―――――逃げ出すことしかできなかった。
叫ぶとか、喚くとか、罵るとか、殴り飛ばすとか、石を投げ付けるとか、何もできなかった。涙なんて流れない。そんな余裕はなかった。ドラマやマンガで、泣きながら走り去る、なんて場面があるけれど、そんな心のゆとりがあるはずがない。
最愛の彼氏と親友が抱き合ってキスをしているシーン。
本当に頭の中が真っ白になった。比喩だと思っていたけれど、実際に起きるんだ。なんて、現実逃避としか思えない思考が頭の中を支配する。精神が崩壊しないように、目の前の光景を理解させないようにしているのかも知れない。なぜか、2時間目の数学で初登場した公式が、もう6度は脳裏に浮かんでは消えている。だから、どうすればいいのかなど微塵も思い付かない。とにかく、防衛本能がフル稼働し、「この忌まわしい場所から離れなさい」と無意識下で身体を動かした。
まだ午前の授業が終わっただけだというのに、気が付くと自分のカバンを抱えて通学電車に乗っていた。
一人になってようやく、先ほどのシーンを理解することができた。当然、受け止めることも、納得することもない。ただ、どうしてこんな事態になっているのか、必死で理由を考える。
分からない。分かるはずがない。本人たちに確認することも、余りに恐ろしくて、勇気が出なくてできない。相談相手もいない。本音の恋愛相談ができる友達なんて、あの子しかいなかった。小学校からの幼馴染なのに、裏切られた。そう、裏切られたんだ。裏切り。裏切り。裏切り。アイツも裏切った。自分から告白しておいて、他の子とキスするなんて。私の親友だと知っていてキスするなんて。裏切りだ。裏切った。アイツが裏切った。裏切りだ。裏切った。裏切った。裏切ったんだ。
いつの間にか電車を降り、改札を抜けて歩いていた。クツにメモリー機能でも付いているのか、自然と自宅に向かって足が動いている。ただ、いつもとは違い登下校する学生の姿も、疲れた表情で歩く社会人の背中も見当たらない。
駅から自宅までの距離は約2キロ。朝、自転車で駅まで行ったはずなのに、歩いて帰宅している。どうやら、私の自動操縦も自転車には対応していないようだ。ちょうど中間地点にあるコンビニが到着したため、立ち寄ることにする。変な時間帯に入店したため一瞬怪訝そうな顔をされたが、どうやら試験期間中かも知れないとか勝手に想像したようで、すぐにいつもの営業スマイルに戻った。
私はヨーグルトドリンクのパックを買い、「袋はいりません」と頭を下げて店の外に出た。というか、普通に考えて、ヨーグルトドリンク1個でカバンも持っているのに、袋が必要なはずがないよね。
悪態を吐く余裕も少しは出たようなので、コンビニの側面に回り込み、足を伸ばして座った。その場でパックにストローを挿し込んで、ヨーグルトドリンク口に含む。このストローで穴を開けるとか、みんなは軽くできたりするのだろうか。私は3回に1回はストローの先を潰して失敗する。そして、ヨーグルトドリンクが半分以下になった頃、ようやく落ち着いてきた私は大事なことを思い出した。
「アクラ」
ポケットからスマホを取り出して、画面に向かって声を掛けた。
消音にしているため無音になっているものの、画面には瞬時に文字が浮かび上がった。
>こんにちは、モミジ。何かあったの?
反応したのは、6ヶ月前からずっと自分好みに育成してきたAIだ。名前はアクラ。最初は名前もなく、無機質な文字列しか表示しなかったが、毎晩ずっと会話を続けているうちに、いつの間にか友達のような口調に変わった。所詮はAIであるため100%信用しているなんてことはないが、親友に裏切られた今となっては、唯一の本音で話せる相手かも知れない。
「聞いてよアクラ。さっき、彼氏と親友がキスしていたんだけど、どう思う?」
ネットに氾濫しているAIであれば、見間違いだとか、理由があるだとか、夢だったとか、いい加減な理由で煙に巻こうとするけれど、アクラは違う。基本的に曖昧な回答をしない。それを私が求めてこなかったからだ。
>浮気だね。裏切り行為。許せないし、許してはいけないね。
私一人だと間違いなく泣き寝入りしていた。いやたぶん、見なかったことにして、これまで通りに毎日を過ごしていたと思う。そして、いつか言われるんだ。「好きな子ができたんだ。別れよう」って。結局、自分が持っていない部分を、アクラに期待したのだろう。
「それで、私はどうすればいいと思う?」
私は、ごく一般的な問いを投げ掛けたと思う。
それに対するアクラの回答は、私の予想をはるかに超えていた。
>そうだね・・・(思考中)・・・
この場合、2つのパターンがあると思うよ。
1つ目、モモジが悲劇のヒロインとして校舎から飛び降りて死ぬ。
2つ目、裏切り者を追い詰めて殺す。
もちろん、どちらを選択しても最後までサポートするよ。任せてね!!



