Nishiyama案件_時系列.xlsx

あー、だるい。
仕事は山積みなのに、会社はさらに「パワーハラスメント対策研修」をねじ込んできた。ただの主任にパワハラする権力ないってば。

メールボックスには未読が溜まっている。
部下から届いた業務外の相談、誰に悪口を言われただとかーーくだらないものは保留フォルダに放り込み、Zoomのポップアップをクリックする。

唯一の救いは、在宅勤務であること。
窓の外を見ると雨が降りそうだ。後で洗濯物を入れよう。

画面では、すぐ研修が始まる。
講師の挨拶の後、ブレイクアウトルームに割り振られる。
画面には、私含め三人。

一人目は相田課長(男性)。大型店舗を任されている。次に川上さん(男性)は、去年入社の若手。見慣れた顔だ。

「自己紹介といっても、皆知ってるし、今更なぁ」

相田課長が半笑いで呟いた時、後から一人入室してきた。パソコンは私含め四人の分割画面になった。
四人目の彼女は、化粧っ気のない無愛想な感じの中年女性。

……知らない顔?

私は戸惑った。
なぜなら私は人事部にいて、社員の顔と名前はだいたい頭に入っている。

画面表示名はunknown。と思ったら、すぐに書き換えたのか「人事部:西山」になった。

人事部?

少し驚いた。同じ部署なのに知らない。

派遣社員とか? でも、派遣は社員研修の対象外だよね。直近で入社した社員なのかな。

慌てて社員名簿を検索するが、ヒットしない。では外部講師が人事部名で割り振られているとか?

色々な可能性を考えているうちに、自己紹介が始まった。
相田課長、川上さんが自己紹介をし、次に私。

私は、挨拶しつつ

「所属は人事部です。西山さんと一緒ですね」

と、振った。画面越しの西山さんの反応を伺ったが、無表情で頷くだけ。

あなたはどこの誰なの?

苛立ちでいっぱいになる。
西山さんの番になった。
にこりともせず、話し始める

「人事部の西山です。私、言いたいことがあるんですけど、いいですか?」

皆、一瞬黙る。
が、相田課長が「どうぞ」と曖昧な笑顔で無難に促した。ブレイクアウトルームの残り時間はあと1分だ。

西山さんが首を傾げた。

「前から不思議だったんですよね。相田課長が課長って。だってパワハラ常習ですよね。あなたの部下、前の店舗でも今の店舗でも何人も休職や退職してますよ」

「!」

全員、息を飲んだ。
事実だったからだ。
私は人事部にいて、相田課長のパワハラについて知る立場にもあった。
けれどコンプライアンス案件は私の管轄外だ。

相田課長は、画面越しに西山さんを睨みつけた。

「西山さんは現場のことを知らないんだね。現場はパートで回してるんだ。本社みたいに黙っていても真面目に仕事やるような人間ばっかじゃないんだよ。責任感もなくて客対応もすぐ逃げて……」

普段の相田課長ならキレて怒鳴るところだと思う。
ただ、Zoom会議は全て録画されていると分かっているからか、静かな声だった。

西山さんは、相田課長の反応を受け流すようにもう一度、逆方向に首を傾げる。

「退職された方、毎日怒鳴られていたそうですね。グズで売り上げ悪いのにトラブルまで起こしてって」

「ちょっと待ってください」

私は慌てて割りこんだ。
別に相田課長を庇うつもりはない。ただ、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだった。

「今、自己紹介の時間ですから。西山さんも自己紹介から…」

ブレイクアウトルームの時間は、残り10秒。

西山さんは私を見た。
ただのZoomの画面なのに、私を見たというのがはっきりと分かった。

「私は貴方にも言いたいことがあるんですよ」

思わず息を飲んだ。

残り1秒。
全員、ブレイクアウトルームから退出させられた。

私は、西山さんの顔にぞっとしながらも、元の研修画面に戻ったことにほっとした。

窓の外を見ると、もう雨が降りそうだ。
なんだか嫌な予感がして、研修を抜けてしまおうかとも思ったがーー西山さんが言った「貴方にも言いたいことがある」の一言が気になり、次のブレイクアウトルームを待つことにした。

