落ちども散らぬ椿なら

「哀れなものだよね。どうせすぐ死ぬ男に嫁ぐなんて」

 青白い顔に皮肉げな笑みを浮かべるのは、これから私の夫になるお方、冷泉七瀬様だ。
 公家家族の中でも伯爵の位を持つ冷泉家の、長男。

「七瀬様……」
「君も不運に思うだろう? 何を言われて説得されたか知らないが、若くして未亡人になるなんて、嫌じゃないの」

 白皙の美貌には似つかわしくない、やさぐれた笑み。
 七瀬様はお身体が弱く、もう余命いくばくもないと言われている。長男が独身では外聞が悪いという体面で整えられたこの結婚。
 当然七瀬様が私を望んだわけでもなく、皮肉の一つも言いたくなるのだろう。

「どうして——」
「ん?」
「七瀬様はどうして、命と引き換えにお力を使ったりしたのですか?」

* * *

「陶子、喜べ。お前に縁談が来たぞ」

 普段はほとんど言葉を交わさない父から、いきなりそんなことを言われて、私は面食らった。

 私は東雲家の出来損ないだ。華族の名家であれば当然持っているはずの異能を持たない、落ちこぼれ。

 妹の葉子には水術の才が見出されたのにも関わらず、私は何の能力も持たなかった。

 ——というのは、私が作り上げた虚像だ。

 私の能力は、自分の生命力と引き換えに癒しを与える力。生命力は寝れば回復するけれど、使いすぎれば命にも関わる。
 だからこそ私は自分の能力を秘した。

 元々両親は、家の地位にしか興味がない人たち。

 もし力のことがバレれば、搾取されるのは明らかだった。

「お相手は冷泉侯爵家のご子息、七瀬様だ」
「こう、しゃく、家?」

 我が東雲家は伯爵家だ。侯爵家のご子息となんて、家格が釣り合わない。その上、私のような『無能』の落ちこぼれでは、相手にバレたら激怒されるのではないだろうか。
 怒られるだけならばまだしも、家ごと潰されるのでは?

「いいか、七瀬様は余命いくばくもない身だ。次男が跡を継ぐことで決まっているが、長男が独身では外聞が悪い。そこで、歳まわりの合う令嬢をお探しだ。お前は支度金と引き換えに、未亡人になってこい」
「なっ……」

 なんてことを言うのだろう、この父は。
 未亡人になれ、だなんて、七瀬様が亡くなること前提の話だ。

 それも、余命いくばくもない相手に嫁ぐ令嬢なんていないということで、私に白羽の矢が立ったということなのだろうけれど。
 そんなのって、あんまりだと思う。

「顔合わせは次の日曜だ。お前の着物はまともなものがないからな。急ぎ用意して、失礼がないように振る舞いなさい」
「……はい」

 頭を下げて、父の書斎から出る。
 すると、ドアの前に妹が立っていた。

「お姉様、二十そこそこで未亡人になるなんてかわいそー」

 くす、と扇子の奥の口元から、笑いが漏れる。

「葉子……。そんな、七瀬様がすぐ亡くなるみたいなことは……」
「でも、余命いくばくもないんでしょぉ? 支度金と引き換えに未亡人になりに行くなんて、身売りみたぁい」

