青い勲章

 秋の大会シーズンが終わると、先輩たちは再び稽古を休みがちになった。
 大会という目標が目の前にある時は、それなりに集まる。終われば、少しずつ人数が減っていく。
 潮見が丘高校空手道部では、よくあることだった。

 しかし秋が深まると、また次の目標がやってきた。
 十二月の昇級・昇段審査である。

 二年生の先輩たちは、春の審査で一級を取り、全員が茶帯を締めていた。
 今度は初段。黒帯を目指して、昇段審査を受けるのだ。
 私たち一年生は、一級の審査を受ける。合格すれば、白帯から茶帯へ変わる。

 一級の審査では、平安と呼ばれる形を行う。読み方は「ピンアン」である。空手を学ぶうえで、最も基本となる形だった。平安初段から平安五段までの五種類があり、それらを習得することで一級になれる。

 初段の審査では、もう少し難しい中級の形と組手が加わる。先輩たちは全員、抜塞大という形で審査を受けるらしかった。読み方は「バッサイダイ」。
 北神戸地区大会の形決勝で、ヤマリンが、
「カタァ! バッサイダイィ!」
 と叫び、親指の絆創膏を飛ばした、あの形である。

 それまでの稽古は、組手が中心だった。だが、審査が近づくと、練習の中心は形へ変わった。

 私たちが使っていた柔道場には、引き戸があった。その戸を開けると、奥の壁に大きな鏡が設置されていた。三人並んでも、頭から足先まで全身が映るほどの鏡だった。先輩たちは交代しながら鏡の前へ立ち、自分の姿勢を確かめていた。
 腰の高さ。
 足の向き。
 突きの位置。
 受けの角度。
 自分の形を正面から見ながら、一つ一つ修正していく。

 私たち一年生も鏡を使った。ただし、先輩がやってくると、すぐに場所を明け渡した。鏡は大きかったが、先輩と並んで形を確認するほど、私たちは図太くなかった。

 一年生同士では、互いの動きを見ながら指摘し合った。

「そこ、中段突きやで! 高い、高い!」
「腰、浮いとるぞ!」
「足の向き、そっちちゃうやろ!」

 自分の形は見えにくい。だが、人の間違いはよく見えた。全員が指導者であり、同時に全員が修正される側だった。


 そして、審査当日。私たちは神戸市内にある審査会場へ向かった。

 部活動の一環なので、移動時の服装は制服である。大会の時もそうだったが、私は制服姿で明石市を出るのが少し億劫だった。
 なにしろ、あの目立つエンジ色のブレザーである。ワイシャツは全員、白一色だった。

 私たち一年生のネクタイは紺色。一つ上の先輩たちは、ブレザーだけでなくネクタイまでエンジ色だった。ちなみに、空手道部にはいなかった二つ上の学年は、スラックスと同じグレーのネクタイである。

 私はいつも、先輩たちのネクタイまでエンジ色なのを、少し気の毒に思っていた。
――オレら、紺色で当たりや。
 本気でそう思っていた。

 明石市内では見慣れている人も多かったが、市外へ出ると、奇異な目でじろじろ見られることがあった。
 審査会場には現地集合だった。
 最初はそれぞれ別々に家を出たはずなのに、駅で一人と出会い、電車の中でもう一人が加わり、駅を降りると、また別の部員が待っている。会場へ近づくにつれ、エンジ色のブレザーが少しずつ増えていった。

「押忍!」
「おう、押忍!」

 エンジ色の集団が、「押忍!」と言いながら神戸の街を歩いている。エンジ色と白を基調にした、ファミコンカラーの妙な集団である。変な目で見られても、それは仕方がなかった。

 会場へ着くと、私たちは空手着に着替えた。白い空手着が並ぶ。
 うん、普通ってすばらしい!

 審査は、昇級審査を受ける一年生と、昇段審査を受ける二年生の先輩たちに分かれて行われた。

 私たち一年生は、四人ずつ横一列に並び、号令に合わせて形を打った。私には、まったく気負いがなかった。審査されるのは、平安の形である。それほど難しい形ではない。
 しかも、この半年間、何度も繰り返してきた。技の順番を頭で考える必要もなかった。号令がかかれば、身体が勝手に動いた。
 うん、問題ない。

 そもそも私は、中学の柔道部ですでに黒帯を取っていた。空手でも、いずれは黒帯を締めたいと思っている。
 だが、その途中にある茶帯には、正直なところ、何の魅力も感じていなかった。あんな色の帯を締めるくらいなら、白帯の方が格好いいとすら思っていた。