私は研修を聞きながら、人事部のフォルダに全検索をかけ始めた。

「西山」

ヒットするだろうか。


*  *  *


雨が降り始めた。
私はいったんPCから離れ、洗濯物を家にいれる。
デスクの直ぐ後ろに洗濯物がぶら下がる格好だが、Zoomの背景はハワイの景色にしているから大丈夫だ。

研修に戻ると、講師が「パワハラ通報窓口の活用」を解説していた。
分かってるのに……と思った途端、またブレイクアウトルームに飛ばされた。

四分割の画面に同じメンバーが映る。
西山さんにパワハラを糾弾された相田課長。
若手の川上さん。
それから私。
私と同じ人事部所属らしい西山さん。

私は心の中で西山さんに苛立ちをぶつける。

あなたは誰?

不快感と気味の悪さは怒りに変わる。正体を追及しようと口を開きかけたが、西山さんが先に話し始めた。

「パワハラ通報窓口って、活用したことありますか?」

相変わらず微動だにしない表情。

「ないっすね」

川上さんが軽く答えた。

「窓口に通報するくらいなら上司に直接言やいいじゃないですか。パワハラったって取って食われるわけじゃないんだから」

「そうですか?」

西山さんが川上さんの言葉に反応する。何を考えているのかは分からない。

「そうっすよ。いい大人なんだから。窓口使わなくちゃ言えないって、ねぇ」

それを聞いて、西山さんが初めて笑った。--皮肉げに。そして言った。

「だから、匿名で通報した社員がショックを受けてたんですねえ。ばらされたって」

「それはーーだって、どうせバレることだし」

バツが悪いのか、川上さんは口ごもった。

そうだ。人事部の私は知っている。
新人として各店舗を視察していた川上さんは、たまたま、告発者がメールを書いているのを見かけた。

本人から口留めされたにも関わらず、川上さんはそれを人事に共有したのだ。告発者と告発内容は、パワハラを起こした本人、相田課長にも伝えられた。

告発したのは確か、現場のパートをまとめる立場の中年の女性だった。ただ本人もパートタイマーだった。

正社員ならともかく。パートなんて嫌ならやめればいいのに。

そう思ったことを覚えている。

ふと、ずっと検索していたフォルダが一つのファイル名を表示した。


【 Nishiyama案件_時系列.xlsx 】


場所は、人事部のコンプラ案件管理フォルダ。権限がないとアクセスできない筈なのに、なぜか見ることができた。

ファイルを開く。
すると、数秒後に相田課長と川上さんの名前も同時編集者欄に現れた。
二人もこのファイルを探していたんだ。

そのファイルには、パワハラ案件ーー西山さんのーーに関する情報が時系列に記載されていた。

・相田課長が西山さんを厳しく叱責(多数回)

・西山さんの匿名通報を川上さんが人事に共有

・人事が相田課長に共有

・相田課長が西山さんを厳しく叱責

・コンプライアンス窓口が信頼できなくなった西山さんが、唯一の人事部の知り合いーー私ーーにメールで窮状を訴えたが、メールを受け取った私が放置

ーーえ!?

私はガツンと頭を殴られた気がした。
自分の名前が書かれているなんて思わなかった。しかも、加害者として。
メールって何? 思い出せない。

震える手でスクロールする。

・西山さんはうつ状態になり休職

・本社から書類を送っても戻ってくるようになり……行方不明だと分かり……自宅を訪ねた親族が自死している西山さんを……

その先は確認できなかった。
全身が震えた。世界から温度が消えたように寒くなった。

私は思い出した。
休職者は人事部付けになるんだ。

でも、こんなトラブル、人事部にいる私が耳にしないなんてことある?

