亡き奥方を離縁するため、私は契約妻になりました

「お前が、裁ち手か」
「……はい」
 暁臣は一度だけ、千歳の右手に目をやった。小指の付け根に残る、古い傷痕。それが何かを、確かめるような一瞥だった。
「宮様、裁ち手でしたら、日を改めて――」
 父が慌てて間に入ろうとする。暁臣は手の動きひとつでそれを制した。
「糸原千歳――だな。俺の後妻になれ」
 それは、求婚の響きを一切持たない声だった。命令そのもの。
「――は?」
 父が素っ頓狂な声を上げ、小春が扇を取り落とした。
 そして、父の驚きは、すぐに別の色へ変わる。久世宮家という名と、そこから流れ込むはずの金子の重み。父の頭の中に札束が積み上げられていくようだった。
「後妻、というのは……久世宮家の……でしょうか」
「そうだ。俺が求婚しているんだ」
 千歳の問いに、なんて鈍いのだろうと彼は呆れているような目を向けてくる。
「なぜ、私を?」
 暁臣はわずかに視線を落とし、初めて感情らしいものを覗かせた。苛立ちに似た、けれど苛立ちとは違う何か。
「死んだ妻と、離縁したい」
 拝殿はしんと静まり返った。
 
 久世宮家は、縁結社の三倍はありそうなほど敷地が広かった。