青い勲章

 秋の大会シーズンを前に、空手道部へ新しい顧問が加わった。
 英語教師の松岡先生だった。細身で、穏やかな雰囲気を持つ先生である。私たちは陰で「マッツァン」と呼んだ。

 極真空手経験者のイマリンと比べると、マッツァンは空手が強いわけではなかった。一緒に組手をしても、正直に言えば、それほど怖くない。
 アラチやイマリンとは、まるで違った。

 ただ、後になって知ったことだが、松岡先生は妙にカラオケがうまかった。とりわけ「昴」を歌わせると絶品だった。空手道部の顧問として、その特技が何の役に立ったのかは分からない。
 ともかく、顧問は増えた。


 そして私たちは、秋の大会シーズン最初の試合、北神戸地区大会を迎えた。

 私にとっては、初めての空手の試合だった。楽しみで仕方がなかった。
 中学の柔道部にいたころは、試合へ出るたび、処刑台へ上るような気分になった。
 名前を呼ばれる。
 畳へ上がる。
 相手と向かい合う。
 その時点で、もう逃げたかった。
――負けたら嫌やな。
――投げられたくないな。

 そんなことばかり考えていた。ところが、空手ではまるで違った。
 早く名前を呼んでほしい。
 早く相手と向かい合いたい。
 どうやって攻めようか。
 どうやってボコボコにしてやろうか。
 頭の中では、試合が始まる前から、
――コロス、コロス。
 と考えていた。もちろん、本当に相手の命を奪うつもりなどない。当時の私の中では、目の前の相手を徹底的に倒したいという衝動が、その言葉へ変換されていただけである。
 柔道では出てこなかった闘志が、空手では勝手にあふれてくる。私は、その違いを自分でも感じていた。
 そして、それが嬉しかった。

 本を読んだ。
 毎月『月刊空手道』を買った。
 八千円のビデオを、何度も巻き戻して見た。
 スキップ蹴りを作った。
 めちゃくちゃなラッシュは、アラチに三本連突きへ整えてもらった。
 春には何もできなかったイマリンにも、試合形式で三対〇の勝利を収めた。
 今の自分なら、誰とやっても通用する。そのころの私は、万能感に近いものを抱いていた。
 初めて大会へ出る一年生が持つには、少々大きすぎる自信だった。

 試合では、練習でも使っている拳サポーターを着けた。拳の表面をスポンジで覆い、突きが強く入った時の衝撃を和らげる。胴にも、スポンジの入った胴当てを着ける。
 ここまではよかった。
 問題は、メンホーだった。当時のメンホーは、空気を入れて膨らませるものだった。顔の周りを大きく覆うので、安全のためには必要なのだろう。
 しかし、正直に言えば、私は着けたくなかった。誰がどう着けても、格好悪いのである。

 顔の輪郭が妙に膨らみ、頭だけが必要以上に大きく見える。せっかく空手着を着て構えても、メンホーを着けた瞬間、何かが台無しになった。
 あの羽鳥先輩を除いて、メンホーを着けたまま男前を維持できる人間を、私は知らなかった。
 試合へ出る以上、着けないわけにはいかない。私は格好悪いメンホーを着け、拳サポーターを確かめた。見た目は少し情けなかった。
 気持ちだけは、完全に戦闘態勢だった。

 先に行われた団体戦には、二年生の先輩たちが出場した。創部から日が浅いとはいえ、先輩たちは運動能力も体力もあった。
 元サッカー部の羽鳥先輩。
 元砲丸投げの古賀先輩。
 ほかの先輩たちも、アラチに集められただけあって、身体の強い人が多かった。

 ただし、まだ高校空手の試合には十分に適応できていなかった。
 強い。
 速い。
 体力もある。
 だが、止められない。

 羽鳥先輩の空手は、ある意味では非常にきれいだった。長い脚から、前蹴りや回し蹴りが華麗に伸びる。相手の間合いの外から、突然、蹴りが飛んでくる。
 そして、その蹴りが決まる。
 スポンジの入った胴当てから、
 ポーンッ!
 という、何とも緊張感のない音が響く。だが、その軽い音とは裏腹に、蹴られた相手は腹を押さえてうずくまった。

 羽鳥先輩の蹴りが極まるたびに、相手は悶絶する。きれいに決まりすぎるのである。威力は相当なものだったと思う。
 当然、反則を取られる。
 勝つか。相手をうずくまらせて反則負けになるか。
 羽鳥先輩は、まだその間にある「高校空手の勝ち方」を身につけていなかった。

 ほかの先輩たちも似たようなものだった。
 勢いよく前へ出る。
 強く当たる。
 注意を受ける。
 また当てる。
 反則になる。
 格好いいが、粗削りだった。

 団体戦は二回戦で敗退した。強い技を持っていることと、試合に勝てることは、同じではなかった。

 もっとも、初めて大会へ出る私は、それを自分の問題としては考えていなかった。先輩たちは、少し当てすぎただけだ。自分なら、もっとうまくやれる。そう思っていた。

 いよいよ、私の個人組手が始まった。名前を呼ばれ、初めて試合場へ上がった。

 体育館の板張りの床にテープを貼り、四角い試合場が作られていた。試合場には、どこかピリッとした緊張感が漂っていた。しかし、その時の私には一切関係なかった。
 なにしろ、勝つことしか考えていなかった。

