ならば憎まれ役になりましょう~傀儡皇帝との秘密の盟約~

「気を付けたほうがいい。命を狙われているぞ」
 深夜の打ち合わせで、ヤンジンが眉をきつく寄せながら言った。
 いつものおもしろがるような表情は鳴りを潜めている。

「いまさらそれを言うのですか?」
 ミンジュは思わず笑った。
 そんな覚悟ならとっくにしている。妹の命を虫けらのように扱った宰相へ復讐できるのなら、この命など惜しくはないとも思っている。

「笑い事ではない。宰相がリンファに、おまえを殺せと命じる手紙を送ったらしい」
「そんな単刀直入な手紙を?」
「もちろん暗号でだ」

 なるほど、とミンジュは頷いた。
 一見なにげない内容に思える手紙を、一定の法則に基づいて読むと暗号が出てくるやつだ。
 宰相親子はそれを使って堂々と手紙のやりとりをしているが、実はヤンジンはとっくの昔にそれを見破っていたのだろう。
 ヤンジンを御しやすい若造だと見くびっている証拠だ。
 
 そして、それを逆に利用して、手紙の内容を知りながらずっと泳がせていたヤンジンは本当に食えない男だとあらためて思う。

「どうせまた、タオシャンを捨て駒にするのでしょう」
 リンファが自らの手を汚すはずがない。
 物的証拠となる手紙も、どうせ読み終えたそばから燃やしているだろう。

「あと少しで宰相を追い落とすだけの証拠がそろう。それまで気を付けてくれ。警備も強化している」
「ちょうど養父に護身用の小刀がほしいとお願いしたところです」
 どこまで護身になるかはわからないが、丸腰よりはマシだろうと考えている。

 宰相は決定的な証拠を残さない。
 しかし周囲の者はちがう。ミンジュは官吏として働いていた頃の経験を生かし、宰相に関する黒い噂やそれに関係していそうな人物についてヤンジンに情報提供してきた。
 噂の周辺を探っていけば必ず証拠は見つかるはずだ。

「わたしは、リンファの追放に尽力しなければなりませんね」
 リンファは庇護欲をそそる姿を偽り周囲の人間たちを騙しつづけている。
 宰相が失脚しても彼女に同情が集まれば、後宮からの追放とはならないだろう。かえって支持が集まる恐れまである。

 ヤンジンの野望は、宰相派の完全排除だ。
「いいことを思いつきました」
 ミンジュはポンと両手を合わせた。
「タオシャンとリンファを仲たがいさせて、リンファを孤立させましょう」

「うれしそうだな」
 ヤンジンがプハッと笑う。
 ミンジュがあるお願いをすると、ヤンジンはそれを了承した。

「わかった。ただし無理はするなよ」
 本当に心配しているような声色にミンジュは戸惑う。
「万が一、陛下の足手まといになるような事態が生じたら、遠慮なくわたしを捨ててください」
 ヤンジンは、ミンジュを殺すと脅されたぐらいで情に流されるような人ではないだろう。
 それでもなぜか念押しせずにはいられなかった。

 ヤンジンは困ったように苦笑するだけで頷いてはくれず、ミンジュはますます困惑したのだった。

 ******

 数日後。
 ミンジュは池の周りを散歩するたびに、突き刺してくるような視線を感じている。
 振り返れば、殺気を隠そうともしないタオシャンが少し離れた場所から睨んでいるのだ。

 リンファにそそのかされたにきまっている。
 さすがにズバリ「殺せ」と言われているわけではないはずだ。
 リンファは人心掌握に長けている。
 涙を浮かべながら『ミンジュと同じ空気を吸っていると思うだけで苦しい』とでも言ったにちがいない。
 タオシャンはその気持ちを汲んで動き出したのだろう。
 
 ミンジュは四阿に入り椅子に腰かけると、大声でタオシャンを呼んだ。
「こっちに来なさいな」
 すると、憮然としながらもタオシャンが近寄ってくる。

 刃物を持っているとすれば、刺し殺す絶好の機会を与えたことになる。
 だからそうなる前に、ミンジュはすかさず尋ねた。
「あなた、リンファ様に頼まれてわたしを殺そうと思っているんでしょう? どんな弱みを握られているの?」

「弱みなんて握られていないわ。リンファ様とは親友だもの」
 タオシャンは怒気を孕んだ目をミンジュに向ける。
「そう思っているのは、あなただけよ。リンファ様は捨て駒としか思っていないわ」
「私たちのことなんて、何も知らないくせに!」

「そうね。わたしが殺されたら、リンファがその罪をあなただけに擦り付けて捨てようとしていることぐらいしか知らないわね」
 ミンジュは悠然と微笑んだ。
 タオシャンの表情が一瞬抜け落ちる。
「な、何を根拠にそんなことを……」

「わたしを殺せと暗号で書かれた手紙よ。いま、あなたの宮のどこかにあるわ。それが決定的な証拠となって、あなたは殺人罪に問われるの」
「手紙……?」
「皇帝陛下の寵妃を殺したらどうなるかぐらい、わかるでしょう?」

「待って。それより手紙って何?」
 タオシャンが食いついてきた。
 
「陛下の影から聞いたの」
 こう言えば信憑性が高まる。皇帝直属の影がいることぐらい、タオシャンだって知っているだろう。
 しかも今回は、本当に影に動いてもらったのだ。
「リンファがあなたを陥れるつもりで、わたしを殺せと命じた手紙をあなたの鏡台の引き出しに入れたらしいわよ?」

 本物の手紙はとっくにリンファが処分しているはずだ。
 タオシャンの宮に忍ばせた手紙は偽物——検閲の際に暗号を読み解き模写したものがあるとヤンジンから聞き、それを利用しようとミンジュが思いついた。

「なんでリンファ様がそんなことを……」
 タオシャンは青ざめて瞳を揺らしている。
「先日のお茶会を思い出してみて。あの時だって、全部あなたの女官のせいにされたじゃないの」
 あの女官は、翌日から姿を見せなくなった。
「次は、あなたの番じゃないかしら」

「でも! 影がそこまで知っているなら、私の潔白を証明してくれるのではないの?」
 動揺しているタオシャンの的外れな反論に、ミンジュは思わず笑った。
「何を言っているの。わたしに危害を加えるつもりなのでしょう? 潔白どころかどのみち真っ黒じゃないの」
 
 きっと常日頃からリンファに『自分たちは運命共同体だから、お互いに庇い合おう』とでも言われているのだろう。
 だからわたしを害しても、たいした罪に問われぬようもみ消してもらえるはずだと思い込んでいたのかもしれない。
 
「あなたは信用されていないのよ。リンファ様のためだったと白状されたら迷惑だもの。だからリンファとは無関係な筋からの依頼だったと思わせたいのね」
 宰相からの手紙は巧妙で、暗号化されているだけでなく誰から誰宛のものなのか書かれていなかったという。
 それを逆手に取らせてもらった。

 タオシャンは黙り込む。
「だから馬鹿なことをするのはやめたほうがいいわ。まだ死にたくないでしょう?」
 ミンジュがニタリと笑うと、タオシャンはくるりと踵を返し早足で去っていった。
 
 宮へ戻って手紙を確認するつもりだろう。
 たとえ暗号の読解ができなくとも、見覚えのない手紙を見つければどう思うか。
 ミンジュは小さくなっていく背中を見送った。