突然の結婚から、あっという間に二週間経った。
秋月家での生活にも慣れてきた六華は、少々困っていた。
「暇、ですわねえ」
三食昼寝付きどころか、身の回りのあらゆることを女中がやってしまうため、日中やることがない。
彼女は華族の出であるとはいえ、実家は最低限の使用人を雇う余裕しかなく、自分のことは自分でやっていたし家事もそれなりにこなしていた。
別にそれが不満だったわけでもなく、むしろ何もしないくてよい今の状況の方が落ち着かないもので。
最初の数日は読書をしたり庭園を散歩したりしてみたものの、すぐに飽きてしまった。何か手伝おうかと口に出そうものなら、「鈴様からきつく言われておりますので」と固辞されてしまう始末だ。
その夫はといえば陰陽寮の上役であるため、早朝に邸を出て帰宅も遅い。たまに早く帰ってきても、六華と食事すら一緒に取ろうとしないところを見るに、たぶん避けられているのだろう。
元々形だけの夫婦なのだからそういうものと理解しているが、家族団らんが当たり前の暮らしをしていた彼女にとって、この家は少々静かすぎる。
今日も暇を持て余した彼女は鏡台に腰かけ、日課にしている宿花の様子を観察しはじめた。
「あらもうこんなに大きくなって」
頭上の苗は六華の栄養状態が良いせいだろう、すくすく成長しこんもりとしてきた。この調子なら、ひと月もすれば花の蕾が出てくるかもしれない。
自身の命を奪うものであるはずなのに、なぜだか六華はこの花に愛着を感じていた。まるでわが子のように、成長が楽しみにすらなっている。
ちなみに宿花は洗髪をしても弱ることも傷むこともない。見た目の儚さとは違い、一度植え付ければ二度と取り除けないと言われるだけはある強靭さだ。
とはいえ。
六華はむくむくと湧き上がる疑問を、誰に向けるともなく口にした。
「このままでよいとは思えませんわ」
自身の直感が警告音を鳴らしている。このままでは使命を果たせないと。
深紫の花を咲かせるために、何不自由ない生活を送らせるのは解った。
けれどその意味は宿主を心身ともに満たすため……つまり六華自身が満足していなければ無意味なのではないか。
「ええきっとそう。わたくしにはやるべきことがあるはず」
六華に課せられた条件が深紫の宿花を咲かせることである以上、そのために最大限の努力をすべきだ。
そう判断した彼女は、すみずみまで行き届いた部屋――この家に来てからほとんどの時間を過ごしてきた――をあとにした。
秋月家は広い。
上位華族はどこもそうだといえば違いないが、これほど広大な敷地を持つ家もそうないだろう。
皇家のある帝都中心部から西方にある秋月家は、西に伸びる山々を管理しており、麓にある本邸を含めるとその広さがどれくらいあるのか六華にはさっぱり分からない。
秋月家が持つ山からはさまざまな鉱物が産出されるため、財閥系の新興華族ともつながりがあるのだとかなんとか。期間限定の妻である六華にとっては、知る由もないことではあるが。
本邸から奥の山へ向かって伸びる道を、六華はひとり散歩がてら歩いていた。
手入れの行き届いた遊歩道はひと気がなく、新緑が落とす影の合間から差し込む光がゆらゆらと揺れている。邸の中では少々息が詰まりそうだったため、久しぶりに晴れ晴れとした気分だ。
しばらく歩いていると、年の離れた妹弟たちを連れて歩いたことを思い出して、鼻の奥がつんとした。もう二度と会えないあの子たちが、これからも陽の下を歩いていけますように。
そう願いながら、澄んだ空を見上げたときだった。
「……あら?」
視線を感じ振り向いた先、シャクナゲの奥から何かがこちらを見ている。近づくとぴゃっと飛び上がり、今度はつつじの奥へと駆け込んでいった。
六華はふふと微笑むと、ちらちらと見えているもこもこしたお尻に呼びかけた。
「こんにちは。わたくしに御用かしら?」
つつじの合間からおそるおそるのぞいた目は、透き通った黄褐色。猫だろうかと思いながら、再度優しく呼びかける。
「よろしければお顔を見せていただけませんか?」
少しの間のあと、おずおずと出てきた姿を見て六華は思わず叫んだ。
「まあなんて愛らしいんでしょう!」
見たことのない生き物だが、子供の頃読んだ絵本に描かれていたバクという動物に似ている。あれよりももっと丸っこく、もこもこしたぬいぐるみのような見た目だが。
あまりの可愛さに六華が悶絶していると、その生き物が何かを訴えかけるように見つめてきた。どうしたのだろうと近寄ってみて気づいた。
ぐうううぐうううとお腹がなっているのだ。
「もしかして、お腹がすいていらっしゃるの?」
「ぷい……」
弱々しい目で見つめられ、六華はなんとかしなければと思った。この生き物はいったい何を食べるのだろう?
