青い勲章―小さな大会にもドラマはある
第十四話 夏のできごと(後編)
八月になった。
他校との合同練習が、急に決まった。参加校は、前回の兵庫県大会で団体組手の決勝を戦った神槍学園高校と村田工業高校。そして名門、夢野原高校。
そこへ、なぜか付け加えられたように潮見が丘高校の名前があった。
県大会で目立った戦績もない。同好会から正式な部になって、まだ二年目である。
なぜ、そんな潮見が丘高校が強豪三校との合同練習に呼ばれたのか。
理由は謎だった。
もしかすると、アラチがどこかで顔を利かせたのかもしれない。しかし、実際のところは分からない。
ともかく私たちは、県内の強豪三校との合同練習へ参加することになった。
私は、中学校の柔道部で経験した強豪校との合同練習を思い出し、戦々恐々としていた。柔道部時代には、もう思い出したくもないほど、しんどくてつらい思いをした。
ところが、いざ練習が始まってみると、基本練習は普段の潮見が丘高校とそれほど変わらなかった。
全員で整列し、号令に合わせて突き、蹴り、受けを繰り返す。
――なんや。こんなもんか。
私は少し油断した。
違ったのは、ここからだった。基本練習が終わると、体力づくりのトレーニングが始まった。体育館全体を使った、サーキットトレーニングである。
まず腕立て伏せ。
終わると次の場所へ移動して、腹筋。
さらに移動して、背筋。
スクワット。
股割りジャンプ。
それぞれの場所で決められた運動を行い、終われば次へ進む。それを何周も繰り返した。
練習時間の半分以上が、この体力づくりに使われた。初めのうちは、全員が一定の速さで進んでいた。しかし、疲れてくると少しずつ動きが遅くなる。
それが特に目立ったのが、股割りジャンプだった。両脚の開きが狭くなり、跳ぶ高さも低くなっていく。
私は、もともとジャンプ力がなかった。自分では速筋型だと思っており、素早く身体を動かすことは得意だったが、高く跳ぶことは苦手だった。
私の手首は細かった。上腕はクラスでも一番太いくらいだったのに、手首だけは女性並みに細かった。その細い手首が、私の速い突きを生み出しているのではないか。
私はそう考えていた。
反対に、足首はかなり太かった。それがジャンプ力のなさにつながっているのではないかと、常々思っていた。
潮見が丘高校の部員たちが、疲れて不格好な股割りジャンプを繰り返す。
その横で、強豪校の部員たちは、
シュバッ。
と音を立てるように、両脚を大きく開き、きれいな股割りジャンプをこなしていた。
私はまだ、それほど疲れてはいなかった。それでも、高く跳べなかった。
――くやしい。
――あとで組手で取り返すんや!
体力のある者は前の者を追い越し、さらに多くの回数をこなしていた。
――なるほど。
――自分の体力に合わせて、練習量を増やせるんや。
私は感心した。
全員へ同じ回数を命じるのではない。体力のある者は速く進み、より多くの運動をする。遅い者は、自分のできる速さで続ける。
理にかなっていた。
もちろん、追い越される者もいた。潮見が丘高校の部員たちである。私は、あえて無理をせず、普通の速さでトレーニングをこなした。
この後には、組手があるはずだ。そこで動けなくなっては意味がない。
私は組手のために、体力を残していた。
私はずるかった。
周囲を見ると、潮見が丘高校の面々は、早くもあごが上がっていた。
私を除いて。
高倉などは、露骨にばてていた。
やがて、組手の時間になった。
各校の選手が、それぞれ組手の相手を探していく。長谷部選手のような有名選手には人気が集まり、次々に相手が決まっていった。強豪三校の中に、一校だけ交じった弱小校。
私は少し気後れした。
それでも、体力を温存したかいがあった。組手が始まれば、強豪校の選手を相手にしても、一歩も引けを取らなかった。
潮見が丘高校の面々は、組手に入るころには、もはやふらふらだった。
私を除いて。
合同練習の最後には、技術講習のような時間が設けられた。
神槍学園高校と村田工業高校の先生が二人一組になり、ワンツーの打ち方を説明してくれた。
「ワンツーは、ワンで極めるつもりで突く!」
私は心の中で思った。
――そしたら、ツーいらんやん!
――説明へたか!
