亡き奥方を離縁するため、私は契約妻になりました

 一つ、大きく呼吸をして、千歳は藤乃の方に向き直った。
「奥方様。お約束通り、お送りいたします」
 刃を、糸の結び目に当てる。
 その瞬間、藤乃の恐怖と無念がすさまじい勢いで流れ込んできた。水の冷たさ、暗さ、届かなかった声。彼女の様々な思いが、渦を巻いている。
 千歳の膝が崩れそうになり、視界が白く霞んだ。指先が冷たく、意識が遠くなっていく。
(だめ――ここで、気絶なんかするわけにはいかない)
 意識の端で、千歳は歯を食いしばった。
「千歳!」
 暁臣が駆け寄り、よろめく千歳の身体を抱き止めた。触れている個所から、温かなものが流れ込んでくる。
 ――これは、彼の気持ちだ。
 藤乃に向き合わなかったことを後悔するのと同時に、彼女を正しく送りたいという気持ち。
 千歳は頬の内側を噛んだ。痛みが、意識を引き戻す。
「あなたの思い、受け取りました――!」
 力いっぱい、小刀を振り下ろした。藤乃をこの屋敷に縛り付けていた縁がほどけていく。
 花嫁衣裳だった藤乃の姿が、ゆっくりと薄藤色の小袖姿へ変わっていく。もう怨霊ではない、生前の藤乃の姿だった。