青い勲章

 アラチこと荒木先生に顎を壊されてから一週間ほどで、私は普通の食事へ戻れるようになった。最初に何を食べたのかは覚えていない。ただ、舌でつぶさなくてもよい食べ物が、たいへんありがたかったことは覚えている。

 顎の腫れが引くと、私は何事もなかったように練習へ戻った。荒木先生の猫足立ちを見れば、顎の付け根が少し痛むような気はした。それでも、空手を辞めたいとは思わなかった。
 むしろ、どうすればあの動きに対応できるのかが気になった。
 開いた左手で前拳を払う。
 猫足立ちのまま、畳の上を滑るように間合いを詰める。
 こちらが動き始めた時には、もう拳が飛んできている。
 怖い。だが、分からないままにしておくのも悔しかった。

 私は入部した春から、空手の本を買い始めていた。書店へ行くと、スポーツ関係の棚を探した。
 空手の入門書。
 形を写真で解説した本。
 組手の技術について書かれた本。

 そして、毎月のように『月刊空手道』を買った。高校一年生の小遣いには、それなりの負担だった。それでも表紙に空手着の選手が構えていると、手に取らずにはいられなかった。

 本を読めば、練習中に先輩から聞いた言葉の意味が少しずつ分かった。
 前屈立ち。
 猫足立ち。
 刻み突き。
 逆突き。
 極め。
 残心。
 同じ突きでも、足の位置や腰の回し方、相手との距離によって使い方が変わる。

 空手には、私が思っていた以上に細かな理屈があった。私は、その理屈を知ることが好きだった。
 力が強ければ勝てる。
 動きが速ければ勝てる。
 もちろん、それも大切である。

 だが、相手が反応しにくい角度や、タイミングをずらす方法もある。前拳を押さえてから攻撃する方法もある。身体能力だけではなく、考え方で差をつけられる。
 それが面白かった。

 先輩たちの動きも、少し違って見えるようになった。
 羽鳥先輩は、空手経験者で中学ではサッカー部だった。長い脚から左右の蹴りを自在に出せるのは、もともとの運動能力に加えて、サッカーで培った足さばきもあったのだろう。構えていても身体が固まらない。軽く動き続け、どちらの脚からでも蹴る。

 文化祭ではBOØWYのコピーバンドで歌い、舞台の下から黄色い声援を浴びていた。
 空手をしても歌っても目立つ。
 人気者というものは、何をしても人気者になるらしい。
 実際には羽鳥先輩なりの努力があったのだろうが、当時の私には、すべてが自然にできているように見えた。

 古賀先輩も元陸上部だった。ただし、走る方ではない。砲丸投げである。がっちりした体格で、肩も腕も太く、とにかく力が強かった。
 体育祭の棒倒しでは、進路上にいる相手を片っ端からなぎ倒したという。砲丸を遠くへ投げるために鍛えた力を、人間を押しのけることに使ったらしい。それが陸上競技の正しい応用なのかどうかは分からない。
 ただ、古賀先輩なら本当にやったのだろうと思った。

 二年生の先輩たちは、運動能力も体力もあった。強い突きや蹴りも持っていた。
 しかし、高校空手の試合に合わせて技を制御するところまでは、まだできていなかった。

 攻撃がきれいに決まれば、派手に勝つ。
 勢いが余れば、強く当たりすぎる。
 格好いいが、粗削りだった。
 一年生の私には、それでも十分に強く見えた。

 私は本や雑誌で覚えたことを、練習で試した。
 その相手になってくれたのが、副キャプテンの森川先輩だった。背が高く、体格もしっかりしている。初心者だった私たちに、立ち方や突き方を丁寧に教えてくれた先輩である。

 私が本や雑誌で新しい動きを見つけるたびに、
「ちょっと試してもいいですか」
 と相手を頼んだ。
 今から考えると、かなり迷惑な一年生である。

 だが、森川先輩は嫌な顔をせずに構えてくれた。本の写真では、攻撃する側がきれいに踏み込み、相手は都合よく技を受けている。
 現実の森川先輩は、写真の中の相手のように協力してくれない。

 前拳を押さえようとすれば、手を引かれる。
 踏み込めば、先に突かれる。
 自信満々で出した技を、簡単に止められる。
 それでも一度試せば、何が足りないのか少し分かった。
 距離が遠い。
 手から先に動いている。
 踏み込む前に肩が動き、攻撃を読まれている。

