北神戸地区大会が終わっても、秋の大会シーズンは続いた。
次は兵庫県大会。その後には、東播磨地区大会が控えていた。
北神戸地区大会では、私は個人組手へ出場した。
一回戦では、覚えた技を試した。
二回戦では、覚えた技を全部忘れて相手を殴り続け、反則負けになった。
だが、県大会と東播磨地区大会では、私は組手に出場しなかった。
自分の試合がない。そのため私は、いつになく落ち着いて、先輩たちの試合を見ることができた。もっとも、落ち着いていたのは身体だけだった。頭の中では、相変わらず審判に文句を言っていた。
――今の入っとったやろ!
――なんで旗が上がらへんねん!
――それが反則やったら、どうやって倒すねん!
当時の私は、高校空手のルールをまだ十分に理解していなかった。いや、ルールを知らなかったわけではない。知ってはいた。ただ、納得していなかったのである。
強い突きや蹴りを当てた方が強い。相手を押し込んだ方が勝ち。私は、かなり本気でそう思っていた。
だから、先輩の技が強く決まったのに反則を取られると、
――審判がおかしい。
となる。
逆に、軽く触れたようにしか見えない技に旗が上がると、
――そんなんで一本なんか。
となる。
審判にとって、たいへん迷惑な一年生だったと思う。
団体組手のメンバーは、いつも決まっていた。
先鋒から、古賀先輩、岩田先輩、久米先輩、森川先輩、羽鳥先輩。
古賀先輩と岩田先輩は、ときどき先鋒と次鋒を入れ替わった。
中堅が久米先輩。
副将が森川先輩。
大将が羽鳥先輩。
この五人が、潮見が丘高校空手道部の団体戦メンバーだった。
オーダー表を書くのは、なぜかいつも古賀先輩だった。先輩たちで事前に話し合っていたのか、それとも古賀先輩がその場で決めていたのか、私は知らない。
気がつくと、いつも古賀先輩がオーダー表を書いていた。
ただ、その書き方が独特だった。
古賀先輩は体育館の板張りの床へうつぶせになり、両肘をつく。オーダー表を目の前へ置き、鉛筆を動かす。そして後ろでは、曲げた両足がぴこぴこと揺れていた。
――ちびっこの落書きか!
私は毎回、心の中でつっこみながら笑いをこらえていた。
砲丸投げ出身で、組手では相手を力強く押し込む古賀先輩が、試合前には床へ寝転がり、足をぴこぴこさせている。本人はいたって真剣だった。だから余計におかしかった。
書き上がったオーダー表には、いつもの五人の名前が並んだ。
先鋒、古賀。
次鋒、岩田。
中堅、久米。
副将、森川。
大将、羽鳥。
私は、その紙に書かれた順番どおりに、先輩たちの試合を見た。
最初に出る古賀先輩は、やはり攻撃的だった。身長は、それほど高くない。腕が特別に長いわけでもない。それでも、左の差し合いになると強かった。
互いに左足を前へ出した構えから、前拳の刻み突きを出し合う。
相手も左。
古賀先輩も左。
同時に入ったように見えた瞬間、相手の身体だけが後ろへ飛ばされる。
パワーの差だった。
だが、今になって考えると、古賀先輩は力だけで相手を吹き飛ばしていたのではない。狙う場所がうまかった。オーソドックスに構えた相手なら、一番近い場所は胸の中央ではない。前へ出している左腕の腋、そのすぐ横の胸である。古賀先輩は、そこを狙っていた。
最も近いところへ、最短距離で拳を差し込む。そこへ、砲丸投げで鍛えた身体の力が乗る。だから、リーチが長くなくても差し合いに勝てたのだと思う。
私は最後まで、刻み突きでは相手の顎の下か、胸の中央を狙っていた。古賀先輩の狙い方をまねていれば、自分のリーチをもっと有効に使えたかもしれない。だが、当時の私は、そこまで理解していなかった。
練習で古賀先輩と左の差し合いになるたび、
――また跳ね返された。
と思っていただけだった。
