ならば憎まれ役になりましょう~傀儡皇帝との秘密の盟約~

「仲睦まじいのは大変喜ばしいのですが、私にだけはひとこと断りを入れてくださいね」
 三日たってもまだ、遠乗りの一件に関して女官のシージェンからお小言を受ける。
 何も言わずに後宮を抜け出したのが、よほど不本意だったらしい。
 万が一、お忍び先で事件でもあれば、シージェンも監督不行き届きで処罰の対象となり得るのだから当然といえば当然なのだが。

「あまり羽目を外しすぎると、お養父(とう)様の顔に泥を塗ることになるから気を付けるわね」
 殊勝な態度を見せると、シージェンの表情も和らいだ。
「ご当主様は、ミンジュ様が寵妃となられたことを大変お喜びです。本日もまた荷物が届きました」
 シージェンは奥から箱を持ってくる。
 中を確かめると、花の装飾が美しい簪とお香が入っていた。
 
 近頃養父は、せっせとこうした贈り物をしてくる。
 ミンジュが皇帝の子を身籠れば、その子は世継ぎとなる可能性がある。つまり、養父はお世継ぎの祖父になるのだ。
 この国を牛耳っている宰相の横暴な振る舞いに辟易している者が多いのも、官吏として働いていたミンジュはよく知っている。
 養父は宰相派であるものの、むくむくと膨れ上がる野心を止められないのだろう。
 徐々に宰相派にほころびが生まれはじめているのをミンジュも肌で感じていた。

「今日の簪はさっそくこれにしましょうか」
 シージェンが届いたばかりの花の簪を持ち上げる。
 しかしミンジュはその提案に同意しなかった。
「いいえ。陛下からいただいた紅玉(ルビー)の簪にしてちょうだい」
 赤い色は火と情熱の象徴。ついに直接対決することとなったリンファとのお茶会にふさわしい。

 深紅の襦裙に紅玉の簪、唇にも真っ赤な紅を差し、ミンジュは約束の中庭へと向かったのだった。

 四阿にはリンファのほかにふたりの妃がいた。リンファの取り巻きといったところだろうか。
 約束の時間通りに行ったはずなのに、いかにも長く待たされたという(てい)で待っている三人だ。
 端から見れば、わがままなミンジュが遅刻したように見えるだろう。

 別にそれでかまわない。どうせミンジュは憎まれ役なのだから。
「お待たせしました」
 何食わぬ顔で挨拶をする。

 ミンジュとは対照的な、爽やかな淡緑色を基調とした襦裙をふんわり着こなすリンファが立ち上がった。
「ようこそいらっしゃいました」
 その声は鈴の音のように可愛らしい。あどけなさの残る笑顔もなんとも無垢で清純だ。

 世の中の男性が好みそうな女性像を具現化しているようなリンファに面食らいながら、ミンジュは椅子に腰かけた。
 リンファが、短気で横柄でいかつい風貌の趙宰相の娘だとは、にわかに信じがたい。
 
(ヤンジンがこの子に手を出さないなんて、どうなっているの!?)
 宰相の娘でなければリンファにはたくさんの縁談が持ち込まれ、幸せな結婚生活が送れたのではないかとお節介なことまで考えてしまった。
 しかし……。
 ミンジュの目の前に並べられた茶菓子と茶杯を見て、その考えが一変する。

 ほかの三人の皿には芝麻球が載っている。胡麻餡を包んだ白玉生地の表面に白胡麻をまぶして揚げたよくあるお菓子だ。
 ところがミンジュの目の前にある皿に載っているのは、泥をまぶしてあるように見える。いや、中身もすべて泥かもしれない。
 おまけに茶杯の中身まで泥水だった。

 わかりやすい嫌がらせに面食らいながらミンジュが顔を上げる。
 目が合うと、リンファは「どうかしたのか」とでも言いたげに、こてんと首を傾げた。
「さあ、冷めないうちにいただきましょう」

「美味しいですわね」
「ミンジュ様は、召し上がらないのかしら」
 取り巻きふたりは、ミンジュがどんな反応をするのかと期待するようにニヤニヤしている。
 ミンジュは、艶やかな可愛らしい唇で芝麻球を食べるリンファを真っすぐ見つめた。
 しかしリンファに動揺する様子は一切ない。

 ここでミンジュが怒って騒いでも泥団子と泥水のことは伏せられ、せっかくの茶会を台無しにしたと吹聴するつもりだろう。
(なるほど。やっぱりこの子は宰相の娘だわ)
 ミンジュは、ふふっと笑いを漏らしながら泥団子の皿を持ち上げる。
 口を開こうとしたその時、背後がなにやら騒がしくなった。

 驚いたことに、ヤンジンがこちらへやってくる。
 皆が一斉に立ち上がり拱手の礼をした。

「妃嬪たちの間では、このような菓子が人気なのか?」
 ヤンジンは整った笑みを浮かべながら、ミンジュの手から皿を取り上げた。
 四阿がしん、と静まり返る。

「召し上がってみますか? 美味しいらしいですよ」
 ミンジュが泥団子を指でつまみ、満面の笑みでヤンジンの口元へ近づけた。悪ふざけに、ヤンジンの形のいい眉がピクリと動く。

 ひとりだけ安全な場所から邪魔者に仇なそうとしているのはリンファだけではない。ヤンジンも同類だ。
 だからミンジュは、ちょっとした仕返しができて胸のすく思いがした。
 
桃香(タオシャン)?」
 ミンジュの悪ふざけを止めたのは、リンファのそのひと言だった。
 名を呼ばれた取り巻きのひとり、タオシャンの顔が途端に青ざめる。たしかに茶菓子の皿を配ったのは彼女の女官だ。

「説明して?」
 リンファはこの罪をタオシャンと女官に押し付け、自分はシラを切りとおすつもりらしい。
 タオシャンはガクガク震えている。
「申し訳ございませんっ! 手違いがあったようです!」
 女官が跪き、地面に額をこすりつけた。

「誰にでもまちがいはある。次回からはもっと気を付けるように」
 ヤンジンの声色は柔らかいが、女官を見下ろす双眸は冷え切っている。

 泥団子を皿へ置いたミンジュは、汚れた指先を拭おうと手巾を取り出した。
 横からヤンジンが手を伸ばし指を拭いてくれた——だけでなく、あろうことかその指先に唇を寄せる。
 ミンジュの背後で複数の人の息を呑む音が聞こえた。

(やりすぎです!)
 目配せで訴えるミンジュに、今度はヤンジンがいたずらっ子のような笑みを一瞬向ける。

 ここは彼女たちに見せつける場面だ。ヤンジンに負けてはいられない。
「ヤンジン様、どうしてこちらに?」
 ミンジュは自分だけが許されているのだと強調するように、ヤンジンの名を呼ぶ。
 茶会の話ならしていたが、まさか様子を見にくるとは思わなかった。
「執務の合間にミンジュの顔が見たくなった」
 甘い微笑みを浮かべながら、ヤンジンがミンジュの腰に腕を回して引き寄せる。

「ふふっ。宮まで送ってくださる?」
「もちろんだ」
 ミンジュは振り返り、三人へ勝ち誇ったような一瞥をくれて歩き出した。
 
 ヤンジンが耳元で囁く。
「俺が来なかったらどうするつもりだった?」
「食べてみせるか、投げつけてやるか迷っているところでした」
「どちらも見たかったな」
 ミンジュとヤンジンは額を突き合わせ、クスクス笑いながら去っていく。
 
 睦言を囁き合っているように見えるふたりを、リンファは奥歯を噛みしめながら睨みつけていた。