 私は家へ帰ると本を開き直した。
 翌日、また森川先輩に頼んだ。
 森川先輩は、私にとって先輩であり、先生であり、最初の実験台でもあった。


 夏が近づくころ、富田松雄が学校を辞めた。

 細身で手足が長く、右構えだった。
 入学した時、古賀先輩から、「お前ひとりでトミーとマツか!」と言われた同級生である。

 空手道部を辞めたのではない。高校そのものを辞めた。理由について、私は詳しく知らなかった。
 ただ私は、その事実に大きな衝撃を受けた。
 高校というものは、一度入ったら三年間通うものだと思っていた。辞めることができるのだ。

 足元の床が、わずかに動いたような気がした。

 同じ日に入学し、同じ空手着を着ていた者が、突然、学校からいなくなる。それまで私が当然だと思っていた高校生活は、全員に同じ形で続くものではなかった。
 昨日までいた人間が、今日はもういない。
 富田が使っていた場所だけが、部員一人分空いた。

 私たちは練習を続けた。
 先輩の号令に合わせて基本を繰り返し、組手をした。富田の退学について、いつまでも話し合ったわけではない。高校生は、誰かがいなくなっても、日々の中で前へ進んでしまう。
 それでも私は、ときどき右構えの富田を思い出した。
 もし空手を続けていれば、長い手足を生かした選手になったかもしれない。だが、それを確かめる機会は、もうなかった。


 夏を過ぎても、私の空手研究は続いた。
『月刊空手道』には、技術書や空手用品の広告が載っていた。その中に、組手の技術を収録したビデオの広告があった。
 価格は、約八千円。高校一年生にとって、簡単に出せる金額ではない。雑誌を買うだけでも小遣いは減る。

 それでも、写真と文章だけでは分からない動きを、映像なら見ることができる。
 足を運ぶ順番。
 踏み込む速さ。
 拳を出すタイミング。
 技と技のつなぎ方。
 私は広告を何度も見た。そして、注文した。

 届いたのは、一本のビデオテープだった。今なら、見たい場面を指先一つで何度でも再生できる。当時はビデオデッキへテープを入れ、見たい場面が過ぎれば巻き戻す。
 止める。
 見る。
 巻き戻す。
 もう一度見る。

 私は同じ技を、何度も繰り返して見た。
 一度目は、選手の拳を見る。
 二度目は、足を見る。
 三度目は、相手の動きを見る。
 四度目は、攻撃を始める直前の構えを見る。
 映像を見ているだけでは、技は身につかない。
 だが、何を見ればよいかが分かると、同じ場面から少しずつ違うものが見えてきた。

 ビデオの中で、私が特に気になった動きの一つが、前足の蹴りだった。映像の選手は、蹴り足の勢いに乗って、軸足をわずかに滑らせていた。
――これ、リーチを稼ぐのに使えるかも。
 そう思った。

 蹴り足を抱え込んだまま、軸足を一歩踏み出す。普通に蹴るより遠くへ届く。それだけではない。
 蹴りが来ると思った瞬間から、実際に足が届くまでのタイミングも、わずかにずらせるかもしれない。
 私は勝手な手応えを感じていた。

 翌日、森川先輩との組手でさっそく試してみた。
 前足を上げる。
 蹴り足を抱え込んだまま、軸足を前へ滑らせる。
 軽い蹴りが、森川先輩の身体へトン、と決まった。
「うわあ、きれいに入ったな!」森川先輩が笑った。

 名付けて、スキップ蹴り。もちろん、私が勝手にそう呼んだだけである。自分で見つけた動きが、実際の組手で通用した。
 私は嬉しかった。

 ビデオの選手を、そのまま真似したわけではない。映像の中の小さな動きを見つけ、自分なりに使い方を考えた。少しだけ、自分の技を作ったような気がした。

 もう一つ、私が試していた攻撃があった。相手へ一発だけ突きを出しても、下がられれば届かない。それなら、何発も突きを出しながら追いかければよい。
 最初の発想は、それだけだった。

 私は森川先輩へ向かって、突きをめちゃくちゃに繰り出しながら前進した。
 右。
 左。
 また右。
 何発出したのか、自分でも分からない。

 技というより、拳を振り回しながら、無理やり間合いを詰めているだけだった。森川先輩は下がりながら、困ったように笑った。その動きを、荒木先生が見ていた。
「瀬戸」呼ばれて、私は動きを止めた。

