茶会から抜け出してきた莉々は、汚れてしまった衣を脱ぎ、胡服へと着替えた。
そのまま馬場に足を運び、愛馬に跨がった。
「白は乗らぬのか?」
「いい。今日はいい天気だからな。日向ぼっこをしたい気分だ」
「そうか」
莉々は頷くと、愛馬を足で蹴った。
弾かれたように走り出した愛馬に、莉々の顔は自然と緩んだ。
ひとまとめにした髪が揺れ、風と一つになったようなこの感覚に勝るものはない。
思う存分馬場内を駆け回っていると、視界の端で朱色が羽ばたいた。
(あれは……)
目を凝らし、莉々は思わず声を上げてしまう。
「朱雀!?」
漏れ出た驚きはひっくり返った声色だったが仕方のないことだろう。
慌てて厩舎の近くまで戻れば、そこには朱雀を携えた琰が佇んでいた。
普段訪れる時と同じく宦官の服装をしているが、朱雀のせいで欠片も忍べていない。
「どうしてここに?」
馬上から声をかけるが返答がない。
莉々はひとつため息をつくと、愛馬から装備を外した。
愛馬を厩舎へと帰し、莉々は琰へとようやく目を向ける。
動き回る莉々を琰は真剣な顔で見ていたようで、絡んだ視線がやけに熱っぽい。
莉々は居心地の悪さに身じろぎをしながら再度声をかけた。
「お、おい。聞いているのか?」
上擦る声にも反応を示さない琰をようやく不審に思ったのか、朱雀が彼の肩に足を下ろした。
「なにをしておる。琰」
「なんだぁ? どうした、皇帝の小童?」
「っ!? す、朱雀……白虎……」
「ははん? もしやお主、莉々の精悍な騎乗姿に惚れたな?」
白がしたり顔で笑う。
琰は僅かに目を見開いた後、頭を振った。
「少し呆けていただけだ。今日来たのは他でもない、茶会での話だ。毒を盛られたのだろう?」
「なんだ。そのことか」
莉々は馬から降りながら返事をした。
地に足を付け、琰へと向き直る。
「罰することもできるぞ」
「結構だ。どうせもう毒が混入した茶杯も紫砂壺も洗い流されている」
「もし証拠があると言ったら、お前はどうする?」
「は? 戯言も大概に……」
つい口に出てしまった言葉を途中で止めた。
真っ直ぐに莉々を見る琰の目に嘘偽りがないと感じたからだ。
彼の瞳の奥でくすぶっている炎がじりじりと燃え上がっている。
激しい怒りを凝縮したようなそれを莉々は正面から受け止めた。
「いや、貴殿の手は借りない」
「なぜ?」
「これは私の戦いだからだ」
「そうか」
胸を張った莉々に、琰は張り詰めていた空気を四散させた。
小さく笑った彼の和らいだ表情は初めて見るもので、巣蜜のような甘さがあった。
その顔に莉々は心臓をぎゅっと掴まれてしまったかと錯覚しそうなほど動転してしまう。
どこかそわそわと落ち着かない気持ちが思考力を鈍らせる。
「なっ、なぜ私にそんな事を問う? 気にかけていると言わんばかりだ」
ごちゃごちゃとこんがらかった頭のまま、莉々は問うはずではなかった問いを投げかけてしまった。
琰は会話が続くとは期待していなかったようで、目をぱちくりさせたあと、顎に手を当てて考え込んだ。
「……そうだな。お前は家柄のしがらみがない。ただ隣に置くだけでこうも息のしやすい相手も他にいまい」
「都合の良い女ということか」
「そうとも言うな」
琰の返答に、血がすーっと谷底へ落ちていった。まるで何もない荒野に置き去りにされてしまったような感覚だ。
げんなりとした顔の朱雀が白の元へ降りたつ。
「こやつは聞いての通り言葉足らずでな」
「それは莉々も同じだからなぁ」
「誤解していなければよいが」
「んー、無理じゃないか?」
「参ったな」
困ったように呟いた朱雀に、白が首を傾げる。
「んで、朱雀。姿を現すなんて珍しいこともあるんだな」
「我は認めた相手にのみ姿を見せることにしている。白虎がいるならば道理だろう」
「ふーん?」
「……身の内に飼う毒は我でも焼けぬ」
「ほぉ? 莉々はその試金石だと」
朱雀と白の会話が頭に入ってこない。
琰から告げられた都合のいい女という言葉が、棘のように突き刺さって抜けなかった。
莉々は白を抱き上げ、ぎゅうと抱きしめる。
「貴殿の思惑に屈するなどと思うなよ! 私は、私が信じた道をゆく!」
眉尻をつり上げて宣言した莉々は、脱兎の如く離宮へと逃げ込んだ。
馬場に取り残された琰が呆然と彼女の背中を見送った横で、やれやれと朱雀が両翼を広げていたことなど、莉々が知るよしもない。
離宮の寝室に逃げ込んだ莉々は、架子床の上で大きくなった白に抱きついていた。
「莉々~。お前、熱いぞ」
「一口とは言え毒を食んだんだから当たり前だろう。私でなければその場で死んでもおかしくない毒草の味だった」
「熱いのは、本当にそれだけか?」
「それ以外になにがあると言うんだ」
顔を盛大にしかめた莉々に、白は大きなため息をついた。
「分からないならいい。それで? あの小童、殺せそうか?」
「……当然だ」
一ヶ月前であれば即答していそうな問いだ。
