アラチこと荒木先生に顎を壊されてから一週間ほどで、私は普通の食事へ戻れるようになった。最初に何を食べたのかは覚えていない。ただ、舌でつぶさなくてもよい食べ物が、たいへんありがたかったことは覚えている。
顎の腫れが引くと、私は何事もなかったように練習へ戻った。荒木先生の猫足立ちを見れば、顎の付け根が少し痛むような気はした。それでも、空手を辞めたいとは思わなかった。
むしろ、どうすればあの動きに対応できるのかが気になった。
開いた左手で前拳を払う。
猫足立ちのまま、畳の上を滑るように間合いを詰める。
こちらが動き始めた時には、もう拳が飛んできている。
怖い。だが、分からないままにしておくのも悔しかった。
私は入部した春から、空手の本を買い始めていた。書店へ行くと、スポーツ関係の棚を探した。
空手の入門書。
形を写真で解説した本。
組手の技術について書かれた本。
そして、毎月のように『月刊空手道』を買った。高校一年生の小遣いには、それなりの負担だった。それでも表紙に空手着の選手が構えていると、手に取らずにはいられなかった。
本を読めば、練習中に先輩から聞いた言葉の意味が少しずつ分かった。
前屈立ち。
猫足立ち。
刻み突き。
逆突き。
極め。
残心。
同じ突きでも、足の位置や腰の回し方、相手との距離によって使い方が変わる。
空手には、私が思っていた以上に細かな理屈があった。私は、その理屈を知ることが好きだった。
力が強ければ勝てる。
動きが速ければ勝てる。
もちろん、それも大切である。
だが、相手が反応しにくい角度や、タイミングをずらす方法もある。前拳を押さえてから攻撃する方法もある。身体能力だけではなく、考え方で差をつけられる。
それが面白かった。
先輩たちの動きも、少し違って見えるようになった。
羽鳥先輩は、空手経験者で中学ではサッカー部だった。長い脚から左右の蹴りを自在に出せるのは、もともとの運動能力に加えて、サッカーで培った足さばきもあったのだろう。構えていても身体が固まらない。軽く動き続け、どちらの脚からでも蹴る。
文化祭ではBOØWYのコピーバンドで歌い、舞台の下から黄色い声援を浴びていた。
空手をしても歌っても目立つ。
人気者というものは、何をしても人気者になるらしい。
実際には羽鳥先輩なりの努力があったのだろうが、当時の私には、すべてが自然にできているように見えた。
古賀先輩も元陸上部だった。ただし、走る方ではない。砲丸投げである。がっちりした体格で、肩も腕も太く、とにかく力が強かった。
体育祭の棒倒しでは、進路上にいる相手を片っ端からなぎ倒したという。砲丸を遠くへ投げるために鍛えた力を、人間を押しのけることに使ったらしい。それが陸上競技の正しい応用なのかどうかは分からない。
ただ、古賀先輩なら本当にやったのだろうと思った。
二年生の先輩たちは、運動能力も体力もあった。強い突きや蹴りも持っていた。
しかし、高校空手の試合に合わせて技を制御するところまでは、まだできていなかった。
攻撃がきれいに決まれば、派手に勝つ。
勢いが余れば、強く当たりすぎる。
格好いいが、粗削りだった。
一年生の私には、それでも十分に強く見えた。
私は本や雑誌で覚えたことを、練習で試した。
その相手になってくれたのが、副キャプテンの森川先輩だった。背が高く、体格もしっかりしている。初心者だった私たちに、立ち方や突き方を丁寧に教えてくれた先輩である。
私が本や雑誌で新しい動きを見つけるたびに、
「ちょっと試してもいいですか」
と相手を頼んだ。
今から考えると、かなり迷惑な一年生である。
だが、森川先輩は嫌な顔をせずに構えてくれた。本の写真では、攻撃する側がきれいに踏み込み、相手は都合よく技を受けている。
現実の森川先輩は、写真の中の相手のように協力してくれない。
前拳を押さえようとすれば、手を引かれる。
踏み込めば、先に突かれる。
自信満々で出した技を、簡単に止められる。
それでも一度試せば、何が足りないのか少し分かった。
距離が遠い。
手から先に動いている。
踏み込む前に肩が動き、攻撃を読まれている。
私は家へ帰ると本を開き直した。
