■
ペディキュアした足で駅前に向かう。目当ての人物を発見すると正面へ回り、親指で上唇を持ち上げた。
「え~っと、そう、八重歯ちゃん!」
「ずっと未読無視してすいませんでした」
「いい、いい。単なるルーティンだから。てか、センス良くなったね」
ギンガムチェックのワンピースを褒めつつ、片手でわたしの情報を打ち込む。
「体入する?」
「体入?」
「体験入店。それとも、もっと稼ぎたい?」
男のスマホが震え、騒音レベルの着信音は闇に溶け込む。
夜の顔に変わる街は注意喚起の通り。一歩踏み入れたら引きずり込まれそうに、濃い。
「お、ちょうどいい」
腕じゃなく、バッグのショルダーを掴まれる。引っ張り返してもビクともしない。
「JKいますよ、どうっすか?」
小声で聞いてくる。
「いくら?」
「……で、できるだけ」
「うわ、強欲〜。交渉つめるんで待ってて」
ガールズバー近くのカフェを案内された。オープンテラスには女の子がたくさんいる。それぞれがスマホを開き、蛍みたい。
「なにか飲みな」
1000円札をパッと渡され、男を見上げた。
「あ、足りない? 強欲〜」
さらにもう1000円追加して、あっちへ行けとばかりに手を振る。男の通話へ耳を澄ませたが、聞こえない。代わりに聞こえてくるのはーー
「今回の人、お茶だけで1万くれた」
「いいなー」
「でも、めっちゃ話がつまんないの」
「聞いてないんだし、いいじゃん」
「まぁね」
とか。
「ジジイに整形しろとか言われたし」
「もうしてるって話じゃん」
「本当にね。はぁ、鼻もやっとくか」
とか。
お金を稼ぐことも、稼ぐためにお金を使うことも、同じテーブルに乗せられていた。
わたしが100万円のためにすることは、テーブルに乗せたくない。あの子たちと違うから、ううん違わないけど、違う。
カフェの一番隅でミルクティーを啜る。全然甘く感じなくてストローを噛む。
「あのスカウト使うの?」
「……そうだけど」
「へぇ、気合い入ってんね」
ひとりの子が向かいへ座ってきた。
「あんたもホスト?」
ここにくるまで、お金が必要な理由を聞かれてなかったのに気づく。踏み込めば、コンベアーに乗せられる。
「わたしは、ちが、くてーー恩人? が困ってて!」
逸木さんを恩人と分類するのは違和感があるものの、役に立ちたい気持ちはウソじゃない。
だけど理由を口にした途端、店の視線が集中する。どの目元もパッチリ見開き、わたしを同情していた。
「言い方、間違えたかも。その人、お店をやってるんだけど」
「ちゃんと伝わってる。男、買うんでしょ?」
ミラーを取り出し、メイクを直し始める。
カフェにいる子は同じような服装、化粧。彼女に言われた内容を全員に言われた感じになる。
「あんたらと違うって顔で座ってたくせして、言い訳はもういいんだ?」
「わたしは自分のためじゃなく」
「そんなんじゃ殺されちゃうよ」
殺されるってワードに吹き出そうとした、が。
「先週、そこに座ってた子。あのスカウト使って、消えた」
入念にファンデーションをはたき、笑っていた顔を塗り潰していく。
「親切で言ってるんじゃないから」
片目をつむり、つけまつげを調整。
「あんたみたいなのが騒ぎを起こすとさ、うちらが迷惑するわけ」
パチパチ、瞬き。
瞳の形は縄張りを主張する猫に似てる。
「牛丼屋とかでバイトすれば?」
誰かが笑った。笑い声まで似ていて、どの子か判別できない。
通話を終え、店内に入ろうとする男が見える。
殺される? 消える?
