青い勲章

 県大会が近づいてきた。
 きっと他校では、三年生が高校生活最後の大きな大会へ向けて、必死に稽古しているのだろう。
 潮見が丘高校の空手道部も、以前よりは活気づいていた。三年生の先輩たちも、稽古へ来るようになった。団体戦のメンバーがそろい、柔道場では毎日のように組手が行われた。

 それでも、私は何かが違うと感じていた。先輩たちは、組手をしていても、せいぜい八割程度の力しか出していないように見えた。
 相手の突きが、きれいに極まる。私なら、そこからでも無理に身体をひねり、拳をかわそうとした。
 先輩たちは違った。

 相手がよいタイミングで入ってくれば、そのまま一本を取られる。取られた後も、特に悔しそうな顔はしない。構え直し、また組手を続ける。
 私は、もちろん十割だった。
 一本でも取られたくない。練習でも負けたくない。
 どんな体勢からでも、何とかかわそうとした。

――必死でやらなければ、強くなれない。
 私は、そんな考えにとらわれていた。

 先輩たちにとっては、怪我をしないように加減しながら行う稽古だったのかもしれない。今になって考えれば、練習のすべてを試合と同じ緊張感で行う必要はない。
 しかし当時の私には、力を抜いているようにしか見えなかった。

――最後の県大会やのに、なんで本気でやらへんねん。
 そんな煮え切らない気持ちを抱えたまま、県大会を迎えた。


 個人組手へ出場するのは、私と高倉。二年生の二人だった。
 団体組手は、いつもの三年生五人。
 個人形には、ヤマリンと岩田先輩が出場した。

 私は、日ごろの鬱憤を晴らすような気持ちで、個人組手へ臨んだ。

 一回戦。
 不思議なほど集中できていた。
 相手は、私と同じくらいの体格だった。

 試合が始まる。
 私は細かくフェイントを入れながら、少しずつ間合いを詰めた。
 相手の反応が一瞬止まる。
 左の刻み突き。
「中段突き、一本!」先制した。

 続いて、互いが同時に踏み込んだ出会い頭に、三本連突きを仕掛けた。
 相手がのけぞる。
 二本目、三本目と追いかけ、さらに一本を取った。

 焦った相手が前へ出てくる。
 待っていた。
 懐へ飛び込み、中段逆突きを合わせた。
「中段突き、一本!」

 三対〇。

 刻み突き。
 三本連突き。
 中段逆突きのカウンター。
 私の勝ちパターンが、すべて決まった。

 高倉は、一回戦で敗れた。
――三年生相手には、きつかったか。
 私はそう考えた。

 もっとも、私は高倉のワンツーを苦手としていた。高倉の最初の突きは、踏み込みが浅い。私は、その一発目へ中段逆突きのカウンターを合わせようとする。しかし、踏み込みが浅いことに気づき、途中でかわそうとする。その迷った瞬間に、二発目の右が伸びてくる。
 それが、きれいに入るのである。
 高倉は腕も長かった。最初からかわすつもりでいれば、ワンツーそのものを避けることは難しくない。
 だが、
――カウンターを取れる。
 そう思った瞬間に、判断が遅れる。
 高倉が私より強いというより、技の相性が悪かったのだと思う。
 その高倉が負けても、私は気後れしなかった。

 二回戦の相手は、かなりの長身だった。百八十五センチくらいはあったと思う。
 私の身長は百七十三センチだったので、十センチ以上の差がある。

 高校の競技空手には、体重別の階級がない。小柄な選手が、自分よりはるかに大きな相手と戦うこともある。

 私は慎重になった。最初から、待ち拳で構えた。
 相手が長い腕を伸ばし、刻み突きで入ってくる。
 私は拳をかわしながら、その懐へ飛び込んだ。
 中段逆突き。
「中段突き、一本!」

 よし。懐へさえ入れば、リーチの差は関係ない。最初の一本を取ったことで、私は少し油断した。次に相手が出したのは、ワンツーだった。高倉とよく似た攻撃である。

 一発目の踏み込みが浅い。
 私は反射的に、そこへカウンターを合わせようとした。
 しかし相手は、私の間合いの外にいる。
――遠い。
 そう気づいて、途中で身体をかわそうとした。
 その瞬間、二発目の拳が伸びてきた。
「中段突き、一本!」

 一対一。

 高倉との組手で、何度も極められた形だった。分かっていたはずなのに、同じように引っかかった。
 そこで私は焦った。

 リーチの差がある相手に対して、左の刻み突きの差し合いを挑んでしまった。
 同時に踏み込む。
 私の拳が届くより先に、相手の長い腕が伸びてくる。
「中段突き、一本!」
 二本目を取られた。

 その後、相手は無理に攻めてこなかった。距離を取り、私の攻撃をかわす。

 私は何とか追いつこうとしたが、リーチの長い相手に間合いを管理されると、簡単には懐へ入れなかった。
 そのまま時間切れとなった。

 一対二。
 二回戦敗退だった。

――やっぱり、リーチの長い相手には弱い。

 北神戸地区大会でも、長身の相手との刻み突きの差し合いに負けた。今回も同じだった。競技空手そのものが、リーチの長い選手に有利な競技である。
 遠くから先に届く。相手を自分の間合いへ入れずに戦える。
 だが、それを理由にしていても仕方がない。

