柔道場の鏡の前に、新入生たちが並んでいた。
岡田。
桃井。
岩崎。
全員、まだ白帯だった。
その前に立っているのは、ヤマリンである。
「前屈立ちは、もっと前の脚に体重かけるんや」
ヤマリンが腰を落とし、見本を見せた。小柄な身体が、低い前屈立ちへ収まる。
「後ろの脚、曲げたらあかんで。膝、伸ばすんや」
岡田は、
「押忍!」
と答え、すぐに姿勢を直した。
空手経験者だけに、少し言えば分かる。立ち方も、拳の引き方も、新入生の中では一番形になっていた。桃井と岩崎は、岡田の動きを横目で見ながら、同じ姿勢を取ろうとしていた。
ヤマリンが中段突きを出す。
空手着の袖が、鋭く鳴った。
岡田も突く。
桃井も突く。
岩崎も突く。
三人の袖からは、まだヤマリンのような音は出なかった。
私は少し離れた場所から、その光景を見ていた。一年前、柔道場の鏡の前に並んでいたのは、私たちだった。森川先輩から、拳の握り方や立ち方を教わった。経験者のヤマリンを囲み、その動きをまねた。
ヤマリンが突けば、私たちも突いた。ヤマリンの袖が鳴れば、自分の袖も鳴らそうと力を入れた。今、そのヤマリンが後輩の前に立っている。
私たちは茶帯を締めていた。後ろには白帯の一年生が並んでいた。たった一年しか経っていない。それでも、同じ柔道場の風景は、少し違って見えた。
――オレらも、先輩になったんやなあ。
珍しく、少し感慨深い気持ちになった。
もっとも、ヤマリンは後輩へ基本を教え終えると、また『北の国から』の話を始めた。中身まで急に立派な先輩になったわけではない。
五月が近づくと、三年生の先輩たちも、稽古へ来る日が増えた。
春の大会シーズンが始まるからである。
古賀先輩。
岩田先輩。
久米先輩。
森川先輩。
羽鳥先輩。
団体戦のレギュラーがそろうと、柔道場は急に狭くなった。
新しく顧問になった西尾先生も、よく稽古へ参加した。私たちは陰で、ニッシャンと呼んでいた。大阪体育大学を卒業したばかりの若い体育教師である。身体もよく動き、組手をしてもそれなりに強かった。
少なくとも当時の私は、
――オレと同じくらいやな。
と評価していた。先生を勝手に採点するあたり、すでにかなり偉そうである。
三年生の先輩たち。
二年生になった私たち。
白帯の新入生。
そして、新しい顧問のニッシャン。
人数が増え、柔道場には活気が戻った。
その中で私は、春休みに繰り返した中段逆突きを試していた。相手は、もちろん森川先輩だった。森川先輩は、大柄でがっしりしている。構えも、どっしりしていた。
細かく動き回るのではなく、大きな身体をその場に置き、相手の攻撃を受け止める。私は以前から、新しい技を覚えるたびに森川先輩を実験台にしていた。
身体が大きい。
頑丈そう。
少しくらい強く入っても大丈夫そう。
今から考えれば、たいへん失礼な理由である。
しかし、森川先輩はいつも嫌な顔をせず、相手をしてくれた。向かい合って構える。森川先輩は、あまり動かない。そのぶん、懐へもぐり込みやすかった。
私は前後に小さく動いた。
森川先輩の前拳が、わずかに動く。
その瞬間、低く踏み込んだ。
前足を深く入れる。
腰を落とす。
後ろ足で畳を蹴る。
右の拳を、森川先輩の中段へ突き込んだ。
「うおっ」
森川先輩の身体が、わずかに下がった。
「今の、きれいに入ったな」
私は構えへ戻りながら、心の中で笑った。
――よし。
春休みには、相手のいないところへ何度も飛び込んだ。畳へ後ろ足を擦り、火傷を防ぐためにテーピングまで巻いた。その技が、ようやく人を相手に通用した。
最初は森川先輩の前拳に止められることもあった。踏み込む前に肩が動き、読まれる。