しかし、莉々はなぜか即答できなかった。
そのまま馬場に足を運び、愛馬に跨がった。
「白は乗らぬのか?」
「いい。今日はいい天気だからな。日向ぼっこをしたい気分だ」
「そうか」
莉々は頷くと、愛馬を足で蹴った。
弾かれたように走り出した愛馬に、莉々の顔は自然と緩んだ。
ひとまとめにした髪が揺れ、風と一つになったようなこの感覚に勝るものはない。
思う存分馬場内を駆け回っていると、視界の端で朱色が羽ばたいた。
(あれは……)
目を凝らし、莉々は思わず声を上げてしまう。
「朱雀!?」
漏れ出た驚きはひっくり返った声色だったが仕方のないことだろう。
慌てて厩舎の近くまで戻れば、そこには朱雀を携えた琰が佇んでいた。
普段訪れる時と同じく宦官の服装をしているが、朱雀のせいで欠片も忍べていない。
「どうしてここに?」
馬上から声をかけるが返答がない。
莉々はひとつため息をつくと、愛馬から装備を外した。
愛馬を厩舎へと帰し、莉々は琰へとようやく目を向ける。
動き回る莉々を琰は真剣な顔で見ていたようで、絡んだ視線がやけに熱っぽい。
莉々は居心地の悪さに身じろぎをしながら再度声をかけた。
「お、おい。聞いているのか?」
上擦る声にも反応を示さない琰をようやく不審に思ったのか、朱雀が彼の肩に足を下ろした。
「なにをしておる。琰」
「なんだぁ? どうした、皇帝の小童?」
「っ!? す、朱雀……白虎……」
「ははん? もしやお主、莉々の精悍な騎乗姿に惚れたな?」
白がしたり顔で笑う。
琰は僅かに目を見開いた後、頭を振った。
「少し呆けていただけだ。今日来たのは他でもない、茶会での話だ。毒を盛られたのだろう?」
「なんだ。そのことか」
莉々は馬から降りながら返事をした。
地に足を付け、琰へと向き直る。
「罰することもできるぞ」
「結構だ。どうせもう毒が混入した茶杯も紫砂壺も洗い流されている」
「もし証拠があると言ったら、お前はどうする?」
「は? 戯言も大概に……」
つい口に出てしまった言葉を途中で止めた。
真っ直ぐに莉々を見る琰の目に嘘偽りがないと感じたからだ。
彼の瞳の奥でくすぶっている炎がじりじりと燃え上がっている。
激しい怒りを凝縮したようなそれを莉々は正面から受け止めた。
「いや、貴殿の手は借りない」
「なぜ?」
「これは私の戦いだからだ」
「そうか」
胸を張った莉々に、琰は張り詰めていた空気を四散させた。
小さく笑った彼の和らいだ表情は初めて見るもので、巣蜜のような甘さがあった。
その顔に莉々は心臓をぎゅっと掴まれてしまったかと錯覚しそうなほど動転してしまう。
どこかそわそわと落ち着かない気持ちが思考力を鈍らせる。
「なっ、なぜ私にそんな事を問う? 気にかけていると言わんばかりだ」
ごちゃごちゃとこんがらかった頭のまま、莉々は問うはずではなかった問いを投げかけてしまった。
琰は会話が続くとは期待していなかったようで、目をぱちくりさせたあと、顎に手を当てて考え込んだ。
「……そうだな。お前は家柄のしがらみがない。ただ隣に置くだけでこうも息のしやすい相手も他にいまい」
「都合の良い女ということか」
「そうとも言うな」
琰の返答に、血がすーっと谷底へ落ちていった。まるで何もない荒野に置き去りにされてしまったような感覚だ。
げんなりとした顔の朱雀が白の元へ降りたつ。
「こやつは聞いての通り言葉足らずでな」
「それは莉々も同じだからなぁ」
「誤解していなければよいが」
「んー、無理じゃないか?」
「参ったな」
困ったように呟いた朱雀に、白が首を傾げる。
「んで、朱雀。姿を現すなんて珍しいこともあるんだな」
「我は認めた相手にのみ姿を見せることにしている。白虎がいるならば道理だろう」
「ふーん?」
「……身の内に飼う毒は我でも焼けぬ」
「ほぉ? 莉々はその試金石だと」
朱雀と白の会話が頭に入ってこない。
琰から告げられた都合のいい女という言葉が、棘のように突き刺さって抜けなかった。
莉々は白を抱き上げ、ぎゅうと抱きしめる。
「貴殿の思惑に屈するなどと思うなよ! 私は、私が信じた道をゆく!」
眉尻をつり上げて宣言した莉々は、脱兎の如く離宮へと逃げ込んだ。
馬場に取り残された琰が呆然と彼女の背中を見送った横で、やれやれと朱雀が両翼を広げていたことなど、莉々が知るよしもない。
離宮の寝室に逃げ込んだ莉々は、架子床の上で大きくなった白に抱きついていた。
「莉々~。お前、熱いぞ」
「一口とは言え毒を食んだんだから当たり前だろう。私でなければその場で死んでもおかしくない毒草の味だった」
「熱いのは、本当にそれだけか?」
「それ以外になにがあると言うんだ」
顔を盛大にしかめた莉々に、白は大きなため息をついた。
「分からないならいい。それで? あの小童、殺せそうか?」
「……当然だ」
一ヶ月前であれば即答していそうな問いだ。
しかし、莉々はなぜか即答できなかった。