 ひどい言い草に、胸の辺りがムカムカとしてくる。でも、何か反論なんてできるわけがない。

 だってこの家では私は、無能の足手纏いなんだから。

 それでも、もしかしたら……。この家を出たら、まともに暮らしていけるかもしれない。七瀬様のもとで、たとえ短くても、家族のように暮らせるかもしれない。

 そんな淡い期待を持ってのぞんだ日曜日の会食で、私は七瀬様に容赦ない言葉をぶつけられた。

「哀れなものだよね。どうせすぐ死ぬ男に嫁ぐなんて」

 その皮肉げな言葉は、この結婚が、未亡人になることと引き換えにお金を支援してもらうという契約の上に成り立つことを、七瀬様が承知の上だと示していた。

 七瀬様は、珍しい結界のお力を持っておられる。

 そして、一年前の関東大震災——実態は、東京の結界が綻んだために起きた妖魔による大災害——を一人でお収めになった方だ。

 帝都百鬼夜行と裏で呼ばれるその災害で、生命力と引き換えに、東京全土を覆う結界を張り直し、都を救った。それが七瀬様なのだと聞き及んでいる。

「どうして——」

 だから私は、聞かずにはいられなかった。

「どうして、命と引き換えにお力を使ったりしたのですか?」

 私も、異能は持っている。生命力と引き換えに人を癒す力を。だけど、それを明らかにしようだなんて、思わない。もしかしたら、私がそれを明らかにして、帝都百鬼夜行の時に働いていれば、助かった命もあるかもしれないけれど。
 見ず知らずの人のために、自分の命を削る覚悟なんて、私にはなかった。

「くだらないことを聞かないでもらえるかな。そんなこと、君には関係ないだろう」

 七瀬様から返ってきた言葉は、冷たいものだった。

「君は、若くして未亡人になるのと引き換えに、支度金を手に入れる。それだけの立場だ。僕の妻になったと思って思いあがらないでくれ」
「は、はい。申し訳ありませんでした」

 七瀬様の勘気に触れてしまったらしい。
 私は慌てて頭を下げる。

 帰宅してから、私は父にこっぴどく叱られた。

「冷泉家に気に入られれば、さらなる支援が得られるかもしれないと言うのに、お前は何を考えている! 余計な口は挟まず、夫を立て、立場をわきまえよ。無能の娘風情が」
「はい。申し訳ありません」
「七瀬様のご体調のこともあり、祝言はあげないことになっている。お前は間もなく冷泉邸に入る。くれぐれも、冷泉家のお怒りに触れるようなことはするなよ、役立たず」
 
 父から特大の釘を刺された上で、私は冷泉のお屋敷に妻として入った。

「よ、よろしくお願いいたします」
「七瀬様より言付かっております。お荷物はこちらでお預かりいたします。お部屋へご案内いたしますね」

 冷泉家は侯爵家だけあって、大きな洋館に住んでいた。天井からはシャンデリアがぶら下がっている。これを灯すのに、電気料金はいくらになるのだろう。
 東雲家は伯爵といえども、 公債の額が少なく、事業投資もさほど上手くいっていない。

 だからこそ、この婚姻話に食いついたのだろうけれど。

 案内された部屋は、実家の日が当たらない奥座敷とはだいぶ違い、美しく整えられた洋室だった。
 
「ほ、本当にここに住んでもいいんですか?」
「何をおっしゃいます。陶子様は冷泉家の奥様ですよ」

 思わず呟くと、女中さんに呆れられてしまう。

 お部屋に通されたはいいものの、何をしていいものやら、私はひたすら困惑していた。
 実家では女中まがいのことをしていて、掃除に洗濯、炊事なんかをやっていて休む暇もなかったけれど、この洋館はどうやって掃除したらいいのだろう?

「七瀬様は、リビングにいらっしゃいます。瓦斯(ガス)ストーブがついておりますから、暖かいですよ。ご挨拶に伺ったらいかがでしょう」
「あ、はい。そうします」

 まずは家主に挨拶をしなければ。
 着崩れた着物を軽く整えて、七瀬様の元へ赴く。

 リビングは豪奢に整えられていて、瓦斯ストーブからは暖かい空気が吹き出している。

 七瀬様は、革張りのソファに気だるげに身を預けていた。

「陶子か」
「は、はい。お邪魔しております」
「妻なんだから、お邪魔しているも何もないだろうに」

 七瀬様は呆れ顔だ。

「あの、私、ここで何をしたらいいんですか?」
「別に何もしなくていい」
「え、あの、お掃除とか、お洗濯とか……」

 私がそう言うと、七瀬様はギョッとした顔をした。

「侯爵家の令息夫人が掃除に洗濯? 冗談でしょ」
「変、でしょうか……」
「変なんてもんじゃ……。ああ、きみ、無能なんだっけ」

 ひゅ、と息を呑み込む。
 七瀬様の口から出てきた、『無能』という言葉に、これまで投げかけられてきた嘲笑や罵倒が脳裏をよぎる。
 次に何を言われるか、と私は身を縮こまらせた。

