青い勲章

 一九八六年四月。
 潮見が丘高校の柔道場の入口で、私は立ち尽くしていた。

 新しい畳の上で、白い空手着の先輩たちが動いている。一人の背の高い先輩が、前の拳を低く構え、長い脚で蹴りを放った。
 鋭く、速く、格好よかった。

 その瞬間、エンジ色のブレザーのことも、行きたかった高校のことも、少しだけ頭から消えた。


 私は明石北陵高校へ行きたかった。理由は、好きな女の子がいたからである。小学生のころから、ずっと好きだった。
 中学三年では同じクラスになった。休み時間には、彼女を含む女子数人が私の机の周りに集まり、くだらない話をした。普通に話すことはできた。冗談も言えた。笑わせることもできた。それなのに、好きだとは言えなかった。同じ高校へ行きたいとも言えなかった。彼女は市内の別の高校へ進んだ。
 私は総合選抜という制度によって、希望していなかった県立潮見が丘高校へ振り分けられた。
 好きではあったが、何も言えなかった。そういうタイプの高校生だった。だから私の高校時代に恋愛話は無い。
 本当に何もなかった。そんな高校時代だった。

 潮見が丘高校は創立三年目の新設校だった。まだ卒業生が一人もいない。校舎も体育館も新しく、何もかもが出来上がる途中だった。
 そして制服は、エンジ色のブレザーだった。
 これが、とにかく評判が悪かった。地味ではない。かといって華やかでもない。目立つくせに格好よくないという、制服としてかなり扱いに困る色だった。

 当時のダイエーの店員さんの制服に、よく似ていた。実際、買い物に行くと何度も店員に間違えられた。

「すみません、これどこにありますか?」突然、知らないおばさんから尋ねられる。
「いや、僕、店員ちゃいます」
 そう答えると、おばさんは私のブレザーを見て、少し不満そうな顔をした。こちらが悪いような空気になるのはなぜだ。
 ダイエーなら、まだ分かる。似ていたのだから仕方がない。しかし、ある友人は靴のヒラキでも店員に間違えられた。

「ダイエーやったらともかく、なんで靴のヒラキで間違われなあかんねん!」
 帰り道、そいつは本気でぼやいていた。

 エンジ色の服を着た高校生は、どこへ行っても店員らしい。近隣では次第に潮見が丘高校の制服として知られるようになったが、明石を離れると事情が違った。
 後に県外へ受験に行った時など、
「あれ何? 見て、見て!」と指をさされた。
 私は聞こえていないふりをして歩いた。目立ちたい年ごろだったはずなのに、制服で目立つのは嫌だった。人間は勝手なものである。

 潮見が丘高校が不人気だった理由の一つは、この制服だったと思う。新設校なので進学実績もない。伝統もない。有名な部活動もない。そこへエンジ色のブレザーである。
 積極的に希望する生徒は少なく、私のように別の高校を志望していた者が、総合選抜で次々と送り込まれてきた。
 今から思えば、ずいぶん失礼な話である。

 まだ何者でもない学校を、何者でもない中学生たちが嫌がっていた。ただ、校内には妙な活気があった。教師は若い先生が多かった。自分たちがこの学校を作るのだという気持ちがあったのだろう。先生たちはよく動き、よく怒り、よく生徒へ声をかけた。
 生徒の側にも、まだ決まった校風へ従うのではなく、自分たちで何かを始められる空気があった。

 文化祭ではバンドが盛んだった。運動部も、創部されたばかりのところが多かった。何もない学校だったからこそ、何を始めても最初の世代になれた。
 もっとも、入学したばかりの私に、そんなことが分かるはずはない。
 私はただ、
――明石北陵へ行きたかったなあ。
 と思いながら、エンジ色のブレザーを着て通学していた。

 第一志望の高校ではなかった。好きだった女の子もいなかった。制服も気に入らなかった。それでも、一つだけ安心したことがあった。
 潮見が丘高校には、柔道部がなかった。
 中学時代、私は柔道部に所属していた。柔道が嫌いだったわけではない。幼いころから足腰は強かった。体力にも自信があった。相手に投げられても簡単にはへばらなかったし、長い練習にも耐えられた。
 ところが、組み合うと不思議なほど闘志が湧かなかった。

 顧問の先生が怖すぎたことも大きかった。
 怒鳴られないようにする。殴られないようにする。失敗しないようにする。私は相手に勝つことより、先生に怒られず試合を終えることを考えるようになった。

 もっとも、それを全部顧問のせいにはできない。私は、もともと柔道では弱かった。足腰も体力もある。なのに、相手と組むと闘志が出ない。今から思えば、競技との相性が悪かったのだろう。
 明石北陵高校へ進んでいたら、私は中学からの流れで柔道部へ入っていたかもしれない。

 好きな女の子と同じ学校へ行けた代わりに、体力だけを持て余しながら、もう三年間、勝てない柔道を続けていた可能性がある。
 望んだ高校へ行けなかったことで、望んでいなかった人生へ行かずに済んだ。

 柔道部がないのなら、何か別の運動部を探さなければならなかった。高校へ入ってまで何の部活動にも入らず、毎日まっすぐ帰宅するという発想はなかった。

 私は校内を歩き、部員募集の貼り紙を眺めた。
 野球部。
 テニス部。
 陸上部。
 剣道部。
 そして、空手道部。
 空手道部は、今年に同好会から正式な部になったばかりだった。創立三年目の高校にできた、一年目の部活動。学校にも部にも、まだ長い歴史はない。

 格好いい先輩がいるとも知らなかった。
 恐ろしい先生がいるとも知らなかった。
 八千円のビデオを擦り切れるほど見ることも。
 左足の親指を骨折することも。
 小さな大会で優勝することも。
 仲間へ何も言えないまま、道場から消えることも。

 まだ、何一つ知らなかった。
 私はエンジ色のブレザーのまま、体育館棟の一階へ向かった。

 空手道部の練習場になっている柔道場の入口から、中をのぞいた。新しい畳の上で、白い空手着を着た先輩たちが動いていた。

 一人の背の高い先輩が、鋭く、速い蹴りを放った。右からも左からも、自在に蹴りが飛ぶ。その立ち姿まで格好よかった。

 私はまだ知らなかった。
 ここが、私の高校時代のかけがえのない思い出になる。