後宮の密偵 ~亡国の姫は宮中で偽装結婚する~

 陽国(ようこく)の都の暗夜であった。
 城の片隅に位置する官舎は、昼間の仕事を終え眠りにつく者ばかりのはずだが——。
「あんたと一緒に寝られるわけないでしょ!?」
 一つの房で、向かい合う男女が一組。
 吠えたのは、長い紫紺の髪が美しい少女。名を桂華(けいか)という。
「叫ぶな。隣に聞こえる」
 溜息と共に頭を抱えるのは、生真面目そうな青年。名を天藍(てんらん)
 たしかに、こんな時間に騒ぐものではない。ただでさえこの官舎の壁は薄いのだ。
 それでも桂華は言わずにはいられない。
「だって……私たち、今日会ったばかりじゃない……!」
 官舎は二人一部屋。
 当たり前だ。夫婦で使うものなのだから。
 たとえそれが、今日会ったばかりで結婚した者同士であってもだ。

   *

 陽国のとある山中に、その里は古くから在った。
 戦乱の世である。都の皇家に仕え、裏の仕事をする者たち。忍びと言われる者が隠れ住まう里である。
 忍びの里のほぼ全てが血の繋がりがある者ばかりの中で、桂華は拾われ子だった。
 元は隣国・炬国(きょこく)の城主の子、(かつら)。つまりは姫君であったが、三つのころに謀反が起きた。
 桂だけはどうにか城を抜け出し、命からがら山中に逃げ切ることができた。その場所こそが忍びの里だったのだ。
 どういう意図があったか定かではないが、里長は彼女を広い、忍びとして育てることにした。そのときに名も桂華に改めた。
 その里に住まうは、体術に優れた血筋の一族だ。余所者の桂華を、同世代の子らは疎んだ。
 飯のときなどは、
「あ、ごっめーん」
 などと白々しく言いながら盆を持った桂華にぶつかってくる。汁物をこぼした桂華が年長者に怒られ、ぶつかった子らは影でくすくす笑っていた。
 握り飯だけは無事だったから、川原でもそもそ食べた桂華は汁物で汚れた着物をそこで洗うなど、日常茶飯事だった。
 ひどいのは任務のときである。
 とある大名家に小姓として潜入したときなど、撤退時に囮にされた。
 里の血筋の子ならば、その身のこなしで楽に追手を撒くことができたであろう。桂華とて厳しい修行に耐えてきた身ではあるが、基礎が違う。
 捕まって首を斬られるところであったが、隙をついてどうにか逃げ出せた。
 命からがら里に戻っても、同じ任務についていた子らに「生きてたのか」という目で一瞥されて終わりだった。むしろ年長者から任務の失敗を叱責され、鞭打ちを受けた。
 逃げたくとも、帰る故郷はすでにない。それに抜け忍は大罪だ。幼い桂華など、鍛え抜かれた忍びらにすぐに捕まり、任務に失敗したときの比でないほどの折檻を受けるだろう。
 この地の他に、居場所などなかったのだ。

 そうして十六となった。通常であれば、忍びとして一人前だと言われる歳だ。
 桂華も例に漏れず、里長に呼び出された。
 初めて一人であたる任務。この任務をこなすことができれば、里の者たちにも認められる。そう思い、桂華の手にも知らず知らずのうちに力が籠もる。
「此度の任務、失敗したら死と思え」
 城に女官として潜入し、側妃の子を殺せ。
 そう命じられ、桂華は都へと向かった。