翌日、また森川先輩に頼んだ。
森川先輩は、私にとって先輩であり、先生であり、最初の実験台でもあった。
夏が近づくころ、富田松雄が学校を辞めた。
細身で手足が長く、右構えだった。
入学した時、古賀先輩から、「お前ひとりでトミーとマツか!」と言われた同級生である。
空手道部を辞めたのではない。高校そのものを辞めた。理由について、私は詳しく知らなかった。
ただ私は、その事実に大きな衝撃を受けた。
高校というものは、一度入ったら三年間通うものだと思っていた。辞めることができるのだ。
足元の床が、わずかに動いたような気がした。
同じ日に入学し、同じ空手着を着ていた者が、突然、学校からいなくなる。それまで私が当然だと思っていた高校生活は、全員に同じ形で続くものではなかった。
昨日までいた人間が、今日はもういない。
富田が使っていた場所だけが、部員一人分空いた。
私たちは練習を続けた。
先輩の号令に合わせて基本を繰り返し、組手をした。富田の退学について、いつまでも話し合ったわけではない。高校生は、誰かがいなくなっても、日々の中で前へ進んでしまう。
それでも私は、ときどき右構えの富田を思い出した。
もし空手を続けていれば、長い手足を生かした選手になったかもしれない。だが、それを確かめる機会は、もうなかった。
夏を過ぎても、私の空手研究は続いた。
『月刊空手道』には、技術書や空手用品の広告が載っていた。その中に、組手の技術を収録したビデオの広告があった。
価格は、約八千円。高校一年生にとって、簡単に出せる金額ではない。雑誌を買うだけでも小遣いは減る。
それでも、写真と文章だけでは分からない動きを、映像なら見ることができる。
足を運ぶ順番。
踏み込む速さ。
拳を出すタイミング。
技と技のつなぎ方。
私は広告を何度も見た。そして、注文した。
届いたのは、一本のビデオテープだった。今なら、見たい場面を指先一つで何度でも再生できる。当時はビデオデッキへテープを入れ、見たい場面が過ぎれば巻き戻す。
止める。
見る。
巻き戻す。
もう一度見る。
私は同じ技を、何度も繰り返して見た。
一度目は、選手の拳を見る。
二度目は、足を見る。
三度目は、相手の動きを見る。
四度目は、攻撃を始める直前の構えを見る。
映像を見ているだけでは、技は身につかない。
だが、何を見ればよいかが分かると、同じ場面から少しずつ違うものが見えてきた。
ビデオの中で、私が特に気になった動きの一つが、前足の蹴りだった。映像の選手は、蹴り足の勢いに乗って、軸足をわずかに滑らせていた。
――これ、リーチを稼ぐのに使えるかも。
そう思った。
蹴り足を抱え込んだまま、軸足を一歩踏み出す。普通に蹴るより遠くへ届く。それだけではない。
蹴りが来ると思った瞬間から、実際に足が届くまでのタイミングも、わずかにずらせるかもしれない。
私は勝手な手応えを感じていた。
翌日、森川先輩との組手でさっそく試してみた。
前足を上げる。
蹴り足を抱え込んだまま、軸足を前へ滑らせる。
軽い蹴りが、森川先輩の身体へトン、と決まった。
「うわあ、きれいに入ったな!」森川先輩が笑った。
名付けて、スキップ蹴り。もちろん、私が勝手にそう呼んだだけである。自分で見つけた動きが、実際の組手で通用した。
私は嬉しかった。
ビデオの選手を、そのまま真似したわけではない。映像の中の小さな動きを見つけ、自分なりに使い方を考えた。少しだけ、自分の技を作ったような気がした。
もう一つ、私が試していた攻撃があった。相手へ一発だけ突きを出しても、下がられれば届かない。それなら、何発も突きを出しながら追いかければよい。
最初の発想は、それだけだった。
私は森川先輩へ向かって、突きをめちゃくちゃに繰り出しながら前進した。
右。
左。
また右。
何発出したのか、自分でも分からない。
技というより、拳を振り回しながら、無理やり間合いを詰めているだけだった。森川先輩は下がりながら、困ったように笑った。その動きを、荒木先生が見ていた。
「瀬戸」呼ばれて、私は動きを止めた。
荒木先生は、私のラッシュを褒めなかった。当然である。拳の軌道も、腰の動きも、足運びもばらばらだった。勢いだけで相手を追いかけている。