 いつも練習している柔道場の畳とは、足裏の感触がまるで違った。
 床が硬い。
 ここで毎日練習すれば、踵を痛めるかもしれない。その代わり、踏み込んだ力が床へ逃げない。
 後ろ足で蹴った力が、そのまま身体を前へ押し出してくれる。
 動きやすい。
 私は足裏で床の硬さを確かめながら思った。
――ひょっとして、畳の上で練習して、試合だけ板張りの床でやるのが、一番効率ええんちゃうか。

 柔らかい畳の上で足腰を鍛え、硬い床でその力を使う。初めて上がった試合場で、私は早くも勝手な理屈を組み立てていた。

 一回戦の相手は、他校の二年生だった。個人戦に二年生が出るのは、ごく普通のことである。むしろ、入部して半年ほどの一年生を個人戦へ出している潮見が丘高校の方がおかしかった。
 出場を決めたのは、イマリンとマッツァンだった。二人が私の何を見て、「こいつを出そう」と思ったのかは分からない。
 少なくとも、人格の安定性を見て選んだのではない。

 正面へ礼をする。
 相手と向かい合う。
 互いに礼をする。
 構える。
 不思議なほど、怖くなかった。
 柔道の試合では、開始の声を待つ時間がひどく長く感じられた。
 空手では、早く始めてほしかった。

 審判の声が響いた。
「始め!」

 私は、すぐには攻撃しなかった。
 まず一歩、前へ踏み込んだ。
 相手が反応する。
 そこで、ピタリと止まった。
 ほんの一瞬だけ間を置く。
 相手の身体も止まる。
 次の瞬間、さらに深く踏み込み、左の刻み突きを中段へ伸ばした。
 二段踏み込みからの刻み突き。

 拳が、相手の胴当てをきれいに捉えた。
「待て!」
 審判が止める。
 旗が上がった。
「中段突き、一本!」

 先制した。
 初めての大会。初めての試合。
 最初に出した技で、一本を取った。
 身体の中で、何かが一気に膨らんだ。
――いける。

 私は、完全に調子へ乗った。
 再開すると、今度はビデオで見た全日本クラスの選手の動きをまねた。その選手は、普通のフットワークだけではなく、上体を大きく揺らして相手を惑わせていた。
 右へ揺れる。
 左へ揺れる。
 少し沈む。
 身体全体で、大きなフェイントをかける。
 当時の私には、それがひどく格好よく見えた。私は試合場の上で、覚えた動きをそのままやった。

 上体を大きく左右へ揺らす。
 踊るように身体を動かす。
 相手は、明らかに戸惑っていた。私の動きが高度すぎたからなのか。単に、何をしているのか分からなかったからなのか。当時の私には、前者としか思えなかった。

 相手の動きが止まったところへ、左の刻み突きを中段へ伸ばした。
 拳が胴当てを捉える。
「待て! 中段突き、一本!」

 二本目。
 私はますます気分がよくなった。

 また遠い間合いを取る。
 フットワークを使う。
 相手の動きを見る。
 後ろ足で床を蹴る。
 左足を鋭く踏み込む。
 左の刻み突き。
 三本目も、中段へきれいに決まった。

 三本先取。
 私の勝ちだった。
 三本とも、左の刻み突きで取った。

 初めての個人戦で、一回戦を三対〇。
 しかも、自分が研究してきた二段踏み込みやフットワークが通用した。私は試合場を下りながら、かなり格好よく勝ったつもりでいた。

 そこへ高倉が来た。
「みんな、わろとったで」
 私は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「何を?」
「あの動き。みんな、わろとった」
 大きく上体を揺らす、全日本クラスの選手をまねたフットワークのことである。
 私は腹が立った。
――何がおかしいねん。

 全日本の選手がやっていた動きである。実際、相手を翻弄して一本を取った。笑われる筋合いはない。
 だが、観客から見れば、空気で膨らませた大きなメンホーを着けた一年生が、試合場の上で突然、身体を大きく揺らし始めたのである。
 今なら、少し分かる。たぶん、面白かったのだ。
 当時の私は、まったく納得しなかった。

 一回戦の勝利で、私の万能感はさらに膨らんだ。次も勝てる。相手が二年生でも関係ない。自分の刻み突きなら届く。フットワークでも負けない。

 二回戦の相手も、他校の二年生だった。普通なのは、相手の方である。一年生の私は、本来なら胸を借りる立場だった。だが、そんな謙虚な気持ちは、どこにもなかった。
 早く試合がしたかった。
 また一本を取りたかった。
 相手を押し込んで、自分の方が強いことを確かめたかった。

