後宮の密偵 ~亡国の姫は宮中で偽装結婚する~

 切り抜け方をいくつも考えていた桂華だったが、簡単な取り調べで済んだので拍子抜けした。
 途中で食事から毒が出てこなかったと判明したのだ。
 桂華も見ていたのだ。女官たちに怪しい動きはなかった。存外早く判明して安心した。
 とはいえ、皇子が臥せっているのには変わりはない。
 そちらはどうなったのだろうか。みなが寝静まったころに調べにいこうかと思っていた桂華だったが、いつもの時間に天藍が帰ってこない。
 どうするべきかと房を出たところで、女官長と鉢合わせた。
「桂華、よかった。ちょうど呼びに行こうとしていたところでした」
 女官長の慌てた様子に、桂華の胸に不安が過ぎる。
「天藍が捕縛されたそうなの。皇子暗殺の罪で」
 思いもよらない事態だった。

   *

 すぐに牢へと向かったが、天藍に会わせてもらうことはできなかった。
 それどころか、桂華も取り調べがされるかもしれないと聞かされては、引き下がるしかなかった。
 表面上は、である。
 夜半、誰もが寝静まったころ、桂華は房を抜け出した。
 牢の前には、衛兵が立っている。桂華は裏手に回り、地面を蹴って高窓に手を掛けた。
 中の様子を窺うと、衛兵の姿はない。桂華は音を立てずに中に降り立った。
 蝋燭で照らされた通路を進み、人の気配がする牢を探し当てた。
「……誰だ?」
 天藍の声に、傍にあった蝋燭を手に取り牢の前に立つ。
 桂華が来るとは思いもしていなかったようだ。
「どうしてここに?」
「あんたがヘマやらかしたからに決まってるでしょう? なにがあったの?」
 暗がりでよく見えないが、顔に傷がある。取り調べで殴られたのだろうか。怪我は恐らく顔だけではないのだろう。
 わずかに顔をしかめた桂華に、天藍はふっと笑う。
「これくらいは、怪我にうちには入らんさ」
「心配なんてしてないし!」
 偽装結婚ではあるが、共に寝起きしているのだ。多少なりとも情は湧く。
 桂華は大げさに溜息をつく。
「その様子だと、あなたはなにもやってないのね?」
「皇子の護衛の末席にいただけだ。その際にお倒れになったから、引っ立てられた。否定したら殴られたが、このままじゃ犯人に仕立て上げられそうだな」
「なに軽く言っちゃってるのよ……」
 まるで他人事かのように言われ、桂華は頭を抱えてしまう。
 そんな桂華に、天藍はけろりと言った。
「打開策がないわけじゃないさ。君がここに一人で来たということは、やり様がある」
「どういうこと?」
 問いかける桂華に、天藍は不敵に笑う。
「君、ただの村娘じゃないだろう」
 問われて表情を変えなかったのは、修行の賜物だ。だがこの男相手には、選択を間違えたらしい。
「ほら、ただの村娘だったら、ここできょとんとするんだよ。一人で現れたのも、俺がおかしいと思うと思わなかったのか?」
 言われて桂華は奥歯を噛む。
 引っ立てられ、無実の罪で投獄された男が、ここまで頭が回るとは思わなかった。拷問を受けて投獄された普通の男は、無罪を主張することしか考えられなくなるはずだ。
 この男こそ、何者なのだ。
 毒にも薬にもならないような笑顔を浮かべられて、桂華は口ごもるしかない。
「お互い訳ありだろう。俺も追及しないから、君もしないでくれ」
 それが最善かもしれない。桂華の正体に薄々気づかれているような気がしなくもないが、今ははっきりさせない方が得策だろう。先に解決すべき問題は他にある。
「……それがお互いのためだと思うけど、どうするつもり? あなたの罪を晴らさないとあなたは殺されるし、私も困る」
「おや、結構俺を気に入ってくれてたのか?」
「職を失うという意味よ!」
 いちいち調子が狂う。
 天藍が身を正した。真摯な目に射抜かれて、桂華はぐっと押し黙る。この目になぜか弱い。
 暗闇にありながら、その黒に溶けずに強く在る。
 この目に見つめられると、どうにも落ち着かないのだ。桂華は負ける気がして不本意ながらも、目を逸らした。
「皇子は食事の前から、僅かだが顔色が悪かった。そして食べる前になにやら薬のようなものを飲んでいたな」
「それが毒だったってこと?」
「いや、それを渡したのは皇后様だ。衆目もある。そんな堂々と毒を渡すようなマネはしないだろう」
 では中身をすり替えられていたということだろうか。
 考え込む桂華に、天藍はずいと近づく。鉄格子があるとわかっていながらも一歩引いてしまい、これ以上はいけないと踏みとどまる。
 天藍が気づいたのかいないのか、そのまま続けるので、桂華も触れないことにした。
「医局に行け。こうなる前に俺が行きたかったんだが、間に合わなかった。日長(にっちょう)という医官が力になってくれるはずだ」
 医局長ではないか。
 城に上がって数日。医局長まで味方につけるこの男の正体が、ますます気になる。
 だが天藍は質問を拒むかのようにニッと笑い、桂華の肩を押す。
「そろそろ見張りの交代の時間だ。見つからないうちに行け」
 桂華は頷き、牢をあとにした。