荒木先生は、余計な突きを減らし、身体が前へ流れないように姿勢を直した。
一本目は、左の前足を少し踏み込む程度の右逆突き。
二本目は、後ろ足の右足を前へ踏み出す。左右の足が入れ替わったところから、左逆突き。
三本目は、今度は後ろ足になった左足を前へ踏み出す。再び左右を入れ替え、右逆突き。
右。
左。
右。
足を一歩ずつ入れ替えながら、下がる相手を追う。ただ拳を連打するのではない。一本ごとに腰を入れ、突きを極める。最後の突きを出した後にも、身体を崩さず残心を取る。
「瀬戸、もう一辺やってみい」
私は構え直した。
一本目。
右逆突き。
右足を前へ踏み出し、左逆突き。
左足を前へ踏み出し、もう一度、右逆突き。
「もう一辺」
何度も繰り返した。
踏み込みが深すぎれば、身体が前へ流れる。浅すぎれば、下がる相手へ届かない。
――間合いと、踏み込む深さが大事なんかもしれん。
その時、私は何となくそう思った。
無駄な突きを削られ、荒木先生に形を整えられて、私のラッシュは三本の連続した突きになった。
三本連突きである。
最初から、そんな整った技を考えていたわけではない。
私が考えたのは、
――一発で届かんのやったら、いっぱい殴りながら追いかけたらええやん。
という、たいへん頭の悪い作戦だった。
それを荒木先生が、空手の技にしてくれたのである。乱暴な指導者ではあったが、技を見る目は確かだった。
私はビデオで動きを探し、本や雑誌で理屈を読み、森川先輩を実験台にした。最後に荒木先生が、使える形へ削った。そうして、少しずつ自分の技ができていった。
潮見が丘高校では、九月にも試験があった。中間試験でも期末試験でもない。夏休みにきちんと勉強していたかを、学校がわざわざ確認するための試験である。
夏休みを遊んで過ごした者には、たいへん迷惑な制度だった。
試験前になると、部活動は休みになった。
本来なら、その時間を使って、夏休み中に曖昧になった勉強を取り戻さなければならない。
私も、まったく勉強しなかったわけではない。だが、机の横には空手の本が積まれ、ビデオデッキには例のテープが入っていた。
教科書を開く。
少し読む。
休憩する。
ビデオを見る。
巻き戻す。
立ち上がって動く。
また教科書を開く。
夏休みに勉強をさぼっていなかったかを確かめる試験なのに、試験休みまで空手に使っていた。
学校側の狙いを、私は正面から裏切っていた。どちらが勉強で、どちらが休憩だったのか、途中から分からなくなった。
ちなみに試験の結果は、推して知るべしである。
後に難関大学へ進学するとは、到底思えない成績だった。
九月の試験が終わり、久しぶりに部員が集まった。
私は休みの間に繰り返していた動きを、組手で使った。スキップ蹴りで間合いをずらす。
一発で終わらず、三本の突きで相手を追う。もちろん、先輩たちに勝てるほどではない。
それでも、休み前とは動きが違って見えたらしい。
久米先輩が言った。
「お前、急に強なったな。みんな試験勉強しとったのに、お前だけ山籠もりしてたんちゃうか!」
山には行っていない。家でビデオを見ていただけである。
だが、何度も映像を巻き戻し、部屋の中で突きや蹴りを繰り返していたのだから、やっていることは山籠もりと大差なかったのかもしれない。
私は少し得意になった。自分が変わったことを、先輩が気づいてくれた。
荒木先生や今村先生に顔面を打たれ続けた春とは違う。
まだ勝ってはいない。
試合にも出ていない。
それでも、自分の空手を自分で作り始めているような感覚があった。
やがて、秋の大会シーズンが始まる。
最初の大会は、北神戸地区大会だった。
出場する選手の多くは二年生である。その中へ、一年生の私も個人組手で出ることになった。
本と雑誌と、八千円のビデオ。
森川先輩を相手に繰り返した実験。
荒木先生に整えられた三本連突き。
試験勉強より熱心だった、家での山籠もり。
技術については、それなりに準備した。
間合いも考えた。
タイミングも考えた。
極めと残心も意識した。
ただし、一つだけ研究していないものがあった。