もちろん、声には出さなかった。
先生が言いたかったのは、最初の一発を見せかけにしてはいけない、ということなのだろう。
ワンも、本気で極めるつもりで突く。ただし、間合いをわずかに浅くする。
相手が最初の突きへ反応したところへ、二発目をさらに深く踏み込んで極める。私は自分なりに、そう翻訳した。
強豪校の練習に圧倒されながらも、私は相変わらず調子に乗ったまま合同練習を終えた。
ところが、練習が終わって歩き出すと、膝ががくがくと震えていた。
――やっぱり、強い学校は、それだけの練習をやっとるんやな。
強さには、理由があった。
しかし同時に、
――でも、あんなしんどいこと、毎日やりたないな。
というのが、私の正直な気持ちだった。
強豪校との合同練習でできた筋肉痛から、ようやく解放されたころだった。
「海まで走ろか!」突然、イマリンが言い出した。
――どこの青春ドラマやねん。
私は心の中でつっこんだ。
ほかの部員たちも、
「なんでやねん!」と笑った。
しかし、イマリンは本気だった。どうやら本当に、青春ドラマのようなことをやりたかったらしい。とはいえ、やると決まれば、皆のノリはよかった。
私たちは学校を出て、海岸まで走った。海まで走るといっても、片道一キロほどである。
誰かと競争するわけでもない。皆で話をしながら走る、適度なランニングだった。
海が近づくにつれ、潮の匂いが濃くなっていった。潮風が頬をなでる。気持ちがよかった。
浜辺へ着くと、皆は波打ち際ではしゃいだ。強豪校との合同練習で、あれほど苦しい思いをした後である。海を見ただけで、妙に解放された気分になった。
そのうち、イマリンが浜辺の石を拾い、石割りの講釈を始めた。
左手で石を持ち、別の石の上へ置く。
ただし、ぴったりと載せるのではなく、少しだけ浮かせておく。
そこへ、右の手刀を振り下ろす。
石は、手刀の力だけで割れるわけではなかった。
上から叩かれた石が、その下に置いた石へぶつかる。
その衝撃で割れるのである。
私たちも、イマリンのまねをして石を割った。やってみると、意外に簡単だった。まるで、手品のタネを教えてもらったような気分だった。
後に私は、同じ方法で石を割り、クラスの友人を驚かせたことがある。
もちろん、タネは明かさなかった。
海まで走り、浜辺で遊び、石を割る。空手の練習として、どれほど意味があったのかは分からない。
今になって思えば、イマリンは、強豪校との合同練習で私たちが萎縮し、落ち込んでいないかと気遣ってくれたのかもしれない。
夏休みも終わりに近づいたころ、空手道部は合宿を行った。合宿といっても、他校と練習試合を組んだわけではない。
潮見が丘高校空手道部だけで、イマリンの地元である相生市の少年自然の家に一泊二日で泊まった。女子部員の二人は参加しなかった。
到着すると、施設の体育館を借りて、いつもどおりの練習をした。
海沿いの道を走った。
真夏の青い空が、目に痛いほどまぶしかった。
そして夜。
夕食を終えると、カラオケ大会が始まった。もっとも、当時のカラオケは八トラックのテープである。最新の流行歌など、まず入っていない。歌えるのは、昔からカラオケでよく歌われてきた定番曲ばかりだった。
そこで、マッツァンが谷村新司の『昴』を歌った。それが、妙にうまかった。いや、うますぎた。
あまりにも本格的に歌い上げるので、私たちは腹を抱えて笑った。
「なんで、そんなうまいねん!」
「おかしいやろ!」
「高度なギャグやなあ!」二年生たちが、口々につっこんだ。
マッツァンは、笑わせるつもりなどなかったのかもしれない。しかし、本人が真剣に歌えば歌うほど、私たちは笑った。
散々はしゃいだ後は、皆すぐに眠ってしまった。
翌朝、少しだけ練習をして、私たちは帰宅した。
合宿と呼んではいたが、今になって思えば、練習つきの親睦旅行に近かった。
厳しい稽古の内容よりも、マッツァンが歌った『昴』の方を、私は今でもよく覚えている。
この夏休みを通して、私はずっと一つのことを考えていた。
リーチ差への対策である。このところ、私は自分よりリーチの長い相手に負けていた。
高校の競技空手では、リーチが長い選手が有利であることは間違いない。遠い間合いから、自分の拳を届かせることができる。相手の攻撃が届かない距離で戦うこともできる。
しかし、それだけで勝負が決まるはずはない。
私は何度も全日本大会のビデオを見た。皮肉なことに、当時、全日本大会を三連覇していた選手は、身長が百九十センチ台もある長身選手だった。
おそらく、出場選手の中でも最もリーチが長い。
しかし、私と似た体格で活躍している選手もいた。私は、その選手の試合を繰り返し見た。
やはり、中段逆突きがうまかった。相手の攻撃へカウンターを合わせ、低く懐へ潜り込む。懐へ入ってしまえば、リーチの差は関係ない。
――やっぱり、それしかないんかな。
しかし、カウンターだけでは、相手が攻めてこなければ使えない。こちらから攻める方法も必要だった。
部内で私よりリーチが長いのは、高倉と桃井だった。二人との組手では、私はよく、左手で相手の前拳を払い、そのまま右の逆突きを出していた。
相手の前拳を払えば、長いリーチを生かした刻み突きを出しにくくできる。考え方としては間違っていない。
しかし、高倉や桃井とのリーチ差はそれほど大きくないにもかかわらず、右の逆突きが浅くなり、きちんと極まらないことが多かった。
練習からの帰り道も、私はそのことを考えていた。自動販売機で瓶入りのポカリスエットを買い、飲みながら歩く。考えることに夢中になりすぎて、ポカリスエットをこぼし、胸までびしょぬれになったこともあった。
――逆突きが浅いんやったら、もっと深く踏み込めばええんと違うか。
三本連突きの要領で、後ろ足を前へ踏み出す。
足をスイッチする。
つまり、逆突きではなく追い突きにする。
――追い突きや!
