この契約結婚は、死がふたりを分かつまで

 琥珀を連れて帰り、世話係から改めて事情を聞くと、やはりここのところずいぶん食べる量が落ちているとのことだった。
「特に何か変えたわけでもないのですが……」
「琥珀さんは普段何を食べていらっしゃるのですか」
「こちらになります」
 世話係が持ってきたのは、竹ざるにこんもりと盛られた緑の葉。やや丸みを帯びた葉はつやつやしており、手に取った六華は気づく。
「これはメボウキ(バジル)ですわね?」
「はい。よくお気づきになられましたね」
「この香りは一度嗅ぐと忘れませんもの」
 メボウキはこの国でそれほど普及はしていないが、西方料理で何度か食べたことがある。とても爽やかな香りを持った薬草だ。
「琥珀の種族はそれぞれ好みの植物があり、そればかり食べると言う性質があります。琥珀はこれまでずっとこの葉を食べ続けてきたのですが……」
「ここ最近、急に食べなくなってしまったと……好みが変わったということではありませんの?」
「この霊獣に限ってそれはない。食用としているものが無くなってしまったら、死ぬまでなにも口にしないほどだ」
 鈴の言葉になるほどと六華はうなずいた。それならば、可能性はひとつしかない。
 手にしたメボウキを、彼女はぱくりと口にした。
「奥さま⁉ そのようなものを口にされては」
 焦る世話係に構わずもしゃもしゃと咀嚼した六華は、ほんの少し眉根を寄せる。
「苦みが強いですわ」
「えっ?」
「ほら、旦那さまもお食べになってみて?」
 鈴は「えっ」という顔になったが、六華の圧に負けてしぶしぶ口にする。
「……確かに苦いな。それに少し香りも違うような……?」
「そんな……これは秋月家の専用地で育てた正真正銘のメボウキです!」
 青ざめる世話係をなだめるように、六華は優しく問うた。
「よろしければ、栽培環境を見せていただけませんか?」
 案内された場所には一反ほどの敷地いっぱいに、メボウキが植えられていた。きちんと手入れされているのだろう、どの葉も生き生きとしており、外見的には問題ない。
 六華はメボウキ畑の確認を終えると、周辺を散策しはじめた。
「どこへ行く?」
 後をついてきた鈴に、ある一角を示し。
「思った通りですわ。原因はこれですの」
 そこにはこの国では馴染のある植物が栽培されている。
「……紫蘇か?」
「はい」
 薬草は似た土壌を好むことが多いため、同じ敷地に育てられることがままある。それ自体に問題があるわけではないのだが……。
「おそらくこちらのメボウキは、紫蘇と交雑してしまったのですわ」
 鈴がはっとしたように六華を見た。
「そうか。紫蘇とメボウキは近縁種なのだな?」
「ご名答ですわ。見た目はずいぶん違いますけれど、どちらもシソ科の植物。近くに植えてしまうと、交雑してしまいますの」
 つまり次世代からは別の植物となってしまい、香りや味が変わってしまうのだ。
「確かにこちらのメボウキは、去年の株から採取した種で育てたものです。まさか変異していたなんて……」
 驚く使用人たちの前で、鈴は顔を曇らせる。
「琥珀にとってはいつもの食事じゃなくなっていたということか……かわいそうなことをした」
「すぐにメボウキを買い付けてまいります!」
 大慌てで出ていった世話係たちを見送りつつ、彼は少し驚いたように六華を見た。
「よくそんなことを知っていたな」
「わたくし幼少のころから図鑑を眺めるのが趣味でしたの」
 植物の知識はあらかたそこで得たし、その後も野山を駆けてはフィールドワークを重ねてきた。
「食費の足しにとさまざまな野菜を育てていましたし。こう見えてお芋堀りも得意ですのよ?」
 それを聞いた鈴は黄水晶の瞳をぱちくりとさせたあと、おかしそうに笑みを漏らした。笑うと冷たい印象が一気にやわらぐ。
「君は見た目と違ってずいぶん逞しいな」
「あら。わたくしどんなふうに見えていますの?」
「それは……」
 口ごもる鈴を、六華はにこにこしながら見守る。