試合が始まった時、自分の頭の中がどうなるのか。
それだけは、本にもビデオにも載っていなかった。
顎の腫れが引くと、私は何事もなかったように練習へ戻った。荒木先生の猫足立ちを見れば、顎の付け根が少し痛むような気はした。それでも、空手を辞めたいとは思わなかった。
むしろ、どうすればあの動きに対応できるのかが気になった。
開いた左手で前拳を払う。
猫足立ちのまま、畳の上を滑るように間合いを詰める。
こちらが動き始めた時には、もう拳が飛んできている。
怖い。だが、分からないままにしておくのも悔しかった。
私は入部した春から、空手の本を買い始めていた。書店へ行くと、スポーツ関係の棚を探した。
空手の入門書。
形を写真で解説した本。
組手の技術について書かれた本。
そして、毎月のように『月刊空手道』を買った。高校一年生の小遣いには、それなりの負担だった。それでも表紙に空手着の選手が構えていると、手に取らずにはいられなかった。
本を読めば、練習中に先輩から聞いた言葉の意味が少しずつ分かった。
前屈立ち。
猫足立ち。
刻み突き。
逆突き。
極め。
残心。
同じ突きでも、足の位置や腰の回し方、相手との距離によって使い方が変わる。
空手には、私が思っていた以上に細かな理屈があった。私は、その理屈を知ることが好きだった。
力が強ければ勝てる。
動きが速ければ勝てる。
もちろん、それも大切である。
だが、相手が反応しにくい角度や、タイミングをずらす方法もある。前拳を押さえてから攻撃する方法もある。身体能力だけではなく、考え方で差をつけられる。
それが面白かった。
先輩たちの動きも、少し違って見えるようになった。
羽鳥先輩は、空手経験者で中学ではサッカー部だった。長い脚から左右の蹴りを自在に出せるのは、もともとの運動能力に加えて、サッカーで培った足さばきもあったのだろう。構えていても身体が固まらない。軽く動き続け、どちらの脚からでも蹴る。
文化祭ではBOØWYのコピーバンドで歌い、舞台の下から黄色い声援を浴びていた。
空手をしても歌っても目立つ。
人気者というものは、何をしても人気者になるらしい。
実際には羽鳥先輩なりの努力があったのだろうが、当時の私には、すべてが自然にできているように見えた。
古賀先輩も元陸上部だった。ただし、走る方ではない。砲丸投げである。がっちりした体格で、肩も腕も太く、とにかく力が強かった。
体育祭の棒倒しでは、進路上にいる相手を片っ端からなぎ倒したという。砲丸を遠くへ投げるために鍛えた力を、人間を押しのけることに使ったらしい。それが陸上競技の正しい応用なのかどうかは分からない。
ただ、古賀先輩なら本当にやったのだろうと思った。
二年生の先輩たちは、運動能力も体力もあった。強い突きや蹴りも持っていた。
しかし、高校空手の試合に合わせて技を制御するところまでは、まだできていなかった。
攻撃がきれいに決まれば、派手に勝つ。
勢いが余れば、強く当たりすぎる。
格好いいが、粗削りだった。
一年生の私には、それでも十分に強く見えた。
私は本や雑誌で覚えたことを、練習で試した。
その相手になってくれたのが、副キャプテンの森川先輩だった。背が高く、体格もしっかりしている。初心者だった私たちに、立ち方や突き方を丁寧に教えてくれた先輩である。
私が本や雑誌で新しい動きを見つけるたびに、
「ちょっと試してもいいですか」
と相手を頼んだ。
今から考えると、かなり迷惑な一年生である。
だが、森川先輩は嫌な顔をせずに構えてくれた。本の写真では、攻撃する側がきれいに踏み込み、相手は都合よく技を受けている。
現実の森川先輩は、写真の中の相手のように協力してくれない。
前拳を押さえようとすれば、手を引かれる。
踏み込めば、先に突かれる。
自信満々で出した技を、簡単に止められる。
それでも一度試せば、何が足りないのか少し分かった。
距離が遠い。
手から先に動いている。
踏み込む前に肩が動き、攻撃を読まれている。
私は家へ帰ると本を開き直した。
翌日、また森川先輩に頼んだ。
森川先輩は、私にとって先輩であり、先生であり、最初の実験台でもあった。
