青い勲章

 春休みが近づいた三月、実力テストがあった。
 当時の潮見が丘高校には、一学年に四百三十五人もの生徒がいた。今では考えられないほどの人数である。
 テストの結果が出ると、学年上位二百位までの名前と順位が、廊下に張り出された。

 掲示の前には、生徒たちが集まっていた。自分の名前を探す者。友人の順位を見つけて騒ぐ者。最初から自分の名前など載っていないと分かっていながら、なぜか見に来ている者。
 ヤマリンも、その一人だった。

 個人の成績表に書かれていた学年順位は、三百番台だった。

「うわあ、オレもうあかんわあ」
 掲示を見上げながら嘆くヤマリンへ、みやっちが冷静に言った。
「三百番台なんか、カスやで」
 付き合いの長いみやっちは、ヤマリンに対してだけは厳しかった。
 一番の親友だからこそ、遠慮がないのだろう。ヤマリンは、ますます肩を落とした。

 しかし、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「ここに四百番台がおるのに、そんなこと言うたらあかんで!」
 そう言って、私の顔を見た。
「いや、オレ百番台やけど」
「え」
 ヤマリンが絶句した。

「どんだけアホやと思とるねん。百七十三位や!」
 ヤマリンは、私の顔と、廊下に張り出された順位表を交互に見た。そこには確かに、私の名前があった。

「ごめんなあ。オレが一番あほやねん」
 先ほどよりも、ひどく落ち込んでいた。その横で、みやっちは困ったような、心配するような顔をしていた。
――ヤマリン、やってもうたなあ。
 たぶん、そんなことを考えていたのだと思う。自分が散々煽っておきながらである。

――ほんまにあほやな。
 口には出さなかったが、私は心の中で追い打ちをかけた。


 やがて三学期が終わり、春休みに入った。
 春休みになると、二年生の先輩たちは、あまり稽古へ来なくなった。新学期になれば三年生である。受験のことも考え始めていたのかもしれない。単に遊びたかっただけかもしれない。本当のところは分からない。

 柔道場には、私たち一年生だけという日が多くなった。先輩がいないと、道場の空気は少し緩んだ。稽古をさぼるわけではない。
 しかし、始まる前の柔軟体操では、自然とおしゃべりに花が咲いた。脚を開いて前屈しながら、学校の話をする。片脚ずつ伸ばしながら、テレビの話をする。誰かが真面目に身体を伸ばしている横で、別の誰かが笑っている。
 そんな時間だった。

 当時の私は、かなり身体が柔らかかった。勢いをつけなくても、直立したまま足を前へ振り上げれば、膝が胸についた。上段蹴りも、自分の頭の高さなら余裕だった。
 立位体前屈では、指先が台より二十四センチほど下まで届いた。たしか、学校で一番だった。
 決して学校一短足で胴長なわけではない。
 たぶん。

 私たちが柔軟体操をしていると、ヤマリンが突然、問題を出してきた。
「レイちゃん一家が夜逃げした後に駆け付けたとき、純は何と言ったでしょう?」
 私は脚を伸ばしたまま答えた。
「知らんがな!」
「ブッブー。『レイちゃん……』でした!」

 それは、クイズなのだろうか。問いの中に答えの名前がほとんど入っている。しかも正解は、ただ名前を呼んだだけだった。

 この春、ヤマリンはドラマ『北の国から』に猛烈にはまっていた。高校生になって初めて、まともに見たらしい。そして、まるで昔からすべてを知っていたかのような顔で語り始めた。
 それが、少し気にくわなかった。
 私は小学生の頃から、『北の国から』をリアルタイムで見続けていた。ずっと好きなドラマだった。それなのに、最近見始めたばかりのヤマリンが、したり顔で解説してくる。
――それ、オレの方が前から知っとるわ。
 そう思っていた。

 だから私は、なるべく塩対応を貫いた。ところが、こちらの反応が薄くても、ヤマリンはまったく気にしなかった。
「見て見て!」
 ヤマリンは柔軟体操を中断して立ち上がり、自分の鞄をごそごそと探り始めた。やがて、満面の笑みで戻ってきた。手には、ノートの切れ端が握られていた。紙の表から裏まで、細かな字がびっしりと書かれている。すべて『北の国から』に関するクイズだった。自分で問題を考え、わざわざ書き留めていたのである。

 同じクラスのみやっちは、すでに何度も出題されていたらしい。ヤマリンの横で、呆れたように笑っていた。それでもヤマリンは、得意満面で次の問題を読み上げようとした。
 私は身体が柔らかかったが、この時の対応だけは硬かった。
「もうええって」

 それでも、ヤマリンの話にまったく乗らなかったわけではない。古参ファンとして、黙っていられない話題もあった。柔軟体操をしながら、ヤマリンが言った。

「古尾谷正人の配役、間違ってると思うねん。ほんまはええ人が、無理して悪い人を演じてる感じするやろ。誰がええと思う?」
 私は少し考えた。
「清水健太郎かなあ」
「あ、あー! それや! はまり役や! 今、鳥肌立った! あいつホンマに悪いしなあ!」
 ヤマリンは身体を起こして大喜びした。

 こちらは相手にするつもりなどなかったのに、つい真面目に答えてしまった。古参ファンの性である。


 ヤマリンが『北の国から』に夢中になっていたころ、私は別のものに夢中になっていた。
 中段逆突きである。

 きっかけは、以前に見た全日本大会のビデオだった。
 試合を見ていると、刻み突き、ワンツーに続いて、よく使われる技があった。相手が攻撃を仕掛けようとした瞬間、低い姿勢で懐へ飛び込み、後ろの拳を中段へ突き込む。主にカウンターとして使われていた。

