ならば憎まれ役になりましょう~傀儡皇帝との秘密の盟約~

「本当にうまくいくでしょうか……」
 宦官長が眉根を寄せてヤンジンを見つめる。
 新しく入内したミンジュに、取引を持ちかけたらしい。
 
 幼馴染でもある宦官長は、ヤンジンの唯一の味方であるといっても過言ではない。
 ヤンジンの母親である皇太后ですら、
『おとなしく宰相に従って、彼の娘との間に子をもうけなさい』
と諭す始末。皆、ヤンジンは傀儡皇帝であり続ければいいと思っているのだ。
 
 先代皇帝のような傀儡にはなりたくないと悔しがる彼を支えたくて、自ら宦官になることを申し出た。
 後宮は皇帝以外の男子は禁制。つまり、ここに宰相は入れない。
 宰相の牙城を切り崩す第一歩が、後宮を完全掌握することだ。

 ヤンジンが皇太子の頃、宰相はすでに娘を東宮に輿入れさせた。それが三年前。
 当時、娘の鈴華(リンファ)は十五歳、ヤンジンは十八だった。
 互いに子を為すのも可能な年齢とされていたが、ヤンジンは『もう少しリンファの体が成熟したら』とやんわり夜伽を拒否し、そのまま現在に至る。
 
 昨年、先代皇帝の崩御に伴いヤンジンが皇帝の座に就いた。
 後宮は刷新され、リンファはもちろんのこと、異国の王の娘エニスも相次いで入内した。
 このふたりは最も宰相の息のかかる妃だ。
 排除に成功すれば、宰相にとって大きな痛手になるだろう。焦った宰相が仕返ししてやろうと画策すれば尚のこと好都合だ。
 それを足掛かりに宰相をも排除できる可能性がある。

 しかし……。
「養女とはいえ柳家も宰相派です。裏切られるやもしれません」
「なあに、かまわん」
 ヤンジンは片膝を立てた行儀の悪い作法で盃を傾ける。
「ミンジュがしくじった時は、シラを切りとおして知らぬ存ぜぬを貫けばいい」

 女の一方的な思い込みだった——愛憎渦巻く後宮では、いかにもありそうな話だ。
 企みが露見してミンジュが処罰されようが、ヤンジンにとっては痛くもかゆくもない。ただの捨て駒なのだから。
 また新たな駒が手に入るのを待てばいいだけだ。
 
 ヤンジンの悪そうな微笑みを見た宦官長は、肩をすくめて宮を後にした。
「それに、なかなか骨のありそうな女だった」
 フッと笑ったヤンジンの言葉は、宦官長の耳には届かなかった。

 ******

 ヤンジンと奇妙な密約を交わした翌朝。
「昨夜のお渡りはいかがでしたか?」
 女官の実見(シージェン)は、興味津々の様子を隠そうとしない。
 シージェンは養父が手配した女官で、ミンジュの実母と変わらないぐらいの年齢だと思われる。
 まめに世話を焼いてくれるのは助かるが、おそらくミンジュの動向を報告する役割も担っているのだろう。

 そんな彼女にまさか、後宮をひっくり返すってことで意気投合したなどど、口が裂けても言えない。
「……初めてのことで、いまだに戸惑っているの。夢だったのではないかと思って」
「まあっ!」
 何を想像したのか、シージェンは頬を赤らめる。
 嘘は言っていない。ミンジュは本当に、昨晩のやり取りは夢だったのかもしれないと思いはじめていた。
 
 しかし、宦官長が部下を引き連れたくさんの荷物を抱えて現れた時、あの契約が夢でも冗談でもないと悟った。
「陛下からの贈り物でございます」
 箱を開けると、宝石のあしらわれた豪華な装飾品や、上質の絹織物が次々と出てくる。
「今宵もお渡りがございますので、ご準備をお願いいたします」
 宦官長は恭しく首を垂れると、呆気にとられるミンジュとシージェンを残して去っていった。

「ミ、ミンジュ様。これは……?」
 大量の贈り物を前に、シージェンが目を白黒させる。
「陛下の本気を見せつけられたわね」
「素晴らしいですっ! たったひと晩でご寵愛を賜るほど陛下の御心を射止めるとは!」
 シージェンは、柳家へすぐにでも報告したくてたまらなさそうな勢いで喜んでいる。
 それも計算しての贈り物の山なのだとしたら、ヤンジンはなかなかの策士だ。