遠い間合いから飛び込みすぎて、拳が届かない。顔を下げたところへ、上から突きを合わされる。それでも、成功する回数は少しずつ増えていった。
森川先輩だけではない。岩田先輩のフェイントに引っかかることはあった。古賀先輩と左の刻み突きを差し合えば、力で押し返されることもあった。久米先輩の長い腕は、相変わらず遠くから飛んできた。羽鳥先輩の蹴りの間合いには、簡単には入れなかった。
だが、以前のように一方的にやられることはなくなった。
先に一本を取る。
続けて三本連突きで押し込む。
相手が前へ出れば、中段逆突きで迎える。
組手の練習では、先輩たちから取るポイントの方が、取られるポイントより多くなる日もあった。
――もう、オレの方が強いんちゃうか。
私は、そう思い始めていた。
いや、たぶん思い始めたのではない。すでに、そう思っていた。
先輩たちは、大会が近づけば稽古へ来た。しかし、大会が終われば、また来なくなる。
稽古へ来ても、私のように空手の本を読み、ビデオを何度も巻き戻し、新しい技を考えているわけではない。
もともと先輩たちは、荒木先生に集められて空手を始めた人たちだった。
空手道部が正式な部になる前。まだ同好会だったころからの仲間である。皆で集まり、身体を動かし、組手をする。
先輩たちにとって空手道部は、そういう場所だったのかもしれない。
一方、私は空手へ完全にのめり込んでいた。もっと強くなりたい。新しい技を覚えたい。大会で勝ちたい。
同じ柔道場で稽古をしていても、見ている先が少し違っていた。
当時の私は、その違いを、
――オレの方が真剣にやっとる。
としか考えなかった。
五月の大会シーズンが近づいた、ある日のことだった。私が一人で柔道場へ行くと、まだ誰も来ていなかった。
柔道場の隅には、大きな黒いサンドバッグが置かれていた。本来は上から吊るして使うものだが、柔道場には吊るす設備がない。そこで私たちは、パイプ椅子の上に載せて高さを調整し、壁へ立てかけて使っていた。
少し不安定だったが、突いたり蹴ったりすることはできた。
その日、私は一人で、少しふざけた技を試していた。
飛び後ろ蹴り。プロレスでいえば、ローリングソバットである。
初代タイガーマスクのまねをして、身体を回転させながらサンドバッグを蹴る。空手の稽古というより、一人プロレスごっこだった。
何度目かの蹴りを出した時、柔道場の入り口が開いた。ディーゴ先輩が、空手道部ではない友人と一緒に入ってきた。
「押忍!」
私は挨拶だけして、またサンドバッグへ向かった。
先輩が来たからといって、飛び後ろ蹴りをやめる気はなかった。
後ろで、ディーゴ先輩の友人が言った。
「あの子、強そうやん」
「そうやで。うちのホープやねん」ディーゴ先輩が答えた。
その言葉は、普通に考えれば後輩を褒めたものである。ディーゴ先輩は、先輩たちの中ではいじられ役だった。小柄で、少し太っている。声は妙に高い。
組手も、団体戦のレギュラーに入るほど強くはなかった。それでも、後輩を下げて自分を大きく見せるような人ではなかった。
本当にしょうもない先輩なら、
「こいつ、まだまだやで」とでも言ったはずである。
だが、ディーゴ先輩は、
「うちのホープやねん」と言った。
私は、そのことをうすうす分かっていた。分かっていながら、心の中で思った。
――えらい上から目線で言うとるな。
そして、続けた。
――ディーゴのくせに。
表向きには「押忍」と挨拶をしている。その内側では、先輩の実力を勝手に値踏みし、見下していた。
私は強くなっていた。
そして、それと同じ速さで調子にも乗っていた。
春の大会シーズン最初の試合は、北神戸地区大会だった。
