寝床すら用意されていない石畳の牢は、体から体温を奪っていく。
少しでも寒さを紛らわすため、莉莉は膝を抱えて丸くなった。
寒い夜には必ず白が隣にいてくれたが、今、温かな虎はいない。
「白……無事だといいが」
「俺の心配はしてくれぬのか?」
独りごちたはずの言葉に返事がきたことに驚き、びくりと肩が跳ねた。
月を隠していた雲が晴れ、月光が牢に降り注いだ。
鉄格子の向こうに佇む声の主も照らされる。
莉莉を捉えた真っ赤な瞳が痛ましげに歪んだ。
琰が膝を折ると、黒紅梅色の髪も流れるように揺れた。
その行動にぎょっと目を剥いたのは莉莉だけではなく、傍にいた朱雀もだった。
ひそひそと小声で琰を諫めている。
「皇帝が膝をつくなど……!」
「これは誠意だからな」
「……どういうことだ。説明しろ」
莉莉は音を立てぬよう鉄格子に近づく。
鉄格子を握りしめ、琰を睨んだ。
よくよく見ると、琰の顔色はまだ青い。血が足りていないのか、解毒が完璧ではなかったのか定かではないが本調子ではないのだろう。
しかし体調の悪さをおくびにも出さず、彼はにやりと笑った。
「一週間。ここで静かにしていろ。その後は、契約通りお前に俺の首をやろう」
「……一から十まで説明する気はないと」
「俺の事情に巻き込んだのは確かだ」
「はっ! 私を囮に使ったというのに、なぜ貴殿が気を病む」
琰の胸ぐらを掴み、引き寄せる。
二人の顔を遮るものは鉄格子しかない。
あと少し動けば唇が触れてしまう距離だ。
「っ」
「これは私の戦いだと言ったはずだ」
「莉莉の戦いでもあり、俺の戦いでもあるな」
「屁理屈をっ……!」
胸に湧き上がった激情を相手に叩き付けられたらどれだけよかっただろう。
琰の胸ぐらを掴む手が怒りに震える。
しかし森で見た煌龍の憎悪以上の感情を、琰に向けられる気がしなかった。
奥歯を噛み締めるだけの莉莉に、琰は首を傾げる。
「莉莉?」
「私は手ずから弓矢を作った。あの矢は模倣品だろう」
「……」
「貴殿に使われた毒も上手く双牙の一族が狩りに使う毒に似た物を使ったようだったな」
「……莉莉は、それでいいのか」
「ここから出られん以上、貴殿に託すしかあるまい。まぁ、この手が届けば、私の手で引導を渡してやっただろうがな」
莉莉が胸ぐらから手を離すと、琰は眉を下げた。
「……今更許せとは言わん。だが――」
鉄格子の隙間から伸びてきた手が莉莉の唇をなぞった。
からかいのない赤い瞳が、莉莉を射貫く。
「――牙を向ける相手は、俺だけにしてくれ」
莉莉は思わず後ろに体を引くが、琰は目を細めただけだ。
「なっ、なにをっ……!?」
「それと、これは手土産だ」
困惑した莉莉を放置し、琰は目尻を和らげながら立ち上がる。
彼が意味ありげに廊下の奥へ向けた視線を莉莉は追ってしまう。
月光が届かない暗闇の中、白い尻尾が揺れた。
はっと息を呑む。
莉莉がじっと見つめていると、おずおずと白が姿を現した。
「っ、白……!」
「莉莉」
白は鉄格子の隙間から牢の中に入り込み、莉莉にすり寄った。
莉莉は温かな毛並みを撫で、ほっと息を吐く。
「無事で良かった」
「あぁ。小童のおかげでな」
軽い足取りでまた牢から出た白は、ひょいと琰の肩に飛び乗った。
直後、羽ばたいた朱雀が嫌そうな顔で白を翼で叩いた。
「陛下の肩に気安く乗るでない」
「はぁ? お前もやってるんだからいいだろ」
「我は琰のものだからよいのだ」
「相変わらず硬いなぁ」
ため息交じりに呟いた白のつぶらな目が莉莉へと向く。
「あの場には狐の妖気があってな。オレの鼻で証明してやることにした」
「白、自らか」
「そうだ。オレの愛し子を貶めた落とし前はつけてやらねばならぬだろう?」
「ということだ。しばらく白虎は借りておく」
立ち上がった琰に莉莉は疑問を投げかける。
「本調子ではないのにか?」
「俺は伏せっていることになっているからな。だが莉莉からの心配ならもらおう」
「……馬鹿なことを言っていないでさっさと行け。……一週間後、楽しみにしている」
強気に笑ってみせた莉莉の瞳に諦めはない。
それどころか、琰を試すような光すら宿していた。
「あぁ。俺も楽しみだ」
ひらりと手を振った琰は白と朱雀を連れて牢から出ていった。
莉莉は窓から漏れる月光を見上げ、小さく微笑んだ。