古賀先輩は、茶色い前髪を長く伸ばしていた。練習中も、ときどきその前髪を手でかき上げながら組手をする。相手を押し込み、間合いが切れると前髪をかき上げる。
そして、また前へ出る。少し不良っぽく、格好よかった。
床へ寝転がって足をぴこぴこさせていた人と、同一人物には見えなかった。
次鋒の岩田先輩は、私よりも小柄だった。がっしりした体格で、やはり力強い。
前拳を、普通より少し高い位置に構える。
そこからすぐに攻撃するのではなく、細かい動きで相手の反応を誘う。
一度、前へ出るように見せる。
相手が反応する。
そこで入らない。
次の瞬間、相手の呼吸が戻るところへ、本当の攻撃を出す。フェイントで相手のタイミングをずらすのがうまかった。
先輩たちの中では、動きも軽い方だった。
ただ私は、岩田先輩の試合を見るたび、別のものも気になっていた。
空手着である。
岩田先輩の空手着は、なぜか縫い目から細い糸が何本もひょろひょろと垂れていた。使い込んだ道着をまとう、古武術の格闘家のように見えた。
少し格好よかった。
ところが、ある日ヤマリンが言った。
「岩田先輩のうちの洗濯機、絶対強力やねんで!」
それ以来、岩田先輩の空手着を見ると、古武術の達人よりも、強力な洗濯機が頭に浮かぶようになった。
岩田先輩は真剣な顔で相手と向かい合っている。
縫い目から糸がひょろひょろと揺れている。
私は笑ってはいけない。
試合中である。
北神戸地区大会では、ヤマリンの絆創膏で笑いをこらえた。
県大会では、岩田先輩の家の洗濯機で笑いをこらえた。
空手の大会とは、意外に笑いをこらえる場面が多い。
中堅の久米先輩は、長身だった。腕も長い。構えは低い。低いというより、少し低すぎるようにも見えた。
腰を深く落とし、その場から長い腕を伸ばす。構えが低いため、フットワークはあまり使わない。大きく動かず、すり足で間合いを詰める。
蹴りも、ほとんど使わなかった。
だが、近づくと怖い。こちらがまだ遠いと思っている距離から、長い手が飛んでくる。あまり動かないのに、間合いが広い。
久米先輩の組手は、長い腕そのものが武器だった。
副将の森川先輩は、大柄でがっしりしていた。構えも、どっしりしている。
古賀先輩のように激しく前へ出るのではない。
岩田先輩のように細かいフェイントを繰り返すわけでもない。
その場に大きな身体を置き、相手の攻撃を受け止める。そして、自分の間合いになれば、体格を生かして前へ出る。突きだけではなく、蹴りも使った。
私は新しい技を考えると、よく森川先輩を練習相手に選んだ。スキップ蹴りを最初に試した相手も、森川先輩だった。
身体が大きく、頑丈そうだったからである。今になって考えると、ずいぶん失礼な理由で練習相手にしていた。
だが森川先輩は、嫌な顔をせず相手をしてくれた。だから私には、森川先輩の体格の強さがよく分かっていた。
そして最後に、大将の羽鳥先輩が出た。
羽鳥先輩については、もう何度も書いた。
背が高い。
男前。
前拳を低く構え、首をゆらゆらと揺らしながら、鋭い目で相手を見る。大きなフットワークを使うわけではない。基本は、すり足だった。
だが、攻撃へ入る時の踏み込みは速い。長い脚から、前蹴りや左右の回し蹴りが伸びる。
文化祭ではBOØWYのコピー・バンドで歌い、女子生徒の黄色い声を集めた。
空手でも、やはり格好よかった。
試合では、強烈な蹴りを何度も見た。
だが私は、練習で羽鳥先輩から強い蹴りを受けたことがない。仲間内では、ほとんど使わなかったのだと思う。
ディーゴ先輩が一度、蹴られて悶絶していたような気もする。
何か羽鳥先輩を怒らせたのだろう。
北神戸地区大会では、その蹴りが強すぎた。スポンジの入った胴当てから、
ポーンッ!