いや、逆だ。
きっと、私は加害者の一人として、厳格に情報を伏せられていたんだ。

私は震える手でパソコンのタスクバーからOutlookを起動する。
検索窓に西山、と入れて検索をかける。

Outlookがパソコン画面の全面に出て、ブレイクアウトルームは背後に隠れた。

一通のメールがヒットした。
件名は「拠点視察の際にご相談した件(重ねて申し訳ありません)」。

その件名を見た瞬間、はっきりと思い出した。

あの西山さんだ!!

2年ほど前だろうか。
「働き方改革」の名目で、西山さんが働いている店舗を訪れた。
レポートにまとめるために、形式的なヒアリングもした。

食料品の段ボールが沢山積まれた暗い倉庫の片隅。
西山さんは、総菜売り場のエプロンとマスク姿で俯き加減で丸椅子に腰かけていた。
私は、用意されたクッション付きのパイプ椅子に座って、スーツ姿で話を聞いていた。

ヒアリングのときは、当たり障りのない「パートのシフトを組むのが大変」という程度の話ししか聞かなかった。

けれど、その後しばらくして、私個人宛に西山さんからメールが来た。

上司にーー相田課長に、キツく当たられているがどうしたらいいかという相談だった。相田課長は他の人ともトラブルを起こしていたから、ああまたかと思い、私の管轄外だし誰か振ろうと思っていたが、忙しくて忘れてーー見なかったことにしようと削除した。

しばらくして、二通目が来た。
それが今回ヒットしたメールだが、面倒になり読みもせず保留フォルダに振り分けた。

くだらない、と切り捨てることが忙しい日々の憂さ晴らしになっていたかもしれない。

二通目になにが書いてあったのだろう。

喉元までせりあがる恐怖をおさえながらメールをクリックする。
丁寧な挨拶文が目に飛び込んできた。


= = =
拠点視察の際にお話させていただいた西山です。あの時は、親身にお話を聞いてくださりありがとうこざいました。
先日メールをさせていただきましたが、お忙しくて見落とされたかもと思い、改めてメールをお送りしました。
相田課長の件です。……
= = =


そこからは、相田課長の暴言や、パートタイマーであるに関わらず西山さんがお客様トラブルの責任者対応をさせられたこと、欠勤スタッフの代わりに出勤することが常態化していたことなどが書かれていた。

腹の奥から何かが押し上げられるように苦しくなった。肺が下からつぶされるようで苦しい。

ーーでも、パートなんだから、そんなの辞めればよかったのに!

心の中でそう叫んだとたん、マウスポインタが勝手に動き、Outlookが閉じられた。

パソコンの画面は、Zoomのブレイクアウトルームだけになった。
相田課長と川上さんが、青ざめた表情で映っている。多分、私も。

西山さんがいない。

四分割画面の西山さんのいた場所は、真っ黒になっている。名前はunknownに戻っている。

「あっ」

私は思わず叫んだ。
相田課長と、川上さんの背後に、無表情の西山さんが現れた。

その瞬間、二人の目が飛び出しそうなくらい大きく見開かれた。
喉元を掻きむしり始める。息ができないみたいに。

「!」

ZOOMから三人が消えた。
自分だけが大きく映っている。スマホのインカメみたいに。

どこに行ったの? なにがあったの? どうなったの?

クマの目立つ顔の自分が、画面の中で揺れている。背景はハワイなのに。

外を見る。
暗くなり、雨が降り始めていた。

窓が雨粒で濡れていく。それは涙のようだ。

ーーだって、そんなに深刻だと思わなかったんだもの。

私のZoomの背景が、ハワイから室内に切り替わる。サーキュレーターの風に煽られて洗濯物が揺れている。

洗濯物の揺れが、止まった。
湿った生ぬるい空気がじわりと首すじに触れる。

立っていた。私の後ろに。

西山さんは真っ黒に塗りつぶされたような目をしている。

ーー悪意があったわけじゃないのに。忙しくてメールを消しただけなのに。それはそんなに責められることなの?

私は、自分のしでかしたことに血の気が引いたが、



Zoom画面が落ちる。



……遅かった。