テーブルの下で足の指をグーパーしながら、どうしよう、どうしよう。
女の子が無言で席を立ち、男と入れ替わった途端、周りは一斉にわたしを見ないふり。
「お待たせ」
「い、いえ」
男は椅子へ斜めに腰掛け、半身を乗り出す。
「お客さんがパーティをやるから、行ってきて」
「体入じゃ?」
「稼ぎたいなら身体張らなきゃ。今、迎えの車を呼んでる。運転手からお金、渡すね」
淡々と告げる割り、金額の提示はしない。
「ーー車、どのあたりに停めるんですか?」
「あっち。他の子も乗ってるから分かると思うけど」
グッと足の指を開き立ち上がると、男が注文したミートパスタが運ばれてきた。
わたしが自主的に向かおうとするので、男はフォークを手に取り、麺をクルクル巻きつける。
たっぷり巻き取って、ひとくち。
軽く頭を下げ、店を出た。男の視線を感じるうちは走らない。まだ見ている。牛丼屋のあかりが道標になるなんて、皮肉だ。
ショルダーバッグを抱えーー駆け出す。
人の合間を縫い、わたしは夜の街を逆走する。
■
「はぁ、はぁ」
気付けば、古着屋に来ていた。電気はついていない、美和子の車も停まっていない。
わたしの荒い息づかいだけ、置き去り。
ずり落ちた肩ひもをそのままに階段を上る。ペディキュアは剥げ、だから安物はダメ。
バッカみたい、わたし、バカじゃん。
その場へうずくまる。これが汗か、鼻水なのか分かりたくない。八重歯が唇に刺さる。
「よお、女子高生」
その人は一番上でタバコを吸っていた。スマホのライトで照らすと、スカウトの男からすら連絡がないことまで浮かび上がってしまう。
「ひっでー顔」
「……自分だって。殴られたの?」
全力で走ったせいでガクガクする。それでも逸木さんの側へ行きたい。ハンドタオルあったっけ。
「また、美和子さん?」
こめかみから血が出ていた。ハンドタオルを握ったまま、逸木さんの胸を叩く。
「火を持ってるし危ないって」
「……したら」
「ん?」
「どうしたら、助けてあげられる? 坊主にさせられたり、こんなのひどい、見ていられない!」
逸木さんは両手を上げている。
「ガールズバーで働こうとしたの」
「うん」
「でも、怖くなっちゃって」
「そう」
働こうとした理由を聞くどころか、逸木さんは手すりへ寄りかかると空を見上げた。
一体、誰のためにこんな思いをしたと。
「美和子さんが言ったから!」
「なんて?」
「100万円で、逸木さんを解放してくれるって!」
ここでわたしへ視線を戻す。
「ーー100万?」
「1本、て言ったの」
美和子さんがした通り、人差し指を立てる。
1秒、2秒。
「それ、1千万。桁が違うぞ」
「1千万……」
「あははっ、さすがに100万はねぇな」
再び仰いで、月や星へ煙を吐き出した。
モヤが掛かる空の下、わたしはポカンッと口を開ける。
「翠」
ブーツで床を蹴ったかと思えば、距離を一気につめて肩へ触れてきて。そっと、優しく、揺さぶる。
「俺を逃がしてくれるのか?」
「でも、1千万なんて無理」
「金なんて要らない。こっちに来て」
店へ続くドアが開いた。
ペディキュアした足で駅前に向かう。目当ての人物を発見すると正面へ回り、親指で上唇を持ち上げた。
「え~っと、そう、八重歯ちゃん!」
「ずっと未読無視してすいませんでした」
「いい、いい。単なるルーティンだから。てか、センス良くなったね」
ギンガムチェックのワンピースを褒めつつ、片手でわたしの情報を打ち込む。
「体入する?」
「体入?」
「体験入店。それとも、もっと稼ぎたい?」
男のスマホが震え、騒音レベルの着信音は闇に溶け込む。
夜の顔に変わる街は注意喚起の通り。一歩踏み入れたら引きずり込まれそうに、濃い。
「お、ちょうどいい」
腕じゃなく、バッグのショルダーを掴まれる。引っ張り返してもビクともしない。
「JKいますよ、どうっすか?」
小声で聞いてくる。
「いくら?」
「……で、できるだけ」
「うわ、強欲〜。交渉つめるんで待ってて」
ガールズバー近くのカフェを案内された。オープンテラスには女の子がたくさんいる。それぞれがスマホを開き、蛍みたい。
「なにか飲みな」
1000円札をパッと渡され、男を見上げた。
「あ、足りない? 強欲〜」
さらにもう1000円追加して、あっちへ行けとばかりに手を振る。男の通話へ耳を澄ませたが、聞こえない。代わりに聞こえてくるのはーー
「今回の人、お茶だけで1万くれた」
「いいなー」
「でも、めっちゃ話がつまんないの」
「聞いてないんだし、いいじゃん」
「まぁね」
とか。
「ジジイに整形しろとか言われたし」
「もうしてるって話じゃん」
「本当にね。はぁ、鼻もやっとくか」
とか。
お金を稼ぐことも、稼ぐためにお金を使うことも、同じテーブルに乗せられていた。
わたしが100万円のためにすることは、テーブルに乗せたくない。あの子たちと違うから、ううん違わないけど、違う。
カフェの一番隅でミルクティーを啜る。全然甘く感じなくてストローを噛む。
「あのスカウト使うの?」
「……そうだけど」
「へぇ、気合い入ってんね」
ひとりの子が向かいへ座ってきた。
「あんたもホスト?」
ここにくるまで、お金が必要な理由を聞かれてなかったのに気づく。踏み込めば、コンベアーに乗せられる。
「わたしは、ちが、くてーー恩人? が困ってて!」
逸木さんを恩人と分類するのは違和感があるものの、役に立ちたい気持ちはウソじゃない。
だけど理由を口にした途端、店の視線が集中する。どの目元もパッチリ見開き、わたしを同情していた。
「言い方、間違えたかも。その人、お店をやってるんだけど」
「ちゃんと伝わってる。男、買うんでしょ?」
ミラーを取り出し、メイクを直し始める。
カフェにいる子は同じような服装、化粧。彼女に言われた内容を全員に言われた感じになる。
「あんたらと違うって顔で座ってたくせして、言い訳はもういいんだ?」
「わたしは自分のためじゃなく」
「そんなんじゃ殺されちゃうよ」
殺されるってワードに吹き出そうとした、が。
「先週、そこに座ってた子。あのスカウト使って、消えた」
入念にファンデーションをはたき、笑っていた顔を塗り潰していく。
「親切で言ってるんじゃないから」
片目をつむり、つけまつげを調整。
「あんたみたいなのが騒ぎを起こすとさ、うちらが迷惑するわけ」
パチパチ、瞬き。
瞳の形は縄張りを主張する猫に似てる。
「牛丼屋とかでバイトすれば?」
誰かが笑った。笑い声まで似ていて、どの子か判別できない。
通話を終え、店内に入ろうとする男が見える。
殺される? 消える?
