その日から、タオシャンは宮に籠っているという。
リンファの使いが宮を訪ねたり、お見舞いを持参してもすべて拒絶しているらしい。
手紙は偽物だが、おそらく今までの出来事ややりとりを振り返り、捨て駒扱いされていると確信するに至ったのだろう。
「上手くいったようだな」
ヤンジンが悪そうな顔で笑っている。
「これで孤立したリンファ様がどう動くか、見ものですね」
ミンジュも釣られて悪そうな顔で笑う。
しかしここで、ヤンジンは笑顔を引っ込めた。
「何度も言うが、無理はするな。俺は明日の朝議で宰相を糾弾する予定だ。その山場さえ超えればあとはどうとでもなる」
(わたしを捨て駒扱いすればリンファと同類だと思って気遣ってくれているのかしら……?)
先日から過保護ぶるヤンジンの意図がどうにもわからない。
ミンジュは、不可解なモヤモヤを振り払うように笑ってみせた。
「ご武運をお祈りしております」
******
翌朝。
朝議の場に全員が集まったのを見計らったヤンジンが突然切り出した。
「これまでずっと黙ってきたが、さすがにもう看過できない。中央官僚たちの腐敗を正したい」
朝堂がざわつくのもおかまいなしに続ける。
「趙宰相。あなたが率先して不正を行ってきた償いをせよ」
名指しされた宰相は顔色ひとつ変えず、むしろ薄笑いを浮かべた。
「貿易の手数料の件は、目を瞑るとおっしゃったではありませんか」
するとヤンジンは首を横に振った。
「その件ではない。営利目的の副業は禁止のはずだが、娼館を営んでいるだろう」
「はて、何のことでございましょう?」
「大々楼だ」
都の商業区域にある小さな建物の名を挙げられても、宰相は動じない。
「ああ、あれはたしかに私が所有しております。しかし娼館とは不本意ですな。あそこは客人を招いて食事をするための別宅のようなものです」
「妓女がいると聞いているが?」
「彼女たちには余興として胡琴を演奏させているだけでございます。もしもねんごろな関係になったとしても、それはただの恋愛でございましょう」
宰相は、ヤンジンを馬鹿にしきったような無礼な声色で釈明する。それに対しヤンジンは、ふむ、と小首を傾げた。
「では、そこで行われた金銭の授受は、娼館経営の利益ではなく汚職か脅迫ということになるな」
ここで初めて宰相の顔色が少し変わった。
「なっ! 金銭の授受など知りませぬ。とんだ濡れ衣です」
「おまえが便宜を図る見返りにと要求した金と、色仕掛けの罠にはめて脅し取った金のことだ。本当に覚えていないのか?」
ヤンジンの綿密な調査と根回しはすでに終わっている。
宰相は、不敵な笑みを浮かべるヤンジンをじっと見つめてゴクリと唾を呑み込んだ。
「証拠はあるのですか?」
「もちろんだ。おまえのほうで残していなくとも、支払わされた側は細かく記録して残しているものだ」
強引なやり口は不満を呼ぶ。
己の求心力が落ちていると気づかずに、権力に胡坐をかいた結果だ。
宰相は拳を震わせながら、朝堂にいる面々をぐるりとねめつけた。
この中に裏切り者がいると悟ったのだろう。
「宰相は、己の金銭の授受を覚えていないようだ。冷たい牢屋で頭を冷やして思い出していただかなくてはな」
ヤンジンが片手を上げると、衛兵が朝堂へ入ってきた。
宰相の腕を乱暴に掴んで立ち上がらせる。
「お待ちください! こんな卑怯な手は許されませぬぞ!」
宰相は喚きながら連行されていった。
「皆の者、私に協力してくれたことを深く感謝する」
静かになった朝堂にヤンジンの高らかな声が響く。
「今後の政務は私を中心として執り行うつもりだ。引き続き支えてほしい」
傀儡皇帝からの脱却宣言に新たな時代の到来を予感した面々が、胸を熱くする。
その中のひとり、ミンジュの養父である柳尚書が満足げに頷く様子に、ヤンジンは内心苦笑した。
おっとりした狸のような風貌だが、彼はなかなかの野心家らしい。
宰相におもねる態度を見せながら、腹の中ではいつか寝首をかいてやろうと思っていたのだろう。
ヤンジンからの要請であっさり手のひらを返して宰相を裏切り、さらには宰相派の者たちへの働きかけも積極的に行ったからこそ、こんなにも早く宰相の排除に成功したのだ。
ヤンジンが肩の力を抜いた時、火急の知らせが届いた。
「後宮で刃物騒動がありました! ミンジュ様とリンファ様がお怪我を……!」
朝堂に緊張が走る中、柳尚書が立ち上がった。
「まさか……あの刃物には毒が……」
唇がわなわなと震えている。
柳尚書の言葉で、ヤンジンの脳裏に数日前に交わしたミンジュの声が蘇る。
『ちょうど養父に護身用の小刀がほしいとお願いしたところです』
刃に毒を塗るように言っていたのだろうか。
その小刀で怪我を負ったのだとしたら——。
ヤンジンは朝堂を飛び出したのだった。
リンファの使いが宮を訪ねたり、お見舞いを持参してもすべて拒絶しているらしい。
手紙は偽物だが、おそらく今までの出来事ややりとりを振り返り、捨て駒扱いされていると確信するに至ったのだろう。
「上手くいったようだな」
ヤンジンが悪そうな顔で笑っている。
「これで孤立したリンファ様がどう動くか、見ものですね」
ミンジュも釣られて悪そうな顔で笑う。
しかしここで、ヤンジンは笑顔を引っ込めた。
「何度も言うが、無理はするな。俺は明日の朝議で宰相を糾弾する予定だ。その山場さえ超えればあとはどうとでもなる」
(わたしを捨て駒扱いすればリンファと同類だと思って気遣ってくれているのかしら……?)