考えあぐねていると遠くから自分を呼ぶ声がした。
「六華!」
「旦那さま?」
こちらに駆け寄ってくる鈴へ、いつものようにお辞儀する。
「今日はずいぶんお早いお帰りでしたのね。出迎えもせず失礼いたしました」
「そんなことはいい。ここで何をしている」
こちらを見下ろす鈴の表情は、困惑と苛立ちが入り混じったものだ。
「女中から君の姿が見えなくなったと聞き、急ぎ帰宅したと思えば……」
「あら」
つまり彼は自分を捜してここまで来たということか。
「申し訳ありません。庭を散歩するのに許可がいるとは思わず……」
こちらを睨む鈴に六華はにっこりと笑んだ。
「ご心配なさらないで。わたくし逃げたりなどいたしません」
「そういうことじゃない」
食い気味に言い放った鈴は咳ばらいをした。
「みな君を心配していた。ここのところ元気がなかったし、身でも投げたんじゃないかと……」
「まあ」
六華の境遇を考えれば、確かにそう思われるのも仕方ないのだろう。当の本人はそんなこと微塵も考えたことがないのだけれど。
「旦那さまもご心配くださったのですか?」
「は?」
鈴の額には汗が浮き、ここに来るまでずいぶん走ったのだろうと言うことが見て取れる。
それで十分だ、と六華は思った。
口ごもる彼へ「ご迷惑をおかけしました」と素直に謝る。
「今後はどこに行くか報告するようにいたしますわ。すぐにでも邸内に戻りたいところなのですが……この子を放ってはおけなくて」
鈴はそのときになって初めて、六華のそばに例の動物がいることに気づいたようだ。
「琥珀? どうしたんだこんなところで」
「この子は琥珀というお名前なのですね。素敵ですわ」
六華の足元ではぷいぷい!と嬉しそうな声をあげた。
「琥珀さん、お腹を空かせているみたいですの」
「……妙だな。世話係からは最近食欲がないと聞いていたが」
聞けば琥珀は秋月家が昔から飼っている霊獣で、毎日きちんと食事を与えられているそうだ。
しかしここ最近は出された食事を残しているらしい。
「残しているのに空腹というのは、道理に合いませんわね」
「そうだな……すまないが琥珀をつれ来てもらえるか」
鈴は六華と琥珀を見比べ、ほんの少しだけ口元をやわらげた。
「君に懐いているようだし」
秋月家での生活にも慣れてきた六華は、少々困っていた。
「暇、ですわねえ」
三食昼寝付きどころか、身の回りのあらゆることを女中がやってしまうため、日中やることがない。
彼女は華族の出であるとはいえ、実家は最低限の使用人を雇う余裕しかなく、自分のことは自分でやっていたし家事もそれなりにこなしていた。
別にそれが不満だったわけでもなく、むしろ何もしないくてよい今の状況の方が落ち着かないもので。
最初の数日は読書をしたり庭園を散歩したりしてみたものの、すぐに飽きてしまった。何か手伝おうかと口に出そうものなら、「鈴様からきつく言われておりますので」と固辞されてしまう始末だ。
その夫はといえば陰陽寮の上役であるため、早朝に邸を出て帰宅も遅い。たまに早く帰ってきても、六華と食事すら一緒に取ろうとしないところを見るに、たぶん避けられているのだろう。
元々形だけの夫婦なのだからそういうものと理解しているが、家族団らんが当たり前の暮らしをしていた彼女にとって、この家は少々静かすぎる。
今日も暇を持て余した彼女は鏡台に腰かけ、日課にしている宿花の様子を観察しはじめた。
「あらもうこんなに大きくなって」
頭上の苗は六華の栄養状態が良いせいだろう、すくすく成長しこんもりとしてきた。この調子なら、ひと月もすれば花の蕾が出てくるかもしれない。
自身の命を奪うものであるはずなのに、なぜだか六華はこの花に愛着を感じていた。まるでわが子のように、成長が楽しみにすらなっている。
ちなみに宿花は洗髪をしても弱ることも傷むこともない。見た目の儚さとは違い、一度植え付ければ二度と取り除けないと言われるだけはある強靭さだ。
とはいえ。
六華はむくむくと湧き上がる疑問を、誰に向けるともなく口にした。
「このままでよいとは思えませんわ」
自身の直感が警告音を鳴らしている。このままでは使命を果たせないと。
深紫の花を咲かせるために、何不自由ない生活を送らせるのは解った。
けれどその意味は宿主を心身ともに満たすため……つまり六華自身が満足していなければ無意味なのではないか。
「ええきっとそう。わたくしにはやるべきことがあるはず」
六華に課せられた条件が深紫の宿花を咲かせることである以上、そのために最大限の努力をすべきだ。