   *

 翌朝、天藍が捕縛された噂はすでに広まっていた。
 娯楽の少ない宮中だ。こういった話題はいい暇潰しになるのだろう。情報を持っていれば、自分の身に降りかかる火の粉を避ける手立てにもなる。
 だからこそ、桂華の身を案じつつも、巻き込まれたくないといった空気を肌で感じた。
 桂華が包丁でわざと指を切っても、他の女官たちは慌てた様子で医局に促したくらいだ。
 計算通りだが、現金なものだなと思いながら、桂華は医局へ向かった。

 医局は菜園を携えた静かな場所にあった。様々な薬草が互いに干渉し合わないように植えてあり、ここの管理人は知識が豊富のようだ。
 戸を潜るも、人の気配はない。
「すみません」
 桂華が声を上げると、奥に続く戸から一人の老人が現れた。
 この老人が日長だ。長い白髪を後ろの低い位置で一つにゆるく結び、清潔な白い医官服を着た、見るからに熟練の医官といった風情だ。
「あぁ、すまないね。薬草を取っていたもので」
 どうやら奥にも菜園があるらしい。
 日長は桂華の手を一瞥すると、戸棚から小瓶と包帯を取り出した。
 桂華は椅子に座り、おとなしく治療を受ける。
「天藍が捕まったことは、ご存知でしょうか?」
 切り出した桂華に日長は軽く視線を上げると、また手元に目を落とした。
 天藍とこの医官の関係性がわからないから、下手なことは言えない。
「協力者とは貴女のことだったか。お嬢さん、名は?」
「桂華です」
 日長は包帯を結ぶと、使った道具を片付けていく。
『協力者』ということは、桂華は天藍の事情に役立つと思われているということか。
 あの男、肝心なことは話さず、うまくいくと思っているのだろうかと、桂華は胡乱な目をしてしまう。
「天藍様は扱いにくいだろう? あの方は昔から敏くてやんちゃだった」
「まぁ、慣れました」
 様付けに、あの方。医官長ともあろう立場の者が、そんな風に呼ぶ人は限られてくるだろう。
 天藍の正体に薄々気づき始めて、関わりたくなくなってきた。関わったら絶対に面倒なことになる。
 桂華は話題を変えることにした。ここに来た本題でもある。
「皇子はどこか悪いんですか?」
「それを儂の口から言うことはできんが……。まぁ、皇后様から薬をもらっているのは、見ればわかることだな」
 たしかに皇族の病歴など、無暗に晒すことではないだろう。
 それに日長は医官長ではあるが、皇后の侍医ではない。亡くなった前の皇后の時代からの侍医で、今の皇后に変わったときに医局――側妃以下城の者を診る医局の長となった。
 皇后が人目に付く場で薬をあげているのは、良き母と見せるためなのかもしれない。
「皇后様は、皇子を大層大事にしていらっしゃる。滅多な気は起こさんだろうよ」
 実は息子の命を脅かしているとも考えたが、どうやらその線は違うらしい。そうする理由もないだろう。
 誰がいつ、皇子に薬を盛ったのか。
「とはいえ、儂は侍医ではない。下手なことは言えんな」
 それもそうだ。日長は城で働く者や下級妃たちの病状を診る医官なのだ。
 天藍はなぜ、日長に頼れと言ったのだろうか。
「あの、天藍はよくここに来るんですか?」
 意外な質問だっただろうか。日長の目が一瞬、驚いたかのように見えた。
 だがそれもすぐに鳴りを潜め、好々爺の顔になる。
「仕事を頑張っているようで、時折怪我の治療に来るんでな。桂華殿も旦那が捕まって穏やかじゃいられんだろうが、いつでもここに来なさい。落ち着く茶くらいは出してやれるから」
 そう言って桂華の前に湯呑を置いてくれる。
 故国の香りのするお茶だった。