 荒木先生は、私のラッシュを褒めなかった。当然である。拳の軌道も、腰の動きも、足運びもばらばらだった。勢いだけで相手を追いかけている。

 荒木先生は、余計な突きを減らし、身体が前へ流れないように姿勢を直した。
 一本目は、左の前足を少し踏み込む程度の右逆突き。
 二本目は、後ろ足の右足を前へ踏み出す。左右の足が入れ替わったところから、左逆突き。
 三本目は、今度は後ろ足になった左足を前へ踏み出す。再び左右を入れ替え、右逆突き。
 右。
 左。
 右。

 足を一歩ずつ入れ替えながら、下がる相手を追う。ただ拳を連打するのではない。一本ごとに腰を入れ、突きを極める。最後の突きを出した後にも、身体を崩さず残心を取る。

「瀬戸、もう一辺やってみい」
 私は構え直した。

 一本目。
 右逆突き。
 右足を前へ踏み出し、左逆突き。
 左足を前へ踏み出し、もう一度、右逆突き。

「もう一辺」
 何度も繰り返した。

 踏み込みが深すぎれば、身体が前へ流れる。浅すぎれば、下がる相手へ届かない。
――間合いと、踏み込む深さが大事なんかもしれん。
 その時、私は何となくそう思った。
 無駄な突きを削られ、荒木先生に形を整えられて、私のラッシュは三本の連続した突きになった。
 三本連突きである。

 最初から、そんな整った技を考えていたわけではない。
 私が考えたのは、
――一発で届かんのやったら、いっぱい殴りながら追いかけたらええやん。
 という、たいへん頭の悪い作戦だった。

 それを荒木先生が、空手の技にしてくれたのである。乱暴な指導者ではあったが、技を見る目は確かだった。

 私はビデオで動きを探し、本や雑誌で理屈を読み、森川先輩を実験台にした。最後に荒木先生が、使える形へ削った。そうして、少しずつ自分の技ができていった。


 潮見が丘高校では、九月にも試験があった。中間試験でも期末試験でもない。夏休みにきちんと勉強していたかを、学校がわざわざ確認するための試験である。
 夏休みを遊んで過ごした者には、たいへん迷惑な制度だった。

 試験前になると、部活動は休みになった。
 本来なら、その時間を使って、夏休み中に曖昧になった勉強を取り戻さなければならない。
 私も、まったく勉強しなかったわけではない。だが、机の横には空手の本が積まれ、ビデオデッキには例のテープが入っていた。

 教科書を開く。
 少し読む。
 休憩する。
 ビデオを見る。
 巻き戻す。
 立ち上がって動く。
 また教科書を開く。
 夏休みに勉強をさぼっていなかったかを確かめる試験なのに、試験休みまで空手に使っていた。

 学校側の狙いを、私は正面から裏切っていた。どちらが勉強で、どちらが休憩だったのか、途中から分からなくなった。
 ちなみに試験の結果は、推して知るべしである。
 後に難関大学へ進学するとは、到底思えない成績だった。


 九月の試験が終わり、久しぶりに部員が集まった。
 私は休みの間に繰り返していた動きを、組手で使った。スキップ蹴りで間合いをずらす。
 一発で終わらず、三本の突きで相手を追う。もちろん、先輩たちに勝てるほどではない。
 それでも、休み前とは動きが違って見えたらしい。

 久米先輩が言った。
「お前、急に強なったな。みんな試験勉強しとったのに、お前だけ山籠もりしてたんちゃうか!」

 山には行っていない。家でビデオを見ていただけである。

 だが、何度も映像を巻き戻し、部屋の中で突きや蹴りを繰り返していたのだから、やっていることは山籠もりと大差なかったのかもしれない。

 私は少し得意になった。自分が変わったことを、先輩が気づいてくれた。
 荒木先生や今村先生に顔面を打たれ続けた春とは違う。
 まだ勝ってはいない。
 試合にも出ていない。
 それでも、自分の空手を自分で作り始めているような感覚があった。

 やがて、秋の大会シーズンが始まる。

 最初の大会は、北神戸地区大会だった。
 出場する選手の多くは二年生である。その中へ、一年生の私も個人組手で出ることになった。
 本と雑誌と、八千円のビデオ。
 森川先輩を相手に繰り返した実験。
 荒木先生に整えられた三本連突き。
 試験勉強より熱心だった、家での山籠もり。
 技術については、それなりに準備した。
 間合いも考えた。
 タイミングも考えた。
 極めと残心も意識した。

 ただし、一つだけ研究していないものがあった。
 試合が始まった時、自分の頭の中がどうなるのか。

 それだけは、本にもビデオにも載っていなかった。