「最愛の人」に裏切られたとき、死にますか? それとも、殺しますか?

 翌日の8時過ぎ、朝食を済ませた私は満を持して外に繰り出した。
 部活用に購入したちょっと良いブランドのジャージを着込み、足元には有名スポーツメーカーのシューズという格好は、今にも走り出しそうに見えるだろう。しかし、これは単純に動きやすさを重視しているだけだ。さすがに自宅の庭でアリを見付けては踏み潰していると母に泣かれそうなので、自宅が見えない位置まで移動することにする。この地域は計画的に開発された住宅地であるため、一定の間隔で2区画分相当の公園が作られている。防災用の非難場所だったり、防火上の理由で空き地が必要なのだと説明を聞いた気がする。

 公園に到着して見渡すが、私以外に人の姿は見当たらなかった。10年くらい前は午前中の早い時間帯から子供達が騒いでいたが、その当時の子供である私達は公園で遊ぶ年頃ではなくなった。住宅地自体が高齢化しているため、公園はどこも人が少ない。しかし、それは今日の私にとっては好都合だ。早速、公園の真ん中で腰を曲げて地面を見下ろした。

 まだ完全にいなくなる時期ではないはずなのに、意外と徘徊しているアリを見付けることができない。公園の中をウロウロとしていたが、慣れない姿勢に疲れて一旦薄汚れたベンチに腰を下ろすことにした。普段はあれほど見掛けるのに、いざ探すとなかなか見付からない。そう思いながら視線を落とすと、ベンチの下に無数の黒いアリがいることに気が付いた。ベンチの根元が小山になっており、そこからアリが激しく出入りしている。私は嬉々としてベンチの横にしゃがみ込み、ニンマリと笑みを浮かべた。

 位置的に踏み潰せないため、近くに落ちていた木の棒を手に取りその先で潰すことにする。棒を鉛筆のように持ち、歩き回るアリに狙いを定めた。


 ―――――潰せない。

 いつもなら何も気にすることなく、足元を動き回るアリを平気で踏み付けている。それなのに、いざ意識的に潰そうとするとできない。生命に対する尊重と、それを自分が持つ木の棒によって絶つ、という行為を無意識に忌避してしまう。罪悪感が湧き上がり、手が動かない。大きさの大小ではなく、生きているものを殺す、という行為を認識することで身体が硬直してしまう。

 それでも、やらなければならない。
 ここで止まってしまっては、何もできない負け犬のままだ。
 私は可哀想な子ではなく、罪人に罰を与える側の人間になるのだ。
 大きく息を吐き、目を閉じて精神を整える。
 そして、私を見下して嘲笑う2人の姿を思い浮かべた。

 1匹目は、完全に木の先で押し潰されて、姿が見えなくなった。でも、棒を持ち上げると、少し動きが鈍くなったもものの動き始める。今度は力を込めて地面に押し付ける。どうなったか覗き込むと、今度こそ完全に動かなくなっていた。
 2匹目は、動きが速かったために仕留め損ね、頭部を含めた上半身だけが潰れて後ろ足の2本がまだ前後に動いていた。生き物は思った以上に死なない。最後まで生きようと足掻く。それでも、下半身も潰すとピクリともしなくなった。
 3匹目は、逆に下半身だけが潰れた。腹部から僅かな体液が溢れ、少しだけ地面を黒く染める。そこに別のアリが現れて左右に振っている頭部に近付いて行く。触角が触れ合い、何かを伝えているように見える。それは、仲間に対して危険を知らせているのか、それとも家族に対する遺言を伝えているのか。いや、理論上、虫にそんな感情はない。だから、私が感傷に沈む必要もない。
 4匹目、その近付いて来たアリを指先で潰す。
 5匹目、6匹目、7匹目、8匹目、9匹目、10匹目・・・数えることを止める。
 潰して、潰して、潰しまくる。
 巣の周辺に転がる黒い残骸。
 大虐殺だ。
 その光景を目にして心が軽くなった。
 脳の可塑性なのだろう。脳が自身を守るために、シナプスの繋がりを変更し馴化(ジュンカ)する。主に身体機能について語られることであるが、当然のこととして感情も例外ではない。

 私はベンチの横から離れ、別の場所に移動する。巣から出てくるアリの数が減ってきたからだ。
 公園にはベンチは4つ設置されていたが、そのすべてにアリの巣がある訳ではなかった。そのため、今度は公園の中でも雑草が多いエリアを探すことにする。そろそろ、アリからステップアップしても良いのではないかと思い始めてもいた。雑草が伸びているエリアには他の虫がいる可能性がある。

 雑草が多いエリアに足を踏み入れた瞬間、足元で何かがカサカサと葉っぱの陰に隠れた。私は手を伸ばし、葉っぱを捲ってそこにいるモノを確認する。そこには身を屈めた茶色い虫が潜んでいた。その3センチほどの虫は、見付かったことに気付くとジャンプして草むらに逃げ込んだ。

「コオロギ」
 無意識のうちに虫の名称を口にしていた。
 この辺りでは、子供の頃には誰もが一度は飼ったことがある虫だ。私も小学生の時に捕まえて、ナスビの切れ端と一緒に虫かごに入れて飼っていたことがある。でも、中学生になって以降は一度も目にしたことがなかった。

 なるほど、コオロギはありだ。
 私はコオロギが飛び込んだ草むらに、笑みを浮かべて追い掛けて行った。