その後六華は、薬草栽培を手伝ったり、霊獣たちのお世話を手伝ったりすることが日課となった。
初めて見る霊獣たちに癒されたり驚いたり。珍しい薬草に興味が尽きなかったり。毎日が楽しくて温かい日々に変わっていった。
もうひとつ、変化したことがある。
たまに早く帰宅した鈴と、食卓を共にするようになったのだ。
初めて彼から「食事を一緒に」と誘われた時は、何か良くない報告でもあるのかと身構えたが杞憂だった。
食事は終始和やかな雰囲気で、鈴は相変わらず口数が少ないものの、六華の話を楽しそうに聞いてくれた。それだけで心がぽかぽかしてくるから不思議だ。
そうして何度目かの食事を彼と共にした翌朝。姿見を覗いた六華は「まあ!」と声をあげた。
「蕾が……!」
ゆるゆると渦巻いた銀葉の中央に、花の蕾のようなものが生まれていた。まだ固く閉じているため花弁の色は見えないが、この赤ちゃんのように可愛らしい蕾が大きくなり、ほころんでゆくのだろう。
嬉しくなった六華は、着の身着のまま鈴のもとへ駆けつけた。
「こんな早朝にどうした?」
寝巻姿の妻に彼はぎょっとしてから、自身が身に着けていた上着を脱いで六華の肩にかけてくる。
「ついに蕾が出てきましたの!」
興奮気味の六華の頭上に鈴は視線を留め、次の瞬間――ひどく顔を曇らせた。
思っていた反応と違い、六華は冷や水を浴びせられた気持ちになる。
「あの……旦那さま?」
「君は、なにを喜んでいるんだ」
「ですから蕾が」
見上げた先で、黄水晶のような瞳が、苦々しげな色に染まっている。
何も言えずにいる彼女の目の前で、扉が閉められてしまった。
とぼとぼと自室へ戻りながら、六華は思い至る。
「考えてみれば、気持ちの良い話ではありませんわね」
彼女にしてみれば契約履行に一歩近づいたが、鈴にしてみれば「契約妻を死に追いやる日」が近づいただけだ。
たとえ情の無い相手だとしても、彼の性格を考えると良い気分になるわけがない。
浅はかだったと素直に反省し、今日は自室で謹慎しようと心に決める。最近は六華の傍を離れることのない琥珀が、心配そうにぷいぷいと慰めてくれた。
夜になり帰宅した鈴と最低限の挨拶をし、早々に自室へ戻ろうとした六華を彼が呼び止めてきた。
「これを」
差し出された紙袋を見て、きょとんと瞬きしながら受け取る。
「同僚の家族に優秀な薬膳師がいてな。君に合いそうな茶を配合してもらった」
「まあ……ありがとうございます。中を見てもよろしいですか?」
頷く彼の前で袋を開けると、コロンとした茶筒がいくつか入っていた。蓋を開けてみると、色とりどりの薬草や花が入っていて、自然と口元がほころんでしまう。
「なんて素敵なお茶でしょう」
「同僚によると、少しだが霊力も回復するそうだ。君の霊力の質に合わせてもらったから、疲れたときに飲むといい」
「そうしますわね。飲むのが楽しみですわ」
嬉しそうな六華に満足したのか、鈴は再びうなずいたあと。
「それと、よければ今から庭に出ないか」
「今からですか? 何か外にご用事でも?」
夜に収穫する薬草でもあるのだろうか。不思議に思う六華に、鈴は気恥ずかしそうにつぶやいた。
「……今日は流星群が見られるそうだ」
「あら。それはぜひ!」
彼とともに庭園に足を運ぶと、心地よい風が頬を撫でていった。初夏の輝きを抱く昼と違い、ほんの少し湿り気を帯びたやわらかさを纏っている。
羽織と長着姿の鈴は、普段の怜悧な印象がずいぶんやわらぐ。きっと士官服を身に着けているときは、『秋月家当主』としての”あるべき姿”でいるのだろう。
