目を覚ました六華が最初に見たのは、こちらを見下ろしている最愛の夫だった。
(まあ。極楽浄土には、旦那さまと同じ顔をしたひとがいらっしゃるのかしら)
ゆっくりと瞬きをし、もう一度彼の顔を見つめる。やはりどう見ても、鈴と瓜二つだ。
「六華、私がわかるか」
あら声まで旦那さまとそっくりだわ。
極楽浄土のサービスに感心しながら、彼女はゆっくりと体を起こそうとした。
「無理に起きるな」
慌てた声に、再び体を預けさせられる。ずいぶんと怠くてこのまま眠りたくなるが、どこからか香る知った香りに、ようやく意識が覚醒した。
「……旦那さま?」
なんとか口にした言葉に、こちらを見下ろす双眸が震えた。そこからあふれる雫を、そろそろと手を伸ばし触れてみる。
「また泣いていらっしゃるの?」
「六華……っ」
嗚咽を漏らす鈴に強く抱きしめられる。
意識を失くした前後の記憶があいまいで、何が起きたのかよくわからない。ひとつだけ言えるのは、自分が生きているということだ。
六華を抱き上げた鈴に、なによりも気になっていたことを問いかける。
「わたくしは、使命を果たせましたか?」
「ああ。これ以上ないほど、見事な深紫の花だった」
「ですが……わたくし生きておりますわ」
不足があったのではないかと不安がる彼女に、鈴は微かに笑んでから空へ呼びかけた。
「龍神よ。貴殿との契約は成立で相違ないな?」
しばらくして、彼の中にどこか愉快そうな声が降りてくる。
――してやられたのう。契約成立後に、蘇生させるとは。
鈴の報告を聞いた六華は、よかったわと胸をなでおろす。
これで彼が秋月家の当主を追われることはない。つまりそれは、この国に暮らすひとたちの安寧が、この先も護られるということ。
少しずつ蘇った記憶の中に、美しい白銀の龍がいた。あの方に食べられるのなら悪くない――などと思ってしまうほど、神々しい気高さを纏っていた。
「……思い出しましたわ。旦那さま、私に口づけてくださいました」
意識が消失する寸前、彼の唇が重ねられたことを六華ははっきりと思い出した。
鈴は彼女を最後まで清い身でいさせたため、初めての口づけだった。せっかくだからもう少しちゃんと覚えていたかったわ、とちょっとだけ残念に思いつつ。
「一か八かの賭けだったが……宿花が消えたと同時に、君の霊力を回復させたんだ」
「まあ……そのようことが本当に可能なのですか?」
六華が驚くのも無理はない。霊力はひとりひとり性質が異なる繊細なもので、そう簡単に回復させられるものでもないからだ。
そもそも本人の霊力が底をついてしまえば、どれほど他者の霊力を注いだところで回復は見込めないはず――信じられないでいる彼女に、鈴は事の次第を話してくれた。
「君に薬膳師の茶を贈ったことがあったのを覚えているか」
「もちろんですわ。わたくしのお気に入りですもの」
見た目の美しさだけでなく、とても美味しいお茶だった。確か鈴の同僚の家族が、配合してくれたと言っていた。
「彼女は稀にみる腕のいい薬膳師で、あの茶は君の霊力の性質に完璧に合わせられていただろう?」
「確かにあのお茶を飲むと体調がよく……」
そういえば、霊力が少し回復する効果があると彼は言っていた。そうはいっても、命を繋ぎとめるほどの効果はないはずで。
鈴はうなずきながら、あの効果を最大限まで凝縮させた薬膳酒を造ってもらったのだと言った。
「針の穴を通すほどの精度と技術があってこそだ。私は彼女の腕に賭け、極限まで高めた霊力回復の妙薬を、私の霊力でさらに増幅させ君に注ぎ込んだ」
とはいえ宿花がある状態でやってしまえば、霊力を取られてしまう可能性が高い。遅すぎると、六華の命は二度と戻らなくなる。宿花が六華から離れた瞬間が、唯一のタイミングと判断したそうだ。
「それで口づけを……」
「口移しがもっとも効果的であると判断したからだ」