そう判断した彼女は、すみずみまで行き届いた部屋――この家に来てからほとんどの時間を過ごしてきた――をあとにした。
秋月家は広い。
上位華族はどこもそうだといえば違いないが、これほど広大な敷地を持つ家もそうないだろう。
皇家のある帝都中心部から西方にある秋月家は、西に伸びる山々を管理しており、麓にある本邸を含めるとその広さがどれくらいあるのか六華にはさっぱり分からない。
秋月家が持つ山からはさまざまな鉱物が産出されるため、財閥系の新興華族ともつながりがあるのだとかなんとか。期間限定の妻である六華にとっては、知る由もないことではあるが。
本邸から奥の山へ向かって伸びる道を、六華はひとり散歩がてら歩いていた。
手入れの行き届いた遊歩道はひと気がなく、新緑が落とす影の合間から差し込む光がゆらゆらと揺れている。邸の中では少々息が詰まりそうだったため、久しぶりに晴れ晴れとした気分だ。
しばらく歩いていると、年の離れた妹弟たちを連れて歩いたことを思い出して、鼻の奥がつんとした。もう二度と会えないあの子たちが、これからも陽の下を歩いていけますように。
そう願いながら、澄んだ空を見上げたときだった。
「……あら?」
視線を感じ振り向いた先、シャクナゲの奥から何かがこちらを見ている。近づくとぴゃっと飛び上がり、今度はつつじの奥へと駆け込んでいった。
六華はふふと微笑むと、ちらちらと見えているもこもこしたお尻に呼びかけた。
「こんにちは。わたくしに御用かしら?」
つつじの合間からおそるおそるのぞいた目は、透き通った黄褐色。猫だろうかと思いながら、再度優しく呼びかける。
「よろしければお顔を見せていただけませんか?」
少しの間のあと、おずおずと出てきた姿を見て六華は思わず叫んだ。
「まあなんて愛らしいんでしょう!」
見たことのない生き物だが、子供の頃読んだ絵本に描かれていたバクという動物に似ている。あれよりももっと丸っこく、もこもこしたぬいぐるみのような見た目だが。
あまりの可愛さに六華が悶絶していると、その生き物が何かを訴えかけるように見つめてきた。どうしたのだろうと近寄ってみて気づいた。
ぐうううぐうううとお腹がなっているのだ。
「もしかして、お腹がすいていらっしゃるの?」
「ぷい……」
弱々しい目で見つめられ、六華はなんとかしなければと思った。この生き物はいったい何を食べるのだろう?
考えあぐねていると遠くから自分を呼ぶ声がした。
「六華!」
「旦那さま?」
こちらに駆け寄ってくる鈴へ、いつものようにお辞儀する。
「今日はずいぶんお早いお帰りでしたのね。出迎えもせず失礼いたしました」
「そんなことはいい。ここで何をしている」
こちらを見下ろす鈴の表情は、困惑と苛立ちが入り混じったものだ。
「女中から君の姿が見えなくなったと聞き、急ぎ帰宅したと思えば……」
「あら」
つまり彼は自分を捜してここまで来たということか。
「申し訳ありません。庭を散歩するのに許可がいるとは思わず……」
こちらを睨む鈴に六華はにっこりと笑んだ。
「ご心配なさらないで。わたくし逃げたりなどいたしません」
「そういうことじゃない」
食い気味に言い放った鈴は咳ばらいをした。
「みな君を心配していた。ここのところ元気がなかったし、身でも投げたんじゃないかと……」
「まあ」
六華の境遇を考えれば、確かにそう思われるのも仕方ないのだろう。当の本人はそんなこと微塵も考えたことがないのだけれど。
「旦那さまもご心配くださったのですか?」
「は?」
鈴の額には汗が浮き、ここに来るまでずいぶん走ったのだろうと言うことが見て取れる。
それで十分だ、と六華は思った。
口ごもる彼へ「ご迷惑をおかけしました」と素直に謝る。
「今後はどこに行くか報告するようにいたしますわ。すぐにでも邸内に戻りたいところなのですが……この子を放ってはおけなくて」
鈴はそのときになって初めて、六華のそばに例の動物がいることに気づいたようだ。
「琥珀? どうしたんだこんなところで」
「この子は琥珀というお名前なのですね。素敵ですわ」
六華の足元ではぷいぷい!と嬉しそうな声をあげた。
「琥珀さん、お腹を空かせているみたいですの」
「……妙だな。世話係からは最近食欲がないと聞いていたが」
聞けば琥珀は秋月家が昔から飼っている霊獣で、毎日きちんと食事を与えられているそうだ。
しかしここ最近は出された食事を残しているらしい。
「残しているのに空腹というのは、道理に合いませんわね」
「そうだな……すまないが琥珀をつれ来てもらえるか」
鈴は六華と琥珀を見比べ、ほんの少しだけ口元をやわらげた。
「君に懐いているようだし」