前年秋の北神戸地区大会は、私にとって初めての空手の公式戦だった。
一回戦では、覚えた技を試した。
二回戦では、それを全部忘れて相手を殴り続け、反則負けになった。あれから半年が経っていた。
――今度のオレは違う。
少なくとも、その時の私はそう思っていた。
大会へ出る選手が発表された。
個人形には、ヤマリンと岩田先輩。
個人組手には、私とエンちゃん。
団体組手は、いつもの三年生五人だった。
先鋒、古賀先輩。
次鋒、岩田先輩。
中堅、久米先輩。
副将、森川先輩。
大将、羽鳥先輩。
私は、その名前を見ながら思った。
――団体戦、オレが出た方がええんちゃうか。
前年秋の私は、個人戦へ出られたことを特別な抜擢だと思っていた。後になって、潮見が丘高校では、団体戦に出ない選手へ試合経験を積ませるため、個人戦へ出していることを知った。
つまり今回も、私は団体戦に選ばれなかった側である。だが、半年前とは違う。先輩たちとの組手でも、ポイントを取れるようになっていた。
中段逆突きもある。刻み突きにも、いくつかの入り方がある。
三本連突きなら、相手を一気に押し込める。
――エンちゃんを個人戦に出すんは分かる。
――でも、オレは団体戦の方やろ。
誰かに言ったわけではない。しかし私は、本気でそう思っていた。
大会当日。
一回戦を前に、私は興奮していた。久しぶりの公式戦だった。
半年前とは違う。
得意の刻み突きにも、単純なスピード勝負だけでなく、二段階で踏み込むものや、間合いを出入りしながらぎりぎりまで相手を引きつけるものなど、いくつかの使い方ができていた。
何より、春休みに繰り返した中段逆突きのカウンターがある。同級生だけではない。三年生の先輩たちにも通用し始めていた。
負けることなど、まったく考えていなかった。考えていたのは、どう勝つかだけである。
試合前から、
――コロス、コロス。
と思っていた半年前よりは、少し進歩したのかもしれない。
もっとも、結局のところ、どうやって相手を殴るかしか考えていない。相変わらずアブナイ高校生だった。
一回戦の相手は、他校の三年生だった。学年を知っても、気後れはしなかった。
試合が始まると、得意の刻み突きで先制した。
「中段突き、一本!」
焦った相手が前へ出てくる。ここで新しい中段逆突きを試したかった。
ところが身体が反射的に動き、前拳で相手の突きを払ってから逆突きを返した。
少し予定とは違ったが、一本は一本である。
さらに三本連突きを決め、三対〇で勝った。
エンちゃんは、試合前から顔を真っ赤にしていた。もともと大きな目が、いつも以上に見開かれている。肩にも力が入りすぎていた。
――固なっとるなあ。
私はそう思った。
案の定、エンちゃんは、ほとんど何もできないまま一回戦で敗れた。部内でも特別強いわけではないエンちゃんが、各校の代表が集まる個人戦で三年生と戦えば、厳しいのは当然だった。エンちゃんが弱いというより、相手が悪かった。当時の私は、そこまで優しくは考えなかった。
――まあ、そうなるわな。
それだけだった。
私は気後れすることもなく、二回戦へ進んだ。
――今度こそ、中段逆突きのカウンターを決めたる。
やはり、勝つことしか考えていなかった。
二回戦では、試合開始と同時に露骨な待ち拳へ入った。当時の私は、自分が細かく動きながらでは、カウンターのタイミングをうまく取れなかった。
前後へ動く。
フェイントを入れる。
相手の反応を見る。
そんなことをしながらでは、相手が本当に入ってくる瞬間を見失ってしまう。
そこで、ほとんど動かずに相手を待った。
相手が刻み突きで入ってくる。
その懐へ飛び込み、右の拳を中段へ突き刺した。
「中段突き、一本!」
――よし!
