紗月が再び千景に会ったのは、夕食時のことだった。
千景があんな調子だし、結婚の理由が理由なので、もちろん祝言は行わない。その代わりに、家族で少し豪華な食事会を行うという。
夕食の席には景正の他、景正の妻、つまり千景の母親も同席していた。千景はどうやら母親似らしく、たおやかな美人だった。景正が愛おしげなまなざしを妻に向けているのが印象的だ。獣人は番に対して愛情表現を惜しまない、という言葉を思い出す。ちなみに、夫人は紗月のために部屋を設えてくれて、あまりにも荷物が少ない紗月に対して、お下がりで申し訳ないけれど、と何枚か着物をくれた。
定刻は過ぎた。
白峰侯爵夫妻も、紗月も並んで座っているのに、紗月の隣が空いている。――夫になる千景の席だ。
「……千景は?」
夫人の言葉に景正が苦い顔をした。立ち上がると部屋を出て行く。獣人は番にはめっきり弱い。そんな言葉を思い出す。
「ごめんなさいね。千景があんな調子で」
向かい側に座った夫人が申し訳なさそうに言う。紗月はゆっくりと首を振った。
「とんでもありません。事情は存じておりますから」
しばらくすると、景正が息子を連れてやってくる。千景は紗月の隣に座った。相変わらずの生気のなさで、顔に表情らしい表情は浮かんでいない。
夫人が痛ましそうに顔を歪めた。
とにかく、千景がやってきたので使用人がお膳を運んできて食事が始まる。まず目につくのは焼きたての尾頭付きの鯛。白和えやごま豆腐の味も上品だ。こんなにおいしい料理を食べたのは久しぶりかもしれない。
侯爵夫妻が懸命に紗月に話を振ってくれるが、千景はただそこにいるだけ。昼間に一言だけでも話してくれたのが奇跡ではないかと思えるほどだ。
ただ、紗月としては久しぶりに温かい食事が食べられただけでも嬉しかった。
千景は、少し手をつけただけで、食事が進んでいない。食欲がないのだろうか。
(こんなにおいしいのに……)
もちろん紗月は完食した。
結局、千景とは一言も話さないまま食事が終わってしまった。
その日の夜。紗月は用意された部屋の布団に寝転びながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
和室でこぢんまりとした部屋だが、箪笥も鏡台も文机もある。布団だって柔らかく温かい。物置同然の離れに住んでいた身としては、ありがたい限りだった。
これは千景の治療のための愛のない契約結婚だ。白峰家は紗月に環境を、そして紗月は知識を差し出す。
紗月はずっと父の研究を継ぎたいと思っていた。そのいい機会だと割り切れば悪い話ではない。
(そうよ。衣食住が保証されている。それだけで十分じゃない)
紗月は紗月の求められている役目を果たすだけだ。
千景の生気のない様子は、見ているこちらも胸が痛む。
だから。少しでも彼が回復に近づけるように、紗月は努力するつもりだ。
――明日から、頑張ろう。
千景があんな調子だし、結婚の理由が理由なので、もちろん祝言は行わない。その代わりに、家族で少し豪華な食事会を行うという。
夕食の席には景正の他、景正の妻、つまり千景の母親も同席していた。千景はどうやら母親似らしく、たおやかな美人だった。景正が愛おしげなまなざしを妻に向けているのが印象的だ。獣人は番に対して愛情表現を惜しまない、という言葉を思い出す。ちなみに、夫人は紗月のために部屋を設えてくれて、あまりにも荷物が少ない紗月に対して、お下がりで申し訳ないけれど、と何枚か着物をくれた。
定刻は過ぎた。
白峰侯爵夫妻も、紗月も並んで座っているのに、紗月の隣が空いている。――夫になる千景の席だ。
「……千景は?」
夫人の言葉に景正が苦い顔をした。立ち上がると部屋を出て行く。獣人は番にはめっきり弱い。そんな言葉を思い出す。
「ごめんなさいね。千景があんな調子で」
向かい側に座った夫人が申し訳なさそうに言う。紗月はゆっくりと首を振った。
「とんでもありません。事情は存じておりますから」
しばらくすると、景正が息子を連れてやってくる。千景は紗月の隣に座った。相変わらずの生気のなさで、顔に表情らしい表情は浮かんでいない。
夫人が痛ましそうに顔を歪めた。
とにかく、千景がやってきたので使用人がお膳を運んできて食事が始まる。まず目につくのは焼きたての尾頭付きの鯛。白和えやごま豆腐の味も上品だ。こんなにおいしい料理を食べたのは久しぶりかもしれない。
侯爵夫妻が懸命に紗月に話を振ってくれるが、千景はただそこにいるだけ。昼間に一言だけでも話してくれたのが奇跡ではないかと思えるほどだ。
ただ、紗月としては久しぶりに温かい食事が食べられただけでも嬉しかった。
千景は、少し手をつけただけで、食事が進んでいない。食欲がないのだろうか。
(こんなにおいしいのに……)
もちろん紗月は完食した。
結局、千景とは一言も話さないまま食事が終わってしまった。
その日の夜。紗月は用意された部屋の布団に寝転びながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
和室でこぢんまりとした部屋だが、箪笥も鏡台も文机もある。布団だって柔らかく温かい。物置同然の離れに住んでいた身としては、ありがたい限りだった。
これは千景の治療のための愛のない契約結婚だ。白峰家は紗月に環境を、そして紗月は知識を差し出す。
紗月はずっと父の研究を継ぎたいと思っていた。そのいい機会だと割り切れば悪い話ではない。
(そうよ。衣食住が保証されている。それだけで十分じゃない)
紗月は紗月の求められている役目を果たすだけだ。
千景の生気のない様子は、見ているこちらも胸が痛む。
だから。少しでも彼が回復に近づけるように、紗月は努力するつもりだ。
――明日から、頑張ろう。