テーブルの下で足の指をグーパーしながら、どうしよう、どうしよう。
女の子が無言で席を立ち、男と入れ替わった途端、周りは一斉にわたしを見ないふり。
「お待たせ」
「い、いえ」
男は椅子へ斜めに腰掛け、半身を乗り出す。
「お客さんがパーティをやるから、行ってきて」
「体入じゃ?」
「稼ぎたいなら身体張らなきゃ。今、迎えの車を呼んでる。運転手からお金、渡すね」
淡々と告げる割り、金額の提示はしない。
「ーー車、どのあたりに停めるんですか?」
「あっち。他の子も乗ってるから分かると思うけど」
グッと足の指を開き立ち上がると、男が注文したミートパスタが運ばれてきた。
わたしが自主的に向かおうとするので、男はフォークを手に取り、麺をクルクル巻きつける。
たっぷり巻き取って、ひとくち。
軽く頭を下げ、店を出た。男の視線を感じるうちは走らない。まだ見ている。牛丼屋のあかりが道標になるなんて、皮肉だ。
ショルダーバッグを抱えーー駆け出す。
人の合間を縫い、わたしは夜の街を逆走する。
■
「はぁ、はぁ」
気付けば、古着屋に来ていた。電気はついていない、美和子の車も停まっていない。
わたしの荒い息づかいだけ、置き去り。
ずり落ちた肩ひもをそのままに階段を上る。ペディキュアは剥げ、だから安物はダメ。
バッカみたい、わたし、バカじゃん。
その場へうずくまる。これが汗か、鼻水なのか分かりたくない。八重歯が唇に刺さる。
「よお、女子高生」
その人は一番上でタバコを吸っていた。スマホのライトで照らすと、スカウトの男からすら連絡がないことまで浮かび上がってしまう。
「ひっでー顔」
「……自分だって。殴られたの?」
全力で走ったせいでガクガクする。それでも逸木さんの側へ行きたい。ハンドタオルあったっけ。
「また、美和子さん?」
こめかみから血が出ていた。ハンドタオルを握ったまま、逸木さんの胸を叩く。
「火を持ってるし危ないって」
「……したら」
「ん?」
「どうしたら、助けてあげられる? 坊主にさせられたり、こんなのひどい、見ていられない!」
逸木さんは両手を上げている。
「ガールズバーで働こうとしたの」
「うん」
「でも、怖くなっちゃって」
「そう」
働こうとした理由を聞くどころか、逸木さんは手すりへ寄りかかると空を見上げた。
一体、誰のためにこんな思いをしたと。
「美和子さんが言ったから!」
「なんて?」
「100万円で、逸木さんを解放してくれるって!」
ここでわたしへ視線を戻す。
「ーー100万?」
「1本、て言ったの」
美和子さんがした通り、人差し指を立てる。
1秒、2秒。
「それ、1千万。桁が違うぞ」
「1千万……」
「あははっ、さすがに100万はねぇな」
再び仰いで、月や星へ煙を吐き出した。
モヤが掛かる空の下、わたしはポカンッと口を開ける。
「翠」
ブーツで床を蹴ったかと思えば、距離を一気につめて肩へ触れてきて。そっと、優しく、揺さぶる。
「俺を逃がしてくれるのか?」
「でも、1千万なんて無理」
「金なんて要らない。こっちに来て」
店へ続くドアが開いた。