春休みに何度も繰り返した技が、公式戦でも通用した。
ますます調子に乗った。
攻めてきた相手を三本連突きで押し返し、二対〇で勝ち切った。
――攻めてよし。
――待ってよし。
次の試合を前に、私は心の中で笑っていた。
――オレって天才。
――オレって最高。
作戦らしい作戦はなかった。今の自分なら何をしても勝てる。それが作戦だった。
増長は、ほとんど頂点に達していた。
三回戦の相手は、リーチが長かった。左の刻み突きの差し合いで、先に一本を取られた。
私も刻み突きには自信があった。速さだけなら負けないつもりだった。
しかし、相手の方が遠くから届いた。
こちらが拳を伸ばし切る前に、相手の拳が入ってくる。
三本連突きを出しても、相手は速いフットワークで大きく下がった。
三本連突きは、最初の一発で相手をのけぞらせ、そこへ二本目、三本目と追いかける技である。しかし、来ると分かっていれば、最初から大きく下がればよい。安全な距離を十分に取られると、二本目も三本目も届かなかった。
三回戦ともなれば、それまでの試合を見られている。私の得意技は、すでに知られていたらしい。
それでも待ち拳へ入り、相手の踏み込みに中段逆突きを合わせた。
右の拳が、相手の中段へ入る。
「中段突き、一本!」
一対一。
――相手に合わせる技なら、知られとっても関係ない。
ここからだと思った。
だが、再び左の差し合いで先を取られた。
二対一。
そこで試合は終わった。
同級生には通用した。
三年生の先輩たちからも、ポイントを取れるようになっていた。
しかし、他校の上級生には、まだ勝ち切れなかった。
悔しくはあった。だが、落ち込んではいなかった。
――まだ上には勝たれへん。
そう思った後、すぐに別の言葉が続いた。
――でも、オレはもっと強くなれる。
自信は、少しも失っていなかった。
団体組手では、三年生の先輩たちが二回戦で敗れた。前年秋と、同じような結果だった。
古賀先輩の圧力。
岩田先輩のフェイント。
久米先輩の長い腕。
森川先輩の体格。
羽鳥先輩の蹴り。
一人一人には、それぞれの強さがあった。それでも、団体戦では勝ち切れない。
私は試合を見ながら、
――やっぱり、オレを入れた方がええんちゃうか。
と思った。
自分も三回戦で負けたばかりである。そのことは、あまり関係なかった。
前年秋の北神戸地区大会で個人形準優勝のヤマリンも、今回は入賞できなかった。
ヤマリンの形には、スピードとキレがあった。身体が小さい分、一つ一つの動きが速い。方向転換にもたつくこともなく、技を出すたびに空手着の袖が鋭く鳴った。
だが、細かく見れば癖もあった。
突きが、腰からまっすぐ伸びるのではなく、少し下からスイングするように出る。
中段受けでは、力を込めようとするあまり、背中が丸くなった。
速い。キレもある。
それなのに、形として見ると、少し姿勢が崩れる。
――惜しいねんなあ。
私はヤマリンの演武を見ながら、そんなことを考えていた。
もちろん、前年に準優勝したのはヤマリンであり、形で一度も入賞したことがないのは私である。それでも当時の私は、自分にはヤマリンの欠点が見えていると思っていた。
自分の組手だけではない。仲間の技術まで分かるようになった。そんな気になっていたのである。
岩田先輩も、個人形では結果を残せなかった。高校から空手を始めた岩田先輩にとって、幼いころから道場で形を繰り返してきた経験者との差は大きかった。
結局、この大会で潮見が丘高校の誰も入賞できなかった。
三年生の団体は、二回戦敗退。
エンちゃんは、個人組手一回戦敗退。
私は三回戦敗退。
ヤマリンも、前年の準優勝に続く結果を残せなかった。
私たちは先輩になった。
私は三年生にも通用すると思っていた。自分を団体戦へ出した方がよいとまで思っていた。だが、外へ出れば、まだ上には上がいた。それでも、私は悲観していなかった。