 試合が始まった。
 先に一本を取られた。
 どの技で取られたのか、はっきりとは覚えていない。
 覚えているのは、審判が相手へ一本を与えた瞬間、頭の中が熱くなったことだけである。

――コロス。
 そこから先の記憶は、かなり曖昧だった。
 間合いを見る。
 相手の足を見る。
 二段踏み込みを使う。
 極めと残心を取る。
 これまで研究してきたものが、全部どこかへ消えた。

 私は前へ出た。
 拳を出す。
 相手が下がる。
 追う。
 また殴る。
 一本をきれいに取るための攻撃ではなかった。相手を押し込み、一方的に殴るための攻撃になっていた。

 審判が止める。
 注意を受ける。
 再開する。
 また前へ出る。
 また強く当たる。
 拳サポーターを着けているとはいえ、相手へ強く当ててよいわけではない。分かっていたはずだった。しかし、頭へ血が上った私に、攻撃を制御する余裕はなかった。
 相手をどう攻略するかではなく、どうボコボコにするかしか考えていなかった。
 やがて、審判が試合を止めた。
 私は反則負けになった。

 初めての大会は、一回戦を三対〇で勝ち、二回戦で反則負け。
 大きく踊るようなフットワークで笑われ、最後は相手を殴りすぎて終わった。

 試合場を下りても、私は負けたという実感がなかった。相手は、他校から個人戦へ出場してきた二年生だった。一年生の私より空手経験も長く、学校の出場選手に選ばれた人間である。本来なら、初めて大会へ出た私が敬意を持って向き合うべき相手だった。
 だが、当時の私は、そんなことを考えなかった。

――あれ、何で負けたんやろ。
 相手は、そんなに強かっただろうか。
――いや、先輩たちと比べても弱かった。
 実際、私は相手を一方的にボコボコにできた。相手の攻撃が怖かった記憶もない。一本を先に取られた後、頭に血が上がって前へ出た。
 そこから先はよく覚えていないが、少なくとも組手そのものでは、自分が押していたと思っていた。それなのに、負けたのは私だった。

――もうちょっと、手加減したらなあかんかったんかな。
 反則を繰り返し、競技の約束を守れなかったから負けた。そんな当然のことを、私はまだ理解していなかった。

 他校の二年生を相手に反則負けした一年生が、
――自分の方が強かった。少し殴りすぎただけや。
 と本気で思っていたのである。

 反省は、まったくなかった。敗因を理解したのではない。
 自分の方が強すぎたため、火力の調整を間違えたと思っただけだった。

 初戦の一勝と、イマリンに三対〇で勝った経験で、私の自信は大きく膨らんでいた。
 いや、あれはもう自信ではない。
 勘違いで膨らんだ、万能感だった。
 そんな私が、ずるいほどの試合巧者になるのは、まだ先のことだった。


 ヤマリンは形の部で勝ち進み、決勝の試合場へ立った。
 礼をする。
 形の名を告げる。

「カタァ! バッサイダイィ!」
 張り上げた声が、静かな会場へ響いた。
 呼吸を整える。
 突き。
 受け。
 方向転換。
 決勝だけあって、会場には張りつめた空気が漂っていた。

 その中で、ヤマリンが鋭く中段受けを出した。腕を大きく振った、その瞬間だった。親指に巻いていた絆創膏が剝がれ、

 ぽーん。
 と宙を飛んだ。

 白い絆創膏は、静まり返った試合場を越え、私たちが見ている方へ飛んできた。私は、一瞬何が飛んできたのか分からなかった。そして、それがヤマリンの親指に付いていた絆創膏だと気づいた。

 笑ってはいけない。
 形の決勝である。
 ヤマリンは、真剣な顔で「抜塞大」を打ち続けている。だからこそ、余計におかしかった。
 私は声を出さないように、必死で笑いをこらえた。

 ヤマリンは、絆創膏が飛んだことなど気づいていないように、最後まで形を打ち切った。
 立派だった。
 私は笑わずに耐え切った。こちらも、ある意味ではよく頑張った。

 ヤマリンは準優勝した。一年生での準優勝は、立派な成績だった。
 私は本人へ、
「ヤマリン、すごいやん!」と声をかけた。

 素直にそう思った。組手で一勝しただけの私より、明らかに結果を残している。ヤマリンは、少し照れながらも嬉しそうだった。
 ただし、これが彼の競技成績におけるキャリアハイになるとは、本人も私も知らなかった。


 北神戸地区大会。
 先輩たちは、強く当てすぎて反則を重ねた。
 私は、一回戦で研究成果を出し、二回戦で研究してきたことを全部忘れた。
 ヤマリンだけが、形で準優勝という確かな結果を残した。

 潮見が丘高校空手道部には、強い突きも蹴りもあった。
 体力もあった。
 勢いもあった。
 ただ、勝ち方を知っている者は、まだほとんどいなかった。

 秋の大会シーズンは、始まったばかりだった。