当たり前のようにうなずく鈴に、六華はゆっくりと息を吐いた。彼がつなぎとめてくれた命が、ちゃんとこの身に根を張っていることを確かめる。
わたしは生きている。
これからも、生きられる。
実感が湧くとともに、あふれるような喜びが全身をゆきわたった。
「六華。これで君との契約婚はまっとうされた。もし君が自由になりたいと……」
六華は彼の唇を人さし指でふさいだ。
「そんなこと、お聞きになる必要ありますの?」
「……一応、意思確認をと」
まったく真面目なひとだ。そういうところも、好きなのだけれど。
「それに私は包容力があるタイプでもないし……」
「あらそんなこと気にしていらしたのね」
拗ねたような表情をする夫に、六華はふふと笑みをこぼした。あの契約の日が、ずいぶん遠いことのように思える。
気を取り直した鈴は龍神との契約条件を、次代からは変えてもらえないか交渉するつもりだという。
「後の世代を同じ目に遭わせたくはない。そのためにできることがあれば、どんなことでもやり遂げるつもりだ」
「わたくしも、同じ想いですわ」
長く続いた慣例を変えることはそう簡単ではないだろう。けれど彼となら、どんなことも乗り越えられるような気が六華はしている。
彼女は愛おしげなまなざしで、最愛のひとを見つめた。
「ねえ旦那さま、お願いがありますの」
「なんだ?」
「もう一度口づけてくださいませんか?」
瞬きをした鈴は、ほんの少したじろいたあと。黄水晶のような瞳で六華を見つめてから、そっと唇を重ねた。
甘い甘い、砂糖菓子のようなキスだった。
一か月後。
大勢に祝福されながら、鈴と六華は結婚式を挙げた。
最近流行りの式にしたいと言い出したのは六華で、なぜなら神前で愛を誓うというのをやってみたかったからだ。
互いに向き合い、はにかみながら誓いを交わす。
「君に永遠の愛を誓う」
「わたくしも、永遠の愛を誓いますわ」
愛しい、愛しい、あなた。
今度こそ、死がふたりを分かつまで。
明るい日差しのもとで、ふたりの笑顔が輝いていた。
(まあ。極楽浄土には、旦那さまと同じ顔をしたひとがいらっしゃるのかしら)
ゆっくりと瞬きをし、もう一度彼の顔を見つめる。やはりどう見ても、鈴と瓜二つだ。
「六華、私がわかるか」
あら声まで旦那さまとそっくりだわ。
極楽浄土のサービスに感心しながら、彼女はゆっくりと体を起こそうとした。
「無理に起きるな」
慌てた声に、再び体を預けさせられる。ずいぶんと怠くてこのまま眠りたくなるが、どこからか香る知った香りに、ようやく意識が覚醒した。
「……旦那さま?」
なんとか口にした言葉に、こちらを見下ろす双眸が震えた。そこからあふれる雫を、そろそろと手を伸ばし触れてみる。
「また泣いていらっしゃるの?」
「六華……っ」
嗚咽を漏らす鈴に強く抱きしめられる。
意識を失くした前後の記憶があいまいで、何が起きたのかよくわからない。ひとつだけ言えるのは、自分が生きているということだ。
六華を抱き上げた鈴に、なによりも気になっていたことを問いかける。
「わたくしは、使命を果たせましたか?」
「ああ。これ以上ないほど、見事な深紫の花だった」
「ですが……わたくし生きておりますわ」
不足があったのではないかと不安がる彼女に、鈴は微かに笑んでから空へ呼びかけた。
「龍神よ。貴殿との契約は成立で相違ないな?」
しばらくして、彼の中にどこか愉快そうな声が降りてくる。
――してやられたのう。契約成立後に、蘇生させるとは。
鈴の報告を聞いた六華は、よかったわと胸をなでおろす。
これで彼が秋月家の当主を追われることはない。つまりそれは、この国に暮らすひとたちの安寧が、この先も護られるということ。
少しずつ蘇った記憶の中に、美しい白銀の龍がいた。あの方に食べられるのなら悪くない――などと思ってしまうほど、神々しい気高さを纏っていた。
「……思い出しましたわ。旦那さま、私に口づけてくださいました」