頭の中で、動きを組み立てた。
左手で相手の前拳を払う。
ただ横へ払うのではない。
左下へ押さえ込む。
そして、後ろ足を前へ送りながら、右の追い突きを出す。
相手の前拳を押さえれば、刻み突きを封じることができる。さらに左下へ押さえ込むことで、相手は奥拳も出しにくくなる。その間に、こちらの右拳は、追い突きによって深く相手へ届く。
理屈は通っていた。
次の日、私はさっそく高倉との組手で試した。
左手で、高倉の前拳を左下へ押さえる。
同時に後ろ足を前へ踏み出し、右の追い突きを出す。
簡単に極まった。
――いける。
もう一度。また極まった。
高倉は、なぜ私の右拳がいつもより深く届くのか、まだ理解できていないようだった。
もう一回。三回続けて極まった。
私は確信した。
攻めるときは、前拳を押さえてからの追い突き。
相手が攻めてきたときは、中段逆突きのカウンター。
これなら、リーチの長い相手に対して、攻守の両方から戦うことができる。長い相手にも、勝つ方法はある。
夏休みの間に、私はようやく一つの答えへたどり着いた。
そうして、夏が過ぎ去った。
第十四話 夏のできごと(後編)
八月になった。
他校との合同練習が、急に決まった。参加校は、前回の兵庫県大会で団体組手の決勝を戦った神槍学園高校と村田工業高校。そして名門、夢野原高校。
そこへ、なぜか付け加えられたように潮見が丘高校の名前があった。
県大会で目立った戦績もない。同好会から正式な部になって、まだ二年目である。
なぜ、そんな潮見が丘高校が強豪三校との合同練習に呼ばれたのか。
理由は謎だった。
もしかすると、アラチがどこかで顔を利かせたのかもしれない。しかし、実際のところは分からない。
ともかく私たちは、県内の強豪三校との合同練習へ参加することになった。
私は、中学校の柔道部で経験した強豪校との合同練習を思い出し、戦々恐々としていた。柔道部時代には、もう思い出したくもないほど、しんどくてつらい思いをした。
ところが、いざ練習が始まってみると、基本練習は普段の潮見が丘高校とそれほど変わらなかった。
全員で整列し、号令に合わせて突き、蹴り、受けを繰り返す。
――なんや。こんなもんか。
私は少し油断した。
違ったのは、ここからだった。基本練習が終わると、体力づくりのトレーニングが始まった。体育館全体を使った、サーキットトレーニングである。
まず腕立て伏せ。
終わると次の場所へ移動して、腹筋。
さらに移動して、背筋。
スクワット。
股割りジャンプ。
それぞれの場所で決められた運動を行い、終われば次へ進む。それを何周も繰り返した。
練習時間の半分以上が、この体力づくりに使われた。初めのうちは、全員が一定の速さで進んでいた。しかし、疲れてくると少しずつ動きが遅くなる。
それが特に目立ったのが、股割りジャンプだった。両脚の開きが狭くなり、跳ぶ高さも低くなっていく。
私は、もともとジャンプ力がなかった。自分では速筋型だと思っており、素早く身体を動かすことは得意だったが、高く跳ぶことは苦手だった。
私の手首は細かった。上腕はクラスでも一番太いくらいだったのに、手首だけは女性並みに細かった。その細い手首が、私の速い突きを生み出しているのではないか。
私はそう考えていた。
反対に、足首はかなり太かった。それがジャンプ力のなさにつながっているのではないかと、常々思っていた。
潮見が丘高校の部員たちが、疲れて不格好な股割りジャンプを繰り返す。
その横で、強豪校の部員たちは、
シュバッ。
と音を立てるように、両脚を大きく開き、きれいな股割りジャンプをこなしていた。
私はまだ、それほど疲れてはいなかった。それでも、高く跳べなかった。
――くやしい。
――あとで組手で取り返すんや!
