「最愛の人」に裏切られたとき、死にますか? それとも、殺しますか?

>シリアル:ひとまず、明日はカッターナイフをポケットに入れて登校して下さい。そのカッターナイフで2人が刺せるかどうか、体験してみて下さい。想像と現実は全く感覚が異なります。実際に刺せる物を持って、2人が手の届く距離にいるときに、首元に刺し込むシュミレーションをしてみて下さい。通常の倫理観を持っている人は、リアルに人を殺めるという行為には忌避感があって、実行可能な状況下であっても最初の一歩でさえ踏み出せません。ただ、何の抵抗もなく、最初から実行できる人もいます。もし後者であるならば、後は実行するプランを組み立てるだけです。明日は、それを確認して下さい。仮に、周囲に人がいなくて監視カメラも見当たらない場所であれば、そのまま刺しても構いませんけど。

 という、顔が引き攣るアドバイスを頂き、今日の相談会は終了した。明日、どう感じたのか、という結果により今後の方針を決定することになった。

 私は久し振りに机の引き出しを開け、中学生のときに使っていたカッターナイフを探す。確か、道具箱に段ボール箱も簡単に切れるサイズの、刃が厚いカッターナイフがあったはずだ。
「ああ、これ、これ」
 あったはずのカッターナイフは、一番下の引き出しに無造作に仕舞われていた。持ち手にあるネジを緩め、カチカチと刃を出して確認する。もう何年も使用していないためか、刃が少し錆びている。とはいえ、切れないとか、切れ味が落ちているということはなさそうだ。これなら、2人の首を刺すくらいなら問題なくできる。
 まだ2人と対面していないにも関わらず、手に残る感触を想像して手が震え始めた。

 ちょうどその時、階下から晩ご飯を告げる母親の声が聞こえた。


 翌朝、私はポケットに見付けたカッターナイフを忍ばせて家を出た。
 駅に到着すると、昨日と同じように改札口に千里の姿があった。通勤、通学で込み合っている構内であっても、千里の派手な容姿はよく目立っている。

「おはよう」
 ポケットにカッターナイフがあるからなのか、それとも4人の味方がいるからなのか、今日は余裕をもって千里の顔を見ることができる。いつもは無意識のうちに下手に立っていたのかも知れない。でも、今日は上から見下ろしている気がする。
「・・・あ、うん、おはよう」
 私を目にした千里は、一瞬言葉を詰まらせて挨拶を返してきた。もし、この関係ならば、もっと違うストーリーになっていた可能性もある。でも、もうやり直すことはできない。

 先に改札を抜ける千里の背中を追い掛けて、ポケットの中でカッターナイフを握る。
 簡単な作業にしか思えないのに、いざ千里の背中を前にすると刺せると思えなかった。感情的には、どれほどの思い出が積み上がっていたとしても、どれほど長い時間を一緒に過ごしてきたとしても、今回の裏切りは全てを打ち消しても恨みが勝る行為だ。絶対に無かったことにはできない。赦すことも、忘れることもできない。それでも、少しずつ強度を増してきたモラルという名の鎖は、私の倫理観を自由にはしてくれそうにない。感情はともかく、心理的にも自分が刺した傷から噴き出す血飛沫、真っ赤に染まった自分の手を想像すると手が震えてしまう。

「早くしないと電車が来ちゃうよ

 振り返った千里が、眉根を下げて呼び掛けてくる。いつもは私を気にすることもなく先に行くくせに、なぜか今日は気を遣った行動を見せる。もしかして、私自身がいつもと違う表情をしているのだろうか。もしそうだとすれば、余り良い状況とは言えない。
 私はいつもの自分を思い出しつつ、精一杯の穏やかな笑顔を作った。

「ごめんね、すぐに行くから」
 様子を窺うように覗き込んできた千里は、私の芸術的な笑顔を目にしていつもの傲慢な表情に戻った。長い付き合いだけに、気を付けなければならない。
「もう、早くしてよね。遅れたら礼央、海藤君が待たせてしまう事になるでしょ。ほら、走って!!」

 ―――――礼央?
 一瞬にして目の前が真っ赤に染まり、反射的にポケットのカッターナイフを握り締めた。ポケットの中から抜き取り、キリキリとネジを緩める。
 誰の彼氏を名前で呼んでるの?
 誰の彼氏と手を繋いでるの?
 誰の彼氏と一緒に弁当を食べてるの?
 誰の彼氏と一緒に帰ってるの?
 誰の彼氏と、誰の彼氏とキスをしているの?
 アホなの?
 バカなの?
 ゴミなの?
 カスなの?
 クズなの?

 ―――――死ねばいいのに。


「ボケっとしてないで、ほら、早く乗って」
 いつもの口調で指図する千里に対し、俯いて気付かれないように自嘲する。

 この期に及んで、これだけ怒りに身に任せても、刺すことができない。
 そんな自分が嫌で仕方がない。どうにかしなければ、このまま眺めているだけで終わってしまう。自分の敵討ちすらできず、陰で嘲笑われるだけのピエロのままになってしまう。

 ポケットに戻したカッターナイフを手でなぞりながら、目の前で芸能ニュースを語る親友を見詰めた。