「どういうことだっ!」
瑞国の宰相・趙大弥は、読み終えた書簡をグシャリと握りつぶし長案に叩きつける。
脂ぎったその顔は怒りに震えている。
書簡には、具亜王国の国王からの決別宣言がしたためられていた。
『あなたを信じて末娘のエニスを嫁がせたのに、ひどい虐めに遭った挙句病死したではないか。もう信用ならない。これまであなたに図っていた便宜を止め、礼部を通した通常の取引にする』
大まかに言えば、そんな内容だ。
宰相は深呼吸して気持ちを落ち着かせ、今回の一件について考えを巡らせた。
後宮内でエニスを虐めていたとされるのは、柳家が養女にしたミンジュ。
エニスは原因不明の急病により命を落としたとされているが、ミンジュが毒を盛ったとの噂もある。
それを隠蔽するためか、母国にはエニスの金髪をひと房送るのみに留めて荼毘に付したと聞いている。
ミンジュへのお咎めが一切ないのは、皇帝からの寵愛を受けているためだ。
亡骸すら戻ってこなかったのだから、エニスの父親である具亜国王の怒りはよくわかる。
その半面、随分と上目線で一方的な宣言が気にかかる。人質として取られていた娘が亡くなったことで、もう遠慮はいらないとでも思っているのだろうか。
貿易の中継地として選んでやったのはこちらだ。
(立場をわからせるために、別の国に挿げ替えてもいいのだぞと再び脅したほうがよそうだ)
筆を執ろうとした宰相は、ふと手を止めた。
何かおかしい——宰相を長年務めた勘が警鐘を鳴らしている。
「エニス様の遺体を運んだ者を呼んでこい」
部下に命じた翌日、不可解な回答が返ってきた。
「人足の男と下女のふたりで牛車を引いて門外へ出たことはわかっていますが、人物の特定ができません」
暗がりで口元を覆っていたこともあり、それが誰だったのかよくわからないらしい。
おまけに、いつの間にか後宮を抜け出した皇帝とミンジュが馬に乗って戻ってきた日と重なるという。
ミンジュの悪影響で皇帝の素行が悪くなっているとの報告は受けていたが、日付が重なっていたことまでは知らなかった。
「まさか……!」
エニスの遺体を運んだ男女ふたりが皇帝とミンジュだったとしたら、その意図は何だったのか。
皇帝は幼い頃から感情を表に出さないおとなしい性格だった。
よく言うことを聞き、何事にも実直に取り組む素直さも持ち合わせている。
東宮時代に娘のリンファを嫁がせた時も、淡々と受け入れていた。
夜伽がないのもおとなしさゆえの奥手なだけで、いずれはと思っていたのだが……。
ヤンジンは連日ミンジュのもとへ通い、高価な宝飾品を贈っているという。
人目をはばからず中庭でも寄り添う姿は、仲睦まじい夫婦のようだと聞き及んでいる。
かたやリンファのことは視界にも入らぬかのように無視を決め込み、ぞんざいに扱っているというではないか。
(ヤンジンは、いつから何を企んでいたのか……あるいは、ミンジュにそそのかされたのか?)
宰相は、ミンジュの養父である柳尚書の最近の浮かれようも気にかかっていた。
ミンジュが入内できるよう後押ししてやったというのに、寵愛されていると見るや手のひらを返したように宰相をぞんざいに扱うようになった。
朝議の後、皇帝に直接問いただしてやろう。
そう思っていた宰相は、不意打ちを喰らった。
朝議の終盤に、皇帝がもうひとつ議案があると言い出したのだ。普段はただ黙って頷くだけの傀儡皇帝が、皆の前で言葉を発すること自体が珍しい。
「ところで趙宰相。具亜王国との取引だが」
「何でございましょう」
宰相の声に警戒心がこもる。
「関係構築に尽力してもらっただけでなく取引すべてを任せる形になったままで苦労をかけた。今後は礼部に任せるゆえ安心してほしい」
「いや、しかし——」
反論しようとする宰相の言葉を皇帝が遮る。
「帳簿の数字が合わない箇所は、手間賃として目を瞑ろう」
宰相の顔がこわばった。
受け取った金銭の一部を懐に入れていたのがバレているのだろう。
それを不問にするから、もう手を引けと言われているのだ。
しかし、宰相はこれでおとなしく引き下がる性格ではない。
「エニス様の一件で具亜国王は大変お怒りです。ミンジュ様へのお咎めはないままでしょうか」
朝議の参加者のうち、柳尚書を除く全員がその通りだと頷き合っている。
宰相はさらに続けた。
「ミンジュ様の横暴な振る舞いで、後宮が混乱していると聞き及んでおります。どうか目をお覚ましください」
ところが皇帝は、悪びれもせずに笑った。
「ミンジュは私の寵妃だ。早く彼女との子がほしい」
ざわつく者たちを残して、皇帝は朝堂を去っていった。
青ざめた顔で政事堂へ戻ってきた宰相は、リンファ宛の手紙をしたためた。
焚きつけられた自覚ならある。しかし、どうにも怒りが収まらない。
『皇帝を振り向かせることが不可能なら、ミンジュを亡き者にせよ』
もちろん、一目でそれとはわからぬような暗号で綴る。
最近、宦官長の命令で後宮は厳重な警備が敷かれている。
ミンジュの菓子に毒を混ぜた不届きな輩がいたため、警備を強化したらしい。
つまり、外から刺客を送り込むのは不可能だ。ならば内側にいる身内にやらせるしかない。
(リンファ、おまえなら上手くやり遂げるだろう。期待しているぞ)
宰相は、宝飾品の箱に手紙を添えてリンファに送ったのだった。
