眠った六華を抱きかかえ、鈴は秋月家の玄関をくぐった。
二人の帰還を待ちわびていた使用人たちに六華の無事を伝え、彼女の部屋につれていく。
整えられた寝具に横たわらせ、顔色を確かめ安堵した。疲れて眠ってしまったのだろう。
静かな寝息をたてる横顔を眺めながら、鈴は思った。
見れば見るほど、美しい娘だ。
外見的なものもそうだが、何より身の内からにじみ出る聡明さや芯の強さ、他者を思いやる深い情が彼女をより美しくみせているのだろう。
初めて出会ったとき、鈴はなるべく彼女の好ましい部分に目を向けないようにしていた。
六華に負わせる使命の残酷さを思えば、互いに余計な情は挟まないほうがいい。
先代宿主が亡くなったとき、平静を装う父が裏でどれほど嘆いたか。彼女を姉のように慕っていた自分も、どれほど傷ついたか。
また同じことを繰り返さないために、六華に特別な情は向けないと固く決めていたのに。
彼女の細く白い手を、そっと握る。触れるべきではないという自戒は、囚われた六華を発見した瞬間、あっさりと決壊してしまった。
閉じられたまぶたを見つめ、堪えきれずその想いを口にする。
「君を、愛している」
ようやく自覚した本心を、鈴は嚙み締めた。同時に途方もない苦しみが、己の内を焼き焦がす。
六華の頭上で、宿花の蕾が淡く発光した。銀細工のようながくに包まれた、幾重にも重なる花弁。その色が深みを帯びるのを、鈴は漫然と見つめている。
今夜のことで思い知った。
自分はこの契約結婚の意味を、なにも理解していなかったことに。
「まったく悪趣味な」
思わず漏れた悪態に、どこからともなく声が降りる。
――失敬な。わらわを好きにする代償ぞ。これくらいは引き受けてもらわねばな?
くっくと嗤う声は、契約者である鈴にしか聞こえない。
秋月家が秋月家たるゆえん。国防を担う陰陽五家の一角としてあり続けてきたのは、神格を持つ式神を従えてきたから。
その代償が『愛する人を喪う苦しみを引き受けること』だとは、歴代の当主はずいぶんな業を負わされたものだ。
鈴は今一度、眠る六華の横顔を見つめた。
宿花の成長に呼応するように、六華は日に日に美しくなる。まるで彼女自身が、開花を待ちわびるかのように。
赤かった蕾は、日に日に紫を深くする。まるで鈴の苦しみを受け止めるかのように。
認めざるを得なかった。
あの色は、彼女に注がれる愛と苦悩なのだと。その想いが深ければ深いほど、美しく鮮やかなものになってゆく。
おそらくそう遠くないうちに、六華は使命を果たすだろう。
呻き声が口から洩れた。
叶うなら、今すぐにでも六華との契約を破棄したい。たとえ秋月家から追放されたとしても、彼女を生かしてやりたい。けれど。
一度植えた宿花は、開花するまで枯れることはない。
この契約婚に戻り道が無いことは最初から分かっていたし、六華自身が使命を放棄するとも思えない。
自分にできることは、狂おしいほどの痛みと後悔を引き受け、この結婚をまっとうすることだけだ。
「……旦那さま?」
弾かれたように顔を上げると、六華が目を開いてこちらを見ていた。大丈夫かと声をかけようとするより早く、彼女が口を開く。
「泣いていらっしゃるのですか」
「え……」
起き上がった六華は、鈴の頬に手を伸ばしてくる。そのときになってようやく、鈴は自分が涙を流していることを自覚した。
理由を尋ねることなく、彼女は鈴の頬を慈しむように撫でた。どうか泣かないで、とその目が告げている。
「旦那さま。かりそめの妻の告白を聞いていただけますか」
「……なんだ?」
六華は鈴に向き合うと、花のように微笑った。
「わたくし、旦那さまに恋をしてしまいました」
絶句する鈴の前で、彼女はほんの少し眉を下げる。
「本当は黙っておくつもりでしたの。あと数日もすれば、わたくしはこの世からいなくなる身ですから」
でも、とこちらを見つめるまなざしが、やわらかく細められた。
「旦那さまのお顔を見ていたら、どうしてもお伝えしたくなってしまいました。わがままをお許しください」
鈴はかぶりを振りながら、彼女を抱き寄せた。細くやわらかな髪に鼻先をうずめ、絞り出すように告げる。
「私も六華を愛している」
最後の方は掠れてうまく声が出なかったが、彼女は嬉しそうにささやいた。
「夢みたいですわ」
そっと顔をのぞきこむと、夜空をとかしこんだような瞳が愛おしげな色を映す。
ぽろりとこぼした涙は、この世で最も美しいものに思えた。
障子窓から見える月を、ふたりはずっとずっと、眺めていた。