一年前の北神戸地区大会では、覚えた技を忘れて相手を殴り続け、反則負けになった。
今回は、刻み突きで勝った。
三本連突きで勝った。
中段逆突きのカウンターも決めた。負けはした。だが、半年前とは違う。
――もっと強くなれる。
私は、本気でそう思っていた。
北神戸地区大会は終わった。
だが、春の大会シーズンは始まったばかりだった。
次は、兵庫県大会である。
岡田。
桃井。
岩崎。
全員、まだ白帯だった。
その前に立っているのは、ヤマリンである。
「前屈立ちは、もっと前の脚に体重かけるんや」
ヤマリンが腰を落とし、見本を見せた。小柄な身体が、低い前屈立ちへ収まる。
「後ろの脚、曲げたらあかんで。膝、伸ばすんや」
岡田は、
「押忍!」
と答え、すぐに姿勢を直した。
空手経験者だけに、少し言えば分かる。立ち方も、拳の引き方も、新入生の中では一番形になっていた。桃井と岩崎は、岡田の動きを横目で見ながら、同じ姿勢を取ろうとしていた。
ヤマリンが中段突きを出す。
空手着の袖が、鋭く鳴った。
岡田も突く。
桃井も突く。
岩崎も突く。
三人の袖からは、まだヤマリンのような音は出なかった。
私は少し離れた場所から、その光景を見ていた。一年前、柔道場の鏡の前に並んでいたのは、私たちだった。森川先輩から、拳の握り方や立ち方を教わった。経験者のヤマリンを囲み、その動きをまねた。
ヤマリンが突けば、私たちも突いた。ヤマリンの袖が鳴れば、自分の袖も鳴らそうと力を入れた。今、そのヤマリンが後輩の前に立っている。
私たちは茶帯を締めていた。後ろには白帯の一年生が並んでいた。たった一年しか経っていない。それでも、同じ柔道場の風景は、少し違って見えた。
――オレらも、先輩になったんやなあ。
珍しく、少し感慨深い気持ちになった。
もっとも、ヤマリンは後輩へ基本を教え終えると、また『北の国から』の話を始めた。中身まで急に立派な先輩になったわけではない。
五月が近づくと、三年生の先輩たちも、稽古へ来る日が増えた。
春の大会シーズンが始まるからである。
古賀先輩。
岩田先輩。
久米先輩。
森川先輩。
羽鳥先輩。
団体戦のレギュラーがそろうと、柔道場は急に狭くなった。
新しく顧問になった西尾先生も、よく稽古へ参加した。私たちは陰で、ニッシャンと呼んでいた。大阪体育大学を卒業したばかりの若い体育教師である。身体もよく動き、組手をしてもそれなりに強かった。
少なくとも当時の私は、
――オレと同じくらいやな。
と評価していた。先生を勝手に採点するあたり、すでにかなり偉そうである。
三年生の先輩たち。
二年生になった私たち。
白帯の新入生。
そして、新しい顧問のニッシャン。
人数が増え、柔道場には活気が戻った。
その中で私は、春休みに繰り返した中段逆突きを試していた。相手は、もちろん森川先輩だった。森川先輩は、大柄でがっしりしている。構えも、どっしりしていた。
細かく動き回るのではなく、大きな身体をその場に置き、相手の攻撃を受け止める。私は以前から、新しい技を覚えるたびに森川先輩を実験台にしていた。
身体が大きい。
頑丈そう。
少しくらい強く入っても大丈夫そう。
今から考えれば、たいへん失礼な理由である。
しかし、森川先輩はいつも嫌な顔をせず、相手をしてくれた。向かい合って構える。森川先輩は、あまり動かない。そのぶん、懐へもぐり込みやすかった。
私は前後に小さく動いた。
森川先輩の前拳が、わずかに動く。
その瞬間、低く踏み込んだ。
前足を深く入れる。
腰を落とす。
後ろ足で畳を蹴る。
右の拳を、森川先輩の中段へ突き込んだ。
「うおっ」
森川先輩の身体が、わずかに下がった。
「今の、きれいに入ったな」
私は構えへ戻りながら、心の中で笑った。
――よし。