「じゃあ、実家だと虐げられていたのかな。伯爵令嬢なのに掃除とか洗濯とかやらされていたり?」
「は、はい」

 こんな身内の恥を言うものではないかもしれないけれど、嘘をつく勇気もなくて、私は曖昧に頷く。

「なるほどね。それじゃあ、やることないと逆に不安ってわけか。それじゃあ……マッサージでもしてもらおうかな」
「ま、まっさーじ?」

 七瀬様から飛び出した不思議な言葉に、私は首を傾げる。

「要は按摩だよ。僕は百鬼夜行以来心の臓が弱って、出歩けないから、体が凝り固まってしまってね。それをほぐしてほしい」
「按摩、って……」

 男性の体に触れる、ということだろうか。つまり、夜のお誘い⁉︎

 私はびっくりして、固まってしまった。

 動揺する私をよそに、七瀬様は涼しい顔だ。

「ほら、肩揉んでよ」

 トントン、とソファの背を叩いて私を呼ぶ。

 このリビングでやってほしいということは、そういうお誘いではないらしい。

 ほっと息を吐いた私に、七瀬様はぷ、と吹き出した。

「君、何かいやらしい勘違いしたでしょう」
「えっ、や、そ、そんな」

 動揺して顔の前でブンブン手を振る私に、七瀬様は腹を抱えて笑い出した。

「あは、あははは。形ばかりの妻だし、僕も体が弱いからね。そういうことは求めないよ」
「わ、わかりました」

 夜のお相手がないと聞き、密かに緊張していた私はひと安心する。

 そして、七瀬様の背後に近づき、その肩に手を伸ばした。

 ぐに、と指を押し込むと、やけに硬い感触が返ってくる。
 筋肉が凝り固まっているのだろう。運動をするわけにもいかない体だろうから、それでだろうか。

「ん、気持ちいい」

 七瀬様は満足そうに目を細めている。

 男性の体に触れているというのが、妙に気恥ずかしく、私は気が気じゃない。

 そわそわしながらもしばらくもみほぐして、ようやく七瀬様から「もういいよ」とお許しが出た。

「あの、本当にこんなことでいいのですか? 私の役割って……」
「別に、のんびり暮らせばいいんじゃないの? 僕が死ぬまでのお飾りの妻にすぎないわけだからね」

 七瀬様の言葉に、胸を突かれた思いがした。
 このお方は、帝都百鬼夜行で命を捧げて、もう死ぬ運命となっていることを受け入れているのか。

 どうしてそこまで、自分を犠牲にできるのか理解できない。

「何か不満?」

 私が黙り込んでいると、七瀬様が私の顔を覗き込んできた。

「いえ……。強いて言うなら、七瀬様が余命いくばくもないというのが、不満です」
「へぇ。もしかして、結婚したからって情でも移った? 君って、随分とあまちゃんだね」
「そういうわけでは……」