夏が近づくころ、富田松雄が学校を辞めた。
細身で手足が長く、右構えだった。
入学した時、古賀先輩から、「お前ひとりでトミーとマツか!」と言われた同級生である。
空手道部を辞めたのではない。高校そのものを辞めた。理由について、私は詳しく知らなかった。
ただ私は、その事実に大きな衝撃を受けた。
高校というものは、一度入ったら三年間通うものだと思っていた。辞めることができるのだ。
足元の床が、わずかに動いたような気がした。
同じ日に入学し、同じ空手着を着ていた者が、突然、学校からいなくなる。それまで私が当然だと思っていた高校生活は、全員に同じ形で続くものではなかった。
昨日までいた人間が、今日はもういない。
富田が使っていた場所だけが、部員一人分空いた。
私たちは練習を続けた。
先輩の号令に合わせて基本を繰り返し、組手をした。富田の退学について、いつまでも話し合ったわけではない。高校生は、誰かがいなくなっても、日々の中で前へ進んでしまう。
それでも私は、ときどき右構えの富田を思い出した。
もし空手を続けていれば、長い手足を生かした選手になったかもしれない。だが、それを確かめる機会は、もうなかった。
夏を過ぎても、私の空手研究は続いた。
『月刊空手道』には、技術書や空手用品の広告が載っていた。その中に、組手の技術を収録したビデオの広告があった。
価格は、約八千円。高校一年生にとって、簡単に出せる金額ではない。雑誌を買うだけでも小遣いは減る。
それでも、写真と文章だけでは分からない動きを、映像なら見ることができる。
足を運ぶ順番。
踏み込む速さ。
拳を出すタイミング。
技と技のつなぎ方。
私は広告を何度も見た。そして、注文した。
届いたのは、一本のビデオテープだった。今なら、見たい場面を指先一つで何度でも再生できる。当時はビデオデッキへテープを入れ、見たい場面が過ぎれば巻き戻す。
止める。
見る。
巻き戻す。
もう一度見る。
私は同じ技を、何度も繰り返して見た。
一度目は、選手の拳を見る。
二度目は、足を見る。
三度目は、相手の動きを見る。
四度目は、攻撃を始める直前の構えを見る。
映像を見ているだけでは、技は身につかない。
だが、何を見ればよいかが分かると、同じ場面から少しずつ違うものが見えてきた。
ビデオの中で、私が特に気になった動きの一つが、前足の蹴りだった。映像の選手は、蹴り足の勢いに乗って、軸足をわずかに滑らせていた。
――これ、リーチを稼ぐのに使えるかも。
そう思った。
蹴り足を抱え込んだまま、軸足を一歩踏み出す。普通に蹴るより遠くへ届く。それだけではない。
蹴りが来ると思った瞬間から、実際に足が届くまでのタイミングも、わずかにずらせるかもしれない。
私は勝手な手応えを感じていた。
翌日、森川先輩との組手でさっそく試してみた。
前足を上げる。
蹴り足を抱え込んだまま、軸足を前へ滑らせる。
軽い蹴りが、森川先輩の身体へトン、と決まった。
「うわあ、きれいに入ったな!」森川先輩が笑った。
名付けて、スキップ蹴り。もちろん、私が勝手にそう呼んだだけである。自分で見つけた動きが、実際の組手で通用した。
私は嬉しかった。
ビデオの選手を、そのまま真似したわけではない。映像の中の小さな動きを見つけ、自分なりに使い方を考えた。少しだけ、自分の技を作ったような気がした。
もう一つ、私が試していた攻撃があった。相手へ一発だけ突きを出しても、下がられれば届かない。それなら、何発も突きを出しながら追いかければよい。
最初の発想は、それだけだった。
私は森川先輩へ向かって、突きをめちゃくちゃに繰り出しながら前進した。
右。
左。
また右。
何発出したのか、自分でも分からない。
技というより、拳を振り回しながら、無理やり間合いを詰めているだけだった。森川先輩は下がりながら、困ったように笑った。その動きを、荒木先生が見ていた。
「瀬戸」呼ばれて、私は動きを止めた。
荒木先生は、私のラッシュを褒めなかった。当然である。拳の軌道も、腰の動きも、足運びもばらばらだった。勢いだけで相手を追いかけている。
荒木先生は、余計な突きを減らし、身体が前へ流れないように姿勢を直した。