 しかし空手では、一級を取らなければ昇段審査を受けられない。黒帯が欲しければ、まず茶帯を通過しなければならないのだ。
 落ちたくはない。
 だが、燃えるものもない。
 そんな少し冷めた気持ちのまま、私の昇級審査は終わった。

 結果は、一年生全員が合格だった。
 ヤマリン。
 みやっち。
 ツケ。
 私。
 そして、空手道部へ入ってまだ日が浅い高倉とエンちゃんも、見事に一級へ合格した。二人は入部が遅かった分、私よりも真剣に形の練習をしていた。
 合格して当然だったと思う。

 一方、初段の昇段審査を受けた二年生の先輩たちは、明暗が分かれた。
 団体戦のレギュラーだった五人。
 古賀先輩。
 岩田先輩。
 久米先輩。
 森川先輩。
 羽鳥先輩。
 この五人は、全員が見事に合格した。
 だが、ディーゴこと牧野先輩と、小杉先輩は不合格となった。先輩全員が黒帯になることはできなかった。

 それでも、合格した先輩たちは、落ちた二人を気にして喜びを隠すようなことはしなかった。
 古賀先輩は、いつもよりさらに大きな声で笑った。
 岩田先輩は、いつもよりもニコニコしていた。
 羽鳥先輩は、いつもと変わらず爽やかだった。
 初段に合格しても、先輩たちの性格までは変わらなかった。


 昇級・昇段審査から二週間ほどたったころ、イマリンが卵形の顔に笑みを浮かべ、道場へやってきた。手には、箱を抱えていた。中に入っていたのは、先輩たちの黒帯だった。

 つやつやと黒光りする帯には、橙色の糸で、それぞれの先輩の名前が刺繍されている。名前の反対側には、「全日本空手道連盟」と、やはり橙色の刺繍が入っていた。
 格好いい。

 この時、私が締めていた白帯は、空手着と一緒に購入した私物だった。先輩たちの黒帯も、代金を徴収し、まとめて注文した個人の所有物である。
 では、それまで先輩たちが締めていた茶帯は何かというと、学校の備品だった。茶帯を使うのは一級の間だけである。
 一時しか使わないため、そのような扱いになっていたのだと思う。

 そして今回、昇段審査に合格した先輩たちの茶帯は、一級になった私たち一年生へ受け継がれることになった。問題は、誰の茶帯を受け継ぐかである。
 かくして、羽鳥先輩の茶帯争奪戦が、静かに幕を開けた。

 羽鳥先輩の帯を受け継ぎたい。そう思っていたのは、私だけではなかった。
 しかし、その気持ちを他の先輩たちに悟られてはならない。
 誰だって、気を悪くするだろう。

 茶帯を外し、届いたばかりの黒帯を嬉しそうに締める先輩たちを眺めながら、私はさりげなく、しらこく、羽鳥先輩へ近づこうとした。
 その時だった。
「おい!」

 古賀先輩の大きな声が響いた。振り返ると、古賀先輩が笑顔で、自分の茶帯を私へ差し出していた。
 あ、それ第二希望なんで。
 などと、言えるわけがない。

「ありがとうございます!」
 私は全力の笑顔で受け取った。心は泣いていた。

 そんな中、ヤマリンは何食わぬ顔で羽鳥先輩へ近づき、その茶帯を受け取った。
――あいつ! 今日の稽古は容赦せん!

 そしてその日の私は、古賀先輩の茶帯だけでなく、突きの重さまで受け継いだ。
 もちろん、その日だけである。

 茶帯を締めるようになっても、稽古の中身が急に変わるわけではなかった。黒帯を締めた先輩たちも、帯を替えた瞬間に強くなるわけではない。ただ、柔道場へ並んだ時の景色だけは変わった。
 先輩たちの腰には黒帯。私たち一年生の腰には茶帯。
 入部した春には、全員が同じ白帯だった。
 それが冬になるころには、学年ごとに色が分かれていた。少しだけ、前へ進んだ気がした。


 冬の柔道場は寒かった。暖房などない。畳も冷たい。
 空手着の上衣は前が大きく開いているため、動いていないと冷気が直接胸へ入ってきた。

 みんな、上衣の下に学校指定の体操服を着ていた。白い空手着の襟元から、体操服の色が少し見えている。
 だが、私は着なかった。空手着というものは、素肌に着るものだ。下に体操服を着たら、何かが違う。誰に教えられたわけでもない。アラチに命じられたわけでもない。
 私が一人で勝手に決めていた。