 七瀬様をお慕いしているわけではない、などと言うわけにもかず、だからと言って変な誤解をされるのも嫌で、黙り込む。

 それからの日々は、私にとって落ち着かないものだった。
 女中たちからは上げ膳据え膳。家事を手伝おうとすれば、「奥様がそんなこと」と止められてしまう。

 時折七瀬様に呼び出されて、まっさーじとやらをさせられるくらいで、それ以外はやることもない。

 あまりの暇さに、縫い物でもしようと思いたつ。

 小遣いはたっぷりと渡されていたので、本屋で洋裁の教本などを買ってみると、興味を惹くページがあった。

 絹の「パジャマ」と呼ばれる寝巻きだ。
 着心地が良く、脱ぎ着も楽で、病衣にも向いているという。

 寝込みがちな七瀬様には、ちょうど良いのではないだろうか。

 まずはこれを縫おう、と思い立ち、絹や糸、洋裁の道具などを揃える。

 何日か自室にこもってひたすら縫い物をしていると、不意に部屋のドアがノックされた。

「どうぞ」

 水差しの中身を交換にきた女中だろうか、と思い中へ入るよう声かけると、なんと入ってきたのは七瀬様だった。

「な、七瀬様? 何かありましたでしょうか」

 粗相でもしたか、と慌てて立ち上がり、ベッドに腰掛けるよう勧める。

「いや、最近部屋にこもっているようだったから。売られるも同然に嫁いできて、塞ぎ込んでいるのじゃないかと思ってね。別に君が落ち込んでいてもどうでもいいけど、衰弱して僕より先に死なれたら困るから」

 冗談なのか本気なのかもよくわからないことを言う七瀬様に、戸惑う。
 周りくどくてわかりにくい言い方だけれど、私のことを心配してきてくれたのだろうか。

「七瀬様に贈ろうと思って、縫い物をしていたのです」
「僕に?」
「はい。この洋装の寝巻きが、寝心地がいいのではないかと。絹ですし、手触りもいいですから」
「ふぅん」
 
 教本の完成予想図を見せると、七瀬様はそれを見て気が抜けたような声を出した。

「別に気を使わなくてもいいのに。絹なら、自分の着物でも仕立てればいいものを」
「いえ、でも。少しは何かお役に立てることをと思いまして。私、この家で何もできていないですし」

 ずっと、食べるにも寝る場所を得るにも、働かなければならなかった。それが染み付いているので、令嬢らしいのんびりした振る舞いなど期待されても困るというものだ。

「ま、いいや。せっかく作ってくれるっていうなら、もらってあげる。完成したら持ってきなよ」
「はい」

 七瀬様は、存外にお優しい。
 一緒に暮らし始めて、それがわかり始めた。
 私が自室にこもっているからといって、わざわざ訪ねてきてくれたりするぐらいだし、根は人が好いのだろう。

 初対面の時の皮肉げな言い回しも、先立つ男に嫁ぐなんてやめておけ、という忠告だったのかもしれない。

 そう思うほどに、なんだか私はモヤモヤを抱えるようになっていった。

 東京を守るために、命を犠牲にして結界を張った七瀬様。
 お優しくて、私なんぞの様子まで窺いにきてくれる七瀬様。

 その方のお命が、もう間も無く尽きようとしている。

 ——そして、私にはそれを救う手立ても、あるのだ。

 じりじりと、焦りにも似た何かを感じながら、それでも力を使う勇気も出ず、黙って縫い物に集中する日々を送っていたら、あっという間にパジャマはできてしまった。

 七瀬様にお渡しすると、時折その寝巻き姿で、くつろいでいる姿をお見かけするようになった。

 お屋敷のテラスの椅子に座って、月を見ながら紅茶を飲むのが七瀬様のお気に入りで。

 いつもは寝巻きの浴衣や着流し姿でそうされているけれど、絹のパジャマで過ごされているのも見かける。
 気に入ってくれていたなら、嬉しい。

 そんな、有限でありながらも穏やかな時間を重ねていると、不意に訪ねてきた客がいた。

「七瀬、結婚したんだって? どうして奥方を紹介してくれなかったんだ?」

 リビングのソファに座っているのは、藤野侯爵家令息、藤野是清(これきよ)様だった。

 七瀬様のご友人だという是清様はざっくばらんな雰囲気の方で、あまり華族らしく畏まってはいらっしゃらない。
 大柄で、男らしい顔立ちの方だ。線の細い七瀬様と並ぶと、尚更大きく見える。

「別に。僕の命もそう長くないから、どうせすぐに未亡人として実家に帰る女性だよ」
「七瀬! なんでそんなこと言うんだよ、縁起でもない。友人の新たな門出くらいお祝いさせてくれ」

