「最愛の人」に裏切られたとき、死にますか? それとも、殺しますか?

 ひとまず登録作業を終え、いくらか落ち着いてきた私は飲み物を用意するために1階のダイニングに向かった。冷蔵庫から乳酸菌飲料を取り出し、再び階段を上がって自室に戻る。未だに時計は16時を少し回ったところだ。あれから、2人からは音沙汰がない。

 床の上にペットボトルを置き、替わりに置いていたスマホを手に取る。自動的に顔認証が実行されて画面が開いた。画面には先ほどまで弄っていたマーダーサイトのトップページが表示される。そこには数分前には無かった「申請1件」という表示がされてた。
 私はその表示を見ると、深刻な状況にも関わらず得体の知れない高揚感に包まれた。早速、自分が開設した部屋をタップし、申請者「ヒマ人」の申請を承認した。


>織田N:こんにちわ。ヒマ人さん、申請ありがとうございます!私の相談にのって頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。

 様子が分からないため、私は当たり障りのない言葉を選んであいさつをする。

>ヒマ人:かったいな~どうにかなんないの?まあ、死ぬか、殺すか、なんだからしょうがないかーまあ、よろしくねー

 かなり適当な雰囲気に驚く。部屋の名前からすると、かなり深刻な状況だと推測されてもおかしくないのに、その言葉選びには思い遣りの欠片も感じられず、「ヒマ人」という名前の通り、本当に暇潰しのために申請してきたのかも知れない。

>ヒマ人:ああーボクのペースで好き勝手に喋るけど気にしないでねー
 で、早速だけどさ、部屋のタイトルにもなってる「最愛の人」って、どういう人のことを言ってるのかなあ?それが分からないと、どんな相手に対してのことなのか、ちょっと想像がでいないんだよねー あとさ、どう思ってるのか知らないけど、ここ(・・)って、ネットのダークサイドでも最深部なんだよ。だからさ、人が少ないんだ。だけど、すぐにでもビルから飛び降りそうな人とか、今から刺しに行きそうな人は山ほどいるんだ。だからさ、人の数よりも、圧倒的に部屋数の方が多いってこと。作った部屋に人が来るなんて、動画サイトで1千万再生いってバズる確率と大差ないんだよ?死ぬか、殺すか、なんていうワードの選択が良かったよねー だからさ、折角だから、そのあたりについて、ちょっと聞かせて欲しいんだ。

 表示された文字列を読みながら、アクラに案内された場所が普通ではないことに初めて気が付いた。「ここでの情報を漏らすと何が起きても責任持ちませんよ」という趣旨の注意書きにも納得がいった。そんなことよりも、今、ヒマ人に答えることの方が問題だ。あまり俗な内容だと去られるかも知れない。いや、その方が非日常的な空間から逃れられて良いのかも、という思いも浮かんでくる。とりあえず、陳腐がと笑われようが、そんなことで生き死にの話なの?と呆れられようが、正直に話した方が、後で辻褄が合わなくて困るという事態にもならなくて良いだろうと、そういう結論に辿り着いた。

>織田N:長くなりますけど、彼氏との出会いから話しますね。

 そう切り出して、なぜ「最愛の人」になったのかを説明する。きっかけは高校1年生のときに同じクラスになったことだった。偶然となりの席になり、少しずつ話しをするようになって、6月の梅雨入り前に告白された。その時はあまり好きではなかったし、最初は断った。それでも、ずっと話し掛けてきて、一緒にいる時間が長くなって、2回目に告白されたときに頷いた。ガッツポーズする彼の姿は今でも忘れられない。夏休み前の終業式の日だった。それから、当たり前のように私の部活が終わるまで待ってくれて、いつも一緒にいるようになった。誰よりも優しくて、大事にされていることは十分に分かったし、時間が経つにつれ、一緒にいないと不安になって、一緒にいることが当たり前になって、これからもずっと一緒にいたいと思うようになった。誰よりも好きだし、これからの未来もずっと一緒にいたいって思った。親と彼のどちらを選ぶのかと言われたら、迷わず彼を選ぶ。それくらには大事な人。何にも替え難いこの世で一番大切な人。そう、それが、私の「最愛の人」の定義。

>ヒマ人:なるほどねー理解したよ。

 ヒマ人は笑うこともなく、茶化すこともせず、最後まで静かに説明を受け止めたあと付け加えた。

>ヒマ人:で、ソイツが裏切ったってことだね。親友との裏切り行為ってのは、クソ笑えないね。それで、死ぬの?()るの?そんなヤツラのために、夜の校舎に忍び込んで誰も見ていないときに飛び降りるの?それとも、授業中に屋上に侵入して飛び降りるの?死んだ後のことだから関係ないかもだけど、飛び降りたら悲惨だよ?ボクも一度だけ見たことがあるけど、脳ミソが飛び出してるところを無関係な人達に見られて、写真撮られて、飛び降り死体とかハッシュタグ付けられて拡散されるんだよ?当然、名前なんかもすぐに特定されるし、晒し者だよ?それで、いーの? ねえ? まあ、ボクのことじゃないからさ、どっちでもいーんだけど。決めるのはアンタだし。

 ヒマ人の回答を目にして、彼氏との思い出に浸り始めていた脳が痺れる。
 確かに、自殺という選択肢はない。そう思う。何も悪いことをしていない私が、2人のために飛び降りる必要はない。当然、どこかの丈夫な(ハリ)にロープを結ぶ理由もない。


 そのとき、スマホの画面上に「申請されました」の文字が表示された。