   *

 都に来るのは初めてではないとはいえ、一人きりとなるとまた感覚も違う。
 他の忍びと任務で来たときは、足手まといにならないよう、隙を見せぬよう、常に気を張っていた。
 久々に訪れた都はどうだ。
 通りは人で溢れ、活気に満ちている。色とりどりの小間物屋、道を練り歩く物売りに、茶屋から香るみたらし団子のにおい。
 そのどれもが忍びの里にはないもので、桂華は自分が浮いていないか若干心配になる。
 それでも、普段の黒い忍び装束とは違い、普通の村娘のような格好は胸が弾む。たとえ世間的には地味で質素な着物でも。
 紫紺の長い髪も低い位置で一つに結び、道行く人に完璧に溶け込めている。
「……いけない、いけない。これは任務なんだから、気を引き締めないと」
 桂華が両手でぱんぱんと頬を叩いたときだった。女の子がぶつかってきて、桂華はたたらを踏んだ。
 気づいていないわけではなかったが、普通の村娘ならば、ここはよろめくところだろう。
 女の子はよほど慌てていたようで、桂華の方に視線を向けるも、すぐに走り去ってしまう。
「あっ、ちょっと……」
 女の子は落とし物をしていた。しかたなく拾うと、それは財布だったようだ。
 どうしたものかと考えかけたそのとき――。
「君が物取りか?」
 腕を取られた。
 視線をやると、体格の良い若い男が、桂華を後ろ手に捻り上げている。金茶のさらりとした髪を持つ、強い瞳が印象的な男だ。
 この程度、桂華なら難なく抜け出すことができる。だが今の桂華は「女官になるため村から出てきた娘」だ。先程も、ただの村娘が俊足で女の子を追いかけるわけにはいかなかった。
 この状況、どうしたものか。
「……物取りってなに? 私はこれを拾っただけよ?」
 腕を取られたまま、事実を述べるに留めた。
 不快さを顕わにする桂華に、男は厳しい眼差しを向けたままだ。
「とぼけなくていい。芥子色の着物の女が財布を盗っていったと、持ち主の男が言っていた」
 ならばその男を連れてこい。そう思って桂華は溜息をついてしまう。
 その態度がお気に召さなかったようだ。
「詳しくは奉行所で聞いてもらえ」
「あっ、ちょっと……!」
 問答無用で連れていく気だ。
 町の人たちは遠巻きにしていて、助けてくれそうもない。
 話を聞かないこの男もなんだ。隙を見てこいつを気絶させようと思ったときだった。
「おぉ、さっきの兄ちゃん。なんだ? 俺の財布を盗ったのはその子じゃないぞ」
 どうやら持ち主が現れてくれたようだ。老年に差しかかったほどの男が、桂華の腕を掴む男に話しかけた。
 男は足を止めたが、まだ手を離す様子がない。苛立った桂華が腕を振り払い、男はようやく桂華を見た。
 それを無視し、桂華は財布を老年の男に差し出す。
「私にぶつかった女の子が、落としていったんです。本当の持ち主が見つかって良かった」
 老年の男は財布を受け取り、桂華たちに礼を言って去っていく。
 再び溜息をついた桂華は、男に向き直った。
「なにか言うことはないの?」
「さっさと違うと言えばいいものを。時間を無駄にした」
「はぁ!?」
 話を聞かなかったのはそっちだろう。時間を無駄にしたなど、桂華の方が言いたいくらいだ。
 男は踵を返す。
「田舎者が、都で騙されないようにすることだな」
 そう吐き捨て、なにも言えずにいる桂華を置いて行ってしまう。
 反論できなかったのではない。怒りで震えていたのだ。
「なによあいつー!!」
 ただの村娘でいようと思ったのに、通りに桂華の声が響き渡った。