一本目は、左の前足を少し踏み込む程度の右逆突き。
二本目は、後ろ足の右足を前へ踏み出す。左右の足が入れ替わったところから、左逆突き。
三本目は、今度は後ろ足になった左足を前へ踏み出す。再び左右を入れ替え、右逆突き。
右。
左。
右。
足を一歩ずつ入れ替えながら、下がる相手を追う。ただ拳を連打するのではない。一本ごとに腰を入れ、突きを極める。最後の突きを出した後にも、身体を崩さず残心を取る。
「瀬戸、もう一辺やってみい」
私は構え直した。
一本目。
右逆突き。
右足を前へ踏み出し、左逆突き。
左足を前へ踏み出し、もう一度、右逆突き。
「もう一辺」
何度も繰り返した。
踏み込みが深すぎれば、身体が前へ流れる。浅すぎれば、下がる相手へ届かない。
――間合いと、踏み込む深さが大事なんかもしれん。
その時、私は何となくそう思った。
無駄な突きを削られ、荒木先生に形を整えられて、私のラッシュは三本の連続した突きになった。
三本連突きである。
最初から、そんな整った技を考えていたわけではない。
私が考えたのは、
――一発で届かんのやったら、いっぱい殴りながら追いかけたらええやん。
という、たいへん頭の悪い作戦だった。
それを荒木先生が、空手の技にしてくれたのである。乱暴な指導者ではあったが、技を見る目は確かだった。
私はビデオで動きを探し、本や雑誌で理屈を読み、森川先輩を実験台にした。最後に荒木先生が、使える形へ削った。そうして、少しずつ自分の技ができていった。
潮見が丘高校では、九月にも試験があった。中間試験でも期末試験でもない。夏休みにきちんと勉強していたかを、学校がわざわざ確認するための試験である。
夏休みを遊んで過ごした者には、たいへん迷惑な制度だった。
試験前になると、部活動は休みになった。
本来なら、その時間を使って、夏休み中に曖昧になった勉強を取り戻さなければならない。
私も、まったく勉強しなかったわけではない。だが、机の横には空手の本が積まれ、ビデオデッキには例のテープが入っていた。
教科書を開く。
少し読む。
休憩する。
ビデオを見る。
巻き戻す。
立ち上がって動く。
また教科書を開く。
夏休みに勉強をさぼっていなかったかを確かめる試験なのに、試験休みまで空手に使っていた。
学校側の狙いを、私は正面から裏切っていた。どちらが勉強で、どちらが休憩だったのか、途中から分からなくなった。
ちなみに試験の結果は、推して知るべしである。
後に難関大学へ進学するとは、到底思えない成績だった。
九月の試験が終わり、久しぶりに部員が集まった。
私は休みの間に繰り返していた動きを、組手で使った。スキップ蹴りで間合いをずらす。
一発で終わらず、三本の突きで相手を追う。もちろん、先輩たちに勝てるほどではない。
それでも、休み前とは動きが違って見えたらしい。
久米先輩が言った。
「お前、急に強なったな。みんな試験勉強しとったのに、お前だけ山籠もりしてたんちゃうか!」
山には行っていない。家でビデオを見ていただけである。
だが、何度も映像を巻き戻し、部屋の中で突きや蹴りを繰り返していたのだから、やっていることは山籠もりと大差なかったのかもしれない。
私は少し得意になった。自分が変わったことを、先輩が気づいてくれた。
荒木先生や今村先生に顔面を打たれ続けた春とは違う。
まだ勝ってはいない。
試合にも出ていない。
それでも、自分の空手を自分で作り始めているような感覚があった。
やがて、秋の大会シーズンが始まる。
最初の大会は、北神戸地区大会だった。
出場する選手の多くは二年生である。その中へ、一年生の私も個人組手で出ることになった。
本と雑誌と、八千円のビデオ。
森川先輩を相手に繰り返した実験。
荒木先生に整えられた三本連突き。
試験勉強より熱心だった、家での山籠もり。
技術については、それなりに準備した。
間合いも考えた。
タイミングも考えた。
極めと残心も意識した。
ただし、一つだけ研究していないものがあった。
試合が始まった時、自分の頭の中がどうなるのか。
それだけは、本にもビデオにも載っていなかった。
