莉々が後宮へやってきてから、一ヶ月経った。
琰から何度も女官や宦官を派遣すると打診を受けたが、その度に断り続けている。
警戒する相手は少ない方が都合がいい。
最初に侍女だと名乗った女官だけで十分だと告げると、琰はなんとも微妙な顔をしていた。
(どうせ専属侍女といっても玖蘭の息がかかった者だろうと警戒していたのだが……)
亭を通り抜けた風が白髪をもてあそぶ。
肌を刺すような日差しも、最近は和らいでいると莉々は感じていた。
だが髪を攫う風にはまだ夏の空気が残っている。
(まさか昭儀様から茶会の誘いがあるとは思わなんだ。しかし、こうも真っ正面から侮られては指摘する気すら失せるな)
昭儀の宮に設けられた庭園の片隅にある亭で、莉々は内心ため息をついた。
莉々がいるのは池の上にあるこの亭の下座だ。
本来、下級妃が腰掛ける場所へ夫人である莉々を座らせたのは、玖蘭の機嫌を損ねたくなかったからだろう。
上座にいる玖蘭は完璧な笑みを貼り付け、莉々のことなど視界にすら入っていなかった。
(まぁこちらとしては好都合か)
様々な情報が飛び交う中、黙って聞いていると不意に声をかけられる。
「賢妃様。楽しんでおられますか?」
「あぁ。招待感謝する」
「いいえ。賢妃様や徳妃様をお招きできて光栄ですわ。あら、お飲み物が空ではありませんか。お注ぎいたしますね」
人の良い笑みを浮かべた昭儀が莉々の茶杯へ茶を注ぐ。
有無を言わせずに淹れられた茶に、莉々は眉が寄りそうになった。
しかし昭儀が同じ紫砂壺から淹れた茶を迷うことなく呑んでいる様を見て、溜飲を下げた。
(考えすぎだな)
茶杯に口を付け、そっと器を傾ける。
舌先に乗った茶からほんの僅かな刺激を感じたが、吐き出すこともできず嚥下するしかなかった。
どうやら昭儀は器用にも自身の茶杯には毒を混入させず、莉々に茶を淹れたらしい。
成り行きを横目で観察している玖蘭へ見せつけるように莉々は微笑んでみせた。
「美味しいお茶をありがとう。ぜひ友誼の証に盃を交換したいものだ」
「えっ」
「あぁ知らぬのか。我が双牙の一族の習わしでな。茶でも酒でも酌み交わす時は、相手の器と交換しながら飲むんだ」
莉々が自身の茶杯を昭儀へと差し出す。
驚いた顔をしていた昭儀だったが、優しげに笑って茶杯を受け取ろうとした。
その時、玖蘭の瞳が楽しげに歪んだと気がついた者はいなかった。たった一人、莉々を除いて。
昭儀が茶杯を受け取る寸前、莉々は手を離した。
重力に従って落ちた茶杯は、がちゃんと嫌な音を立てて床に飛沫を飛ばしながら割れてしまう。
茶で濡れたのが莉々だけだったのは不幸中の幸いだった。
しかし、昭儀は顔を真っ青に染めて頭を下げる。
「申し訳ございませんっ!」
「いや、今のは私が悪い。すまなかった」
「え……?」
莉々は平謝りする昭儀の顔を上げさせると、眉を下げて微笑んだ。
よほど意外だったのか昭儀は驚いたようにその場で固まってしまう。
莉々が気付かれぬように玖蘭へ視線を向けると、彼女は苦々しい嫌悪を隠さずこちらを見ていた。
だが昭儀が玖蘭の機嫌を伺うように振り返った時には感情の読めない笑みを湛えており、莉々は感心してしまう。
(何度見ても豹変ぶりに驚かされるな)
玖蘭がなにも言ってこないと胸を撫で下ろしてる昭儀や妃嬪たちに莉々は穏やかな口調で告げた。
「今日の茶会は有意義だった。汚れてしまった服でこのまま居座るのは忍びないからな。私はここで失礼するとしよう」