 そのため、柔道場の端で説明を聞いている時などは、とにかく寒かった。胸元から冷たい空気が入り、身体の中心まで冷えてくる。それでも、体操服を着ようとは思わなかった。

 みんなが間違っていたのではない。私だけが、必要のない我慢をしていた。
 そして、そのやせ我慢の頂点ともいうべき行事が、正月に待っていた。


 一九八七年の元旦、私たちは須磨海岸にいた。

 アラチが関わる谷派糸東流の寒稽古へ、一年生は半ば強制的に参加させられた。
 朝七時。真冬の海へ入り、朝日に向かって正拳突きをする。
 正気の沙汰ではなかった。

 須磨海岸までは、電車で向かった。
 私たちはエンジ色の制服の上に、学校指定のウィンドブレーカーを着て、それぞれ電車で現地へ向かった。真冬はウィンドブレーカーで例の制服を隠すことができる。
 冬に感謝した。

 海岸へ着いてから、空手着に着替えた。冬の早朝の砂浜で服を脱ぐ。この時点ですでに、十分寒かった。
 参加者は、私たち高校生だけではなかった。中学生や高校生が中心だったが、大人も何人か混じっていた。海へ入ったのは、全部で三十人ほどだったと思う。砂浜には、NHKの取材カメラも来ていた。大きなカメラが、空手着姿の私たちへ向けられている。
 元日の朝。
 真冬の須磨海岸。
 白い空手着の集団。
 テレビ局が喜びそうな材料は、すべてそろっていた。

 まず、砂浜で基本稽古を行った。足を開いて腰を落とす。引き手を取り、正拳突きを出す。

「エイッ!」
「ヤアッ!」
 声だけは勇ましかった。
 身体を動かしている間は、まだ耐えられた。問題は、その後である。
 私たちは空手着の上衣を脱いだ。下衣だけになり、上半身を冷たい風へさらす。この時点ですでに、猛烈に寒かった。

 いよいよ海へ入ることになった。
 裸足で波打ち際へ近づく。
 最初の波が足へ触れた。
 冷たい。冷たいというより、痛い。
 足首まで入る。膝まで入る。
 波が来るたび、身体が逃げようとする。

 私は、太もものあたりで止まった。パンツまで濡らしたくなかったのである。
 私は替えのパンツを持ってきていなかった。寒稽古が終わった後、濡れたパンツで帰る。そんな新年の始まりだけは避けたかった。

 ヤマリンは覚悟を決め、腰まで浸かった。高倉は嫌がり、ひどく浅いところにいた。ツケは唇を紫にして、ぶるぶる震えていた。
 何が嬉しくて、こんなことをしているのか。まったく分からなかった。

 やがて、海の中で正拳突きが始まった。
 冷たい風が吹く。
 波が脚へぶつかる。
 身体から急速に熱が奪われていく。

――動かな死ぬ!
 私は全力で正拳突きを出した。

「エイッ!」
 拳を引く。反対の拳を突き出す。
「エイッ!」
 これ以上ないほど、熱のこもった正拳突きだった。形を整えるためでもない。審査に合格するためでもない。純粋に、生き残るための突きだった。

 海へ深く入っていたヤマリンも、必死に突いている。浅いところにいた高倉も、やはり突いている。ツケは震えながら突いていた。

 上半身裸の三十人ほどが、真冬の海で朝日に向かって一斉に拳を出す。映像だけを見れば、勇壮だったと思う。
 実際には全員、
――早く終われ!
 と考えていたのではないだろうか。

 寒稽古が終わると、私たちは急いで海から上がった。
 濡れた足で砂浜を歩く。空手着の裾へ砂が付く。風が吹くたび、身体が震えた。
 海岸で濡れた下衣を脱ぎ、身体を拭いて着替えた。

 参加者のほとんどは、海水で濡れたパンツまで履き替えていた。
 男ばかりのポロリ祭りになった。
 ヤマリンが、裸の男たちを見回して言った。

「あー、女やったらよかった! 女やったらポロリ見放題やのに!」
 自分は異性の裸が見たい。今は男の裸が見放題である。ならば、自分が女なら、目の前の男たちは異性になる。
 そういう、あほすぎる理論だった。

 形の試合場では、真剣な顔で、
「カタァ! バッサイダイィ!」
 と叫ぶ。
 だが普段のヤマリンは、かなりのエロガキだった。

 そして、かなりの毒舌家でもあった。ヤマリンの毒舌は、弱い先輩に対しても容赦がなかった。小杉先輩が、不格好な後ろ回し蹴りを出した日がある。
 身体を回転させたものの、軸が崩れ、蹴りというより身体全体が倒れ込んだように見えた。
 後で私は、ヤマリンへ感想を求めた。