という、後を引く音が響いた。
音は軽い。
だが、蹴られた相手は腹を押さえてうずくまる。相手を奥まで押し込むような蹴りだった。
威力はある。
だが、高校空手では反則になる。私は、その判定に不満だった。
――きれいに入ったんやから、羽鳥先輩の一本でええやん。
相手がうずくまるほど強く入っているのだから、羽鳥先輩の方が強い。当時の私は、そう考えていた。寸止め競技なのだから、相手をうずくまらせた時点で技術の制御に失敗している。そんな当然の理屈は、あまり頭に入っていなかった。
県大会でも、潮見が丘高校の団体戦は二回戦で敗れた。
先輩たちは、決して弱くなかった。
古賀先輩には圧力がある。
岩田先輩はタイミングをずらせる。
久米先輩はリーチが長い。
森川先輩は体格がある。
羽鳥先輩には華麗な蹴りがある。
当時の私にとって、この五人は全員、力強くて強い先輩だった。
残る二人を除いて。
一人一人には強さがある。
それでも、団体戦では勝ち切れない。
練習量が、十分ではなかった。
高校空手の試合で勝つための動きを、部全体として身につけていたわけでもない。
北神戸地区大会に続き、県大会でも二回戦敗退だった。
私には納得できない判定も多かった。
いや、ほとんどすべての判定に、何かしら文句を持っていたかもしれない。
先輩の攻撃に旗が上がらなければ、
――審判、見えてへんやろ。
相手に旗が上がれば、
――今のどこが一本やねん。
先輩が反則を取られれば、
――相手が弱いだけやろ。
私は、たいへん公平な目で試合を見ていた。潮見が丘高校にとってだけ、公平だった。
組手の個人戦には、牧野大吾先輩と小杉先輩が出場した。
牧野先輩は、小柄で少し太っていた。妙に声が高かった。私たちは、陰でディーゴ先輩と呼んでいた。
小杉先輩も小太りで、色が白かった。
同級生だったら、私は間違いなく「白豚」と呼んでいたと思う。
先輩で本当によかった。
二人とも、団体戦のメンバーには入っていない。そして、他校の個人戦出場者は、その学校を代表する選手である。普通に考えれば、校内で一番か二番に強い選手が出てくる。
結果は厳しかった。
ディーゴ先輩も、一回戦で負けた。
小杉先輩も、一回戦で負けた。
そのころになって、私はようやく潮見が丘高校の個人戦出場方針を理解した。普通の学校は、個人戦にも強い選手を出す。だが、潮見が丘高校では、団体戦に出られない選手を個人戦へ出していた。勝つための選考というより、試合経験を積ませるための選考だった。
――そういうことか。
北神戸地区大会で、なぜ一年生の私が個人組手へ出られたのか。この時、ようやく分かった。
実力を見込まれた特別な抜擢ではなかった。
私は、団体戦に出られない側の選手だったのである。
少しだけ残念だった。
だが、それで初めての試合を経験できたのだから、顧問の先生たちの方針はありがたかった。
反則負けしたことまで、先生たちの責任にはできない。
形の個人戦には、ヤマリンと岩田先輩が出場した。
岩田先輩は、高校へ入ってから空手を始めた。組手では力強く、フェイントもうまい。だが形の競技では、幼いころから道場で空手を続けてきた経験者が強かった。
一つ一つの立ち方。
腰の高さ。
技を止める位置。
呼吸。
目線。
長年繰り返して身体へ染み込ませたものが、そのまま形へ表れる。
岩田先輩は、結果を残せなかった。
強力な洗濯機で鍛えられた空手着だけでは、形の経験差までは埋められなかった。
ヤマリンの形は、相変わらず速かった。技にもキレがあった。
北神戸地区大会では準優勝している。しかし、その後は入賞できなくなった。
形を見ることに慣れてくると、私にも少しずつ癖が見えるようになっていた。
速い。
鋭い。
だが、細かなところに崩れがある。
それを私は、ヤマリンに言わなかった。まだ、自分が人の形を直せるほど分かっているとも思えなかった。何より、北神戸地区大会で準優勝したヤマリンへ、一回戦で反則負けした私が何を言うのか、という話でもある。
県大会が終わり、次は東播磨地区大会だった。
団体戦のオーダーは変わらない。
古賀先輩が、板張りの床にうつぶせになる。
両肘をつく。
足をぴこぴこさせる。
ちびっこの落書きのような姿勢で、いつもの五人の名前を書く。
先鋒、古賀。
次鋒、岩田。
中堅、久米。
副将、森川。
大将、羽鳥。
そして東播磨地区大会でも、団体戦は二回戦で敗れた。
結果だけを見れば、北神戸地区大会、県大会、東播磨地区大会と、大きく変わっていない。
潮見が丘高校は、まだ二回戦を越えられないチームだった。
だが、一人だけ明らかに変わっていた。
羽鳥先輩である。
東播磨地区大会では、羽鳥先輩が個人組手にも出場した。
いつもの潮見が丘高校なら、個人戦は団体戦に出られない選手のための枠である。そこへ、団体戦の大将であり、部内で最も強い羽鳥先輩を出した。
東播磨地区大会は、県大会よりも規模が小さい。おそらく先生たちは、優勝を狙ったのだと思う。
その日の羽鳥先輩は、一回戦から蹴りが鮮やかに決まった。
長い前蹴り。
右から出る回し蹴り。
左から出る回し蹴り。
首をゆらゆらと揺らし、鋭い目で相手を見る。
すり足で間合いを詰める。
相手が反応するより先に、鋭く踏み込む。
長い脚が伸びる。
北神戸地区大会のころは、スポンジの胴当てから、
ポーンッ!