 是清様は、眉を吊り上げた。

 七瀬様のうしろで、立ったままオロオロしていた私の腕を、七瀬様が引く。

「はい。これが僕の妻。陶子」
「あ、あの。よろしくお願いいたします」

 雑ではあるが、紹介されたので、頭を下げて挨拶をする。

 そんな私を見て、是清様は驚いたように目を見開いた。

「へえ、なるほど。そういうことか。それなら七瀬も安心だな。すぐに死ぬとか、全く悪い冗談はよしてくれよ」
「? 何を言ってるんだ、是清」

 よくわからないことを言う是清様に、七瀬様は眉を顰める。

「何って、陶子さんの異能のことだよ」
「異能? 陶子はなんの異能も持たない『無能』だけど」

 その会話に、私は息を呑んだ。
 藤野家のご令息は、確か変わった異能を持っているのではなかったか。

 大抵の異能者は、火術、水術、土術、木術、金術を操る。華族の中でも上位に行くほど、それに当てはまらない珍しい能力の持ち主が出るが、藤野家の異能は確か——。

『万象の眼』

 あらゆるものを見通す力ではなかったか。

 黙り込む私に、是清様が何かを察したようにへらりと笑った。

「いや、そうだな。異能を持たない女の子を引き取るなんて、男気があるじゃないか、七瀬」
「別に引き取ったとかそういうわけじゃない。こっちだっていつ死ぬかもわからない身だしね」

 是清様がごまかしてくださって、それでその日は終わった。
 だけど、私は異能を隠している後ろめたさで、それから七瀬様の目をまっすぐ見れなくなってしまったのだった。

「陶子。なんか最近僕のこと避けてない?」

 ある朝食の席で、七瀬様は不機嫌そうに言う。

「え、そ、そんなことはないですけど」

 後ろめたいことのある私は、目を逸らしながら答える。

「ふーん。まあ別にいいけど。他の男を好きになったとかだったらやめてよね。僕の顔が潰れる」
「な、まさか! そんなことはありません!」

 思ってもみないことを言われて、ぎょっとする。

「だって、あくまで形だけの結婚でしょ。他に気持ちが行くこともあるんじゃないの」
「そんな馬鹿な。いくら形だけでも、私は七瀬様の妻ですから」

 そう答えると、七瀬様は「ふぅん」と気のない風に答えた。その口角は、少しだけ上がっている。

「そうだ。今夜は是清が晩餐に来るから、身なりをきちんとするように」
「是清様が⁉︎」
「うん。君も妻だというなら歓待する役目をちゃんと果たしてもらうよ」

 その言葉に、ぐっと詰まる。
 形ばかりとはいえ妻だと宣言したのは自分だ。是清様と顔を合わせるのが気まずいなんて言うわけにもいかない。

 そうしてその晩、是清様は、よく手入れのされたサックコートに中折れ帽を合わせて、紳士然とした様子で訪れた。
 
「やあ、七瀬。お邪魔するよ。陶子さんも、お久しぶり」
「いらっしゃいませ、是清様。リビングにご案内いたしますね。まずはお茶でもなさって」

 帽子を受け取り、是清様を歓待する。
 七瀬様と是清様は、リビングでコーヒーを飲みながら、最近出来上がった甲子園大運動場の話などをしていた。

「上にも困るよ。人が多く集まる場所には妖魔も湧きやすい。誰が対処するんだって話」
「結界は外からのものは防げても内から湧くものは防げないからね。そのへん、考えていないんじゃない」

 話が盛り上がる二人をよそに、私は先に離席してダイニングで準備が整っているか、女主人として確認する手筈になっていた。

 生けた花は萎れていないか。並べられた銀器は磨き抜かれているか。テーブルクロスに染みはないか。

 確認していると、後ろでドアの開く音がする。

「やあ、陶子さん」
「是清、様」
「使用人さんたち、ちょっと陶子さんと二人にしてもらえるかな」

 ダイニングで働いていた使用人たちに、是清様が声をかける。
 男性客と屋敷の奥方を二人きりにすることに、皆戸惑っていたが、藤野家の令息の指示には抗えないのか、人払いは成された。

