青い勲章

 兵庫県大会が終わった。会場の片づけをしながら、私は大会を振り返った。
 個人戦はベスト十六。団体戦はベスト八だった。
 一年生のときに個人戦でベスト十六になっていたら、素直にうれしかっただろう。しかし、部では最高学年となった今の私には、微妙な成績に思えた。
 団体戦のベスト八は、創部二年目の空手道部としては良い結果といえた。ましてや、名門・夢野原高校を破ってのベスト八である。
 それは誇らしく思えた。
 しかし、そのあとの準々決勝では、完全に気持ちが途切れてしまった。瞬間の攻防で勝負が決まる組手で、集中力が切れることは致命的だった。

――オレが負けたら、チームも負ける。
 そんなふうに思った。

 なお、形の部には岡田とツケが出場したが、入賞はなかった。


 兵庫県大会の翌週末には、近畿大会の最終予選があった。
 県大会は、近畿大会の予選も兼ねていた。団体戦の上位六校が、近畿大会へ進出する。ベスト四に入れなかったベスト八の四校が総当たりのリーグ戦を行い、そのうち上位二校が近畿大会へ出場できるのだ。
 潮見が丘高校も県大会でベスト八に入ったため、近畿大会出場を懸けて試合をすることになった。
 会場は、潮見が丘高校の剣道場だった。体育館棟の一階、いつも練習に使っている柔道場の隣にある。

 試合直前になって、一校が出場を辞退したらしい。三校が試合をして、一校だけが近畿大会へ行けないことになった。
――これで近畿大会を逃したら、ちょっと恥ずかしいな。
 そう思った。

 参加校は育秀高校、兵庫高校、そして潮見が丘高校の三校だった。どちらも、県大会ベスト八の常連といえる強豪校である。
――いや、オレらもその一角や。
 私は自分を奮い立たせた。

 第一戦の相手は、育秀高校だった。
 私たちは県大会での勢いを取り戻すため、同じオーダーで試合に臨んだ。

 先鋒戦。
 相手はサウスポースタイルだった。私は試合で、サウスポーの選手と当たったことがなかった。部員も全員、右利きのオーソドックスだった。思えば、一年生のときにいた富田だけがサウスポーだった。

「始め!」
 試合が始まって、すぐに感じた。スピード、リーチ、反応。どれを取っても、恐れるような相手ではなかった。しかし、今の私には、待ち拳からカウンターを取る戦い方しかない。不慣れなサウスポーの動きを読み、カウンターを取るには、あまりにも経験が足りなかった。
 やがて、相手が左足を上げた。
 右利きと左利きの対戦では、後ろ足の蹴りが有効になる。
――回し蹴り!
 そう思い、十字受けをしかけた。
――違う! 三日月!
 十字受けの下から、相手の足が伸びてきた。
 反射的に上へ跳んだが、浅めながら蹴りが極まってしまった。
「中段蹴り、一本!」

 この日は、蹴り一つにこれだけ反応できるほど体が冴えていた。それでも、タイミングが合わない。相手の突きも、大したことはなかった。
 攻めあぐねた私は足を止め、相手の突きを、ばしっ、ばしっと叩き落とした。
 明らかに挑発的な行動だった。
 焦ったのか、腹を立てたのか、相手は上段蹴りを放った。私は反則勝ちを狙い、あえて受けた。蹴りが当たると同時に、自分から後ろへ跳んだ。
 ところが、勢いが余って後ろへ一回転してしまった。
「待て!」

 開始線へ戻った。
 反則勝ちとなり、審判の手が私の方へ上がった。

――ははっ! 勝ったらええねん!
 手段を選ばず、私は勝ちをつかんだ。

 しかし、続く四人は全員、あっさりと敗れた。
 一対四。
 潮見が丘高校は負けた。

――あんな思いまでして、勝ち星を拾ったのに!
 私はがっかりした。

 試合が終わると、イマリンが真剣な顔で近づいてきた。
「すぐ病院へ行け」
「大丈夫ですよ」
 私がそう言っても、誰も耳を貸さなかった。

 私は徒歩三分ほどのところにある救急病院へ連れていかれた。ツケが心配そうに付き添ってくれた。診察を受けたが、もちろん大したことはなかった。私はすぐに試合会場へ戻った。
 どうやら、私が自分から後ろへ跳んだことには、誰も気づいていなかったらしい。相手の蹴りを顔面に受け、吹き飛ばされて後ろへ一回転したように見えていた。