と、音が後に残っていた。
相手を奥まで押し込む、威力重視の蹴りだった。
この日の音は違った。
ポン!
短く、鋭い。
蹴りが相手の胴へ入った瞬間には、もう脚が戻り始めている。
当てる。
極める。
すぐに引く。
威力をなくしたのではない。
押し込む蹴りから、一本を取るための蹴りへ変わっていた。
相手はうずくまらない。
審判の旗だけが上がる。
ポン!
また旗が上がる。
羽鳥先輩は勝ち進んだ。
秋の最初には、強すぎる蹴りで反則を取られていた人が、東播磨地区大会では高校空手のルールの中で勝てるようになっていた。
そして、個人組手の決勝まで勝ち上がった。
決勝の相手は、小田高校のがっしりした選手だった。
見るからに頑丈そうだった。
「ハトリセンパァイ!」私は声を張り上げた。
あの相手なら、思い切り蹴っても大丈夫だろう。そんな、競技空手の応援としては少し間違ったことを考えていた。
小田高校の選手は、両手を軽く前へ出していた。
フットワークに合わせて、開いたり閉じたりする。
羽鳥先輩が首を揺らす。
鋭い目で相手を見る。
すり足で間合いを詰める。
長い前蹴りが伸びた。
小田高校の選手が下がる。
今度は右の回し蹴り。
さらに左の回し蹴り。
だが、決勝まで勝ち上がる間に、羽鳥先輩の蹴りは相手にも読まれていた。
羽鳥先輩の脚が動いた。
その瞬間、小田高校の選手も前へ出た。
蹴りと交差するように、相手の逆突きが決まった。
一本。
先制された。
私は声を張り上げ続けた。
羽鳥先輩は、再び前蹴りを出す。
左右の回し蹴りを出す。
だが、小田高校の選手は両手で間合いを測りながら、蹴りへ逆突きを合わせる機会を狙っていた。
羽鳥先輩の蹴りが、相手のガードへ触れる。以前の羽鳥先輩なら、構わず強く蹴り込んでいたかもしれない。
だが、この日は違った。
ガードの上から、相手を倒すまで蹴り続けるような荒い試合はしなかった。
無理に押し込まない。
反則覚悟で強く当てない。
いったん間合いを切る。
もう一度、首を揺らす。
鋭い目で相手を見る。
そして、一本を取り返す機会を待つ。
そのまま三分が過ぎた。
羽鳥先輩は敗れた。
準優勝だった。優勝には届かなかった。
羽鳥先輩は私たちのところへ戻り、爽やかに笑った。
「あかーん。あいつ、オレの蹴り読んできよったわ!」
負け方まで格好よかった。
北神戸地区大会の羽鳥先輩とは、明らかに違っていた。
蹴りを弱くしたのではない。蹴りを制御できるようになった。
先に一本を取られても、相手を力任せに蹴らなかった。私のように頭へ血を上らせ、覚えたことを全部忘れることもなかった。強さを、試合で使える形へ変えていた。
当時の私は、そこまで理屈で理解していたわけではない。
ただ、
――羽鳥先輩、前と違うな。
とは感じていた。
表彰が終わると、羽鳥先輩の周りに他校の女子生徒が集まってきた。
一人ではなかった。何人もいた。
「写真、撮ってください」
「一緒に撮ってもいいですか」
いつの間にか、撮影会のようになっていた。羽鳥先輩は、試合を終えた空手着姿のまま、女子生徒に囲まれていた。
優勝を決めた選手に、そんなものはなかった。どっちが優勝したのか分からない。
文化祭では、BOØWYを歌って女子生徒の黄色い声を集めた。
大会では、準優勝して他校の女子生徒まで集めた。
空手が強い。
背が高い。
男前。
歌もうまい。
少しくらい、何か欠点があってもよかったのではないかと思う。私は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
団体戦は、また二回戦で負けた。チームとしては、まだ勝ち方を知らなかった。練習も足りなかった。
私自身も、審判とルールへの不満ばかり持っていた。それでも、羽鳥先輩だけは、秋の大会を重ねるたびに変わっていった。
羽鳥先輩の蹴りが、決勝の空気を切り裂いた。優勝には届かなかった。
それでも、その背中を見ながら私は思った。秋にただ暴れただけの自分とは違う強さが、ここにある。
相手を倒すためではなく、勝つために技を制御する強さ。
冬が来る。
私も、もう一度強くなれるような気がした。
次は兵庫県大会。その後には、東播磨地区大会が控えていた。
北神戸地区大会では、私は個人組手へ出場した。
一回戦では、覚えた技を試した。
二回戦では、覚えた技を全部忘れて相手を殴り続け、反則負けになった。
だが、県大会と東播磨地区大会では、私は組手に出場しなかった。
自分の試合がない。そのため私は、いつになく落ち着いて、先輩たちの試合を見ることができた。もっとも、落ち着いていたのは身体だけだった。頭の中では、相変わらず審判に文句を言っていた。
――今の入っとったやろ!