「なんの話をしにきたかは、わかるよね。陶子さん」
「……」

 異能の話、だろう。
 きっと、『万象の眼』で私の癒しの力を見抜いた是清様は、その力を七瀬様に使って欲しいと思っているはずだ。

「癒しの力、持っているんだろう?」
「……はい」

 観念した私は、項垂れるように頷く。

「ならば、なぜ七瀬を癒さない?」

 是清様が、厳しい声音で私の耳を打ちつける。

「……じだからです」
「?」
「力の代償が、七瀬様と同じだから」
「なっ! ……そうなのか?」

 力の代償までは、『万象の眼』で見えなかったらしい。
 生命力を引き換えに力を使うことを、是清様は知らなかったようだ。
 知った上で私に迫ってくるような方だったらどうしようと思っていたから、少しだけ安堵する。

 だけど——。

 是清様が、俯いたままの私に覆い被さるように、壁に手をつく。

「陶子さん。……僕は、それでも、君に力を使って欲しいと思っている」
「それは……」
「七瀬が大事なんだ。あいつは、帝都百鬼夜行で前線に出させられた立場の弱い術師を救うため、生命力と引き換えに大規模な結界を張った。あいつは、この帝都になくてはならない人材だ」

 彼が帝都になくてはならない人材なことくらい、重々承知の上だ。優れた結界術、聡明な頭脳、優しく自己犠牲を厭わない性格。
 皮肉屋だけれど、温かくて。
 肩がいつも凝っているのは、体調が悪いのを押して仕事をしているから。

「君は七瀬の妻なんだろ。助けたいと思わないのか。好きじゃないのか?」

 致命的な問いが、是清様の口から発せられる。

 そんなの、答えは決まっている。

 だって、七瀬様は……。七瀬様は、私にできなかったことを成し遂げた人。
 自分の能力の代償が生命力だと知った上で、それを隠しも逃げもせず、人々を救うために力を使った人。

 私は臆病で、誰のことも救えなくて、隠れて逃げて逃げて逃げ回ってきた。

 そんな自分が、ずっと嫌いだった。

 自分が嫌いになればなるほどに、その真逆を行く七瀬様が眩しくて、憧れて——。

「好きです」

 こぼれ落ちた言葉は、どうしようもない素直な本音。

 それを聞いて、是清様のこわばっていた表情が、ふっと緩む。

 その時——。

「どういうこと?」

 七瀬様が、ダイニングの入り口に立っていた。

「陶子、是清のことが好きだったの? 二人して、何をしていた?」
「え、ち、ちがっ」

 最悪のタイミングで、七瀬様は私の言葉を聞いてしまったらしい。
 完全に誤解している。

「是清、説明して」

 ひどく不機嫌そうに顰められた眉。
 七瀬様は、聞いたこともないくらいに低い声で是清様に命じた。

「誤解だって、七瀬。……陶子さん、話すけど、いい?」
「……」

 この後に及んで覚悟のできない私は、黙り込む。
 それを見て、是清様が困ったように頬をかいた。

「……なるほど、ね。最近陶子の様子がおかしかったのは、是清に惹かれていたからだったんだ」
「違います! 七瀬様!」
「陶子。君の意思は尊重してあげたいところだけど。……悪いけど、君は僕の妻だよ。わきまえて」
「だから、是清様とはそういうのじゃ……っ⁉︎」