――長い相手に勝つ方法を考えなあかん。
 負けた悔しさよりも先に、次に試す技や戦い方を考えていた。私は、まだ強くなるつもりだった。

 続く団体組手で、先輩たちはあっさりと一回戦で敗れた。
 相手は夢野原高校。
 過去には全国大会の常連だった名門校で、この県大会でも優勝候補の一つに挙げられていた。特に女子空手道部が強く、専門誌『月刊空手道』の取材を受けたこともあるという。
 大将の羽鳥先輩だけは勝利した。しかし、それまでの四人はほとんどよいところを見せられず、チームの敗北はすでに決まっていた。

 高校生活最後の大きな大会へ向け、気合を入れて稽古してきた他校の三年生。
 同好会時代の雰囲気を残したまま、無理をしない程度の稽古を続けてきた潮見が丘高校の三年生。
 試合が始まれば、その差ははっきりと表れた。技術以前に、身体のキレが違った。
 私は試合場の外から先輩たちを見ながら、
――だから、もっと必死で練習せなあかんかったんや。
 と考えていた。

 個人形でも、潮見が丘高校は結果を残せなかった。
 ヤマリンは予選を通過し、決勝へ進んだものの、入賞には届かなかった。

 北神戸地区大会以降、ヤマリンは予選で抜塞大、決勝で征遠鎮を演じていた。ヤマリンの長所は、技のスピードとキレである。
 前後左右へ激しく動き、力強さを前面へ出す抜塞大では、その長所がよく表れていた。一方の征遠鎮は、低い姿勢から繰り出す重い技や、動と静の緩急が重要になる。
――ヤマリンには、あんまり向いてへんのと違うかな。
 私はそう思っていた。

 もっとも、私は形を真剣に練習していなかった。ヤマリンは決勝へ進んでいる。私は形で入賞したことすらない。人の形を批評できる立場ではなかった。

 一年生の岡田も、個人形に出場した。岡田の形は、ヤマリンと同じようにスピードとキレがあった。小柄ではあるが姿勢がよく、技を繰り出しても身体の軸がぶれない。岡田は少年二段だったという。
 ヤマリンも同じく少年二段だったそうだが、そのヤマリンと比べても引けを取らない形だった。
 岡田も決勝へ進んだが、入賞には届かなかった。

 団体組手の決勝は、神槍学園高校と村田工業高校の対戦となった。
 神槍学園高校が勝利し、県大会優勝を決めた。

 個人組手でも、神槍学園高校の二年生、長谷部選手が優勝した。さらに個人形でも、優勝は同じ長谷部選手だった。長谷部選手は前年、すでに個人形で全国大会へ出場している。二年生でありながら、団体優勝校の中心選手。個人組手と個人形の二部門でも優勝。
 長谷部選手の構えには、力みがなかった。それでいて、どこからでも技を出せそうに見えた。
――漫画の主人公みたいなやつもおるんやな。
 私は素直に感心した。

 夢野原高校。
 神槍学園高校。
 村田工業高校。
 県大会の上位を争う強豪校である。
 その三校と潮見が丘高校が、夏には同じ場所で合同練習をすることになる。
 三校の名前が並ぶ中に、潮見が丘高校。
――なんで、うちがおるんやろ。
 参加した私自身が、そう思うような顔ぶれだった。

 アラチがどこかで話をつけたのかもしれない。当時の私たちは、そんな事情を考えもしなかった。
 こうして県大会は終わった。


 そして、すぐに東播磨地区大会が近づいてきた。

 そのころ、ヤマリンは練習中に、自分の突きを気にするようになっていた。ニッシャンに何か指摘されたらしい。
「オレ、下から出てるかなあ」
 ヤマリンはそう言いながら、みやっちへ向けて何度も突きを繰り出していた。

 腰の位置から、まっすぐ前へ出す。
 本人はそのつもりなのだろうが、拳は少し下から上へ向かってスイングしていた。
 中段受けをするときには、背中も丸くなっていた。
――うん。下から振ってるし、受けは猫背やで。
 私はそう思った。しかし、口には出さなかった。

 一年生のころ、私はヤマリンから基本を教わってきた。それに、形をろくに練習していない私が、決勝まで進むヤマリンへ口を出すのは気後れした。

 先輩たちも、最後の大会へ向けて汗を流していた。練習内容は組手中心で、以前より実戦的にはなっていた。それでも、無理をしない程度の稽古であることは変わらなかった。


 そして、東播磨地区大会を迎えた。

 個人組手へ出場するのは、ディーゴ先輩と小杉先輩。
 団体組手は、いつもの三年生五人だった。

 前年秋の地区大会で個人組手準優勝となり、それ以来公式戦で負けていない羽鳥先輩を、なぜ個人戦へ出さないのか。
 私は、その選手選考にも不満を感じていた。

 個人形はヤマリンと、一年生の岡田が出場した。

 私に出番はなかった。その分、最後の大会となる先輩たちを応援しようと思った。

 東播磨地区大会へ出場するのは、わずか八校。
 本当に小さな大会だった。

 県大会で見た夢野原高校も、神槍学園高校も、村田工業高校もいない。北神戸地区には、常に上位へ進出する三園学院高校があった。
 そして東播磨地区では、明石北陵高校が何度も優勝していた。
 地区ごとに、その大会の中心となる学校があった。
 しかし私は、
――明石北陵になら、潮見が丘が勝ってもおかしくない。
 と考えていた。