意識が消失する寸前、彼の唇が重ねられたことを六華ははっきりと思い出した。
鈴は彼女を最後まで清い身でいさせたため、初めての口づけだった。せっかくだからもう少しちゃんと覚えていたかったわ、とちょっとだけ残念に思いつつ。
「一か八かの賭けだったが……宿花が消えたと同時に、君の霊力を回復させたんだ」
「まあ……そのようことが本当に可能なのですか?」
六華が驚くのも無理はない。霊力はひとりひとり性質が異なる繊細なもので、そう簡単に回復させられるものでもないからだ。
そもそも本人の霊力が底をついてしまえば、どれほど他者の霊力を注いだところで回復は見込めないはず――信じられないでいる彼女に、鈴は事の次第を話してくれた。
「君に薬膳師の茶を贈ったことがあったのを覚えているか」
「もちろんですわ。わたくしのお気に入りですもの」
見た目の美しさだけでなく、とても美味しいお茶だった。確か鈴の同僚の家族が、配合してくれたと言っていた。
「彼女は稀にみる腕のいい薬膳師で、あの茶は君の霊力の性質に完璧に合わせられていただろう?」
「確かにあのお茶を飲むと体調がよく……」
そういえば、霊力が少し回復する効果があると彼は言っていた。そうはいっても、命を繋ぎとめるほどの効果はないはずで。
鈴はうなずきながら、あの効果を最大限まで凝縮させた薬膳酒を造ってもらったのだと言った。
「針の穴を通すほどの精度と技術があってこそだ。私は彼女の腕に賭け、極限まで高めた霊力回復の妙薬を、私の霊力でさらに増幅させ君に注ぎ込んだ」
とはいえ宿花がある状態でやってしまえば、霊力を取られてしまう可能性が高い。遅すぎると、六華の命は二度と戻らなくなる。宿花が六華から離れた瞬間が、唯一のタイミングと判断したそうだ。
「それで口づけを……」
「口移しがもっとも効果的であると判断したからだ」
当たり前のようにうなずく鈴に、六華はゆっくりと息を吐いた。彼がつなぎとめてくれた命が、ちゃんとこの身に根を張っていることを確かめる。
わたしは生きている。
これからも、生きられる。
実感が湧くとともに、あふれるような喜びが全身をゆきわたった。
「六華。これで君との契約婚はまっとうされた。もし君が自由になりたいと……」
六華は彼の唇を人さし指でふさいだ。
「そんなこと、お聞きになる必要ありますの?」
「……一応、意思確認をと」
まったく真面目なひとだ。そういうところも、好きなのだけれど。
「それに私は包容力があるタイプでもないし……」
「あらそんなこと気にしていらしたのね」
拗ねたような表情をする夫に、六華はふふと笑みをこぼした。あの契約の日が、ずいぶん遠いことのように思える。
気を取り直した鈴は龍神との契約条件を、次代からは変えてもらえないか交渉するつもりだという。
「後の世代を同じ目に遭わせたくはない。そのためにできることがあれば、どんなことでもやり遂げるつもりだ」
「わたくしも、同じ想いですわ」
長く続いた慣例を変えることはそう簡単ではないだろう。けれど彼となら、どんなことも乗り越えられるような気が六華はしている。
彼女は愛おしげなまなざしで、最愛のひとを見つめた。
「ねえ旦那さま、お願いがありますの」
「なんだ?」
「もう一度口づけてくださいませんか?」
瞬きをした鈴は、ほんの少したじろいたあと。黄水晶のような瞳で六華を見つめてから、そっと唇を重ねた。
甘い甘い、砂糖菓子のようなキスだった。
一か月後。
大勢に祝福されながら、鈴と六華は結婚式を挙げた。
最近流行りの式にしたいと言い出したのは六華で、なぜなら神前で愛を誓うというのをやってみたかったからだ。
互いに向き合い、はにかみながら誓いを交わす。
「君に永遠の愛を誓う」
「わたくしも、永遠の愛を誓いますわ」
愛しい、愛しい、あなた。
今度こそ、死がふたりを分かつまで。
明るい日差しのもとで、ふたりの笑顔が輝いていた。