 後ろで試合をする四人も、「瀬戸が顔面を蹴られて、一回転した」と思い、動揺してしまったようだった。
 まさか、審判も対戦相手もいる前で、「わざと蹴られて、自分から大げさに跳びました」とは言えなかった。

 第一戦は、完敗だった。もう後がない。

 第二戦。
 兵庫高校との対戦だった。

 私のカウンターが極まったが、相手にもポイントを取られた。
 その後、相手は攻めあぐね、制限時間が過ぎていった。
 一対一。
 引き分けに終わった。
 私は団体戦を意識し、無理に勝ちにはいかなかった。

 しかし、またしても後ろの四人が全員敗れた。
 〇対四。
 潮見が丘高校の完敗だった。

――負けないだけでは、あかん。
――チームに勢いをつける勝ち方をせなあかん。
 私は痛感した。

 こうして三校で争われた近畿大会最終予選で、唯一の敗退校となったのは潮見が丘高校だった。

 翌日、下あごが腫れ、噛み合わせがおかしくなった。あごを蹴り上げられたダメージは、確実に残っていた。
 アラチに殴られたときのことを思い出しながら、
――オレ、あご弱いんかな。
 と思った。
 そして私は、再び一週間、バナナとヨーグルトで過ごした。


 私がバナナとヨーグルトだけの食事から解放されたころ、部内で試合形式の練習があった。
 アラチが適当に対戦相手を決め、一人二試合ずつ行った。

 私の一試合目の相手は、一年生の岡田だった。岡田は空手経験者で、すでに団体戦のレギュラーでもある。私は本気で試合をして、勝った。
 そのあと、ヤマリンが桃井と対戦した。桃井が勝った。

――後輩に負けよった。
――あとで、おちょくったろ!
 私はそう思った。

 私の二試合目の相手も、桃井だった。左足の怪我が気になった。
――桃井なら、こんなもんやろ。
 私は足をかばいながら、八割ほどの力で相手をした。
 桃井の隙が見えたところで攻撃を仕掛けたが、ポイントにはならなかった。
 待ち拳からのカウンターも極まらない。
 二対三。
 桃井が勝った。
 ヤマリンをおちょくるどころではなかった。

 アラチが私たちを煽った。
「なんやあ、瀬戸と山岡に勝ったら、二年を制覇したも同然やなあ!」

 桃井は確実に伸びていた。私は、成長してきた後輩を素直にうれしく思った。
 森川先輩は、私が新しい技を試したとき、
「きれいに極まったな」と褒めてくれた。
 久米先輩も、試験休み明けに、
「急に強なったな。山籠もりでもしてきたんか」と、茶化しながら褒めてくれた。
 私も、羽鳥先輩たちからバトンを受け取ったのかもしれない。

 中学の柔道部時代、負けはしないものの、なかなか勝てない後輩がいた。
 私は、その後輩に、
――頼むから、これ以上強くならんといてくれ。
 と思っていた。
 それを考えれば、私も少しは成長したのかもしれない。

 ただ、桃井を相手に全力を出さなかったことが申し訳なかった。
「桃井、もう一回やろか」
 私が声をかけると、隣にいたヤマリンが言った。
「オレも前に岩田先輩に勝ってもうたことがあってな。もう一回やったら、本気出されてボコボコやったわ。オレとおんなじ目にあうぞ~」
「すいません! 無理です! 許してください!」
 桃井がそう言うので、それ以上は何も言わなかった。

 自分が先輩たちに肩を並べていったように、あとから伸びてくる後輩を頼もしく思った。

――それにしても、そろそろホンマに病院へ行かなあかんな。
 あれほどの痛みを感じながら、私はいまだに病院へ行っていなかった。


 続く東播磨地区大会が近づいたころ、私はようやく足の怪我を病院で診てもらった。左足の親指の第一関節、その横の部分が剥離骨折していた。最初に激痛が走ってから、すでに一か月以上がたっていた。それなのに、レントゲンには見事に欠けたままの骨が映っていた。
 治りかけるたびに痛め、何度も骨折を繰り返していたのかもしれない。

 医者から、
「ギプスをつけますか」
 と聞かれた。
 私は慌てて断った。

 兵庫県大会では、名門・夢野原高校を破ってベスト八になった。
 東播磨地区大会なら、優勝を狙えるはずだった。
 休むという選択肢はない。

 私は怪我を隠し、大会へ出ることを決意した。