桔梗との契約結婚により、彦十郎は黒澤の謀略に与する心配は無くなった。今迄通りの生活が約束されたのだ。それ故に、内政を黒澤に、外交を小山に、そして戦を桔梗に丸投げした。
重臣の二人はこれ迄と仕事内容は変わらないが、桔梗は初めて指揮官として兵達を統率しなければならない。上層部の誰もが知っている様に、北方氏の兵はお世辞にも強いとは言えない。ここ数年連戦連敗のため士気は限りなく低い。そして、ここ数年、小競り合いを繰り返している為に厭戦気分が蔓延している。他領主から総攻撃を仕掛けれた場合には、北方氏の兵が全滅する事も考えられる危機的状態だ。
彦十郎は早朝、隣の部屋から出て行った桔梗を思い出して嗤う。
「ふん、存分に失敗するがいい」
彦十郎は桔梗が殊の外気に入らなかった。
容姿は悪くない。真っ白な肌に漆黒の髪。切れ長の目には強い意志の光が宿っており、視線は常に未来へと向けられている。その視線を見たくなかった。まるで幼い頃の、己の無力さを自覚していなかった頃を思い出すからだ。己の無力さに打ちひしがれた瞬間を思い出し、今でも胸が苦しくなるのだ。だから、桔梗も一日でも早く己の限界を体験し、ただ漫然と余生を満喫すれば良いと思っている。無駄な努力を続けたところで、初代の様な、生まれながらの傑物になれるはずがないのだから。
桔梗は朝一番で、木刀を手にして訓練場に向かった。
この時代に専業の侍という存在は少数であったが、北方領は小競り合いが多いため総勢八百人の戦力の内、二百人程が田畑を持たない専業の侍である。当然、仕事は戦闘訓練のはずだ。
しかし、桔梗が城内に設置された訓練場に向かうと、そこに兵達の姿は無かった
「なるほど。思った以上に状態が良くないですね」
そう呟いて、桔梗は木刀を振り始めた。
そして、桔梗が木刀を振り始めて二刻(約四時間)が過ぎ、お天道様が空の真ん中に近付いた頃、ようやく訓練場に兵達が姿を見せ始めた。その兵達は、訓練場の真ん中で一心不乱に素振りをしている女性に気付き、訝しそうに口を開いた。
「おい、あれは誰だ?」
「なぜ女子が訓練場で素振りをしているんだ?」
「誰か注意してこいよ。ここはお遊戯の場所じゃないってさ」
しかし、兵達の下卑た言葉は、次第に少なくなっていった。桔梗が振る木刀の風切音が、訓練場内に響いていたからだ。
「お、おい、あれ・・・」
「御前にあの音が出せるか?」
狼狽する兵達の間に、全く違う言葉が混じった。
「あれは、小山様の御息女、桔梗様ではないのか?」
「桔梗様?誰だ、それは」
桔梗の存在を知っていた兵が、その内容について説明する。
「桔梗様は殿、彦十郎様の御正室だ。ほんの数日前に内々で結婚の儀が執り行われた」
「あの、侍女に―――――」
「おい!!滅多な事を口にするな」
「ああ、すまん・・・」
「桔梗様は文武両道の才色兼備という噂だ。十歳の頃には、大人でも桔梗様に勝てる者はいなかったと聞き及んでいる」
しかし、その説明を聞いても、納得しない者の方が多かった。
「それは、相手が素人だったからだろう。ここにいる武術に対する心得がある者相手では、十数える間に終わってしまうだろう」
頷く八割、首を横に振る者二割といった様子である。
その時、訓練場に凛とした女性の声が響いた。
「私が当主、北方 彦十郎様の妻の桔梗だ。今日から北方氏の指揮権を統合し、私を中心として編成し直す事になった。以後は、私の指示に従ってもらう」
一斉に兵達が騒ぎ始める。女子に指図をされる事が納得出来ないのだろう。
桔梗にもその気持ちは理解できた為、指示に従わせるために提案をする。
「納得できていない様なので、私から一つ提案がある。これから、ここにいる二百人と対戦をしよう。それで、もし私が勝ったら、不満があっても私に従ってもらう。其方等が勝てば、今迄通り自分達の好きな様にやってもらって構わない。どうだ?」
不敵な笑みを浮かべる桔梗。いつから木刀を振っていたのかは分からないが、足下を見れば相当数振り込んでいた事は明らかだった。それを確認した兵達は、桔梗の申し出を受ける事に決めた。
「もし怪我をしたとしても、厳罰などという事にはしないで下さい」
