青い勲章

 七月になった。私たちは黒帯を締めるようになった。
 部員たちも、新しい練習メニューに慣れてきたようだった。

 柔軟体操の時間には、それぞれが必要だと思う運動をする。
 二人一組で背中を押してもらっていると、ヤマリンが言った。
「この前、久米先輩を見かけたで」
「へえ。何しとったん?」
「『出る単』持っとった」
『試験に出る英単語』である。
「久米先輩、前からずっとやっとるで」みやっちが言った。

 先輩たちは、もう大学受験へ向けて勉強を始めていた。空手道部を引退した三年生は、それぞれの未来へ向かって進んでいる。
――オレも来年は、受験勉強せなあかんのか。
 考えるだけで気が重くなった。

 筋力トレーニングも、全員で同じ回数をこなす方法をやめた。私は昔からプロボクシングを見るのが好きだった。ボクサーによって体格も戦い方も違い、筋力トレーニングの方法も違う。
 それなら、空手でも同じはずだった。
 本音を言えば、全員で同じ回数の腕立て伏せや腹筋をするのが、だるかっただけでもある。

 拳を床につけて行う拳立て伏せは、空手部員としての標準だった。私の拳にも、うっすらと固い部分ができていた。
 腹筋や背筋は、各自が必要だと思う方法で鍛えた。

 柔軟体操が終われば、基本練習に入る。
 突き。
 受け。
 蹴り。
 全員で気合を出しながら繰り返す。

 続いて移動基本。
 その後は、二人一組で打ち込みを行った。

 練習するコンビネーションは、私が全日本大会のビデオを見て覚えた技だった。
 刻み突き。
 ワンツー。
 三本連突き。
 前の手で相手の前拳を払ってからの逆突き。
 相手の攻撃に合わせる中段逆突きのカウンター。
 後ろ足からの前蹴り。
 寄せ足を使った前足の回し蹴り。
 最後の回し蹴りは、どちらかといえば三日月蹴りに近かった。

 ワンツーを除けば、どれも私が組手でよく使う技だった。私は、自分の技を部員たちへ隠さなかった。むしろ、すべて教えた。同じ技を何度も受ければ、部員たちは私の攻撃を読めるようになる。
 私への対策を考える。私は、その対策をさらに破る方法を考える。
 皆が強くなれば、私も強くならざるを得ない。

――みんなも、本音では強くなりたいんやろ。
――オレについてこいや!
 ずいぶん調子に乗っていた。

 組手練習で、一年生の岡田と向かい合った。
 私が三本連突きへ入ろうとすると、岡田は最初の突きを大きくよけた。何度も打ち込みをしているので、三本連突きを読んでいたのだ。
――そうそう、そうなるよな!
 私は前へ逃げた岡田を追わず、寄せ足を使って前足の回し蹴りを放った。
 岡田の中段へ足が伸びる。
――ほら、極まった!
 瀬戸対策を考えさせ、それをまた破る。私は、その繰り返しを楽しんでいた。


 ある日、一年生女子の安田が男子の組手練習に加わった。二年生女子の松井が休んでおり、安田には組手の相手がいなかった。
 安田は私よりも小柄で、リーチも短かった。動きも速い方ではなかった。正直なところ、組手の相手としては物足りなかった。

 その日の私は、左手を握ることができなかった。前日のみやっちとの組手で、互いの拳が交差したとき、みやっちの拳が私の左手の親指へ当たった。
 親指は腫れ上がっていた。
 みやっちとの組手は、以前からなぜか熱くなりがちだった。一年生のときには、二人とも殺気立ちすぎて、富田から、
「おいおい! 大丈夫か!」と止められたことさえある。
 なぜ、みやっちとだけそうなるのかは、自分でも分からなかった。

 左拳を握れないので、左手は開いたまま、相手の攻撃を払うために使った。
 攻撃には右拳と蹴りを使う。

 安田と向かい合うと、隙がいくつも見えた。
 私は開いた左手を、安田のあごの下へゆっくり伸ばした。掌底を寸前で止めるつもりだった。
 その瞬間、安田が両腕で胸を隠し、身体をひねった。痴漢から身を守るような動きだった。

