ、黙秘権は教えてんのかよ」
 ここまでシミュレーション通り、答えられる。
「……はあ、そんな態度でいると」
 言いかけた途中で、女性がノックなしで入室してきた。

「班長、密室で異性と2人っきりにならないで下さいとお伝えしてますが?」
「いやあ、俺も最初はコンプラ遵守でやろうと思ったんだぞ。意外と手強くてさ」
 腰を浮かせた姿勢で髪を撫でつける。こちらへ突き付けようとしていた用紙が行き場を無くして、後手に回す。
「最後まで法令遵守でお願いします。念のためドアを開けたまま、お話を伺います」
 軽く会釈したのち、女性がそれを回収。

「こちらをご覧ください」
 改めて、わたしの前へ資料を並べた。
「これって」
「被害者の身体です。痣が全身にできてますよね? 新しいものから、こうした古いものまで」
「美和子さん……」
「ご気分が悪くなったら、遠慮なくおっしゃってください」
 洋服の下は痣がない面積のほうが少ない。

「痣の形状を調べたところ、指輪をはめた手で殴られたと判明しました」
 次にドクロの指輪の写真が美和子さんの身体の上へ被せられた。
 額に手を当てる。
「……うそ? そんな」
 キョロキョロ見回す。ここは警察署。
「病院からの通報で今回の事件は明るみとなりましたが、被害者は暴力にずっと怯えていらっしゃいました」
 女は女を子ども扱いしない。屈み、視線を合わせてくる。仰け反ってもグイッと身を乗り出し距離を保つ。

「翠さんも感じるもの、ありますよね?」
「……い、いや、ちょっと信じられない、です。あんなに美人でお金持ちなのに? 逃げたらいいんじゃ?」
「私も最初はそう思ってました。ですが、この仕事に就き、逃げられない人がたくさんいるのだと知りました」
 あなたは? 語尾にそう滲ませ、手を重ねようとする。すぐさま拒否して膝上へ移す。
 あの夜の痺れを、まだこの指先は覚えてるから。

「……飲み物、買いにいきますか。休憩です」
 女性はスッと立ち上がった。
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 警察署に置かれた自販機は価格が安い。こんなことがなければ知らずにいられた。
 カチャンカチャンカチャン、お釣りとミルクティーを引き出しながら思う。

「私も同じものにしようかしら」
 来た道を戻ろうとすると、別ルートを示された。

「遠回りです。あんな怖い刑事の顔見ながら飲んでも、おいしくないでしょう?」
 並んで歩くつもりはないのに歩幅を揃え、女性はすれ違う同僚たちと挨拶を交わす。
 少し進むとベンチが設置されているのが見え、吸い寄せられる。

「……」
 女性はひとつ席を開け、腰掛けた。
「……」
 まだ何も言ってこない。缶を開けようとして、上手くいかない。カチカチカチ。
「開ける?」
「いえ、自分でやれるので」
 横からかっさらって、カチャリ。
「どうぞ。勝手にやっただけなのでお礼はいりませんよ」

「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
 笑う女性の向こう側ーー見覚えのある人物を見つけた。
 瞬間、口の中が、じわぁ、苦くなる。
 あの客、ヘビのタトゥーの女が警察官と仲が良さそうに話をしていたのだ。

「こんなところに?」
 缶を両手で包み込む。祈るみたいに。
「翠さん?」
 奥から目が離せないわたしに、女性は振り返った。ちょうど2人は角を曲がる。

「あそこ」
 誰もいなくなった空間を指さす。
「え? あぁ、職員用の部屋があります。それが?」
「……職員」
 ミルクティーをひとくち。
 まずい。

「おいしくない?」
「おいしいです」
 飲み口をコンコン、つつく。なにかを噛みたい。

「ストロー、ないですよね?」
 女性のにこやかな表情が崩れた。
「そろそろ戻りましょう。班長が痺れを切らして、追いかけてきます」
「……追いかけるの、仕事ですもんね」

 ミルクティーをもうひとくち。部屋の方向をもう一度、探る。
 ウソつき。