弑逆契約 〜双牙妃の後宮生存戦略〜

「琰。おい、しっかりしろ!」

 莉莉の腕の中でぐったりと真っ青な顔をしている琰の元に、朱雀が降り立つ。
 朱雀が琰の切り裂かれた肩口を見て、忌々しそうに呟いた。

「毒っ……!」
「なんだと!?」

 耳に届いた単語に莉莉はばっと琰の肩を見た。
 使われたのは即効性の毒のようで、傷口が爛れかけている。
 莉莉は迷いもなく腰帯を解き、琰の肩に巻き付けた。
 傷口に唇を寄せようとしたが、聞こえてきた大勢の足音と制止の声に止められてしまう。

「貴様……! 陛下に何をしているっ!!」

 声を上げているのは、莉莉が後宮入りをした際に白を取り上げようとしていた男だ。
 騒然とする中、唯一冷静なその男は莉莉の腕を捻り上げた。
 地面に叩きつけられたと同時に背中に膝を置かれ、一瞬にして制圧される。
 草木の影から飛び出して来そうな白を莉莉は目で制した。
 今、この男に飛びかかれば、誤解を解くことは難しくなるだろう。
 しかし、押し倒されたせいで莉莉の影に隠れていた琰が公衆の面前に晒された。
 力なく地面に伏した琰と返り血も浴びていない莉莉を交互に見たその男は顔を怒りに染める。

「貴様っよくも陛下をっ!!」

 その叫び声に、莉莉へ視線が集まった。
 だが莉莉は嫌悪や怒りの孕んだ目をものともせず、怪訝な表情を浮かべる。

「貴殿は周りが見えていないのか?」
「な、んだと」
「貴殿が何者なのか私は知らないが……」
「っ、私は親王(しゅ)煌龍(こうりゅう)なるぞ!」
「そうか。陛下の叔父ならば、なおさらどけ!」

 莉莉は渾身の力で背に乗る男――煌龍をはねのけた。
 琰へと駆け寄り、きつく縛った肩の傷口へ唇を寄せた。
 血を啜っては地面に吐き出すという作業を繰り返す。
 口の中に広がるのは鉄のような味と舌に伝わる刺激。
 その刺激に既視感があり、莉莉は目を見開いた。

(っ、これは)

 吸い出した血に毒の刺激がなくなるまで繰り返すと、琰が小さく呻いた。
 莉莉はぱっと顔を上げ、琰の頬を優しく撫でる。

「聞こえるか」
「……あぁ」
「貴殿を殺すのは私だ。私の手で殺すまで、死ぬことは許さん」
「ふっ。ならば……生き延びねば、な……」

 小さく笑った琰は、力を使い果たしたのか意識を手放した。
 彼の隣に佇んでいた朱雀が傷口へとくちばしを寄せると、みるみるうちに傷が塞がっていく。

「感謝する。毒のあるうちは、傷口を塞ぐことができんのでな」

 莉莉が目を丸くしていると、煌龍にまた腕を後ろに引っ張られ、無理やり立たされた。

「双牙の妃よ。貴様を陛下への大逆罪で拘束する!」
「……念のために聞こう。何故だ?」
「この矢が動かぬ証拠だろう」

 煌龍が口笛で武官を呼ぶ。
 莉莉はその音に既視感を覚えたが、血のついた弓矢を見せられ、浮かんだ疑問は霞のように消えてしまった。
 掲げられた弓矢は見れば見るほど莉莉の用意した物にそっくりだ。
 模倣の巧みさに感心し黙った莉莉を観念したと勘違いしたのか煌龍がふんぞり返る。

「白虎もどこかにいるんだろう? 探せ! 見つけ次第、神獣捕縛の法具を使え!」

 "法具"と聞いた瞬間、あの夜の光景が脳裏に蘇った。
 助けたくとも届かなかった両腕が震えだす。
 しかし莉莉はすぐさま恐怖を抑え込み、煌龍を睨み付けた。

「白は関係ないだろう!」
「陛下に牙を剥いた女に与する神獣だ。(ちゅう)すべきだろう」

 冷ややかに告げられた言葉に、莉莉は息を呑んだ。
 煌龍は忌々しげに顔を歪めている。その表情はもはや神獣へ向けるものではない。
 白すらも手にかけそうな気迫が、煌龍にはあった。

「白! 出てくるな! ――ぅぐっ」

 莉莉が声を上げた瞬間、頬に痛みが走った。
 衝撃で勢いよく地面に飛ばされ、体を打ち付けてしまった。
 間髪入れずに体を起こしたが追撃されることはなく、代わりに武官たちの手で拘束される。

「連れていけ!」
「はっ!」
「離せ。そう警戒しなくとも自分で歩ける」

 莉莉は武官たちの手を払い、自らの足で彼らについていく。
 しかし愛馬に乗ることは許されず、馬車へと押し込められた。
 森の奥で白い尻尾が揺れたが、莉莉はそっと首を横に振った。
 莉莉と白であれば逃げ切ることは容易い。しかしそれでは罪を認めるようなものだ。
 認めてしまえば、莉莉の罪は双牙の一族の罪となる。
 莉莉の行動で首の皮一枚繋がるのなら、それでいい。

(琰は私の仕業ではないと言った。今はそれだけで十分だ)

 馬車がゆっくりと動きだす。
 瞬間。ぞわりと足下が寒くなった。
 産毛が逆立ってしまうような気配に、莉莉は後ろを振り返る。
 森の奥にはすでに人があまりおらず、琰の傍には朱雀と煌龍が佇んでいた。
 朱雀がいることに安堵した莉莉だったが、煌龍の目に息を呑んだ。
 隠しきれない憎悪が彼の瞳の奥底で渦巻いていた。