「勿論だ」
こうして、桔梗対二百人の模擬戦が開始された。
重臣の二人はこれ迄と仕事内容は変わらないが、桔梗は初めて指揮官として兵達を統率しなければならない。上層部の誰もが知っている様に、北方氏の兵はお世辞にも強いとは言えない。ここ数年連戦連敗のため士気は限りなく低い。そして、ここ数年、小競り合いを繰り返している為に厭戦気分が蔓延している。他領主から総攻撃を仕掛けれた場合には、北方氏の兵が全滅する事も考えられる危機的状態だ。
彦十郎は早朝、隣の部屋から出て行った桔梗を思い出して嗤う。
「ふん、存分に失敗するがいい」
彦十郎は桔梗が殊の外気に入らなかった。
容姿は悪くない。真っ白な肌に漆黒の髪。切れ長の目には強い意志の光が宿っており、視線は常に未来へと向けられている。その視線を見たくなかった。まるで幼い頃の、己の無力さを自覚していなかった頃を思い出すからだ。己の無力さに打ちひしがれた瞬間を思い出し、今でも胸が苦しくなるのだ。だから、桔梗も一日でも早く己の限界を体験し、ただ漫然と余生を満喫すれば良いと思っている。無駄な努力を続けたところで、初代の様な、生まれながらの傑物になれるはずがないのだから。
桔梗は朝一番で、木刀を手にして訓練場に向かった。
この時代に専業の侍という存在は少数であったが、北方領は小競り合いが多いため総勢八百人の戦力の内、二百人程が田畑を持たない専業の侍である。当然、仕事は戦闘訓練のはずだ。
しかし、桔梗が城内に設置された訓練場に向かうと、そこに兵達の姿は無かった
「なるほど。思った以上に状態が良くないですね」
そう呟いて、桔梗は木刀を振り始めた。
そして、桔梗が木刀を振り始めて二刻(約四時間)が過ぎ、お天道様が空の真ん中に近付いた頃、ようやく訓練場に兵達が姿を見せ始めた。その兵達は、訓練場の真ん中で一心不乱に素振りをしている女性に気付き、訝しそうに口を開いた。
「おい、あれは誰だ?」
「なぜ女子が訓練場で素振りをしているんだ?」
「誰か注意してこいよ。ここはお遊戯の場所じゃないってさ」
しかし、兵達の下卑た言葉は、次第に少なくなっていった。桔梗が振る木刀の風切音が、訓練場内に響いていたからだ。
「お、おい、あれ・・・」
「御前にあの音が出せるか?」
狼狽する兵達の間に、全く違う言葉が混じった。
「あれは、小山様の御息女、桔梗様ではないのか?」
「桔梗様?誰だ、それは」
桔梗の存在を知っていた兵が、その内容について説明する。
「桔梗様は殿、彦十郎様の御正室だ。ほんの数日前に内々で結婚の儀が執り行われた」
「あの、侍女に―――――」
「おい!!滅多な事を口にするな」
「ああ、すまん・・・」
「桔梗様は文武両道の才色兼備という噂だ。十歳の頃には、大人でも桔梗様に勝てる者はいなかったと聞き及んでいる」
しかし、その説明を聞いても、納得しない者の方が多かった。
「それは、相手が素人だったからだろう。ここにいる武術に対する心得がある者相手では、十数える間に終わってしまうだろう」
頷く八割、首を横に振る者二割といった様子である。
その時、訓練場に凛とした女性の声が響いた。
「私が当主、北方 彦十郎様の妻の桔梗だ。今日から北方氏の指揮権を統合し、私を中心として編成し直す事になった。以後は、私の指示に従ってもらう」
一斉に兵達が騒ぎ始める。女子に指図をされる事が納得出来ないのだろう。
桔梗にもその気持ちは理解できた為、指示に従わせるために提案をする。
「納得できていない様なので、私から一つ提案がある。これから、ここにいる二百人と対戦をしよう。それで、もし私が勝ったら、不満があっても私に従ってもらう。其方等が勝てば、今迄通り自分達の好きな様にやってもらって構わない。どうだ?」
不敵な笑みを浮かべる桔梗。いつから木刀を振っていたのかは分からないが、足下を見れば相当数振り込んでいた事は明らかだった。それを確認した兵達は、桔梗の申し出を受ける事に決めた。
「もし怪我をしたとしても、厳罰などという事にはしないで下さい」
「勿論だ」
こうして、桔梗対二百人の模擬戦が開始された。