春休みには、相手のいないところへ何度も飛び込んだ。畳へ後ろ足を擦り、火傷を防ぐためにテーピングまで巻いた。その技が、ようやく人を相手に通用した。
最初は森川先輩の前拳に止められることもあった。踏み込む前に肩が動き、読まれる。
遠い間合いから飛び込みすぎて、拳が届かない。顔を下げたところへ、上から突きを合わされる。それでも、成功する回数は少しずつ増えていった。
森川先輩だけではない。岩田先輩のフェイントに引っかかることはあった。古賀先輩と左の刻み突きを差し合えば、力で押し返されることもあった。久米先輩の長い腕は、相変わらず遠くから飛んできた。羽鳥先輩の蹴りの間合いには、簡単には入れなかった。
だが、以前のように一方的にやられることはなくなった。
先に一本を取る。
続けて三本連突きで押し込む。
相手が前へ出れば、中段逆突きで迎える。
組手の練習では、先輩たちから取るポイントの方が、取られるポイントより多くなる日もあった。
――もう、オレの方が強いんちゃうか。
私は、そう思い始めていた。
いや、たぶん思い始めたのではない。すでに、そう思っていた。
先輩たちは、大会が近づけば稽古へ来た。しかし、大会が終われば、また来なくなる。
稽古へ来ても、私のように空手の本を読み、ビデオを何度も巻き戻し、新しい技を考えているわけではない。
もともと先輩たちは、荒木先生に集められて空手を始めた人たちだった。
空手道部が正式な部になる前。まだ同好会だったころからの仲間である。皆で集まり、身体を動かし、組手をする。
先輩たちにとって空手道部は、そういう場所だったのかもしれない。
一方、私は空手へ完全にのめり込んでいた。もっと強くなりたい。新しい技を覚えたい。大会で勝ちたい。
同じ柔道場で稽古をしていても、見ている先が少し違っていた。
当時の私は、その違いを、
――オレの方が真剣にやっとる。
としか考えなかった。
五月の大会シーズンが近づいた、ある日のことだった。私が一人で柔道場へ行くと、まだ誰も来ていなかった。
柔道場の隅には、大きな黒いサンドバッグが置かれていた。本来は上から吊るして使うものだが、柔道場には吊るす設備がない。そこで私たちは、パイプ椅子の上に載せて高さを調整し、壁へ立てかけて使っていた。
少し不安定だったが、突いたり蹴ったりすることはできた。
その日、私は一人で、少しふざけた技を試していた。
飛び後ろ蹴り。プロレスでいえば、ローリングソバットである。
初代タイガーマスクのまねをして、身体を回転させながらサンドバッグを蹴る。空手の稽古というより、一人プロレスごっこだった。
何度目かの蹴りを出した時、柔道場の入り口が開いた。ディーゴ先輩が、空手道部ではない友人と一緒に入ってきた。
「押忍!」
私は挨拶だけして、またサンドバッグへ向かった。
先輩が来たからといって、飛び後ろ蹴りをやめる気はなかった。
後ろで、ディーゴ先輩の友人が言った。
「あの子、強そうやん」
「そうやで。うちのホープやねん」ディーゴ先輩が答えた。
その言葉は、普通に考えれば後輩を褒めたものである。ディーゴ先輩は、先輩たちの中ではいじられ役だった。小柄で、少し太っている。声は妙に高い。
組手も、団体戦のレギュラーに入るほど強くはなかった。それでも、後輩を下げて自分を大きく見せるような人ではなかった。
本当にしょうもない先輩なら、
「こいつ、まだまだやで」とでも言ったはずである。
だが、ディーゴ先輩は、
「うちのホープやねん」と言った。
私は、そのことをうすうす分かっていた。分かっていながら、心の中で思った。
――えらい上から目線で言うとるな。
そして、続けた。
――ディーゴのくせに。
表向きには「押忍」と挨拶をしている。その内側では、先輩の実力を勝手に値踏みし、見下していた。
私は強くなっていた。
