怖がりな最強退魔師の契約花嫁になりました。



 香澄(かすみ)久遠(くおん)の祝言の日。
 外は茹だるような暑さだが、藍原家の秘術とやらで室内は快適だった。
 婚礼の場となったのは、辺りでも指折りの格式を誇る高級料亭。
 広大な庭園を囲むように建てられた(やかた)で、磨き上げられた柱や廊下は一切の妥協も見えない。

 ──すごい。

 花嫁衣装に身を包み、久遠の隣に座る香澄はそれ以上の言葉が出ない。
 山吹家も裕福な方ではある。
 しかし参列者含め、目の前の光景は"名家"という言葉だけでは到底言い表せない。
 長い歴史と絶大な財力。
 そして、人々から寄せられる信頼。
 その全てが形となって現れているようだった。

「もうちょっと楽にして良いよ」

 声がした方を向けば婚礼衣装姿の久遠が、香澄を視界に捉えている。
 漆黒の羽織袴は彼の端正な顔立ちによく似合い、見合いの席では羽虫相手に振り乱していた髪も今日は“まだ”整えられていた。

 ──こうして見ると本当に綺麗な人だ。

 脳裏にそんな感想が浮かぶ。
 見惚れるというより、土産用の工芸品を眺めているような気持ちである。

「……」

 久遠といえば、香澄相手に僅かに頬を染めていた。
 余計な装飾が一切ない白無垢は、彼女の素の美しさを引き立てている。
 清潔な香りがする黒髪。
 ()の恵みを受け(つや)やかに輝く肌。
 しゃんと伸びた背筋。
 初対面から感情が読み取れない口元も、今日はなぜか柔らかく見える。

 ──え。
 ──この女性(ひと)こんなに綺麗だったのか……。
 
「どうかなさいましたか?」
「えっと……」
「ああ、分かりました」

 歯切れの悪い久遠を香澄が不思議そうに見つめ──すぐに合点(がてん)がいったと頷く。

「安心してください。今のところ虫はいません」
「そっ、そういうことじゃない!」
 
 思わず叫んだ久遠は後悔した。
 用意された席に着く、少なくない参列者たちの視線を一挙に集めてしまったのだ。
 ただでさえも本日の主役ということで注目されているのに。

「……久遠様」

 近くに控えていた神職が遠慮がちに口を開く。

「皆様がお待ちですので、そろそろよろしいでしょうか?」
「あ、はい。お願いします」

 ひとつ咳払いした久遠が前へ向き直ったのを合図に婚礼の儀が始まった。
 神職が(おごそ)かに進めていく中、久遠側の親族たちのひそひそ声が香澄の耳に届く。

「あれが山吹家の長女……」
「聞いていたより美人じゃないか」
「本当にあやかしなどという噂があるのか?」
「藍原家当主の嫁になるには、少々家格が足りぬ気もするが……」

 値踏みするような視線。
 初めて受ける(たぐい)のもので落ち着かないが、今まで浴びてきた蔑むようなそれに比べれば大分マシだった。
 山吹家の席は広間の端に設けられていた。
 父と母は無表情のまま座り、娘の晴れ姿を一瞥もしない。
 ただ一人、妹とは目が合うものの……。
 
 ──あの子は私を見ているようで見ていない。
 
 白無垢。
 豪華な婚礼の席。
 “あの”藍原家当主の嫁という立場。
 その瞳に浮かぶ感情が嫉妬であることは、言葉を交わさずとも伝わった。

 ──能力も、両親の愛情も。
 ──全部持ってるのにまだ欲しがるのね。
 
 香澄は逃げるように視線を外す。
 神職は(とどこお)りなく婚礼を進める。
 
 
 祝詞(のりと)を半分ほど拝聴したところで、異変に気付いたのは久遠だ。

 
「……妙な“気”が動いてる」
「え?」
「藍原の者は態勢を整えろ。他の参列者の安全を確保するんだ」

 聞き返す香澄を背に庇いながら、起立した久遠が声を張った。
 (さまた)げられた神職は戸惑うことなくさっ、と引き下がる。まるでこうなることが分かっていたようだ。
 
「やたらとこの料亭を勧めるからおかしいとは思ったんだよ。祝言にはあんま向かなそうなのに」
「……あっ……」
「感じた?これが分かるなら無能じゃないよ、アンタ」

 空気が不自然に波立つ。
 久遠の指示通りに藍原家の面々が動き陣形を固めた頃、“それ”はやって来た。


 グオオオオオ……!
 ガシャァン!!

 
 不気味な鳴き声と同時に黒い影が扉を突き破った。
 犬のようにも見えるが、そう呼ぶにはあまりにも禍々(まがまが)しい。

「すぐ終わると思うけど、一応離れてて」

 香澄は目を疑った。
 羽虫一匹に本気で恐れ(おのの)き、大きな音と犬と蛇と……と指折り数えて怖いものを並べていた男が、今は至って冷静に“それ”と対峙しているのだから。