先日から過保護ぶるヤンジンの意図がどうにもわからない。
ミンジュは、不可解なモヤモヤを振り払うように笑ってみせた。
「ご武運をお祈りしております」
******
翌朝。
朝議の場に全員が集まったのを見計らったヤンジンが突然切り出した。
「これまでずっと黙ってきたが、さすがにもう看過できない。中央官僚たちの腐敗を正したい」
朝堂がざわつくのもおかまいなしに続ける。
「趙宰相。あなたが率先して不正を行ってきた償いをせよ」
名指しされた宰相は顔色ひとつ変えず、むしろ薄笑いを浮かべた。
「貿易の手数料の件は、目を瞑るとおっしゃったではありませんか」
するとヤンジンは首を横に振った。
「その件ではない。営利目的の副業は禁止のはずだが、娼館を営んでいるだろう」
「はて、何のことでございましょう?」
「大々楼だ」
都の商業区域にある小さな建物の名を挙げられても、宰相は動じない。
「ああ、あれはたしかに私が所有しております。しかし娼館とは不本意ですな。あそこは客人を招いて食事をするための別宅のようなものです」
「妓女がいると聞いているが?」
「彼女たちには余興として胡琴を演奏させているだけでございます。もしもねんごろな関係になったとしても、それはただの恋愛でございましょう」
宰相は、ヤンジンを馬鹿にしきったような無礼な声色で釈明する。それに対しヤンジンは、ふむ、と小首を傾げた。
「では、そこで行われた金銭の授受は、娼館経営の利益ではなく汚職か脅迫ということになるな」
ここで初めて宰相の顔色が少し変わった。
「なっ! 金銭の授受など知りませぬ。とんだ濡れ衣です」
「おまえが便宜を図る見返りにと要求した金と、色仕掛けの罠にはめて脅し取った金のことだ。本当に覚えていないのか?」
ヤンジンの綿密な調査と根回しはすでに終わっている。
宰相は、不敵な笑みを浮かべるヤンジンをじっと見つめてゴクリと唾を呑み込んだ。
「証拠はあるのですか?」
「もちろんだ。おまえのほうで残していなくとも、支払わされた側は細かく記録して残しているものだ」
強引なやり口は不満を呼ぶ。
己の求心力が落ちていると気づかずに、権力に胡坐をかいた結果だ。
宰相は拳を震わせながら、朝堂にいる面々をぐるりとねめつけた。
この中に裏切り者がいると悟ったのだろう。
「宰相は、己の金銭の授受を覚えていないようだ。冷たい牢屋で頭を冷やして思い出していただかなくてはな」
ヤンジンが片手を上げると、衛兵が朝堂へ入ってきた。
宰相の腕を乱暴に掴んで立ち上がらせる。
「お待ちください! こんな卑怯な手は許されませぬぞ!」
宰相は喚きながら連行されていった。
「皆の者、私に協力してくれたことを深く感謝する」
静かになった朝堂にヤンジンの高らかな声が響く。
「今後の政務は私を中心として執り行うつもりだ。引き続き支えてほしい」
傀儡皇帝からの脱却宣言に新たな時代の到来を予感した面々が、胸を熱くする。
その中のひとり、ミンジュの養父である柳尚書が満足げに頷く様子に、ヤンジンは内心苦笑した。
おっとりした狸のような風貌だが、彼はなかなかの野心家らしい。
宰相におもねる態度を見せながら、腹の中ではいつか寝首をかいてやろうと思っていたのだろう。
ヤンジンからの要請であっさり手のひらを返して宰相を裏切り、さらには宰相派の者たちへの働きかけも積極的に行ったからこそ、こんなにも早く宰相の排除に成功したのだ。
ヤンジンが肩の力を抜いた時、火急の知らせが届いた。
「後宮で刃物騒動がありました! ミンジュ様とリンファ様がお怪我を……!」
朝堂に緊張が走る中、柳尚書が立ち上がった。
「まさか……あの刃物には毒が……」
唇がわなわなと震えている。
柳尚書の言葉で、ヤンジンの脳裏に数日前に交わしたミンジュの声が蘇る。
『ちょうど養父に護身用の小刀がほしいとお願いしたところです』
刃に毒を塗るように言っていたのだろうか。
その小刀で怪我を負ったのだとしたら——。
ヤンジンは朝堂を飛び出したのだった。