そして、それと同じ速さで調子にも乗っていた。
春の大会シーズン最初の試合は、北神戸地区大会だった。
前年秋の北神戸地区大会は、私にとって初めての空手の公式戦だった。
一回戦では、覚えた技を試した。
二回戦では、それを全部忘れて相手を殴り続け、反則負けになった。あれから半年が経っていた。
――今度のオレは違う。
少なくとも、その時の私はそう思っていた。
大会へ出る選手が発表された。
個人形には、ヤマリンと岩田先輩。
個人組手には、私とエンちゃん。
団体組手は、いつもの三年生五人だった。
先鋒、古賀先輩。
次鋒、岩田先輩。
中堅、久米先輩。
副将、森川先輩。
大将、羽鳥先輩。
私は、その名前を見ながら思った。
――団体戦、オレが出た方がええんちゃうか。
前年秋の私は、個人戦へ出られたことを特別な抜擢だと思っていた。後になって、潮見が丘高校では、団体戦に出ない選手へ試合経験を積ませるため、個人戦へ出していることを知った。
つまり今回も、私は団体戦に選ばれなかった側である。だが、半年前とは違う。先輩たちとの組手でも、ポイントを取れるようになっていた。
中段逆突きもある。刻み突きにも、いくつかの入り方がある。
三本連突きなら、相手を一気に押し込める。
――エンちゃんを個人戦に出すんは分かる。
――でも、オレは団体戦の方やろ。
誰かに言ったわけではない。しかし私は、本気でそう思っていた。
大会当日。
一回戦を前に、私は興奮していた。久しぶりの公式戦だった。
半年前とは違う。
得意の刻み突きにも、単純なスピード勝負だけでなく、二段階で踏み込むものや、間合いを出入りしながらぎりぎりまで相手を引きつけるものなど、いくつかの使い方ができていた。
何より、春休みに繰り返した中段逆突きのカウンターがある。同級生だけではない。三年生の先輩たちにも通用し始めていた。
負けることなど、まったく考えていなかった。考えていたのは、どう勝つかだけである。
試合前から、
――コロス、コロス。
と思っていた半年前よりは、少し進歩したのかもしれない。
もっとも、結局のところ、どうやって相手を殴るかしか考えていない。相変わらずアブナイ高校生だった。
一回戦の相手は、他校の三年生だった。学年を知っても、気後れはしなかった。
試合が始まると、得意の刻み突きで先制した。
「中段突き、一本!」
焦った相手が前へ出てくる。ここで新しい中段逆突きを試したかった。
ところが身体が反射的に動き、前拳で相手の突きを払ってから逆突きを返した。
少し予定とは違ったが、一本は一本である。
さらに三本連突きを決め、三対〇で勝った。
エンちゃんは、試合前から顔を真っ赤にしていた。もともと大きな目が、いつも以上に見開かれている。肩にも力が入りすぎていた。
――固なっとるなあ。
私はそう思った。
案の定、エンちゃんは、ほとんど何もできないまま一回戦で敗れた。部内でも特別強いわけではないエンちゃんが、各校の代表が集まる個人戦で三年生と戦えば、厳しいのは当然だった。エンちゃんが弱いというより、相手が悪かった。当時の私は、そこまで優しくは考えなかった。
――まあ、そうなるわな。
それだけだった。
私は気後れすることもなく、二回戦へ進んだ。
――今度こそ、中段逆突きのカウンターを決めたる。
やはり、勝つことしか考えていなかった。
二回戦では、試合開始と同時に露骨な待ち拳へ入った。当時の私は、自分が細かく動きながらでは、カウンターのタイミングをうまく取れなかった。
前後へ動く。
フェイントを入れる。
相手の反応を見る。
そんなことをしながらでは、相手が本当に入ってくる瞬間を見失ってしまう。
そこで、ほとんど動かずに相手を待った。
相手が刻み突きで入ってくる。
その懐へ飛び込み、右の拳を中段へ突き刺した。
「中段突き、一本!」
――よし!