――なんで旗が上がらへんねん!
――それが反則やったら、どうやって倒すねん!
当時の私は、高校空手のルールをまだ十分に理解していなかった。いや、ルールを知らなかったわけではない。知ってはいた。ただ、納得していなかったのである。
強い突きや蹴りを当てた方が強い。相手を押し込んだ方が勝ち。私は、かなり本気でそう思っていた。
だから、先輩の技が強く決まったのに反則を取られると、
――審判がおかしい。
となる。
逆に、軽く触れたようにしか見えない技に旗が上がると、
――そんなんで一本なんか。
となる。
審判にとって、たいへん迷惑な一年生だったと思う。
団体組手のメンバーは、いつも決まっていた。
先鋒から、古賀先輩、岩田先輩、久米先輩、森川先輩、羽鳥先輩。
古賀先輩と岩田先輩は、ときどき先鋒と次鋒を入れ替わった。
中堅が久米先輩。
副将が森川先輩。
大将が羽鳥先輩。
この五人が、潮見が丘高校空手道部の団体戦メンバーだった。
オーダー表を書くのは、なぜかいつも古賀先輩だった。先輩たちで事前に話し合っていたのか、それとも古賀先輩がその場で決めていたのか、私は知らない。
気がつくと、いつも古賀先輩がオーダー表を書いていた。
ただ、その書き方が独特だった。
古賀先輩は体育館の板張りの床へうつぶせになり、両肘をつく。オーダー表を目の前へ置き、鉛筆を動かす。そして後ろでは、曲げた両足がぴこぴこと揺れていた。
――ちびっこの落書きか!
私は毎回、心の中でつっこみながら笑いをこらえていた。
砲丸投げ出身で、組手では相手を力強く押し込む古賀先輩が、試合前には床へ寝転がり、足をぴこぴこさせている。本人はいたって真剣だった。だから余計におかしかった。
書き上がったオーダー表には、いつもの五人の名前が並んだ。
先鋒、古賀。
次鋒、岩田。
中堅、久米。
副将、森川。
大将、羽鳥。
私は、その紙に書かれた順番どおりに、先輩たちの試合を見た。
最初に出る古賀先輩は、やはり攻撃的だった。身長は、それほど高くない。腕が特別に長いわけでもない。それでも、左の差し合いになると強かった。
互いに左足を前へ出した構えから、前拳の刻み突きを出し合う。
相手も左。
古賀先輩も左。
同時に入ったように見えた瞬間、相手の身体だけが後ろへ飛ばされる。
パワーの差だった。
だが、今になって考えると、古賀先輩は力だけで相手を吹き飛ばしていたのではない。狙う場所がうまかった。オーソドックスに構えた相手なら、一番近い場所は胸の中央ではない。前へ出している左腕の腋、そのすぐ横の胸である。古賀先輩は、そこを狙っていた。
最も近いところへ、最短距離で拳を差し込む。そこへ、砲丸投げで鍛えた身体の力が乗る。だから、リーチが長くなくても差し合いに勝てたのだと思う。
私は最後まで、刻み突きでは相手の顎の下か、胸の中央を狙っていた。古賀先輩の狙い方をまねていれば、自分のリーチをもっと有効に使えたかもしれない。だが、当時の私は、そこまで理解していなかった。
練習で古賀先輩と左の差し合いになるたび、
――また跳ね返された。
と思っていただけだった。
古賀先輩は、茶色い前髪を長く伸ばしていた。練習中も、ときどきその前髪を手でかき上げながら組手をする。相手を押し込み、間合いが切れると前髪をかき上げる。
そして、また前へ出る。少し不良っぽく、格好よかった。
床へ寝転がって足をぴこぴこさせていた人と、同一人物には見えなかった。