瑞国の宰相・趙大弥は、読み終えた書簡をグシャリと握りつぶし長案に叩きつける。
脂ぎったその顔は怒りに震えている。
書簡には、具亜王国の国王からの決別宣言がしたためられていた。
『あなたを信じて末娘のエニスを嫁がせたのに、ひどい虐めに遭った挙句病死したではないか。もう信用ならない。これまであなたに図っていた便宜を止め、礼部を通した通常の取引にする』
大まかに言えば、そんな内容だ。
宰相は深呼吸して気持ちを落ち着かせ、今回の一件について考えを巡らせた。
後宮内でエニスを虐めていたとされるのは、柳家が養女にしたミンジュ。
エニスは原因不明の急病により命を落としたとされているが、ミンジュが毒を盛ったとの噂もある。
それを隠蔽するためか、母国にはエニスの金髪をひと房送るのみに留めて荼毘に付したと聞いている。
ミンジュへのお咎めが一切ないのは、皇帝からの寵愛を受けているためだ。
亡骸すら戻ってこなかったのだから、エニスの父親である具亜国王の怒りはよくわかる。
その半面、随分と上目線で一方的な宣言が気にかかる。人質として取られていた娘が亡くなったことで、もう遠慮はいらないとでも思っているのだろうか。
貿易の中継地として選んでやったのはこちらだ。
(立場をわからせるために、別の国に挿げ替えてもいいのだぞと再び脅したほうがよそうだ)
筆を執ろうとした宰相は、ふと手を止めた。
何かおかしい——宰相を長年務めた勘が警鐘を鳴らしている。
「エニス様の遺体を運んだ者を呼んでこい」
部下に命じた翌日、不可解な回答が返ってきた。
「人足の男と下女のふたりで牛車を引いて門外へ出たことはわかっていますが、人物の特定ができません」
暗がりで口元を覆っていたこともあり、それが誰だったのかよくわからないらしい。
おまけに、いつの間にか後宮を抜け出した皇帝とミンジュが馬に乗って戻ってきた日と重なるという。
ミンジュの悪影響で皇帝の素行が悪くなっているとの報告は受けていたが、日付が重なっていたことまでは知らなかった。
「まさか……!」
エニスの遺体を運んだ男女ふたりが皇帝とミンジュだったとしたら、その意図は何だったのか。
皇帝は幼い頃から感情を表に出さないおとなしい性格だった。
よく言うことを聞き、何事にも実直に取り組む素直さも持ち合わせている。
東宮時代に娘のリンファを嫁がせた時も、淡々と受け入れていた。
夜伽がないのもおとなしさゆえの奥手なだけで、いずれはと思っていたのだが……。
ヤンジンは連日ミンジュのもとへ通い、高価な宝飾品を贈っているという。
人目をはばからず中庭でも寄り添う姿は、仲睦まじい夫婦のようだと聞き及んでいる。
かたやリンファのことは視界にも入らぬかのように無視を決め込み、ぞんざいに扱っているというではないか。
(ヤンジンは、いつから何を企んでいたのか……あるいは、ミンジュにそそのかされたのか?)
宰相は、ミンジュの養父である柳尚書の最近の浮かれようも気にかかっていた。
ミンジュが入内できるよう後押ししてやったというのに、寵愛されていると見るや手のひらを返したように宰相をぞんざいに扱うようになった。
朝議の後、皇帝に直接問いただしてやろう。
そう思っていた宰相は、不意打ちを喰らった。
朝議の終盤に、皇帝がもうひとつ議案があると言い出したのだ。普段はただ黙って頷くだけの傀儡皇帝が、皆の前で言葉を発すること自体が珍しい。
「ところで趙宰相。具亜王国との取引だが」
「何でございましょう」
宰相の声に警戒心がこもる。
「関係構築に尽力してもらっただけでなく取引すべてを任せる形になったままで苦労をかけた。今後は礼部に任せるゆえ安心してほしい」
「いや、しかし——」
反論しようとする宰相の言葉を皇帝が遮る。
「帳簿の数字が合わない箇所は、手間賃として目を瞑ろう」
宰相の顔がこわばった。
受け取った金銭の一部を懐に入れていたのがバレているのだろう。
それを不問にするから、もう手を引けと言われているのだ。
しかし、宰相はこれでおとなしく引き下がる性格ではない。
「エニス様の一件で具亜国王は大変お怒りです。ミンジュ様へのお咎めはないままでしょうか」
朝議の参加者のうち、柳尚書を除く全員がその通りだと頷き合っている。
宰相はさらに続けた。
「ミンジュ様の横暴な振る舞いで、後宮が混乱していると聞き及んでおります。どうか目をお覚ましください」
ところが皇帝は、悪びれもせずに笑った。
「ミンジュは私の寵妃だ。早く彼女との子がほしい」
ざわつく者たちを残して、皇帝は朝堂を去っていった。
青ざめた顔で政事堂へ戻ってきた宰相は、リンファ宛の手紙をしたためた。
焚きつけられた自覚ならある。しかし、どうにも怒りが収まらない。
『皇帝を振り向かせることが不可能なら、ミンジュを亡き者にせよ』
もちろん、一目でそれとはわからぬような暗号で綴る。
最近、宦官長の命令で後宮は厳重な警備が敷かれている。
ミンジュの菓子に毒を混ぜた不届きな輩がいたため、警備を強化したらしい。
つまり、外から刺客を送り込むのは不可能だ。ならば内側にいる身内にやらせるしかない。
(リンファ、おまえなら上手くやり遂げるだろう。期待しているぞ)
宰相は、宝飾品の箱に手紙を添えてリンファに送ったのだった。