 一回戦の相手は、加古川高校だった。
 先鋒は古賀先輩。古賀先輩は、特別リーチが長いわけではない。しかし左の刻み突きを、構えた位置から最短距離でまっすぐ出す。無駄がなく、力強い突きだった。
 古賀先輩が勝利し、潮見が丘高校は勢いに乗った。

 次鋒の岩田先輩は、細かなフェイントを使いながら距離を詰めた。相手を自分の得意な近い間合いへ引き込み、岩田先輩のペースで試合を進めて勝利した。

 中堅の久米先輩は、長いリーチを生かした。左の差し合いで先に拳を届かせ、勝ちを収めた。

 副将の森川先輩は、相手の動きに惑わされなかった。大きな身体でどっしりと構え、相手のペースに乗らずに勝利した。

 最後は大将の羽鳥先輩。羽鳥先輩の蹴りは、伝統空手そのものというより、高校の競技空手に合わせた蹴りだった。長い脚を速く伸ばし、一本を取る。
 羽鳥先輩も勝った。

 五対〇。

 潮見が丘高校の完勝だった。
――これは、いけるんと違うか。
 先輩たちは弱くない。

 全員が自分の持ち味を出せば、これだけの試合ができる。
 そう思った矢先だった。

 二回戦。

 西谷高校を相手に、潮見が丘高校は一対四であっさりと敗れた。

 大将戦で羽鳥先輩は勝った。前年秋の個人戦以来、羽鳥先輩はまだ一度も負けていなかった。
 しかし、羽鳥先輩が試合場へ上がる前に、チームの敗北はすでに決まっていた。
 先輩たちの高校空手は、それで終わった。

 私は残念だった。悔しかった。
 ところが先輩たちの顔を見ると、私と同じようには見えなかった。悲壮な表情もなかった。負けたことを引きずっている様子もなかった。何か一区切りついたような、やるべきことをやり終えたような顔をしていた。
 それは羽鳥先輩も同じだった。最後の大会を終え、肩の荷が下りたようにさえ見えた。

――大した努力をしてこなかったから、悔しくないんか。
 私は一人で、そんなことを考えていた。

 先輩たちは、先輩たちなりに空手道部で過ごした時間へ満足していたのかもしれない。仲間と一緒に部を作り、大会へ出て、最後に五対〇で勝つ試合もした。
 それで十分だったのだろう。

 しかし当時の私には、理解できなかった。勝つために必死にならないことも、負けたのに満足そうな顔をすることも。

 そうして、先輩たちの代は終わった。


 六月に入ったある日の昼休み、私はイマリンから職員室へ来るよう、校内放送で呼び出された。
 教室に自分の名前が響く。校内放送で呼び出されるのは、少し恥ずかしい。
「瀬戸、何やらかしてん!」
 クラスの友人が笑いながら冷やかした。
「何もしてへんわ!」
 そう返しながら、私は職員室へ向かった。

 ヤマリンも同じように呼び出されていた。二人でイマリンの前へ立つと、イマリンは少し言いにくそうに口を開いた。

「次のキャプテンと副キャプテンやけどな。キャプテンが山岡。副キャプテンは瀬戸でええな」
 山岡とは、ヤマリンのことである。
 イマリンは続けた。
「かなり迷ってんけどな」

 なぜか妙に言い訳めいた言い方だった。
「ええやん。山岡で」
 私が即答すると、イマリンはまだ心配そうな顔をしていた。
「瀬戸も、めっちゃ研究しとったやろ」

 私がキャプテンになれないことへ不満を持つのではないか。そんな心配をしていたのだと思う。
「いやいや、いいですって」私は本当に不満ではなかった。

 面倒な仕事はヤマリンに任せればよい。部員をまとめたり、先生へ報告したり、表に立つ仕事はキャプテンがすればよい。その代わり、私は自分の好きなように練習内容を組み立てよう。
 そんなことを考えていた。

 職員室を出ると、ヤマリンは目を輝かせた。
「瀬戸、頑張ろな!」
 ヤマリンは、二人で力を合わせて部を引っ張っていくつもりだった。私は、表向きの仕事をヤマリンへ押しつけたつもりだった。
 同じキャプテンと副キャプテンでも、二人が思い描いていた関係は少し違っていた。

 それでも、この組み合わせは意外にうまくいった。潮見が丘高校空手道部は、新体制となった。

 先輩たちからは、あいさつもなかった。最後の言葉もなかった。何かを託されたわけでもなかった。

 ただ、先輩たちはいなくなった。