千景が薬草茶を飲んでくれるようになってから、一月半が経過した。
「ありがとうございます。今日も全部飲んでくれたんですね」
夕方。千景の部屋を訪れた紗月は、彼が向かう文机の上にのった湯飲みが空になっていることを確認した。嬉しくなる。
紗月の声かけに、ぴんと正座をしたままの千景からは特に反応はない。それも慣れっこだ。
朝夕と千景の部屋に通うのは紗月の日課になっている。
部屋にぽつんとたたずむ千景は、相変わらず精巧な人形のようだ。琥珀の目には何も浮かんでいない。
「あと、脈を測らせてください」
そう断って、膝の上に置かれた千景の腕を取る。男性のしっかりとした腕だ。全盛期はもっと筋肉でしっかりしていたのだろう。
特に抵抗はない。紗月は手首に指を当てて脈拍をはかる。
(やっぱりおかしい)
かすかに眉をひそめる。でも、それを千景に悟られてはならない。紗月は手首を離すとにこりと笑った。
「ありがとうございます。明日も飲んでくださいね。みなさん、千景様が元気になるのを待っていますよ」
千景は何も言わないけれど、気にせず紗月は部屋を出ると、足早に自分の部屋へと戻る。部屋には父の残してくれた資料があちらこちらに積まれていた。
その中でも一番基本的な調合が書かれている帳面に目を向ける。
――千景に回復の兆しが見えない。
千景に飲んでもらっている獣核を回復させる薬だが、一月ほどで変化が現れるはずなのだ。具体的に言うと脈だ。健常な獣人は普通の人間より脈が速い。しかし番を失うと脈がゆっくりになる。薬を飲めば、その脈が少し戻るはずだったのだけれど。
千景の脈拍はゆっくりなまま。獣核の機能が全く回復していない。
(どうして効かないの?)
紗月は父親が番を失った獣人にこの薬を処方しているのを間近で見ていた。父の親友だった。
彼はほぼ寝たきりの状態から、一月で起き上がれるようになったのだけれど。
千景はその友人と違って、自分で動くことは出来る。食欲もないが全く受け付けないわけではない。
開始地点が違うから一概には言えないのだけれど――いまいち効果が薄いように見える。
(少し薬の調合を変えてみる?)
父は何種類かレシピを残していた。
しかし臨床試験はまだだ。父は親友を救い、これからといったところで亡くなってしまったから。
できればきちんと結果が出ているものを処方してあげたかったのだけれど。
(でも、少しひっかかるのよね……)
千景は、番を失ったわりに、少し元気すぎるのだ。
番を失った獣人は皆床に伏しており、自らの命をつきるのをただ待つばかり。そう言われている。
しかし千景は違う。おそらく身体的に弱ってはいない。気力がないから動かない。そう見える。
(千景さんは番をなくしたのではなく、番に選ばれなかったから?)
いや、番に選ばれなかったとしても、番を手に入れられない、という意味では同じだ。
事実、番が既に結婚しており、結ばれず抜け殻になった獣人の話を聞いたことがある。
(この違いはどこからくるの?)
父の研究に何かヒントはないだろうか。
紗月は改めて腰を据えて、父の研究成果を見直すことにした。
毎日毎日睡眠時間を削って父の残した研究成果に目を通す。
「きっと、これだわ」
紗月が思わず声を上げたのは、それから五日後のことだった。
「ありがとうございます。今日も全部飲んでくれたんですね」
夕方。千景の部屋を訪れた紗月は、彼が向かう文机の上にのった湯飲みが空になっていることを確認した。嬉しくなる。
紗月の声かけに、ぴんと正座をしたままの千景からは特に反応はない。それも慣れっこだ。
朝夕と千景の部屋に通うのは紗月の日課になっている。
部屋にぽつんとたたずむ千景は、相変わらず精巧な人形のようだ。琥珀の目には何も浮かんでいない。
「あと、脈を測らせてください」
そう断って、膝の上に置かれた千景の腕を取る。男性のしっかりとした腕だ。全盛期はもっと筋肉でしっかりしていたのだろう。
特に抵抗はない。紗月は手首に指を当てて脈拍をはかる。
(やっぱりおかしい)
かすかに眉をひそめる。でも、それを千景に悟られてはならない。紗月は手首を離すとにこりと笑った。
「ありがとうございます。明日も飲んでくださいね。みなさん、千景様が元気になるのを待っていますよ」
千景は何も言わないけれど、気にせず紗月は部屋を出ると、足早に自分の部屋へと戻る。部屋には父の残してくれた資料があちらこちらに積まれていた。
その中でも一番基本的な調合が書かれている帳面に目を向ける。
――千景に回復の兆しが見えない。
千景に飲んでもらっている獣核を回復させる薬だが、一月ほどで変化が現れるはずなのだ。具体的に言うと脈だ。健常な獣人は普通の人間より脈が速い。しかし番を失うと脈がゆっくりになる。薬を飲めば、その脈が少し戻るはずだったのだけれど。
千景の脈拍はゆっくりなまま。獣核の機能が全く回復していない。
(どうして効かないの?)
紗月は父親が番を失った獣人にこの薬を処方しているのを間近で見ていた。父の親友だった。
彼はほぼ寝たきりの状態から、一月で起き上がれるようになったのだけれど。
千景はその友人と違って、自分で動くことは出来る。食欲もないが全く受け付けないわけではない。
開始地点が違うから一概には言えないのだけれど――いまいち効果が薄いように見える。
(少し薬の調合を変えてみる?)
父は何種類かレシピを残していた。
しかし臨床試験はまだだ。父は親友を救い、これからといったところで亡くなってしまったから。
できればきちんと結果が出ているものを処方してあげたかったのだけれど。
(でも、少しひっかかるのよね……)
千景は、番を失ったわりに、少し元気すぎるのだ。
番を失った獣人は皆床に伏しており、自らの命をつきるのをただ待つばかり。そう言われている。
しかし千景は違う。おそらく身体的に弱ってはいない。気力がないから動かない。そう見える。
(千景さんは番をなくしたのではなく、番に選ばれなかったから?)
いや、番に選ばれなかったとしても、番を手に入れられない、という意味では同じだ。
事実、番が既に結婚しており、結ばれず抜け殻になった獣人の話を聞いたことがある。
(この違いはどこからくるの?)
父の研究に何かヒントはないだろうか。
紗月は改めて腰を据えて、父の研究成果を見直すことにした。
毎日毎日睡眠時間を削って父の残した研究成果に目を通す。
「きっと、これだわ」
紗月が思わず声を上げたのは、それから五日後のことだった。