 七瀬様が、私の腕を強く引く。

 そして——、唇を、奪われた。

「……っはぁ、な、七瀬様⁉︎」
「おいおい、あちゃあ。俺、今日は帰ったほうが良さそうだな?」
「是清様、事態を複雑にするだけして逃げないでください!」

 私が必死で逃げようとする是清様を引き止めると、七瀬様がますます誤解して収拾がつかなくなっていく。

「っ、もう、いい!」

 私はヤケクソだった。
 七瀬様がどういう意図で接吻をしたのかはわからないけれど、このまま誤解されたままなんて嫌だ。
 落ち着いて説明できるような状況でもない。

 だから私は——。

「っ、陶子っ⁉︎」

 七瀬様の頬に口付ける。唇には恥ずかしさが優って無理だった。
 私の唇を通じて、七瀬様に、生命力が流れ込んでいく。力を行使するには、手を当てるのも効くけれど、口付けるのが一番効率的。
 そして、力を振るえば振るうほどにわかる、七瀬様の体が、いかにボロボロだったか。

「陶子さん! それ以上はっ!」

 私の生命力がどんどん失われていくのを、『万象の眼』で見ていたらしい是清様が、私の肩を掴んで引き戻した。

 一方で、七瀬様は頬を押さえたまま呆然としている。

「陶子さん、大丈夫?」
「は、い。少し、クラクラする、けど……」

 私をダイニングの椅子に座らせる是清様を見て、七瀬様はようやく我を取り戻したらしい。

 またさっきのように眉を吊り上げている。

「陶子! どういうこと? 説明して」
「それは……その……。私、無能だというのは嘘なんです。ずっと力を隠して生きてきて。本当の力は、癒しの力」
「癒しの力……」

 代償は、七瀬様には明かしたくない。だから、そこまで説明したところで、私は黙り込んだ。

 だけど——。

「代償は、生命力だね?」

 七瀬様には、お見通しだった。

「……はい。だから、ずっと隠してきていました。でも、是清様にはお見通しで——。七瀬様のことを助けないのかと、七瀬様のことを好きなんじゃないかと聞かれて、それで……」
「それで、さっきの陶子さんの「好きです」って言葉に繋がったってわけだ。俺のことじゃねぇよ、お前が好きなんだってよ、陶子さん」

 言葉を濁した私に、是清様が容赦なく捕捉してくる。
 そのセリフに私は真っ赤になってしまうが、七瀬様はどうやら照れるどころじゃないらしい。

「是清……余計なことを。陶子、二度とその力は使うな」
「え……」

 この力があれば七瀬様を救える。
 気持ちがはっきりしたことで、私も覚悟が固まってきた。
 だから、これから七瀬様を癒していこうと思っていたのに。七瀬様は、ひどく厳しい顔で、私を突っぱねた。

「その力を使い続ければ、陶子の命が危なくなる。君にそんな力を使わせるつもりはない。そうまでして生き汚い無様を晒すつもりは僕にはない」
「そんな、私は七瀬様に助かって欲しくて……!」
「是清。悪いけど今日は帰ってくれ。妻をしつけるほうが先だ」

 七瀬様の固い声音に、是清様が困ったように眉を下げる。

「七瀬、俺は七瀬に助かって欲しいと思ってるよ」
「そうか。僕はそうは思わない」
「陶子さんも俺と同じ気持ちだ。それを汲んでやってくれ」

 是清様は、それだけ言い残して去っていった。

 玄関先へ慌てて見送り、深々と頭を下げる。

「さて」

 是清様が帰られた後、七瀬様は私の腕を掴んで、七瀬様の自室へと連れて行った。
 七瀬様の自室へ入るのは、何気に初めてだ。

 仕事机と、本棚と、ベッドが一部屋の中に置かれており、寝起きしてすぐに仕事ができるように整えられている。体が弱く寝込みがちでありながら、真面目な七瀬様らしい部屋だ。

 ベッドに隣同士で腰掛けて、七瀬様は私の手首を掴んだままで。
 その状況に、そんなこと言っている場合ではないのにドキドキしてしまう。

「陶子。僕は君に死んで欲しくない」

 七瀬様の言葉は、直球だった。直球だからこそ、すごい力強さを持っていて、説得する難しさを感じさせる。

「私も、七瀬様に死んで欲しくありません」
「陶子……」
「七瀬様は、私の憧れなんです。ずっと力を隠して逃げ回って生きてきた私と違って、力を人々を救うために役立てて、命まで捧げて……」