心に巣喰っていた孤独は、もうない。
少しでも寒さを紛らわすため、莉莉は膝を抱えて丸くなった。
寒い夜には必ず白が隣にいてくれたが、今、温かな虎はいない。
「白……無事だといいが」
「俺の心配はしてくれぬのか?」
独りごちたはずの言葉に返事がきたことに驚き、びくりと肩が跳ねた。
月を隠していた雲が晴れ、月光が牢に降り注いだ。
鉄格子の向こうに佇む声の主も照らされる。
莉莉を捉えた真っ赤な瞳が痛ましげに歪んだ。
琰が膝を折ると、黒紅梅色の髪も流れるように揺れた。
その行動にぎょっと目を剥いたのは莉莉だけではなく、傍にいた朱雀もだった。
ひそひそと小声で琰を諫めている。
「皇帝が膝をつくなど……!」
「これは誠意だからな」
「……どういうことだ。説明しろ」
莉莉は音を立てぬよう鉄格子に近づく。
鉄格子を握りしめ、琰を睨んだ。
よくよく見ると、琰の顔色はまだ青い。血が足りていないのか、解毒が完璧ではなかったのか定かではないが本調子ではないのだろう。
しかし体調の悪さをおくびにも出さず、彼はにやりと笑った。
「一週間。ここで静かにしていろ。その後は、契約通りお前に俺の首をやろう」
「……一から十まで説明する気はないと」
「俺の事情に巻き込んだのは確かだ」
「はっ! 私を囮に使ったというのに、なぜ貴殿が気を病む」
琰の胸ぐらを掴み、引き寄せる。
二人の顔を遮るものは鉄格子しかない。
あと少し動けば唇が触れてしまう距離だ。
「っ」
「これは私の戦いだと言ったはずだ」
「莉莉の戦いでもあり、俺の戦いでもあるな」
「屁理屈をっ……!」
胸に湧き上がった激情を相手に叩き付けられたらどれだけよかっただろう。
琰の胸ぐらを掴む手が怒りに震える。
しかし森で見た煌龍の憎悪以上の感情を、琰に向けられる気がしなかった。
奥歯を噛み締めるだけの莉莉に、琰は首を傾げる。
「莉莉?」
「私は手ずから弓矢を作った。あの矢は模倣品だろう」
「……」
「貴殿に使われた毒も上手く双牙の一族が狩りに使う毒に似た物を使ったようだったな」
「……莉莉は、それでいいのか」
「ここから出られん以上、貴殿に託すしかあるまい。まぁ、この手が届けば、私の手で引導を渡してやっただろうがな」
莉莉が胸ぐらから手を離すと、琰は眉を下げた。
「……今更許せとは言わん。だが――」
鉄格子の隙間から伸びてきた手が莉莉の唇をなぞった。
からかいのない赤い瞳が、莉莉を射貫く。
「――牙を向ける相手は、俺だけにしてくれ」
莉莉は思わず後ろに体を引くが、琰は目を細めただけだ。
「なっ、なにをっ……!?」
「それと、これは手土産だ」
困惑した莉莉を放置し、琰は目尻を和らげながら立ち上がる。
彼が意味ありげに廊下の奥へ向けた視線を莉莉は追ってしまう。
月光が届かない暗闇の中、白い尻尾が揺れた。
はっと息を呑む。
莉莉がじっと見つめていると、おずおずと白が姿を現した。
「っ、白……!」
「莉莉」
白は鉄格子の隙間から牢の中に入り込み、莉莉にすり寄った。
莉莉は温かな毛並みを撫で、ほっと息を吐く。
「無事で良かった」
「あぁ。小童のおかげでな」
軽い足取りでまた牢から出た白は、ひょいと琰の肩に飛び乗った。
直後、羽ばたいた朱雀が嫌そうな顔で白を翼で叩いた。
「陛下の肩に気安く乗るでない」
「はぁ? お前もやってるんだからいいだろ」
「我は琰のものだからよいのだ」
「相変わらず硬いなぁ」
ため息交じりに呟いた白のつぶらな目が莉莉へと向く。
「あの場には狐の妖気があってな。オレの鼻で証明してやることにした」
「白、自らか」
「そうだ。オレの愛し子を貶めた落とし前はつけてやらねばならぬだろう?」
「ということだ。しばらく白虎は借りておく」
立ち上がった琰に莉莉は疑問を投げかける。
「本調子ではないのにか?」
「俺は伏せっていることになっているからな。だが莉莉からの心配ならもらおう」
「……馬鹿なことを言っていないでさっさと行け。……一週間後、楽しみにしている」
強気に笑ってみせた莉莉の瞳に諦めはない。
それどころか、琰を試すような光すら宿していた。
「あぁ。俺も楽しみだ」
ひらりと手を振った琰は白と朱雀を連れて牢から出ていった。
莉莉は窓から漏れる月光を見上げ、小さく微笑んだ。
心に巣喰っていた孤独は、もうない。


