Mint condition

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 ペディキュアした足で駅前に向かう。目当ての人物を発見すると正面へ回り、親指で上唇を持ち上げた。

「え、ん? あー、八重歯ちゃん!」
「ずっと未読無視してすいませんでした」
「いいの、いいの。ルーティンだから。てか、可愛くなったね?」

 ギンガムチェックのワンピースを褒めつつ、片手でわたしの情報を打ち込む。

「体入する?」
「体入?」
「体験入店、お試しで働いてみるって意味。それとも、もっと稼ぎたい?」

 男のスマホが震え、騒音レベルの着信音は闇に溶け込む。
 夜の顔に変わる街は注意喚起の通り。一歩踏み入れたら引きずり込まれそうに、濃い。

「あ、ちょうどいいや」

 腕じゃなく、バッグのショルダーを掴まれる。引っ張り返してもビクともしない。

「お疲れ様です。JKいますよ、どうっすか? そうっすねー」

 小声で聞いてくる。

「いくら?」
「……で、できるだけ」
「うわ、強欲〜。交渉つめるんで待ってて」

 ガールズバー近くのカフェを案内された。オープンテラスには女の子がたくさんいる。それぞれがスマホを開き、蛍みたい。

「なにか飲みな」

 1000円札をパッと渡され、男を見上げた。

「足りない? 強欲〜」

 さらにもう1000円。追加して、あっちへ行けとばかりに手を振る。
 男の通話へ耳を澄ませたが、聞こえない。代わりに聞こえてくるのはーー

「今回の人、お茶だけで2万くれた」
「えー、いいなー」
「でも、めっちゃ話がつまんないの」
「どうせ聞いてないんだし、いいじゃん」
「まぁね」

 とか。

「ありえない、整形しろとか言われたし」
「もうしてるって話じゃん」
「本当にね。はぁ、鼻もやっとくか」

 とか。

 お金を稼ぐことも、稼ぐためにお金を使うことも、同じテーブルに乗せられていた。
 わたしが100万円のためにすることは、テーブルに乗せたくない。あの子たちと違うから、ううん違わないけど、違う。
 カフェの一番隅でミルクティーを啜る。全然甘く感じない、ストローを噛む。

「ねえ、あのスカウト使うの?」
「……そうだけど」
「へぇ、気合い入ってんね」

 ひとりの子が向かいへ座ってきた。

「うちの友だち、あいつに何人も落とされてるからさ。あんたもホスト?」

 ここにくるまで、お金が必要な理由を聞かれてなかったのに気づく。

「わたしは、ちが、くてーー恩人? みたいな人が困ってて!」

 逸木さんを恩人と呼ぶのは違和感があるものの、役に立ちたい気持ちは嘘じゃない。
 だけど理由を口にした途端、店の視線が集中する。どの目元もパッチリ見開き、わたしを同情していた。

「あれ、言い方、間違えたかも。その人、お店をやってるんだけど」
「ううん、ちゃんと伝わってる。男、買うんでしょ?」

 ミラーを取り出し、メイクを直し始める。
 カフェにいる子は同じような服装、化粧をしていて、彼女に言われた内容を全員に言われた感じになる。

「もう言い訳しないの? 自分はあんたらと違うって顔で座ってたくせに」
「べつに、わたしは!」
「あんた、そんなんじゃ殺されちゃうよ」

 殺されるってワードに吹き出そうとしたが。

「先週、そこに座ってた子。あのスカウト使って、消えたから」

 入念にファンデーションをはたくと、笑っていた顔が塗り潰されていく。

「親切で言ってるんじゃないから」

 片目をつむり、つけまつげを調整。

「あんたみたいなのが騒ぎを起こすとさ、うちらが迷惑するわけ」

 パチパチ、瞬き。
 瞳の形は縄張りを主張する猫に似てる。

「牛丼屋とかでバイトしたら?似合いそうじゃん」

 誰かが笑った。
 通話を終え、店内に入ろうとする男が見える。
 殺される? 消える?
 テーブルの下で足の指をグーパーしながら、どうしよう、どうしよう。
 女の子が無言で席を立ち、男と入れ替わった途端、周りは一斉にわたしを見ない振り。

「お待たせ」
「い、いえ」
「単刀直入に言う」

 男は椅子へ斜めに腰掛け、半身を乗り出す。

「お客さんたちがパーティをやるから、行ってきて」
「体入じゃ?」
「稼ぎたいんだろ? なら身体張らなきゃ。今、迎えの車を呼んでる。運転手からお金、渡すね」

 淡々と告げる割り、金額の提示はしない。

「八重歯ちゃん?」
「車、どのあたりに停めるんですか?」
「あっち。他の子も乗ってるから分かると思うけど」

 グッと足の指を開き立ち上がると、男が注文したミートパスタが運ばれてきた。
 わたしが自主的に向かおうとするので、男はフォークを手に取り、麺をクルクル巻きつける。   
 たっぷり巻き取って、ひとくち。

 軽く頭を下げ、店を出た。
 男の視線を感じるうちは走らない。まだ見ている。牛丼屋のあかりがやけに眩しくて。

 ショルダーバッグを抱えーー駆け出す。
 人の合間を縫い、夜の街を逆走する。

■

「はぁ、はぁ」

 気付けば、古着屋に来ていた。電気はついていない、美和子の車も停まっていない。
 わたしの荒い息づかいだけ、置き去り。

 ずり落ちた肩ひもをそのままに階段をのぼる。ペディキュアが剥げてて、だから安物はダメなんだ。
 バッカみたい、わたし、バカじゃん。

 その場へうずくまる。これが汗か、鼻水なのか分かりたくない。八重歯が唇に刺さる。

「なにしてんの? 女子高生」

 その人は一番上でタバコを吸っていた。スマホのライトで照らすと、スカウトの男からすら連絡がないことまで浮かび上がってしまう。

「ぷっ、ひっでー格好だな」
「自分だって。殴られたの?」

 全力で走ったせいでガクガクする。それでも逸木さんの側へ行きたい。ハンドタオルあったっけ。

「……また、美和子さん?」

 こめかみから血が出ていた。ハンドタオルを握ったまま、逸木さんの胸を叩く。

「おい、火を持ってるし危ないって」
「……したら」
「ん?」
「どうしたら、助けてあげられる?」

 逸木さんは両手を上げている。

「ガールズバーで働こうとしたの」

 黙って聞く。

「でも、怖くなっちゃって」
「そっか」

 働こうとした理由を聞いてくれない。なんなら一歩引き、手すりへ寄りかかると空を見上げた。

「美和子さんが言ったから!」
「なんて?」
「……100万円で、逸木さんを解放してくれる。だから、わたし」

 逸木さんがわたしに視線を戻す。

「ーーは? 100万?」
「う、うん。1本、て言った」

 美和子さんがした通り、人差し指を立てる。

「いや、それ、1千万な。桁が違うぞ」
「1千万……」

 再び仰いで、月や星へ煙を吐き出した。
 モヤが掛かる空を2人で暫く眺めるうち、わたしはポカンッと口を開ける。

「なあ、翠」

 ブーツで床を蹴ったかと思えば、距離を一気につめて肩へ触れてきた。
 大きな音を立てたくせ、そっと、優しく。

「俺を逃がしてくれるのか?」
「で、でも、お金ない。1千万なんて」
「金なんて要らない。ほら、こっちに来て」

 店へ続くドアが開かれた。