   *

 行きずりのクソ男のことは忘れて任務に専念しようと思い、城に向かった桂華だったが。
『お一人様お断り』
 使用人の召募にそうあった。
「ちょっと! どういうこと!?」
 思わず門番の男に詰め寄ると、一見おとなしそうな女が胸ぐらを掴みかかってくるとは思わなかったのか、目を白黒させている。
「すっ、数代前の皇后が、そういう触書を出したんだよ……!」
 なんでも、庶民の女官に手を付けた帝に怒り狂い、城で働く者は既婚でなければならなくなったそうだ。
 唖然とした桂華は、力が抜けて門番の男を解放する。
 そんなこと、里長からは聞かされていなかった。ならば里の男子を誰かつけてくれればいいものを。自分は「里の者」にはなれないんだと思い知らされてしまう。
「いや、下手に知ってる奴を旦那にするもの、なんか……」
 なにせ桂華は里の爪弾き者だ。任務に支障が出ていたかもしれない。
 となると、どうにか偽装しなければならないが。
「これはどういうことだ!!」
 召募の触書の前で、門番に詰め寄っている男がいた。声に聞き覚えがある。
「武官に未婚も既婚も関係あるのか!?」
 あの触書は、女に限ったことではないらしい。先の帝と皇后の間で、いろいろ揉めたのだろうと桂華は推測する。
 正義感の強そうな男だった。道理が通らない触書にも、物申したいようだ。
 あの男からの謝罪は受けていない。だが使えると、桂華の理性が判断してしまう。
 三度目の溜息をつき、桂華は足を踏み出した。

   *

 再会した桂華に、男は思うところがあったらしい。声をかけると、苦い顔をしながらも茶屋に誘われた。
「先ほどは失礼した。逃げられてはいけないと思い、焦ってしまった」
 茶を一口飲んだところでそう言われ、桂華はゆっくりと湯呑を置く。
「それはさっき言ってほしかったかな」
「だから悪かったと言っている。だいたい、君もなにも言わなかったじゃないか」
「はぁ?」
 それが謝ってる者の態度か。柳眉を逆立てる桂華に、男はしまったとでもいうような顔をした。
「いや、すまない。俺が焦ったのがいけなかった」
 謝る気はあったらしい。桂華は溜飲を下げた。
 団子が運ばれてくる。詫びの品だそうだ。
 甘い物は好物だ。久々の甘味に色めき立つ桂華を、男はおかしそうに見た。桂華はすぐに表情を引き締める。
「改めて、俺は天藍」
「……桂華。ねぇあなた、城で働きたいの?」
 本題を切り出すことにした。桂華の問いに、天藍は渋い表情をする。
「あぁ。武官を志して里から出てきた。だがあんな触書があるとは……」
 頭を抱える天藍に、内心笑ってしまう。桂華とまったく同じだった。忍びであること以外は。
 うなだれてしまった天藍に、桂華は身を乗り出した。
「私も女官になりたくて、ここに来たの。ねぇ、提案があるんだけど」
 顔を上げた天藍は、桂華の顔が思いのほか近くにあって驚いたらしい。少し身を引いて、瞬きを繰り返す。
「まさか……結婚しろとか言うわけじゃないよな?」
「ご名答!」
 頭の回転は悪くないらしい。いいことだ。物取りの件では、ただ正義感が勝ったのか。
 桂華は身を正し、笑みを浮かべる。里の子らに「笑えばそこそこ見映えがするものを」と言われた笑みだ。誰がお前らに笑うかと思って、里では無表情を貫いたが。
 天藍は口をぱくぱくさせている。
「年頃の娘がそういうことを言うんじゃない!」
「でも、いい案でしょう?」
 桂華は女官になりたい。天藍は武官になりたい。互いに未婚で、城に上がるには既婚が条件だ。
 これほど利害が一致することはないだろう。
 天藍は大きく溜息をついた。
「こういうのは、男から言うものだろう」
 結構な堅物だ。そういう里で育ったのだろうか。
 天藍は桂華の右手を取る。真摯な目が、桂華を貫いた。
 まただ。この目はどうにも落ち着かない。
「期間は城に仕えている間。その間、好いた者ができたら、まぁ相談に応じる。……俺と、結婚してくれないか?」
 それなりに羞恥があったらしい。頬が赤く染まっている。
 つられただけだ。こんなに熱のこもった目を向けられたことはない。
 心臓が強く跳ねたことを隠しながら、桂華は口を開く。
「もちろん。ボロを出さないよう頼みますね? 旦那様」
 取られた手を強く握り返す。
 こうして、偽装結婚が成立した。