琰から何度も女官や宦官を派遣すると打診を受けたが、その度に断り続けている。
警戒する相手は少ない方が都合がいい。
最初に侍女だと名乗った女官だけで十分だと告げると、琰はなんとも微妙な顔をしていた。
(どうせ専属侍女といっても玖蘭の息がかかった者だろうと警戒していたのだが……)
亭を通り抜けた風が白髪をもてあそぶ。
肌を刺すような日差しも、最近は和らいでいると莉々は感じていた。
だが髪を攫う風にはまだ夏の空気が残っている。
(まさか昭儀様から茶会の誘いがあるとは思わなんだ。しかし、こうも真っ正面から侮られては指摘する気すら失せるな)
昭儀の宮に設けられた庭園の片隅にある亭で、莉々は内心ため息をついた。
莉々がいるのは池の上にあるこの亭の下座だ。
本来、下級妃が腰掛ける場所へ夫人である莉々を座らせたのは、玖蘭の機嫌を損ねたくなかったからだろう。
上座にいる玖蘭は完璧な笑みを貼り付け、莉々のことなど視界にすら入っていなかった。
(まぁこちらとしては好都合か)
様々な情報が飛び交う中、黙って聞いていると不意に声をかけられる。
「賢妃様。楽しんでおられますか?」
「あぁ。招待感謝する」
「いいえ。賢妃様や徳妃様をお招きできて光栄ですわ。あら、お飲み物が空ではありませんか。お注ぎいたしますね」
人の良い笑みを浮かべた昭儀が莉々の茶杯へ茶を注ぐ。
有無を言わせずに淹れられた茶に、莉々は眉が寄りそうになった。
しかし昭儀が同じ紫砂壺から淹れた茶を迷うことなく呑んでいる様を見て、溜飲を下げた。
(考えすぎだな)
茶杯に口を付け、そっと器を傾ける。
舌先に乗った茶からほんの僅かな刺激を感じたが、吐き出すこともできず嚥下するしかなかった。
どうやら昭儀は器用にも自身の茶杯には毒を混入させず、莉々に茶を淹れたらしい。
成り行きを横目で観察している玖蘭へ見せつけるように莉々は微笑んでみせた。
「美味しいお茶をありがとう。ぜひ友誼の証に盃を交換したいものだ」
「えっ」
「あぁ知らぬのか。我が双牙の一族の習わしでな。茶でも酒でも酌み交わす時は、相手の器と交換しながら飲むんだ」
莉々が自身の茶杯を昭儀へと差し出す。
驚いた顔をしていた昭儀だったが、優しげに笑って茶杯を受け取ろうとした。
その時、玖蘭の瞳が楽しげに歪んだと気がついた者はいなかった。たった一人、莉々を除いて。
昭儀が茶杯を受け取る寸前、莉々は手を離した。
重力に従って落ちた茶杯は、がちゃんと嫌な音を立てて床に飛沫を飛ばしながら割れてしまう。
茶で濡れたのが莉々だけだったのは不幸中の幸いだった。
しかし、昭儀は顔を真っ青に染めて頭を下げる。
「申し訳ございませんっ!」
「いや、今のは私が悪い。すまなかった」
「え……?」
莉々は平謝りする昭儀の顔を上げさせると、眉を下げて微笑んだ。
よほど意外だったのか昭儀は驚いたようにその場で固まってしまう。
莉々が気付かれぬように玖蘭へ視線を向けると、彼女は苦々しい嫌悪を隠さずこちらを見ていた。
だが昭儀が玖蘭の機嫌を伺うように振り返った時には感情の読めない笑みを湛えており、莉々は感心してしまう。
(何度見ても豹変ぶりに驚かされるな)
玖蘭がなにも言ってこないと胸を撫で下ろしてる昭儀や妃嬪たちに莉々は穏やかな口調で告げた。
「今日の茶会は有意義だった。汚れてしまった服でこのまま居座るのは忍びないからな。私はここで失礼するとしよう」


