亡き奥方を離縁するため、私は契約妻になりました

 行灯の火が一つ、畳の上に頼りない光を落としている。庭に面した障子の向こうで、風もないのに木の葉が微かに揺れた。他の部屋よりも、空気が一段冷たい気がした。
 千歳は正座をしたまま、動かなかった。
 やがて、鈴の音が聞こえた。小さく、澄んだ音。一度、二度。
 障子の隙間から、白いものがすっと入り込んでくる。
 顔を上げると、そこに女性が立っていた。輪郭は淡く、行灯の光で透けている。若い、美しい人だった。
 魂だけとなってもなおわかる、丁寧に手入れされた髪、上質な衣類。生きていた頃は、さぞ丁寧な暮らしをしていたのだろう。
(――これが、藤乃様)
 彼女は、池に落ちているところを見つかったと聞いている。事故なのか、自死なのかはわからない。一応、事故ということになっているそうだ。
 千歳は膝の上で、右手の小指をそっとなぞった。いつもの癖だ。
 初めて縁を裁った日、力の返りで裂けた痕だ。あの時から、千歳は誰かの縁を切って生きている。
 恐怖がないと言えば嘘になる。それでも、腰は浮かさなかった。
 女性――藤乃の腕が伸び、千歳の首に冷たい糸のようなものが巻きついた。