次鋒の岩田先輩は、私よりも小柄だった。がっしりした体格で、やはり力強い。
前拳を、普通より少し高い位置に構える。
そこからすぐに攻撃するのではなく、細かい動きで相手の反応を誘う。
一度、前へ出るように見せる。
相手が反応する。
そこで入らない。
次の瞬間、相手の呼吸が戻るところへ、本当の攻撃を出す。フェイントで相手のタイミングをずらすのがうまかった。
先輩たちの中では、動きも軽い方だった。
ただ私は、岩田先輩の試合を見るたび、別のものも気になっていた。
空手着である。
岩田先輩の空手着は、なぜか縫い目から細い糸が何本もひょろひょろと垂れていた。使い込んだ道着をまとう、古武術の格闘家のように見えた。
少し格好よかった。
ところが、ある日ヤマリンが言った。
「岩田先輩のうちの洗濯機、絶対強力やねんで!」
それ以来、岩田先輩の空手着を見ると、古武術の達人よりも、強力な洗濯機が頭に浮かぶようになった。
岩田先輩は真剣な顔で相手と向かい合っている。
縫い目から糸がひょろひょろと揺れている。
私は笑ってはいけない。
試合中である。
北神戸地区大会では、ヤマリンの絆創膏で笑いをこらえた。
県大会では、岩田先輩の家の洗濯機で笑いをこらえた。
空手の大会とは、意外に笑いをこらえる場面が多い。
中堅の久米先輩は、長身だった。腕も長い。構えは低い。低いというより、少し低すぎるようにも見えた。
腰を深く落とし、その場から長い腕を伸ばす。構えが低いため、フットワークはあまり使わない。大きく動かず、すり足で間合いを詰める。
蹴りも、ほとんど使わなかった。
だが、近づくと怖い。こちらがまだ遠いと思っている距離から、長い手が飛んでくる。あまり動かないのに、間合いが広い。
久米先輩の組手は、長い腕そのものが武器だった。
副将の森川先輩は、大柄でがっしりしていた。構えも、どっしりしている。
古賀先輩のように激しく前へ出るのではない。
岩田先輩のように細かいフェイントを繰り返すわけでもない。
その場に大きな身体を置き、相手の攻撃を受け止める。そして、自分の間合いになれば、体格を生かして前へ出る。突きだけではなく、蹴りも使った。
私は新しい技を考えると、よく森川先輩を練習相手に選んだ。スキップ蹴りを最初に試した相手も、森川先輩だった。
身体が大きく、頑丈そうだったからである。今になって考えると、ずいぶん失礼な理由で練習相手にしていた。
だが森川先輩は、嫌な顔をせず相手をしてくれた。だから私には、森川先輩の体格の強さがよく分かっていた。
そして最後に、大将の羽鳥先輩が出た。
羽鳥先輩については、もう何度も書いた。
背が高い。
男前。
前拳を低く構え、首をゆらゆらと揺らしながら、鋭い目で相手を見る。大きなフットワークを使うわけではない。基本は、すり足だった。
だが、攻撃へ入る時の踏み込みは速い。長い脚から、前蹴りや左右の回し蹴りが伸びる。
文化祭ではBOØWYのコピー・バンドで歌い、女子生徒の黄色い声を集めた。
空手でも、やはり格好よかった。
試合では、強烈な蹴りを何度も見た。
だが私は、練習で羽鳥先輩から強い蹴りを受けたことがない。仲間内では、ほとんど使わなかったのだと思う。
ディーゴ先輩が一度、蹴られて悶絶していたような気もする。
何か羽鳥先輩を怒らせたのだろう。
北神戸地区大会では、その蹴りが強すぎた。スポンジの入った胴当てから、
ポーンッ!
