弑逆契約 〜双牙妃の後宮生存戦略〜

 朱陽国(しゅようこく)は再生と浄化の象徴である朱雀に始皇帝が気に入られたことで興された大国だ。
 国の北側は年中雪が積もる険しい山岳地帯となっており、そこから流れる川に沿って首都が作られた。
 城塞都市でもある首都、昊京(こうきょう)の内部は外城と内城、皇城、宮城と四層構造になっている。
 内城へとひとたび訪れると紅瓦が立ち並ぶ景観に心を奪われるという。

(まるで檻だな)

 それは莉々が白を抱きしめながら正陽門をくぐった時の感想だ。
 宮城を囲う濠がいかにも何かを逃がさぬよう掘られたと言わんばかりで、眉を顰めてしまった。
 身一つで登城した莉々は門前払いされることなく通され、ますます不信感が募る。
 しかし莉々の心中を渦巻くどす黒い感情とは裏腹に、連れて来られた四瑞殿(しせいでん)の頂の朱雀を模した鴟吻(しふん)は陽光を浴びて輝いていた。
 視線を下げると梁には翼を広げ天を翔る朱雀の意匠が視界いっぱいに広がる。
 職人技を凝らしたそれを支える大きな柱には火焔文が彫り込まれていた。
 双牙の一族の天蓋では絶対に見ることのできない光景に、莉々はここが朱陽国なのだと改めて認識した。
 謁見の場へ足を踏み入れると、沈香のほんのりと甘く酸味のある香りが莉々を抱いた。
 入り口の両端で焚かれているらしく、時折入る風に煽られている。
 香炉から漏れる煙と燭台の火が黒曜石のような黒い床に映り込み、まるで床下にも炎が揺らめいているようだ。

(怖じ気づくな。私は、私の役目を果たしに来たのだから)

 小さく息を吸った莉々は薄黄色の瞳に覚悟を宿す。
 莉々は白を床に下ろすと、背筋を伸ばして玉座へと歩みを進めた。
 両端に平伏しているのは各部の尚書(しょうしょ)や禁軍の将軍たちだろう。
 じろりと品定めするような目が莉々を突き刺さる。
 彼らは不躾にも上から下まで舐めるように視線を落とし、足下をとてとてと歩く白を認めた瞬間にぎょっと目を剥いていた。
 誰もが白虎の姿に顔を引き攣らせる中、一人の男が声を上擦らせながら叫んだ。

「早うその虎を取り上げよ! 陛下の御前なるぞ!」

 途端、白が毛を逆立たせ唸る。
 しかし猫のような威嚇に怯むような者はこの場にいなかった。
 余計に鋭くなった周りの眼光は今にも莉々を射殺さんばかりだ。
 一触即発の空気を裂いたのは、凜とした低いアルト声だった。

「白虎か。そのままで構わん」
「へ、陛下……!?」

 玉座から立ち上がった皇帝、(えん)にぎょっとしたのは群臣たちだけではない。
 莉々もその内の一人だった。
 琰の姿を確かめようと視線を上げ、一番に視界へ飛び込んできたのは玉座後方にある朱雀が彫刻された金漆屏風だ。
 一瞬屏風の中の朱雀が羽ばたいた気がしたが、驚いて瞬きをした時にはもう動いていなかった。
 莉々が首を傾げていると、玉座から降りてきた琰が白の間合いの内で足を止める。
 白の前足に力が入り、莉々は我に返った。
 慌てて朱陽国の慣例に従い両膝をつく。
 群臣たちがざわめいたが莉々の心は揺らがない。
 あの夜の苦しみと比べれば、膝を折ることなど屁でもなかった。
 両腕を組んで頭を下げると、ようやく白の喉からうなり声が止まる。

「礼節はわきまえているようだな。双牙の一族との和睦のため、我は貴殿を後宮へ向かい入れよう」

 そう宣言した琰の声には、なんの感情も乗っていなかった。ただ定型文を告げているだけのようだ。
 抑揚のないその声に、莉々は琰へと視線を向ける。
 皇族のみに許された朱雀の意匠が施された礼服を身に纏う男は、この世の物とは思えないほど整った顔立ちをしていた。
 赤みがかった黒(黒紅梅)色の長髪をゆるくひとまとめにして肩に流す姿に、莉々でなければ感嘆を漏らしていただろう。
 しかし、見惚れるよりも心の奥底で嫌悪感が滲む。
 莉々の眼光が鋭くなってしまうのは、仕方のないことだろう。

(この男がおばばを……!)

 怨恨の籠もった視線を感じた琰は、僅かに目を瞬かせる。
 石像のように動かなかった表情がほんの少しだけ動いた。

「発言を許そう。貴殿は何が言いたい?」
「今から私が口にする言葉は双牙の一族の総意ではない。それでも?」
「あぁ」
「双牙の象徴は白虎だ。白虎の、私の牙は、時に天を翔る朱雀にも届くだろう」

 水を打ったように静まり返り、場が凍り付いた。
 だが、またも空気を変えたのは琰だった。
 彼は肩を震わせたかと思うと、声を上げて笑い出してしまう。

「くっ、はははっ!」
「何故笑う」
「その意気やよし……というところだな。貴殿の好きにするといいだろう」

 琰はそう言うやいないや、身を翻し四瑞殿を出て行ってしまった。
 彼を追うように群臣たちも出て行き、莉々と白は女官に声をかけられるまでその場に立ち尽くしていた。