 一時間後、あちこちで買い集められたメボウキがこんもりと山を作っていた。
「まあこんなにたくさん! 琥珀さんいかがですか?」
 六華が振り向くより早く、琥珀はとっとことメボウキの山に駆け寄ると、ぷいぷい匂いをかぎ。
 黄褐色の瞳がぱあああっと輝いたかと思うと、むっしゃむしゃと食べ始めた。
「食べた……!」 
 琥珀を見守る人たちの間で、安堵の吐息がこぼれた。
「美味しいですか? 琥珀さん」
「ぷい!」
 これで空腹問題は解決しそうだ。胸をなでおろす六華に、使用人たちが次々に声をかけてくる。
「本当に助かりました。今後は新しく買い付けた種でメボウキを育てることにします」
「また同じことが起きないよう、紫蘇の栽培地とは離れた敷地に植えてくださいね」
「はい! ありがとうございます奥様」
 奥様と呼ばれると、どうにも座りが悪いような、むず痒い気持ちになる。鈴とは夫婦らしいことを何ひとつしていないのだから、仕方がないのだけれど。
 あんなにあったメボウキをすっかり食べつくした琥珀は、満足そうに六華の膝に乗ってきた。もふもふと撫でてあげると、気持ちよさそうに目を閉じている。
 その様子を見た鈴がやれやれと。
「すっかり君に懐いているな」
「嬉しいですわ。わたくし動物に好かれる自信はあるのですけれど。琥珀さんは霊獣ですし、わたくしの魅力が通用するかちょっぴり不安でしたから」
 それを聞いた彼はおかしそうに瞳を細めた。
「ほんとうに君はおもしろいな」
「光栄ですわ」
「琥珀のこと、礼を言う。あのまま放っておいたらどうなっていたことか……」
 鈴は六華の膝から琥珀を抱き上げると、慈しむように撫でた。その目は六華に向けられたことのない、優しさに満ちていて。
「仕事にかまかけて、気にかけてやれなかった。主として失格だ」
「そういうときもありますわ。完璧に生きられるひとなどいませんもの」
 ほんの少し驚いたように鈴が六華を見て、ばつが悪そうに視線を落とした。
「……すまない」
「どうして謝るのです?」
「気づいていたろう? 私が君を避けていることに」
 六華は彼を見つめ、小さくうなずいた。
「気づいておりましたわ。旦那さまはずいぶんお優しい方なのだと」
「……は?」
 訳が分からないといった様子の鈴の前で、出された紅茶のカップに口をつけ。
「秋月家のご当主さまにとって、わたくしなど木っ端のようなもの。()()()()()()()なさっても、誰も文句など言いませんのに」
 六華は愛らしい娘であり、彼女自身そのことを自覚し、磨くことを忘れなかった。正式に夫婦となっているのだから、妻としての役目を求めたって何の問題もない。
 力ある者に食いものにされる若い娘など、取るに足らないありふれた話。
 けれど彼は六華に指一本触れてこようとしないし、姿が見えないとなれば身でも投げたのかと探してくれた。
 初対面の女へ「自分のために死ね」と言った人にどうにも釣り合わない振舞いは、彼の本質から出てきたものだとわかるから。
「期間限定の契約妻に罪悪感を抱くなど、旦那さまがお優しいからにほかなりません」
「……そんなんじゃない。私を買いかぶるのは止めてくれ」
 苦々しげな鈴に六華は微笑んでみせた。
「わたくし秋月家には本当に感謝しておりますの。必ず務めを果たしたいという気持ちが日に日に強くなっておりますわ」
 だから自分に家のことを手伝わせてほしいと頼んでみると、鈴はとんでもないとかぶりを振った。
「それでは何不自由ない生活にならない」
「深窓の妻こそ、わたくしには不自由ですの」
「な……」
 六華は今の生活が退屈でストレスになっていること、これでは深紫の花を咲かせられる自信がないと切々に訴えた。
 最初は訝しげだった鈴も、六華の真剣な説得に根負けしたのだろう。「君がそこまで言うなら」と最終的には折れてくれた。
「ありがとうございます、旦那さま!」
 心底嬉しそうな六華の様子に、鈴は半ば呆れたように苦笑を漏らすのだった。