本人の意思はどうあれ、立場ある者は周囲の期待に応えなければならない。陰陽五家の当主ともなれば、その重圧はどれほどのものだろう。
多くを語ることはない横顔をそっと見上げながら、六華は思う。
互いにただの一般人として出会えていたら、彼の心の内に触れることができただろうか、と。
「この先に開けた場所がある。暗いから気を付けてくれ」
差し出された手に、自身の手を重ねる。彼の手は軍人らしく武骨で、大きくて、優しかった。
ふたりでベンチに腰掛け空を見上げ、夜空を覆いつくす満天星に思わずため息をもらす。
「綺麗……」
「今夜は大気が澄んで、星がよく見える」
あちらこちらで瞬く星々を眺めていると、その中のひとつがすうっと光の筋を引いた。
流れ星だと思った刹那、またひとつ、さらにひとつと星が流れはじめ、銀の雨が降るように流星が降り注いでいく。
そのあまりに幻想的な景色を、六華は呆けたように見入っていた。瞬きすら惜しいほどに、目に焼き付けておきたくて。
「見事なものだな」
「ええ。とっても」
今宵はたくさんのひとたちが、この空を見上げいるのだろう。鳴神の家族たちも、きっと同じ星の下で笑っている。
そう思うと不思議なほどに、胸が満たされた。
ひとしきり流星を見終わると、鈴は庭園のさらに奥へ六華を連れて行った。そこには淡く発光する花が一面に咲いていて、思わず声をあげる。
「まあ素敵!」
「星夜花という。夜になると光を帯びる、今の季節にしか見られない花だ」
鈴はそう言って星の形をした花を何輪か摘み、六華の髪に飾る。
「思った通り宿花との相性もいい」
「あら。そこは『君によく似合う』と言ってくだされば良いのに」
「う……」
しどろもどろな鈴に、六華は笑みをこぼしつつ。
再び夜空を見上げながら、くるりとひと回りして。ぽつりとつぶやいた。
「あの星のなかに、お父さまもいるかしら」
「……君のお父さんは、亡くなったのだったな」
「はい。融資先が見つかったと、喜び勇んで家を出た日に」
数日前から降り続いた雨のせいで、乗っていた車が土砂崩れに巻き込まれ、あっさり逝ってしまった。
六華は摘み取った星夜花を高く空へ掲げた。ここに私はいると、星々に知らせるかのように。
「わたくし、父のことを恨んでなどいません」
澄んだ声が宵の大気に吸い込まれてゆく。
「完璧に生きられる人間などおりません。たとえ家を売ることになっても、家族でつつましく暮らすつもりでしたのに」
生きていてほしかった。ごめんなとしょぼくれる父を、大丈夫と笑って抱きしめたかった。
ぽろりとこぼした涙を、鈴は少しだけ迷うそぶりを見せたあと、人さし指でぬぐう。
「わたくしを親不孝だとお思いですか?」
「思わない。君は誰より誇り高い」
そうはっきり言ってくれた彼に、泣き笑いを浮かべる。
「すまない。涙を流す君に胸を貸してやればと思うが、私にはその資格がない」
「そんなことありませんのに」
律儀な契約夫は、心底すまなそうな顔をしている。最初で最後の伴侶が、このひとでよかったと思う。
「旦那さま。今夜はありがとうございました。一生の思い出にいたしますわ」
「大げさだな。大したことじゃない」
微苦笑を浮かべる彼にいいえとかぶりを振り。
「何もお返しすることができないのが心苦しいのですが……わたくし、よりいっそう深紫の花を咲かせたいと思っています」
この人が背負う重責を果たしてあげたい。本心から湧き上がる気持ちが、六華の心を温かくしてくれる。
鈴は何事かいおうと口を開いて、吞み込むように閉じた。