体力のある者は前の者を追い越し、さらに多くの回数をこなしていた。
――なるほど。
――自分の体力に合わせて、練習量を増やせるんや。
私は感心した。
全員へ同じ回数を命じるのではない。体力のある者は速く進み、より多くの運動をする。遅い者は、自分のできる速さで続ける。
理にかなっていた。
もちろん、追い越される者もいた。潮見が丘高校の部員たちである。私は、あえて無理をせず、普通の速さでトレーニングをこなした。
この後には、組手があるはずだ。そこで動けなくなっては意味がない。
私は組手のために、体力を残していた。
私はずるかった。
周囲を見ると、潮見が丘高校の面々は、早くもあごが上がっていた。
私を除いて。
高倉などは、露骨にばてていた。
やがて、組手の時間になった。
各校の選手が、それぞれ組手の相手を探していく。長谷部選手のような有名選手には人気が集まり、次々に相手が決まっていった。強豪三校の中に、一校だけ交じった弱小校。
私は少し気後れした。
それでも、体力を温存したかいがあった。組手が始まれば、強豪校の選手を相手にしても、一歩も引けを取らなかった。
潮見が丘高校の面々は、組手に入るころには、もはやふらふらだった。
私を除いて。
合同練習の最後には、技術講習のような時間が設けられた。
神槍学園高校と村田工業高校の先生が二人一組になり、ワンツーの打ち方を説明してくれた。
「ワンツーは、ワンで極めるつもりで突く!」
私は心の中で思った。
――そしたら、ツーいらんやん!
――説明へたか!
もちろん、声には出さなかった。
先生が言いたかったのは、最初の一発を見せかけにしてはいけない、ということなのだろう。
ワンも、本気で極めるつもりで突く。ただし、間合いをわずかに浅くする。
相手が最初の突きへ反応したところへ、二発目をさらに深く踏み込んで極める。私は自分なりに、そう翻訳した。
強豪校の練習に圧倒されながらも、私は相変わらず調子に乗ったまま合同練習を終えた。
ところが、練習が終わって歩き出すと、膝ががくがくと震えていた。
――やっぱり、強い学校は、それだけの練習をやっとるんやな。
強さには、理由があった。
しかし同時に、
――でも、あんなしんどいこと、毎日やりたないな。
というのが、私の正直な気持ちだった。
強豪校との合同練習でできた筋肉痛から、ようやく解放されたころだった。
「海まで走ろか!」突然、イマリンが言い出した。
――どこの青春ドラマやねん。
私は心の中でつっこんだ。
ほかの部員たちも、
「なんでやねん!」と笑った。
しかし、イマリンは本気だった。どうやら本当に、青春ドラマのようなことをやりたかったらしい。とはいえ、やると決まれば、皆のノリはよかった。
私たちは学校を出て、海岸まで走った。海まで走るといっても、片道一キロほどである。
誰かと競争するわけでもない。皆で話をしながら走る、適度なランニングだった。
海が近づくにつれ、潮の匂いが濃くなっていった。潮風が頬をなでる。気持ちがよかった。
浜辺へ着くと、皆は波打ち際ではしゃいだ。強豪校との合同練習で、あれほど苦しい思いをした後である。海を見ただけで、妙に解放された気分になった。
そのうち、イマリンが浜辺の石を拾い、石割りの講釈を始めた。
左手で石を持ち、別の石の上へ置く。
ただし、ぴったりと載せるのではなく、少しだけ浮かせておく。
そこへ、右の手刀を振り下ろす。
石は、手刀の力だけで割れるわけではなかった。
上から叩かれた石が、その下に置いた石へぶつかる。
その衝撃で割れるのである。
私たちも、イマリンのまねをして石を割った。やってみると、意外に簡単だった。まるで、手品のタネを教えてもらったような気分だった。
後に私は、同じ方法で石を割り、クラスの友人を驚かせたことがある。
もちろん、タネは明かさなかった。
海まで走り、浜辺で遊び、石を割る。空手の練習として、どれほど意味があったのかは分からない。
今になって思えば、イマリンは、強豪校との合同練習で私たちが萎縮し、落ち込んでいないかと気遣ってくれたのかもしれない。
夏休みも終わりに近づいたころ、空手道部は合宿を行った。合宿といっても、他校と練習試合を組んだわけではない。