   *

 厨に戻ると、一仕事終えた女官たちが一息ついているところだった。仕事を抜けていたことを謝罪すると、気にするなと言ってくれる。
 今日の仕事をまだなにもしていない桂華に、飲み物を差し出してくれるくらいだ。
「あんたも旦那のことで気が滅入ってるだろう? これでも飲みな」
 黒々としたそれに、嫌な記憶がよみがえってくる。
 忍びの里でもよく飲まれている珈々茶(かかちゃ)だった。癖が強いが、疲労回復によく効く。その癖を好む者は多いが、桂華の身体には合わないらしく、一杯飲めば戻してしまうのだ。
 里で押しつけられたとき、すぐに胃のむかつきが襲ってきた。隠れて密かに吐いたつもりだったが、目敏い里の子らに見られていたようだ。それ以来、むりやり飲まされては、気分の悪い思いをしてきた。
 天藍のことでなにも喉を通らないという風を装って、一口飲んでやめた。
「心配だよねぇ。最後くらい、なにかうまいものを食べさせてあげられたらいいのに」
「あんたっ、馬鹿……!」
 女官たちは、もう天藍が処刑されるという前提で話している。
 このままいけばそうなるだろうと、桂華も思う。透輝を暗殺して逃げてしまうという手もあるが、足のつきそうな手はあまり使いたくない。里長になにを言われるかわからないのだ。
「珈々茶の差し入れくらいなら、許されるんじゃないかい?」
 一人の女官が言った。
「近ごろは、皇后様も飲んでらっしゃるんだろう?」
「いやいや、皇后様が飲むのが、私らと同じものなわけがないじゃないか」
「護摩人参を使ってるって聞いたよ」
 高級食材の名が出てきて、それはそうだよなと桂華も思う。高貴な方々が、下々の者と同じ物を口にするわけがないのだ。
 そう考えたところで、なにかが引っかかった。
「そんなに効くものなら、一度でいいから飲んでみたいものだねぇ」
 女官たちの関心は、健康事に移り変わっていた。

   *

 夕闇が迫るころ、桂華は再び医局の敷地を訪れていた。
 木の上から、出入りする人の様子を窺う。この時刻ともなると人の往来は少ないが、目当ての人物はやがて現れた。
 桂華は音もなく地に降り、戸口の傍に立つ。日長と彼の話し声に耳を澄ませた。
 それから彼が小袋を手にし出てきた。身を隠しながら後を追う桂華だが、予想通りの場所に入っていったのを確認できたので、房へ戻ることにした。
 夜半、また密かに牢に入ると、天藍は待ちわびていたようだった。
「その様子だと、進展はあったようだな?」
「表向きにはなにも起こってないわ。一つ確かめたいことがあるの。あなた、日長が誰派なのか知ってるの?」
 侍医がいる以上、皇后派は日長のいる医局には赴かない。
 そのはずだ。
「日長を頼れと言ったから、側妃派なのかと思った。でも女官たちに珈々茶をあげてるのって、日長よね? あれは飲みすぎると逆に体と毒となる。量を調整しているだろうけど、ならばなぜ、透輝様が珈々の葉を玉髄様に持っていくのかしら」
 医局に訪れたのは、側妃の子・透輝だった。
 日長から珈々の葉を粉にしたものをもらい、玉髄の部屋に入っていったのだ。
「まさか、透輝様が暗殺犯だと思っているのか?」
「そうじゃないわ。透輝様が玉髄様の部屋に入っていったのは、衛兵も見てるもの。そこで事を起こしたら、透輝様といえどただじゃ済まない」
 だからこそ、日長の立ち位置が気になったのだ。
「あなたたちは、いったいなに?」
 桂華の問いに、天藍は笑みを崩さない。
 すっと立ち上がると、桂華の元に歩み寄ってきた。
「君を信じる要素は、俺には今のところない。でも、君を引き入れたら面白そうだと思う自分がいる。共犯者になる覚悟はあるか?」
 桂華は密偵だ。ここでただ頷いても、後から裏切る選択肢もある。
 だが天藍のことを知りたいと思う自分がいる。裏切る未来を選びたくない。
「乗ってやろうじゃない」
 主導権を取られまいと、強気な態度を取る。
 その返事で満足だったらしい。天藍は笑みを深めた。
「俺は前皇后の子、廃嫡となった皇子だ」