春休みに何度も繰り返した技が、公式戦でも通用した。
ますます調子に乗った。
攻めてきた相手を三本連突きで押し返し、二対〇で勝ち切った。
――攻めてよし。
――待ってよし。
次の試合を前に、私は心の中で笑っていた。
――オレって天才。
――オレって最高。
作戦らしい作戦はなかった。今の自分なら何をしても勝てる。それが作戦だった。
増長は、ほとんど頂点に達していた。
三回戦の相手は、リーチが長かった。左の刻み突きの差し合いで、先に一本を取られた。
私も刻み突きには自信があった。速さだけなら負けないつもりだった。
しかし、相手の方が遠くから届いた。
こちらが拳を伸ばし切る前に、相手の拳が入ってくる。
三本連突きを出しても、相手は速いフットワークで大きく下がった。
三本連突きは、最初の一発で相手をのけぞらせ、そこへ二本目、三本目と追いかける技である。しかし、来ると分かっていれば、最初から大きく下がればよい。安全な距離を十分に取られると、二本目も三本目も届かなかった。
三回戦ともなれば、それまでの試合を見られている。私の得意技は、すでに知られていたらしい。
それでも待ち拳へ入り、相手の踏み込みに中段逆突きを合わせた。
右の拳が、相手の中段へ入る。
「中段突き、一本!」
一対一。
――相手に合わせる技なら、知られとっても関係ない。
ここからだと思った。
だが、再び左の差し合いで先を取られた。
二対一。
そこで試合は終わった。
同級生には通用した。
三年生の先輩たちからも、ポイントを取れるようになっていた。
しかし、他校の上級生には、まだ勝ち切れなかった。
悔しくはあった。だが、落ち込んではいなかった。
――まだ上には勝たれへん。
そう思った後、すぐに別の言葉が続いた。
――でも、オレはもっと強くなれる。
自信は、少しも失っていなかった。
団体組手では、三年生の先輩たちが二回戦で敗れた。前年秋と、同じような結果だった。
古賀先輩の圧力。
岩田先輩のフェイント。
久米先輩の長い腕。
森川先輩の体格。
羽鳥先輩の蹴り。
一人一人には、それぞれの強さがあった。それでも、団体戦では勝ち切れない。
私は試合を見ながら、
――やっぱり、オレを入れた方がええんちゃうか。
と思った。
自分も三回戦で負けたばかりである。そのことは、あまり関係なかった。
前年秋の北神戸地区大会で個人形準優勝のヤマリンも、今回は入賞できなかった。
ヤマリンの形には、スピードとキレがあった。身体が小さい分、一つ一つの動きが速い。方向転換にもたつくこともなく、技を出すたびに空手着の袖が鋭く鳴った。
だが、細かく見れば癖もあった。
突きが、腰からまっすぐ伸びるのではなく、少し下からスイングするように出る。
中段受けでは、力を込めようとするあまり、背中が丸くなった。
速い。キレもある。
それなのに、形として見ると、少し姿勢が崩れる。
――惜しいねんなあ。
私はヤマリンの演武を見ながら、そんなことを考えていた。
もちろん、前年に準優勝したのはヤマリンであり、形で一度も入賞したことがないのは私である。それでも当時の私は、自分にはヤマリンの欠点が見えていると思っていた。
自分の組手だけではない。仲間の技術まで分かるようになった。そんな気になっていたのである。
岩田先輩も、個人形では結果を残せなかった。高校から空手を始めた岩田先輩にとって、幼いころから道場で形を繰り返してきた経験者との差は大きかった。
結局、この大会で潮見が丘高校の誰も入賞できなかった。
三年生の団体は、二回戦敗退。
エンちゃんは、個人組手一回戦敗退。
私は三回戦敗退。
ヤマリンも、前年の準優勝に続く結果を残せなかった。
私たちは先輩になった。
私は三年生にも通用すると思っていた。自分を団体戦へ出した方がよいとまで思っていた。だが、外へ出れば、まだ上には上がいた。それでも、私は悲観していなかった。
一年前の北神戸地区大会では、覚えた技を忘れて相手を殴り続け、反則負けになった。
今回は、刻み突きで勝った。
三本連突きで勝った。
中段逆突きのカウンターも決めた。負けはした。だが、半年前とは違う。
――もっと強くなれる。
私は、本気でそう思っていた。
北神戸地区大会は終わった。
だが、春の大会シーズンは始まったばかりだった。
次は、兵庫県大会である。