二人の帰還を待ちわびていた使用人たちに六華の無事を伝え、彼女の部屋につれていく。
整えられた寝具に横たわらせ、顔色を確かめ安堵した。疲れて眠ってしまったのだろう。
静かな寝息をたてる横顔を眺めながら、鈴は思った。
見れば見るほど、美しい娘だ。
外見的なものもそうだが、何より身の内からにじみ出る聡明さや芯の強さ、他者を思いやる深い情が彼女をより美しくみせているのだろう。
初めて出会ったとき、鈴はなるべく彼女の好ましい部分に目を向けないようにしていた。
六華に負わせる使命の残酷さを思えば、互いに余計な情は挟まないほうがいい。
先代宿主が亡くなったとき、平静を装う父が裏でどれほど嘆いたか。彼女を姉のように慕っていた自分も、どれほど傷ついたか。
また同じことを繰り返さないために、六華に特別な情は向けないと固く決めていたのに。
彼女の細く白い手を、そっと握る。触れるべきではないという自戒は、囚われた六華を発見した瞬間、あっさりと決壊してしまった。
閉じられたまぶたを見つめ、堪えきれずその想いを口にする。
「君を、愛している」
ようやく自覚した本心を、鈴は嚙み締めた。同時に途方もない苦しみが、己の内を焼き焦がす。
六華の頭上で、宿花の蕾が淡く発光した。銀細工のようながくに包まれた、幾重にも重なる花弁。その色が深みを帯びるのを、鈴は漫然と見つめている。
今夜のことで思い知った。
自分はこの契約結婚の意味を、なにも理解していなかったことに。
「まったく悪趣味な」
思わず漏れた悪態に、どこからともなく声が降りる。
――失敬な。わらわを好きにする代償ぞ。これくらいは引き受けてもらわねばな?
くっくと嗤う声は、契約者である鈴にしか聞こえない。
秋月家が秋月家たるゆえん。国防を担う陰陽五家の一角としてあり続けてきたのは、神格を持つ式神を従えてきたから。
その代償が『愛する人を喪う苦しみを引き受けること』だとは、歴代の当主はずいぶんな業を負わされたものだ。
鈴は今一度、眠る六華の横顔を見つめた。
宿花の成長に呼応するように、六華は日に日に美しくなる。まるで彼女自身が、開花を待ちわびるかのように。
赤かった蕾は、日に日に紫を深くする。まるで鈴の苦しみを受け止めるかのように。
認めざるを得なかった。
あの色は、彼女に注がれる愛と苦悩なのだと。その想いが深ければ深いほど、美しく鮮やかなものになってゆく。
おそらくそう遠くないうちに、六華は使命を果たすだろう。
呻き声が口から洩れた。
叶うなら、今すぐにでも六華との契約を破棄したい。たとえ秋月家から追放されたとしても、彼女を生かしてやりたい。けれど。
一度植えた宿花は、開花するまで枯れることはない。
この契約婚に戻り道が無いことは最初から分かっていたし、六華自身が使命を放棄するとも思えない。
自分にできることは、狂おしいほどの痛みと後悔を引き受け、この結婚をまっとうすることだけだ。
「……旦那さま?」
弾かれたように顔を上げると、六華が目を開いてこちらを見ていた。大丈夫かと声をかけようとするより早く、彼女が口を開く。
「泣いていらっしゃるのですか」
「え……」
起き上がった六華は、鈴の頬に手を伸ばしてくる。そのときになってようやく、鈴は自分が涙を流していることを自覚した。
理由を尋ねることなく、彼女は鈴の頬を慈しむように撫でた。どうか泣かないで、とその目が告げている。
「旦那さま。かりそめの妻の告白を聞いていただけますか」
「……なんだ?」
六華は鈴に向き合うと、花のように微笑った。
「わたくし、旦那さまに恋をしてしまいました」
絶句する鈴の前で、彼女はほんの少し眉を下げる。
「本当は黙っておくつもりでしたの。あと数日もすれば、わたくしはこの世からいなくなる身ですから」
でも、とこちらを見つめるまなざしが、やわらかく細められた。
「旦那さまのお顔を見ていたら、どうしてもお伝えしたくなってしまいました。わがままをお許しください」
鈴はかぶりを振りながら、彼女を抱き寄せた。細くやわらかな髪に鼻先をうずめ、絞り出すように告げる。
「私も六華を愛している」
最後の方は掠れてうまく声が出なかったが、彼女は嬉しそうにささやいた。
「夢みたいですわ」
そっと顔をのぞきこむと、夜空をとかしこんだような瞳が愛おしげな色を映す。
ぽろりとこぼした涙は、この世で最も美しいものに思えた。
障子窓から見える月を、ふたりはずっとずっと、眺めていた。