こちらを見つめる黄水晶の瞳が、切なげな色を宿したように見えた。
初めて見る霊獣たちに癒されたり驚いたり。珍しい薬草に興味が尽きなかったり。毎日が楽しくて温かい日々に変わっていった。
もうひとつ、変化したことがある。
たまに早く帰宅した鈴と、食卓を共にするようになったのだ。
初めて彼から「食事を一緒に」と誘われた時は、何か良くない報告でもあるのかと身構えたが杞憂だった。
食事は終始和やかな雰囲気で、鈴は相変わらず口数が少ないものの、六華の話を楽しそうに聞いてくれた。それだけで心がぽかぽかしてくるから不思議だ。
そうして何度目かの食事を彼と共にした翌朝。姿見を覗いた六華は「まあ!」と声をあげた。
「蕾が……!」
ゆるゆると渦巻いた銀葉の中央に、花の蕾のようなものが生まれていた。まだ固く閉じているため花弁の色は見えないが、この赤ちゃんのように可愛らしい蕾が大きくなり、ほころんでゆくのだろう。
嬉しくなった六華は、着の身着のまま鈴のもとへ駆けつけた。
「こんな早朝にどうした?」
寝巻姿の妻に彼はぎょっとしてから、自身が身に着けていた上着を脱いで六華の肩にかけてくる。
「ついに蕾が出てきましたの!」
興奮気味の六華の頭上に鈴は視線を留め、次の瞬間――ひどく顔を曇らせた。
思っていた反応と違い、六華は冷や水を浴びせられた気持ちになる。
「あの……旦那さま?」
「君は、なにを喜んでいるんだ」
「ですから蕾が」
見上げた先で、黄水晶のような瞳が、苦々しげな色に染まっている。
何も言えずにいる彼女の目の前で、扉が閉められてしまった。
とぼとぼと自室へ戻りながら、六華は思い至る。
「考えてみれば、気持ちの良い話ではありませんわね」
彼女にしてみれば契約履行に一歩近づいたが、鈴にしてみれば「契約妻を死に追いやる日」が近づいただけだ。
たとえ情の無い相手だとしても、彼の性格を考えると良い気分になるわけがない。
浅はかだったと素直に反省し、今日は自室で謹慎しようと心に決める。最近は六華の傍を離れることのない琥珀が、心配そうにぷいぷいと慰めてくれた。
夜になり帰宅した鈴と最低限の挨拶をし、早々に自室へ戻ろうとした六華を彼が呼び止めてきた。
「これを」
差し出された紙袋を見て、きょとんと瞬きしながら受け取る。
「同僚の家族に優秀な薬膳師がいてな。君に合いそうな茶を配合してもらった」
「まあ……ありがとうございます。中を見てもよろしいですか?」
頷く彼の前で袋を開けると、コロンとした茶筒がいくつか入っていた。蓋を開けてみると、色とりどりの薬草や花が入っていて、自然と口元がほころんでしまう。
「なんて素敵なお茶でしょう」
「同僚によると、少しだが霊力も回復するそうだ。君の霊力の質に合わせてもらったから、疲れたときに飲むといい」
「そうしますわね。飲むのが楽しみですわ」
嬉しそうな六華に満足したのか、鈴は再びうなずいたあと。
「それと、よければ今から庭に出ないか」
「今からですか? 何か外にご用事でも?」
夜に収穫する薬草でもあるのだろうか。不思議に思う六華に、鈴は気恥ずかしそうにつぶやいた。
「……今日は流星群が見られるそうだ」
「あら。それはぜひ!」
彼とともに庭園に足を運ぶと、心地よい風が頬を撫でていった。初夏の輝きを抱く昼と違い、ほんの少し湿り気を帯びたやわらかさを纏っている。
羽織と長着姿の鈴は、普段の怜悧な印象がずいぶんやわらぐ。きっと士官服を身に着けているときは、『秋月家当主』としての”あるべき姿”でいるのだろう。