という、後を引く音が響いた。
音は軽い。
だが、蹴られた相手は腹を押さえてうずくまる。相手を奥まで押し込むような蹴りだった。
威力はある。
だが、高校空手では反則になる。私は、その判定に不満だった。
――きれいに入ったんやから、羽鳥先輩の一本でええやん。
相手がうずくまるほど強く入っているのだから、羽鳥先輩の方が強い。当時の私は、そう考えていた。寸止め競技なのだから、相手をうずくまらせた時点で技術の制御に失敗している。そんな当然の理屈は、あまり頭に入っていなかった。
県大会でも、潮見が丘高校の団体戦は二回戦で敗れた。
先輩たちは、決して弱くなかった。
古賀先輩には圧力がある。
岩田先輩はタイミングをずらせる。
久米先輩はリーチが長い。
森川先輩は体格がある。
羽鳥先輩には華麗な蹴りがある。
当時の私にとって、この五人は全員、力強くて強い先輩だった。
残る二人を除いて。
一人一人には強さがある。
それでも、団体戦では勝ち切れない。
練習量が、十分ではなかった。
高校空手の試合で勝つための動きを、部全体として身につけていたわけでもない。
北神戸地区大会に続き、県大会でも二回戦敗退だった。
私には納得できない判定も多かった。
いや、ほとんどすべての判定に、何かしら文句を持っていたかもしれない。
先輩の攻撃に旗が上がらなければ、
――審判、見えてへんやろ。
相手に旗が上がれば、
――今のどこが一本やねん。
先輩が反則を取られれば、
――相手が弱いだけやろ。
私は、たいへん公平な目で試合を見ていた。潮見が丘高校にとってだけ、公平だった。
組手の個人戦には、牧野大吾先輩と小杉先輩が出場した。
牧野先輩は、小柄で少し太っていた。妙に声が高かった。私たちは、陰でディーゴ先輩と呼んでいた。
小杉先輩も小太りで、色が白かった。
同級生だったら、私は間違いなく「白豚」と呼んでいたと思う。
先輩で本当によかった。
二人とも、団体戦のメンバーには入っていない。そして、他校の個人戦出場者は、その学校を代表する選手である。普通に考えれば、校内で一番か二番に強い選手が出てくる。
結果は厳しかった。
ディーゴ先輩も、一回戦で負けた。
小杉先輩も、一回戦で負けた。
そのころになって、私はようやく潮見が丘高校の個人戦出場方針を理解した。普通の学校は、個人戦にも強い選手を出す。だが、潮見が丘高校では、団体戦に出られない選手を個人戦へ出していた。勝つための選考というより、試合経験を積ませるための選考だった。
――そういうことか。
北神戸地区大会で、なぜ一年生の私が個人組手へ出られたのか。この時、ようやく分かった。
実力を見込まれた特別な抜擢ではなかった。
私は、団体戦に出られない側の選手だったのである。
少しだけ残念だった。
だが、それで初めての試合を経験できたのだから、顧問の先生たちの方針はありがたかった。
反則負けしたことまで、先生たちの責任にはできない。
形の個人戦には、ヤマリンと岩田先輩が出場した。
岩田先輩は、高校へ入ってから空手を始めた。組手では力強く、フェイントもうまい。だが形の競技では、幼いころから道場で空手を続けてきた経験者が強かった。
一つ一つの立ち方。
腰の高さ。
技を止める位置。
呼吸。
目線。
長年繰り返して身体へ染み込ませたものが、そのまま形へ表れる。
岩田先輩は、結果を残せなかった。
強力な洗濯機で鍛えられた空手着だけでは、形の経験差までは埋められなかった。
ヤマリンの形は、相変わらず速かった。技にもキレがあった。
北神戸地区大会では準優勝している。しかし、その後は入賞できなくなった。
形を見ることに慣れてくると、私にも少しずつ癖が見えるようになっていた。
速い。
鋭い。
だが、細かなところに崩れがある。
それを私は、ヤマリンに言わなかった。まだ、自分が人の形を直せるほど分かっているとも思えなかった。何より、北神戸地区大会で準優勝したヤマリンへ、一回戦で反則負けした私が何を言うのか、という話でもある。
県大会が終わり、次は東播磨地区大会だった。
団体戦のオーダーは変わらない。
古賀先輩が、板張りの床にうつぶせになる。
両肘をつく。
足をぴこぴこさせる。
ちびっこの落書きのような姿勢で、いつもの五人の名前を書く。
先鋒、古賀。
次鋒、岩田。
中堅、久米。
副将、森川。
大将、羽鳥。
そして東播磨地区大会でも、団体戦は二回戦で敗れた。
結果だけを見れば、北神戸地区大会、県大会、東播磨地区大会と、大きく変わっていない。
潮見が丘高校は、まだ二回戦を越えられないチームだった。
だが、一人だけ明らかに変わっていた。
羽鳥先輩である。
東播磨地区大会では、羽鳥先輩が個人組手にも出場した。
いつもの潮見が丘高校なら、個人戦は団体戦に出られない選手のための枠である。そこへ、団体戦の大将であり、部内で最も強い羽鳥先輩を出した。
東播磨地区大会は、県大会よりも規模が小さい。おそらく先生たちは、優勝を狙ったのだと思う。
その日の羽鳥先輩は、一回戦から蹴りが鮮やかに決まった。
長い前蹴り。
右から出る回し蹴り。
左から出る回し蹴り。
首をゆらゆらと揺らし、鋭い目で相手を見る。
すり足で間合いを詰める。
相手が反応するより先に、鋭く踏み込む。
長い脚が伸びる。
北神戸地区大会のころは、スポンジの胴当てから、
ポーンッ!