「あんな大技、決まるわけないのに出してたやろ?」
 ヤマリンは即答した。
「ブタがこけたかと思た」
 のちにキャプテンになる男とは思えない性格だった。

 その日の夕方、寒稽古の映像はNHKのローカルニュースで放送された。しかも、ニュースの途中で少し紹介されただけではなかった。番組の冒頭だった。真冬の海で、上半身裸の集団が正拳突きをしている。その映像の上に、ニュース番組のタイトル文字が重なっていた。
 正確な番組名は覚えていない。「ニュース〇〇」そんな文字が表示されていたと思う。

 ただ、私たち潮見が丘高校の部員は、集団の後ろの方にいた。海へ深く入らず、浅いところにいたためである。画面には、ほとんど映っていなかった。

 ニュースの冒頭を飾ったのは寒稽古の集団であって、私たちではない。それでも、自分たちが参加した寒稽古がテレビに流れたことは、少し誇らしかった。画面の中の集団は勇ましかった。

 元日の冷たい海へ入り、朝日に向かって正拳突きを繰り返している。
 だが、その後方にいた高校一年生が、
――パンツまで濡らしたくない。
 という理由で太ももまでしか海へ入っていなかったことを、視聴者は知らない。


 冬といえば、もう一つ大きな行事があった。
 マラソン大会である。

 潮見が丘高校では、毎年二月、二見の人工島でマラソン大会が開かれていた。
 男子は十キロ、女子は六キロ。
 三年生は受験シーズンなので免除され、一年生と二年生だけが走る。男女合わせて九百人近い生徒が走るのだから、かなりの規模だった。

 中学生までは、長距離走といっても五キロほどだった。さすが高校生ともなれば、十キロも走るのか。私は感心した。いや、走るのは私なのだが。

 空手道部も運動部である。ここで恥ずかしい結果を残すわけにはいかない。私は、それなりに気合を入れて大会へ臨んだ。

 スタートすると、最初から真剣に走る者もいれば、友人と談笑しながら進む者もいた。中学生までは、速い遅いにかかわらず、全員が必死に走っていたように思う。ところが高校生になると、最初から適当に手を抜く者が現れる。現れるどころか、半分くらいがそんな感じだった。

 私は本気で走った。中途半端に流して走るのが嫌だった。もともと私は速筋型で、持久走は得意ではない。それでも、出るからには本気で走る。
 ただ、それだけだった。

 人工島のコースを走り、折り返し地点へ近づくと、すでに折り返してきた上位の生徒たちとすれ違い始めた。先頭争いをしていたのは、陸上部員と、私と同じクラスの吹奏楽部員だった。
 一年生である。

 その後も何人かとすれ違った。上位を走っているのは、陸上部、サッカー部、そして吹奏楽部だった。
 潮見が丘高校の吹奏楽部は、演奏のために走り込みを行い、肺活量から鍛えていた。あれを文化部に入れてよいのだろうか。
 そんなことを考えながら、私は走り続けた。

 結果は、男子約四百五十人中、五十一位だった。自分でも、よく頑張ったと思う。得意でもない十キロを本気で走り、上位一割近くに入ったのだ。
 運動部としての面目は保った。

 ところが、走っている間、空手道部の仲間をほとんど見かけなかった。私より前を走っているのだろうか。
 いや、そんなはずはない。
 後ろを振り返って探すわけにもいかなかったが、どうやらみんな、友人たちと適当に走っていたらしい。

 後日、一年生だけで稽古をしていた時、アラチが柔道場へやってきた。そして突然、マラソン大会の順位を一人ずつ申告させた。

「瀬戸」
「五十一位です」
 ヤマリン。
 みやっち。
 ツケ。
 高倉。
 エンちゃん。
 私以外は、全員三百位以下だった。アラチの顔が険しくなった。

「運動部として恥ずかしいやろ!」
 柔道場に雷が落ちた。

 ヤマリンたちは、神妙な顔で話を聞いていた。私は五十一位だった。運動部として恥ずかしくないよう、本気で走った。
 それなのに、なぜか私まで一緒に怒られた。

 元日の海では、パンツを濡らさないように浅いところへ逃げた。
 マラソン大会では、最後まで真剣に走った。
 手を抜けば笑い話になり、本気でやっても連帯責任で怒られる。
 空手道部員の冬は、なかなか理不尽だった。

 秋の大会が終わった。一級に合格した。先輩たちは黒帯になった。私たちは、その茶帯を受け継いだ。元日の海へ入り、二月には十キロを走った。
 少しずつ、空手部員らしくなっている。そんな気がした。

 ただし、茶帯を締めた私が考えていたことは、羽鳥先輩の帯を手に入れたヤマリンへの嫉妬と、海でパンツを濡らさない方法、そして五十一位なのになぜアラチに怒られなければならないのか、ということだった。

 見た目と中身は、必ずしも同じ速さでは成長しない。
 こうして冬が過ぎていった。