青い勲章

 大会前の最後の練習を終え、私たちは会場の準備をした。体育館の床にビニールテープを貼り、机や椅子を運び、試合場を作っていく。
 大きな大会を翌日に控えながら、私はどこか文化祭の前日のような楽しさを感じていた。

 作業をしながら、柔道場へ顔を出してくれた先輩たちのことを考えた。春のころの私は、先輩たちを内心で見下していた。
 強くなろうとしない。負けても悔しそうにしない。そんなふうに、勝手に決めつけていた。
 しかし、自分たちの代になり、部を引っ張る立場になってみると、受験や就職活動を控えた秋に、先輩たちが足を運び、声をかけてくれることが素直にうれしかった。

 昨日の羽鳥先輩との組手を思い出した。羽鳥先輩は、得意の蹴りを一度も使わなかった。試合前の私に怪我をさせず、自信をつけさせるために、勝たせてくれたのだと思う。

――ここまでしてもらったら、優勝でもせんと恩を返されへん。
 だから私は、あんなことを言ってしまった。
「明日は優勝します!」
 本当に優勝できると思っていたわけではない。

 それでも、先輩たちの応援に応えたかった。優勝は無理でも、この大会で何かを残したかった。


 兵庫県大会は、平日に潮見が丘高校で開催された。空手道部のメンバーは、授業を免除されていた。空手道部の試合が珍しいのか、休み時間になると一般生徒たちが会場をのぞきに来た。
 その中には、先輩たちの顔もあった。先輩たちから次々に激励の言葉をかけられた。足の痛みが消えたような気がした。

 個人組手には、私と高倉が出場した。

 一回戦。
 試合が始まってすぐ、私は相手を大したことがないと感じた。こういうことは、フェイントへの反応を見ればすぐに分かる。
――さっさと終わらせよう。
 私は強引に相手を追いかけ回した。
 そのせいで隙ができ、ポイントを許した。それでも、さらに追いかけ回して勝った。

 選手の控え場所で次の試合を待っていると、一年生女子の安田が、
「瀬戸さん」
 と声をかけてきた。
――さっきの試合、どうやった?
――圧勝やったやろ!
――わざわざ激励に来んでもええのに。
 私はそう思った。

「胴当て、貸してください」
 試合用の胴当てを借りに来ただけだった。
――それだけかーい!
 足早に去っていく安田の背中を見ながら、私は心の中でつっこんだ。

 次に、ニッシャンがやって来た。
「瀬戸、一回戦終わった?」
「勝ちましたよ! 見といてくださいよ!」
「ポイントは?」
「三対二です」
「ぎりぎりやないかい!」
「いやいやいや、追いかけ回して圧勝やったから!」
 本人はスカッと快勝したつもりだった。しかし、そうでもなかったような気がしてきた。

 二回戦は慎重になった。完全に待ち拳に徹し、三対〇で勝った。

――うん、大丈夫。
――オレは強い。
 私は自分に言い聞かせた。

 高倉は、二回戦で敗退したようだった。

 続く三回戦。
 相手は神槍学園高校の選手だった。各校から二名が個人戦へ出場する。大会連覇の懸かった長谷部選手ではない方の選手だった。

 私より少し小柄に見えた。私は、夏の合同練習を思い出した。あれほど過酷な練習をしている学校の選手である。弱いはずがなかった。
「始め!」

 審判の合図で、両者が間合いを詰めた。
 その瞬間、相手は右の逆突きで飛び込んできた。
――オレ相手に、逆突き一本で仕掛けてくるとか、なめとんのか!
 私は左の刻み突きでカウンターを狙った。
 両者の拳が交差した。
 相打ちだった。
 しかし、審判の判定は相手の一本となった。
「中段突き、一本!」

 試合が再開された。
 相手は再び、右の逆突きで飛び込んできた。
 突きの速さに自信のある私は、もう一度、左の刻み突きで対抗した。
 また相打ちだった。
 そして審判の判定は、またしても相手の一本となった。
「中段突き、一本!」

 どちらの拳が先に届いたのか。それは、打ち合っている本人が一番よく分かる。二回とも相打ちか、ほんのわずかに私の方が速かった。しかし、動作の大きい逆突きと、動作の小さい刻み突きがほぼ同時に当たれば、逆突きの方へポイントが入る。刻み突きで取るには、それなりの差をつけなければならない。
 それは分かっていた。
 相手が攻撃の動作へ入ってから刻み突きを放ち、相手より先に当てる。後の先である。それができて当然だと思うほど、私は自分の突きのスピードに自信を持っていた。

――次は、残心が取れへんくらいに吹っ飛ばしたらええねん!
 私はムキになった。

 試合が再開される。
 相手はまた、右の逆突きで飛び込んできた。
 私は三度目も、左の刻み突きで迎え撃った。
 全く同じ形で、両者の拳が交差した。
 今度は、強く突いた。しかし、相手は耐えた。
「中段突き、一本!」