 私は、それを上級者の技だと思っていた。
 踏み込みが深い。姿勢が低い。
 相手の攻撃を恐れず、懐へ入らなければならない。
 自分にはまだ早い。
 そう思い、それまでほとんど使ってこなかった。

 ちなみに、ワンツーも私はほとんど使わなかった。ワンツーの使い方を覚える前に、三本連突きを覚えてしまったからである。二本で止めるくらいなら、三本まで追いかければいい。
 当時の私は、そんなふうに考えていた。だから、次に身につけたいと思ったのは、ワンツーではなく中段逆突きだった。

 先輩たちがあまり来ない春休みなら、自分の練習に時間を使える。失敗しても、横から細かく言われることはない。
――この春休みに、できるようになってやろう。
 私は中段逆突きの練習を始めた。

 勢いをつけ、低い姿勢で相手の懐へ飛び込む。
 前足を深く踏み込み、腰を落としながら、後ろの拳を中段へ突き込む。
 深く入れば、後ろ足の膝の内側が床へ触れることもあった。

 普通、空手の稽古は板張りの床で行う。そこで同じように思い切り飛び込めば、膝にあざができる。何度も繰り返せば、怪我をしてもおかしくない。だが、私たちが稽古に使っていたのは柔道場だった。
 柔道用の畳は、板張りの床より柔らかい。膝が触れることを恐れず、思い切り低く飛び込むことができた。そのおかげで私は、相手の懐へ深く入る中段逆突きを、何度も反復できた。
 かつて柔道で鍛えた足腰が活かせる技だと思った。

 低く構える。
 前足を踏み込む。
 後ろ足で畳を蹴る。
 腰を前へ送りながら、右の拳を突き込む。
 最初は、踏み込みと突きのタイミングが合わなかった。足が先に着けば、突きの勢いが止まる。拳を急げば、身体が前へ流れる。相手の懐へ飛び込むことばかり考えると、顔が下がった。
 何度も失敗した。
 それでも、畳の上なら思い切って飛び込める。
 私は繰り返した。

 ただし、柔道場に敷かれていた競技用の畳にも、困ったところがあった。表面がゴムのような素材でできている。低く飛び込んだ時、後ろ足の側面が畳をこすると、摩擦熱で皮膚をやけどすることがあった。
 練習を重ねるうちに、同じ場所が何度も赤くなった。そこで私は、火傷を防ぐため、後ろ足の擦れる部分へテーピングを巻くようになった。
 稽古前にテープを巻く。
 それから中段逆突きを繰り返す。
 いつしか、それが習慣になった。

 今になって考えると、柔道場で空手の稽古をしていたことには、大きな利点があった。柔らかい畳の上だからこそ、怪我を恐れず、低く、深く、何度でも飛び込めた。
 私の中段逆突きは、柔道用の畳が育てた技だった。

 春休みの柔道場では、ヤマリンが『北の国から』クイズを磨き、私は中段逆突きを磨いていた。
 どちらが高校生活に役立ったかは、考えるまでもない。少なくとも、本人たちは同じくらい真剣だった。
 そうしているうちに、春休みは終わった。


 一九八七年四月、私たちは二年生になった。
 先輩たちは、なんと三年生になった。当たり前だった。

 そして、私たちにも後輩ができた。
 まず、岡田。空手の経験者だった。小柄で痩せており、色黒の角刈り。
 見るからにやんちゃそうな顔をしていた。ところが、先輩に対しては驚くほど素直だった。

 経験者なら、初心者から始めた私たちを内心で軽く見ることがあっても不思議ではない。だが、岡田にはそんな様子がなかった。
 言われたことには、
「押忍!」
 と答え、素直に動いた。

 桃井は、身長百七十四センチほど。私より、わずかに高かった。少し赤ら顔で愛想がよく、どこかかわいらしい後輩だった。先輩の話を聞く時には、いつもにこにことしていた。

 岩崎は、小柄な坊主頭。私と同じ中学校の出身だった。
 自己紹介の時、岩崎の顔を見た私は言った。
「自分、お姉ちゃんおるやろ。そっくりやで!」
 そして、すぐにヤマリンを振り返った。
「ヤマリン、聞いてー。こいつのお姉ちゃん、めっちゃブスやねん!」
 今なら、とても本人の前で言えることではない。当時も、言ってよいことではなかったと思う。
 だが、岩崎は満面の笑顔で答えた。
「はい、ブスです!」

 皆が爆笑した。古賀先輩が、すかさず突っ込んだ。
「ちょっとは反論したれや!」

 自分の姉をかばうどころか、一切の迷いもなく認めた。岩崎という男の性格は、この一言でだいたい分かった。

 四月からは、空手道部の顧問に新しい先生も加わった。
 西尾先生である。後に私たちは、ニッシャンと呼ぶようになる。大阪体育大学を卒業したばかりの新任体育教師だった。顔も体型も、とんねるずの木梨憲武に似ていた。
 ニッシャンは、練習にもよく参加してくれた。若い体育教師であり、身体もよく動いた。組手をしてみると、強さは当時の私と同じくらいだった。少なくとも、私はそう感じた。

 新しい後輩が入り、新しい先生も加わった。
 ついこの前まで白帯を締め、先輩が来れば鏡の前を譲っていた私たちが、今度は後輩から「先輩」と呼ばれる。だが、先輩と呼ばれたからといって、中身が急に立派になるわけではない。

 ヤマリンは、相変わらず『北の国から』クイズを出していた。私は、それを鬱陶しがりながら、ときどき本気で答えていた。みやっちは、そんな二人を隣で笑って見ていた。

 それでも、帯は茶色になった。学年は二年生になった。そして、私たちの後ろには、新しい白帯が並んでいた。
 否応なく、私たちは先輩になったのである。

 春の大会シーズンが、もうすぐ始まろうとしていた。