 そんな七瀬様だから、私は好きになったのだ。

「好きなんです、七瀬様が。いなくなって欲しくないんです。ずっと一緒にいたいんです」

 気づけば私は泣いていた。泣きじゃくりながら、好きなのだと七瀬様に訴える。
 あの帝都百鬼夜行の日、業火に包まれる下町を遠くから眺めていた。眺めるだけで、何もしない自分がいた。

 もうあの日に戻りたくないのだ。
 人を救える自分になりたいのだ。

「七瀬様、だから……」
「ダメだ」
「七瀬様……」

 必死で訴えたけれど、七瀬様の頑なさは変わらなかった。

「君を犠牲に生きたいなんて思わない。……僕だって、君が好きだ」
「っ……」

 私の顔が真っ赤に染まる。接吻された時に、もしかしてって思ったけれど、改めて口にされるとすごく照れる。真面目な場面だというのにもじもじとしてしまう私を見て、なぜか七瀬様が舌打ちをした。

「君に口付けると癒される危険があるのか、厄介だな」
「素直に癒されてください」
「嫌だ」
「七瀬様」

 押し問答になってしまい、結局話は平行線を辿る。

 私たちは形ばかりの結婚から、本物の愛を知ってしまったがゆえに、お互いに譲れない喧嘩をする羽目になってしまったのだ。

「いっそ孕ませれば自分の命を大切にするようになるか?」
「なっ、何を言って……」
 
 七瀬様が不穏なことを言って、私をベッドに引きずり倒した、その時——。

 耳慣れない、だけどよく覚えのある地響きが、あたりに響いた。

「っ……」

 低く、唸るように、岩を削るように、鳴り響く音。

 帝都百鬼夜行の、妖魔の音だ。

「——また、なのか⁉︎」

 七瀬様の顔が絶望に染まる。
 あの日修繕したはずの結界を、再び妖魔が破ろうというのか。再びあの地獄がこの帝都に顕現すると言うのだろうか。

「七瀬様、まさか……」

 行かない、ですよね。そんな言葉、聞くまでもなく答えはわかっている。

 だって、七瀬様は、そういう人だから。

「出動する! 陶子、家を頼む!」

 飛び起きて、数珠を手に部屋の外へ出る。

 そんな七瀬様を、私は必死で追った。

「七瀬様、ダメです! 今のお身体で結界を張っては……!」
「陶子、今すぐに防がなければ、また帝都は地獄になる」

 七瀬様は屋敷の屋上に出て、帝都の端を睨むように見つめていた。

「七瀬様。ダメです。七瀬様」
「陶子、ごめん。僕は先に逝くけれど、君を愛している。僕が死んだら、ちょっとだけ僕のものでいて。そのあとは幸せになっていいから」

 ぎゅ、と七瀬様の唇が私のおでこに押し付けられた。

 そして、七瀬様が術を展開していく。

 それを私は止められないまま、泣きながら見つめていた。

 七瀬様の足元に浮かんだ五芒星の光が強くなればなるほど、七瀬様の唇が紫色になっていく。

 光の柱が帝都の結界を補強していき、地響きは徐々におさまっていくけれど、七瀬様のご様子はどんどん悪くなっていく。指はもう、今にもポロポロと崩壊していきそうな灰色だった。

 だから、私は——。

「七瀬様、ごめんなさい。でも、一緒に生きて、一緒に死ぬのが夫婦でしょう?」

 私は、七瀬様の黒紫色をした唇に、自分の唇を重ねた。

 私と七瀬様両方の生命力を食んで、五芒星の光はますます増していく。

 夜空に綺麗な星が咲く。

 気を失う前に感じたのは、七瀬様の冷たかった指先が、少しだけ温かくなっていることだった。