 三本とも、同じ形でポイントを取られた。こうして、私の個人戦は終わった。


 個人戦が終わり、団体戦までは少し時間があった。
 久米先輩が私に声をかけた。
「瀬戸、ちょっと打ち込んでこいや」
 体育館の外へ出た。

 廊下の床はコンクリートだった。
――踵や足を痛めたら嫌やな。
 そう思った。

 しかし、わざわざ声をかけてくれた先輩の気持ちを、無下にはできなかった。
「よし、左こい!」
 私は左の刻み突きを出した。
「もっと小さく、速くや!」
 前足を低く滑らせた瞬間、左足の親指に激痛が走った。
「ああっ!」
 私はその場にうずくまった。
「大丈夫か?」
「大丈夫です……。ありがとうございました」
 冷や汗をかきながら、私は作り笑いを浮かべた。

 団体戦を前に、私は再び左足の親指を突き指してしまった。あまりの痛みに、左足の親指を手でぎゅっと握った。
 関節の横には、こぶのような腫れができ、親指は変形していた。


 そして、団体戦が始まった。

 皆で話し合い、チームのオーダーは北神戸地区大会と同じになった。
 先鋒、瀬戸。
 次鋒、岡田。
 中堅、ヤマリン。
 副将、みやっち。
 大将、高倉。

 私は焦っていた。左の蹴りは出せない。強く踏み込むこともできない。
 それでも、先鋒の私が負ければ、チームも負ける。

 一回戦。
 私が待ち拳でカウンターを狙っていると、相手校の応援席から声が飛んだ。
「相手、待ってるぞー!」
 相手選手に、私が待っていると注意していた。

――うっさいねん!オレにはこれしかないねん!
 心の中で毒づいた。

 それでも相手は焦れ、踏み込んできた。
 私は上体を左へ傾け、低く懐へ潜り込み、右の中段逆突きを極めた。
 二本目も、三本目も、待ち拳から取った。

 二回戦も、同じ形で勝った。

 三回戦の相手は、名門・夢野原高校だった。

 私の試合を見ていたアラチが怒鳴った。
「お前、試合が消極的すぎや! 攻めていかんかい!」
――人の気も知らんと。
――こっちは、足がめちゃくちゃ痛いねん。
 私は心の中で逆ギレした。しかし、怖くて口には出せなかった。

 勝てばいい。勝ったらいい。

 先鋒戦。
 私は腹を決めていた。待ち拳に徹して確実に勝つ。そして、次鋒の岡田につなぐ。潮見が丘は、先鋒の私が負けていては話にならないのだ。
「始め!」
 相手は、私と同じくらいの体格だった。夏の合同練習を楽にこなしていた選手の一人である。当然、侮れない。
 試合早々、相手が左の刻み突きで踏み込んできた。
 私は右の逆突きを合わせた。
 カウンターが極まる。
「中段突き、一本!」

――よっしゃ! タイミングはばっちりや!

 私は余裕のある構えを見せ、フェイントで相手を牽制した。
 これ以上、足の怪我を悪化させないため、自分からは攻められない。

 相手が再び踏み込んできた。
 さっきよりも浅い。
――この左は、ワンツーのワンや。
 動きを読んだ。
 相手の二発目が出るところへ、右の逆突きを入れた。
 左手を開き、相手の右突きをさばく。
「中段突き、一本!」

 ポイントはリードしている。ここで攻めたい衝動に駆られたが、抑え込んだ。
 横へ動いて時間を稼ぐ。
 相手は焦り、強引に出てきた。
 その出際に、右の逆突きを合わせた。
「中段突き、一本!」

 あの夢野原高校を相手に、まずは一勝。幸先の良い勝利だった。

 次鋒戦。
 岡田は、動きが硬いように見えた。いつもの小刻みなフットワークに精彩がない。リーチの長い相手に、遠い間合いから突きを決められていく。
 そして、敗れた。
 一年生ながら、格上の相手によく頑張ったと思う。
 一勝一敗。

 中堅戦。
 ヤマリンは落ち着いていた。オーソドックスな構えから、フェイントをかけながら間合いを詰める。両者の突きが交錯した。ヤマリンの突きが極まった。どうして一本になるのか、当時の私にはよく分からなかったが、変に伸び上がった逆突きも、低い逆突きも極まった。
 突きの高さを変えて、相手を翻弄していたのかもしれない。

 ヤマリンが、貴重な二勝目を挙げた。
 あと一勝。あと一勝すれば、夢野原高校に勝てる。
 私は自分の試合を終えているのに、緊張していた。

 副将戦。
 私の心配をよそに、みやっちは落ち着いていた。前の拳をぴょこぴょこと上下に振る、いつもの癖が出ている。調子の良い証拠だった。小刻みに相手の間合いを出入りし、翻弄していく。
 みやっちが勝った。

 潮見が丘高校の勝利が決まった。

 大将戦。
 もう、高倉にプレッシャーはなかった。相手は一矢報いようと焦っていた。
 高倉はその攻撃をさばき、勝った。

 四対一。
 その瞬間、私たちは本当に名門・夢野原高校を破った。
「よおおぉし! 夢野原に勝ったああぁ!」
 皆で大騒ぎした。

 しばらくして、ヤマリンが笑いながら言った。
「夢野原の先生、見た? 顔真っ赤にして怒っとったで。合同練習のときから偉そうで嫌いやってん。ざまあや!」
 皆で笑った。ヤマリンの性格の悪さが、全員に伝染していた。

 続く準々決勝では、〇対五で敗れた。

 夢野原高校に勝った時点で、私たちの気持ちは一度終わってしまったのだろう。
 それでも、県大会ベスト八だった。