――違うから!
 私の左手は、安田の胸へ伸びたように見えたのだろう。外から見れば、上級生の男子が、下級生の女子の胸へ開いた手を伸ばしている。

――違うって!
――左手を握られへんだけやから!
 しかし、何も聞かれていないのに説明すれば、かえってアブナイ人間のように思われそうだった。

 私は何も言わなかった。
 ただでさえ距離のあった女子部員が、それ以来、ますます遠くなったような気がした。


 そして、夏休みに入った。
 夏休みに入ったのを機に、私とヤマリンは空手着を新調した。それまで着ていた空手着も、それぞれの身体に合ったものだった。しかし、私たちがビデオで見ていた全日本大会の形の選手や、県大会で目にした強豪校の選手たちは、少し大きめの空手着を着ていた。
 大きなサイズを選び、その分、袖と裾を深く詰めている。肩や胴まわりには余裕があるのに、手足は短く見える。
 折り紙のやっこさんのような形だった。それが、当時の流行だった。

 厚い生地の大きな空手着が、技を出すたびに鋭い音を立てる。私たちは、すっかりそれに憧れていた。
「やっぱり、あれやろ!」
 私とヤマリンは、それぞれ小遣いをはたき、大きめのサイズで生地も厚い空手着を買った。長すぎる袖と裾は、自分でミシンを踏んで詰めた。

 私が新品の空手着を柔道場へ持っていった日、ヤマリンも新しい空手着を持ってきていた。着替えを終えた私たちは、互いの姿を見た。
 目が合った。
 二人で、にやりと笑った。考えていたことは同じだった。

 実際にその空手着で形を打つと、突きや受け、蹴りに合わせて、
 シュバッ。
 パシッ。
 と、生地の鳴る音がした。それだけで、少しうまくなったような気がした。

 しかし、全日本大会の選手が鳴らすような、
 パンッ!
 という鋭い音までは出せなかった。


 授業が休みになると、練習時間にも余裕ができた。イマリンとマッツァンの計らいで、ビデオカメラを借りることができた。自分たちの組手練習を撮影し、その映像を視聴覚室で上映する。
 当時としては、ずいぶん贅沢な機会だった。

 撮影はマッツァンが担当してくれた。当時のビデオカメラは、肩に載せて撮影する大きなものだった。それを構えるマッツァンは、まるでプロのカメラマンのように見えた。
 撮影しながらの組手練習で、私はヤマリンと当たった。そのころのヤマリンは、場外線の近くまで下がり、そこから待ち拳をすることがあった。
 背水の陣のつもりなのか。何を考えているのか、私にはよく分からなかった。
 私は、その戦い方を否定的に見ていた。ただ、その日のヤマリンは集中していた。
 簡単には崩せなかった。

――絶対に破ったる。
 私も集中した。

 すると、ヤマリンの呼吸まで見えるような気がした。
 ヤマリンが攻撃しようとして、わずかに重心を動かした。しかし、思いとどまった。
 重心が元の位置へ戻る。
 その瞬間だった。
 私は一気に懐へ入り、右の中段逆突きを極めた。

「うわー。あれはやられたわー」
「おう。気持ちよかったわ!」
 組手を止めると、私たちは思わず互いに感想を口にした。

 後で、視聴覚室に集まり、撮影した映像を見た。
「今のん、入ってるやん!」
「入ってへんて!」
「ちょ、スローにしてや!」
 皆で笑いながら、何度も巻き戻した。

 画面の中では、身長のわりに背中の広い私が、小柄なヤマリンの懐へ器用に潜り込んでいた。
 自分で見ても、ほれぼれするような一本だった。

 撮影した映像を見終えると、残った時間で私のビデオコレクションを上映した。形のビデオを流すと、岩崎がうつらうつらし始めた。
 全日本大会の組手へ入れ替えると、一年生たちは目を輝かせた。

 ヤマリンの待ち拳を破ったあの日、私は、待つ者にしか見えない世界を知ったのだと思う。