潮見が丘高校空手道部だけで、イマリンの地元である相生市の少年自然の家に一泊二日で泊まった。女子部員の二人は参加しなかった。
到着すると、施設の体育館を借りて、いつもどおりの練習をした。
海沿いの道を走った。
真夏の青い空が、目に痛いほどまぶしかった。
そして夜。
夕食を終えると、カラオケ大会が始まった。もっとも、当時のカラオケは八トラックのテープである。最新の流行歌など、まず入っていない。歌えるのは、昔からカラオケでよく歌われてきた定番曲ばかりだった。
そこで、マッツァンが谷村新司の『昴』を歌った。それが、妙にうまかった。いや、うますぎた。
あまりにも本格的に歌い上げるので、私たちは腹を抱えて笑った。
「なんで、そんなうまいねん!」
「おかしいやろ!」
「高度なギャグやなあ!」二年生たちが、口々につっこんだ。
マッツァンは、笑わせるつもりなどなかったのかもしれない。しかし、本人が真剣に歌えば歌うほど、私たちは笑った。
散々はしゃいだ後は、皆すぐに眠ってしまった。
翌朝、少しだけ練習をして、私たちは帰宅した。
合宿と呼んではいたが、今になって思えば、練習つきの親睦旅行に近かった。
厳しい稽古の内容よりも、マッツァンが歌った『昴』の方を、私は今でもよく覚えている。
この夏休みを通して、私はずっと一つのことを考えていた。
リーチ差への対策である。このところ、私は自分よりリーチの長い相手に負けていた。
高校の競技空手では、リーチが長い選手が有利であることは間違いない。遠い間合いから、自分の拳を届かせることができる。相手の攻撃が届かない距離で戦うこともできる。
しかし、それだけで勝負が決まるはずはない。
私は何度も全日本大会のビデオを見た。皮肉なことに、当時、全日本大会を三連覇していた選手は、身長が百九十センチ台もある長身選手だった。
おそらく、出場選手の中でも最もリーチが長い。
しかし、私と似た体格で活躍している選手もいた。私は、その選手の試合を繰り返し見た。
やはり、中段逆突きがうまかった。相手の攻撃へカウンターを合わせ、低く懐へ潜り込む。懐へ入ってしまえば、リーチの差は関係ない。
――やっぱり、それしかないんかな。
しかし、カウンターだけでは、相手が攻めてこなければ使えない。こちらから攻める方法も必要だった。
部内で私よりリーチが長いのは、高倉と桃井だった。二人との組手では、私はよく、左手で相手の前拳を払い、そのまま右の逆突きを出していた。
相手の前拳を払えば、長いリーチを生かした刻み突きを出しにくくできる。考え方としては間違っていない。
しかし、高倉や桃井とのリーチ差はそれほど大きくないにもかかわらず、右の逆突きが浅くなり、きちんと極まらないことが多かった。
練習からの帰り道も、私はそのことを考えていた。自動販売機で瓶入りのポカリスエットを買い、飲みながら歩く。考えることに夢中になりすぎて、ポカリスエットをこぼし、胸までびしょぬれになったこともあった。
――逆突きが浅いんやったら、もっと深く踏み込めばええんと違うか。
三本連突きの要領で、後ろ足を前へ踏み出す。
足をスイッチする。
つまり、逆突きではなく追い突きにする。
――追い突きや!
頭の中で、動きを組み立てた。
左手で相手の前拳を払う。
ただ横へ払うのではない。
左下へ押さえ込む。
そして、後ろ足を前へ送りながら、右の追い突きを出す。
相手の前拳を押さえれば、刻み突きを封じることができる。さらに左下へ押さえ込むことで、相手は奥拳も出しにくくなる。その間に、こちらの右拳は、追い突きによって深く相手へ届く。
理屈は通っていた。
次の日、私はさっそく高倉との組手で試した。
左手で、高倉の前拳を左下へ押さえる。
同時に後ろ足を前へ踏み出し、右の追い突きを出す。
簡単に極まった。
――いける。
もう一度。また極まった。
高倉は、なぜ私の右拳がいつもより深く届くのか、まだ理解できていないようだった。
もう一回。三回続けて極まった。
私は確信した。
攻めるときは、前拳を押さえてからの追い突き。
相手が攻めてきたときは、中段逆突きのカウンター。
これなら、リーチの長い相手に対して、攻守の両方から戦うことができる。長い相手にも、勝つ方法はある。
夏休みの間に、私はようやく一つの答えへたどり着いた。
そうして、夏が過ぎ去った。