 その夜、ヤンジンとミンジュは額を突き合わせて今後の計画を立てた。
「まず追放するのはエニスだ」
 
 エニスは西方の具亜(ジュヤ)王国の出身で、国王の末娘。
 具亜王国は絹織物や宝石、鉱物資源などを取引する重要な貿易相手だが、対等な関係ではない。
 我が瑞国は、具亜王国を介してさらに西方の国々へ流通させている。具亜王国はその手数料を得ているが、こちらとしては必ずしも具亜王国を通さなければ荷物を運べないわけではない。
 瑞国の貿易品を独占して流通させる交渉をしたのが、趙宰相だ。貿易利益の一部は、国庫に入らず彼の懐に入っているにちがいない。
 さらに宰相は、ヤンジンへ代替わりした際に妃を要求した。『両国の絆を深めるために』と言えば聞こえはいいが、要は人質だ。
 まだ十歳の可愛い末娘を異国へ嫁がせるのは苦渋の選択だっただろう。
 後宮へやってきてちょうど一年になるエニスだが、いまだにこちらの生活にも言葉にも馴染めないままだという。
 
「エニスを故郷へ帰してやりたい」
 ヤンジンの言葉に、ミンジュはハッと顔を上げた。
「なんだ、殺せと言うとでも思っていたのか?」
 図星を突かれて黙り込む。命を奪うのは大げさだが、それに近しいことをしろと指示されるものだとばかり思っていた。

「穏便に追放となると、病気をでっちあげればいいだけではないでしょうか」
 侍医を丸め込んで致死率の高い伝染性の病気にかかったとすれば、後宮内での蔓延を防ぐために簡単に追放できそうではないのか。
 ミンジュの疑問に、ヤンジンはおもしろがるような視線を向けてくる。
「それでは、宰相にとってたいした痛手にはならないだろう」

 たしかに……と、ミンジュは頷いた。
 異国でひどい目に遭った挙句、病気で死んだとしたほうが、心証が遥かに悪い。
 その虐め役をやれと言われているのだろう。

「エニス様の女官とお父君への根回しはしていただけるのですね?」
「もちろんだ」
「承知しました。ではエニスには病死してもらいましょう」
 
 そんなやりとりを経て、エニスがよく散歩しているという池で待ちかまえていたのだ。
(心の傷になっていなければいいけど……)
 怯えたエニスの顔と妹の顔が重なり、胸が締め付けられる。
 あまりにいたたまれなくて、翌日からミンジュは方針を変えた。

 直接エニスを攻撃するのではなく、周囲に彼女をどのように虐げたか嘯くにとどめた。
 それで十分だ。後宮内ではすっかり、皇帝の寵愛を受けた平民上がりの妃が調子に乗って幼いエニスを虐めているとの認識が広がっている。
 当のエニスがずっと宮に閉じこもっているせいか、噂はさらに尾ひれがついてどんどんエスカレートしていった。

 妃嬪の誰もが、ミンジュの傍若無人な振る舞いに眉をひそめている。
 にもかかわらずヤンジンからの寵愛は衰えを知らず、毎晩のようにミンジュの宮を訪れては明け方まで共に過ごしているのだから、手出し口出しできる者はひとりもいない。

「わたし、本当に命が危ないかも……」
 瞬く間に密約通りの憎まれ役になったミンジュだが、全方位からの悪意のこもった眼差しが凄まじい。
「いきなり刺されたりはしないだろ」
 ヤンジンはまるで他人事のように言うが、正直疑わしい。

 ジト目で見ると、彼は笑って寝台へ寝転んだ。
「ミンジュがいないと政務に身が入らないと吹聴してやる。安心しろ」
 そして、あっという間に寝てしまった。

 普段、宰相の言いなりになってお行儀よく猫をかぶっているこの男の素顔は、粗野で冷酷だ。
 それでいて健やかな寝顔に憎たらしさが募る。

 寵愛している振りとして夜を共に過ごさなくてはならないため、ヤンジンはミンジュの寝台で眠る。
 それなりの広さはあるが、さすがに同衾するわけにもいかないだろうと、最初は長椅子で寝ようとしたミンジュだったのだが……。
『気にするな。一緒に寝ればいい』
 ミンジュをまるっきり女とも見ていなさそうな口ぶりにモジモジするのも馬鹿らしくなって、寝台の隅で寝るようになった。