そろそろ夏になろうという休日。紗月は叔父に呼び出されて母屋の和室にいた。
上座に座るのは、父とあまり似ていないでっぷりとした叔父。その隣には派手な叔母と、同い年の従姉が座っている。質のいい着物を着た二人は紗月を見てニヤニヤと笑っていた。その時点で、紗月にとっては嫌な予感しかしない。
もちろん、それを露骨に表情に出すわけにはいかないので、じっと耐えていると、叔父がふむとうなずいて切り出した。
「喜べ紗月。お前に縁談がきている。先方は今すぐにでもお前を娶りたいとのことだ」
紗月はその言葉に軽い絶望を覚えた。
父が死んで約三年。十七になった紗月は既に結婚が可能な年齢だ。
叔父が持ってくるような縁談が、紗月にとっていい話であるわけがない。すでに叔母も従姉も相手を知っているのだろう。
成人するまで紗月の意志で叔父に当主を譲ることができない。だからそれまでは変な縁談がくることはないと思っていたのに。
紗月はぎゅっと唇をかみしめた。ここで表情に出しても、叔父一家が喜ぶだけだ。
「相手はな、あの、軍神――いや元だったか。元軍神の白峰千景殿だ」
叔父の口調は嘲りを含んでいる。叔父が口にした意外な相手に、紗月は目を見開いた。
白峰千景。御年二十三歳。白峰侯爵家の嫡男。半年前まで異形討伐で名を上げ、若き軍神と呼ばれていた男。
今ではこちらの方が通りがいいかもしれない。――番に選ばれなかった男。
そう。千景は獣人だ。ある女性を番と定めたが、その女性は千景を選ばなかった。
獣人の男性が番を定めるのは、一生に一度。そして、番と定めた女性を得られなかった獣人の末路は悲惨なものだ。気力を失い、獣人特有の能力を失い、さらには感情も失う。
事実、番が他の男を選んだと知った千景は、抜け殻になった。軍に籍こそ残しているものの、家で引きこもる毎日だという。
「千景殿は白峰家の一人息子だろう? 不幸なことはあったが、跡継ぎが必要なんだ。そこでお前に白羽の矢が立った。事情が事情だ
からな。持参金が不要どころか、支度金を出してくれるらしい。格上の侯爵家に嫁に行くのだ。当主の座は私に譲るしかあるまい」
叔父はやけに機嫌がいい。体よく邪魔な姪を追い出すことができるのだ。嬉しくて仕方がないのだろう。
「……一週間後に顔合わせだ。そしてそのまま白峰家でお前は世話になることになる。身一つでかまわないそうだ。女学校も退学だな」
断ることはもちろんできないのだろう。
相手は、今は抜け殻とはいえ、半年前までは社交界で一二を争う人気を集めていた男だ。
孫ほど年の離れた商人に嫁がされるよりはまし。そう思うしかない。
それにおそらく、この縁談は――。
「ふふ。紗月もかわいそうね。一生愛されないことが確定なんて」
従姉の口が弧を描く。
格上の侯爵家とはいえ、相手は抜け殻の獣人。それが嬉しくてたまらないのだろう。
「話はそれだけでしょうか?」
紗月は冷静に尋ねた。
「ああ。白峰家でのお前の幸せを祈っているぞ」
紗月は頭を下げると、和室を出た。離れにある自室へと向かう。
――白峰千景。
父が亡くなる少し前、相手先の都合で遅くなり、日が暮れてから父と共に帰路についたことがある。
そのとき、運悪く異形に出くわしてしまったのだが――その異形を倒すために颯爽と現れたのが千景だった。
美しい青年だった。獣人といっても見た目は人と変わらない。それどころか普通の人より見目麗しい者が多い。千景もそんな一人だった。
戦いなんてわからない紗月でも、思わず状況を忘れて見とれてしまうような剣さばきだった。
千景の父、白峰侯爵は、父の研究の内容を知っている。
おそらく、この縁談は息子を案じた侯爵によるものだろう。父の研究目当て。
(それでも、この屋敷にいるよりはずっとましだわ)
たとえ、愛されない結婚だとわかっていても。
父が残してくれた知識を役立てられるのならば、それで十分だ。
