あの夏、残り3%の君と、世界でいちばん綺麗なサボり方をした


「あの、白波先輩」

隣の席から、遠慮がちな、けれど完璧に澄んだ声が響く。
1年生の松下さんだった。
彼女は中学時代、全国大会のステージを踏んだ経験のある、文句なしの実力者だ。
彼女の抱えるトランペットは、西日を浴びて一点の曇りもなく輝いている。

「そこ、もしよかったら私、オクターブ下でサポートしましょうか? 先輩、ちょっと唇、荒れてるみたいですし……」

松下さんの言葉に悪意はなかった。
純粋に、アンサンブルを良くするための、至極真っ当な提案だった。
けれど、その「善意の配慮」こそが、私のプライドの最も柔らかい部分を無残に切り裂いたんだ。
彼女が吹く高音は、いつだって一切のブレがなくて、まるで青空に引かれた一本の美しい飛行機雲のように真っ直ぐに突き抜ける。
それに対して、私の音は、濁り、かすれ、地面に這いつくばることしかできない。
私がいるから、合奏が止まる……。
私……完全にみんなの足を引っ張ってしまってる……。

「違うだろ、白波! ちゃんとチューニングやったのか?」

再び顧問の鋭い声が飛び、私はビクリと肩を揺らした。

「……すみません」

消え入るような声で謝りながら、私はそっとマウスピースを唇から離した。
じっとりと湿った嫌な汗が、白シャツの背中に張り付いている。
周囲の「また白波が足を引っ張った」と言いたげな、無言の空気に耐えきれず、私は休憩と同時に、逃げるように楽器ケースを抱えて音楽室を飛び出した。
階段を駆け下りる足が、自分の意志とは無関係に動いているようだった。
ダメだ……これ以上、あそこにいたら息ができなくなる。
私の席は、もうどこにもない……。
県大会はもう目の前まで迫ってるというのに、ここにきて音が出なくなるなんて、致命的……。
私じゃなくて、松下さんがあそこに座れば、すべては円滑に、美しく回る。