と、音が後に残っていた。
相手を奥まで押し込む、威力重視の蹴りだった。
この日の音は違った。
ポン!
短く、鋭い。
蹴りが相手の胴へ入った瞬間には、もう脚が戻り始めている。
当てる。
極める。
すぐに引く。
威力をなくしたのではない。
押し込む蹴りから、一本を取るための蹴りへ変わっていた。
相手はうずくまらない。
審判の旗だけが上がる。
ポン!
また旗が上がる。
羽鳥先輩は勝ち進んだ。
秋の最初には、強すぎる蹴りで反則を取られていた人が、東播磨地区大会では高校空手のルールの中で勝てるようになっていた。
そして、個人組手の決勝まで勝ち上がった。
決勝の相手は、小田高校のがっしりした選手だった。
見るからに頑丈そうだった。
「ハトリセンパァイ!」私は声を張り上げた。
あの相手なら、思い切り蹴っても大丈夫だろう。そんな、競技空手の応援としては少し間違ったことを考えていた。
小田高校の選手は、両手を軽く前へ出していた。
フットワークに合わせて、開いたり閉じたりする。
羽鳥先輩が首を揺らす。
鋭い目で相手を見る。
すり足で間合いを詰める。
長い前蹴りが伸びた。
小田高校の選手が下がる。
今度は右の回し蹴り。
さらに左の回し蹴り。
だが、決勝まで勝ち上がる間に、羽鳥先輩の蹴りは相手にも読まれていた。
羽鳥先輩の脚が動いた。
その瞬間、小田高校の選手も前へ出た。
蹴りと交差するように、相手の逆突きが決まった。
一本。
先制された。
私は声を張り上げ続けた。
羽鳥先輩は、再び前蹴りを出す。
左右の回し蹴りを出す。
だが、小田高校の選手は両手で間合いを測りながら、蹴りへ逆突きを合わせる機会を狙っていた。
羽鳥先輩の蹴りが、相手のガードへ触れる。以前の羽鳥先輩なら、構わず強く蹴り込んでいたかもしれない。
だが、この日は違った。
ガードの上から、相手を倒すまで蹴り続けるような荒い試合はしなかった。
無理に押し込まない。
反則覚悟で強く当てない。
いったん間合いを切る。
もう一度、首を揺らす。
鋭い目で相手を見る。
そして、一本を取り返す機会を待つ。
そのまま三分が過ぎた。
羽鳥先輩は敗れた。
準優勝だった。優勝には届かなかった。
羽鳥先輩は私たちのところへ戻り、爽やかに笑った。
「あかーん。あいつ、オレの蹴り読んできよったわ!」
負け方まで格好よかった。
北神戸地区大会の羽鳥先輩とは、明らかに違っていた。
蹴りを弱くしたのではない。蹴りを制御できるようになった。
先に一本を取られても、相手を力任せに蹴らなかった。私のように頭へ血を上らせ、覚えたことを全部忘れることもなかった。強さを、試合で使える形へ変えていた。
当時の私は、そこまで理屈で理解していたわけではない。
ただ、
――羽鳥先輩、前と違うな。
とは感じていた。
表彰が終わると、羽鳥先輩の周りに他校の女子生徒が集まってきた。
一人ではなかった。何人もいた。
「写真、撮ってください」
「一緒に撮ってもいいですか」
いつの間にか、撮影会のようになっていた。羽鳥先輩は、試合を終えた空手着姿のまま、女子生徒に囲まれていた。
優勝を決めた選手に、そんなものはなかった。どっちが優勝したのか分からない。
文化祭では、BOØWYを歌って女子生徒の黄色い声を集めた。
大会では、準優勝して他校の女子生徒まで集めた。
空手が強い。
背が高い。
男前。
歌もうまい。
少しくらい、何か欠点があってもよかったのではないかと思う。私は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
団体戦は、また二回戦で負けた。チームとしては、まだ勝ち方を知らなかった。練習も足りなかった。
私自身も、審判とルールへの不満ばかり持っていた。それでも、羽鳥先輩だけは、秋の大会を重ねるたびに変わっていった。
羽鳥先輩の蹴りが、決勝の空気を切り裂いた。優勝には届かなかった。
それでも、その背中を見ながら私は思った。秋にただ暴れただけの自分とは違う強さが、ここにある。
相手を倒すためではなく、勝つために技を制御する強さ。
冬が来る。
私も、もう一度強くなれるような気がした。