本人の意思はどうあれ、立場ある者は周囲の期待に応えなければならない。陰陽五家の当主ともなれば、その重圧はどれほどのものだろう。
多くを語ることはない横顔をそっと見上げながら、六華は思う。
互いにただの一般人として出会えていたら、彼の心の内に触れることができただろうか、と。
「この先に開けた場所がある。暗いから気を付けてくれ」
差し出された手に、自身の手を重ねる。彼の手は軍人らしく武骨で、大きくて、優しかった。
ふたりでベンチに腰掛け空を見上げ、夜空を覆いつくす満天星に思わずため息をもらす。
「綺麗……」
「今夜は大気が澄んで、星がよく見える」
あちらこちらで瞬く星々を眺めていると、その中のひとつがすうっと光の筋を引いた。
流れ星だと思った刹那、またひとつ、さらにひとつと星が流れはじめ、銀の雨が降るように流星が降り注いでいく。
そのあまりに幻想的な景色を、六華は呆けたように見入っていた。瞬きすら惜しいほどに、目に焼き付けておきたくて。
「見事なものだな」
「ええ。とっても」
今宵はたくさんのひとたちが、この空を見上げいるのだろう。鳴神の家族たちも、きっと同じ星の下で笑っている。
そう思うと不思議なほどに、胸が満たされた。
ひとしきり流星を見終わると、鈴は庭園のさらに奥へ六華を連れて行った。そこには淡く発光する花が一面に咲いていて、思わず声をあげる。
「まあ素敵!」
「星夜花という。夜になると光を帯びる、今の季節にしか見られない花だ」
鈴はそう言って星の形をした花を何輪か摘み、六華の髪に飾る。
「思った通り宿花との相性もいい」
「あら。そこは『君によく似合う』と言ってくだされば良いのに」
「う……」
しどろもどろな鈴に、六華は笑みをこぼしつつ。
再び夜空を見上げながら、くるりとひと回りして。ぽつりとつぶやいた。
「あの星のなかに、お父さまもいるかしら」
「……君のお父さんは、亡くなったのだったな」
「はい。融資先が見つかったと、喜び勇んで家を出た日に」
数日前から降り続いた雨のせいで、乗っていた車が土砂崩れに巻き込まれ、あっさり逝ってしまった。
六華は摘み取った星夜花を高く空へ掲げた。ここに私はいると、星々に知らせるかのように。
「わたくし、父のことを恨んでなどいません」
澄んだ声が宵の大気に吸い込まれてゆく。
「完璧に生きられる人間などおりません。たとえ家を売ることになっても、家族でつつましく暮らすつもりでしたのに」
生きていてほしかった。ごめんなとしょぼくれる父を、大丈夫と笑って抱きしめたかった。
ぽろりとこぼした涙を、鈴は少しだけ迷うそぶりを見せたあと、人さし指でぬぐう。
「わたくしを親不孝だとお思いですか?」
「思わない。君は誰より誇り高い」
そうはっきり言ってくれた彼に、泣き笑いを浮かべる。
「すまない。涙を流す君に胸を貸してやればと思うが、私にはその資格がない」
「そんなことありませんのに」
律儀な契約夫は、心底すまなそうな顔をしている。最初で最後の伴侶が、このひとでよかったと思う。
「旦那さま。今夜はありがとうございました。一生の思い出にいたしますわ」
「大げさだな。大したことじゃない」
微苦笑を浮かべる彼にいいえとかぶりを振り。
「何もお返しすることができないのが心苦しいのですが……わたくし、よりいっそう深紫の花を咲かせたいと思っています」
この人が背負う重責を果たしてあげたい。本心から湧き上がる気持ちが、六華の心を温かくしてくれる。
鈴は何事かいおうと口を開いて、吞み込むように閉じた。
こちらを見つめる黄水晶の瞳が、切なげな色を宿したように見えた。
