戦場の花は散らず、すべてを魅了する。

 幕府から派遣されていた地頭を打ち倒し、弱小領主となって三代目。領主である彦十郎は、この十八年間を怠惰に過ごしてきた訳ではない。人一倍鍛錬を積んだし、民を慈しみ善政を敷いてきた。それでも、手が届かない高みというものは存在する。


 彦十郎がまだ幼い頃、初代領主であった祖父は健在で、他領との合戦に敗れる事は無く連戦連勝だった。時流に乗って地頭を討ち果たしただけだと近隣の領主達に侮られ、度々自領に攻め込まれた。しかし、初代は合戦に於いて間違いなく有能だった。生誕が名家であれば全国に名を轟かせていたかも知れない。合戦に勝利する度に領地を広げ、僅か三十戸余りから、最終的に三千戸へと百倍の地を治める領主になった。その祖父も寄る年波には勝てず、彦十郎の元服を迎える前に惜しまれながら他界した。

 当然、彦十郎はそんな祖父を尊敬し、自らもそうなりたいと幼い頃から鍛錬に励んだ。しかし、どんなに刀を振ろうが、彦十郎の武勇は祖父には遠く及ばなかった。元来の体力の無さが問題なのか、祖父が特別であったのか、それとも・・・

 父である二代目の領主は、祖父が大きく広げた領地を守るため内政に心血を注いだ。祖父のように好戦的で戦上手ではなかったものの、その領地を経営、管理する能力は目を見張るものがあった。拡大路線とはいかなくても、他領主から攻め込まれる事がないように交渉もしていた。

 自分が合戦に不向きな事を理解した彦十郎は、祖父亡き後、父の後継者となるよう勉学に励んだ。鶏と同時に起床し、蝋燭の灯りの元で目が霞むまで書籍を諳んじた。しかし、二代目である父は領主となって七年後、今から三年後に病によって急逝した。それにより、彦十郎は齢十五にして家督を継ぐ事になった。

 彦十郎が領主となって直ぐに、東の領主である小川 貞勝が攻め込んできた。不可侵は前領主との約定であり、代替わりした三代目とは無関係という理屈であった。元々総兵力八百と千五百。しかも不意を突かれる形となり、一方的に敗戦。三百戸分の領地を失ってしまう。その後、西の高倉 重忠にも再三に渡って境界を侵され、同じく三百戸余りの領地を失う。
 自分でも合戦の才能が無いと思っていた彦十郎は、それならばせめて、と内政に力を注ぐ。しかし、その努力も虚しく、領地の収入は減少し、配下の離反が続いた。結果、彦十郎は、自分が祖父の武勇を受け継ぐ事も、父の頭脳を引き継ぐ事も出来なかった事を悟る。

 ――――― 己は凡庸である、と ―――――


 その後、彦十郎は領地経営に関心を示さなくなった。
 代わりに内政を担ったのは家老である黒澤 滝衛門。黒澤は彦十郎が内政に無関心な事をこれ幸いと、商人や役人に賄賂を要求して私服を肥やした。外交、戦を担ったのは小山 成明。小山は祖父の代から三代に渡り使える宿老であり、心から領地の安寧を願っていた。戦に備えて部下共々鍛錬を怠らず、有事にも備えた。

 肝心の彦十郎は、何をするでも無く、ただ毎日遊んで過ごした。自分が何かをしたとしても、大して役に立たない事を自覚してしまったからだ。それ故、御付きの侍女に手を出し、昼日中から侍女と寝所を共にする事も度々あった。当然のように、その行為は城内に知れ渡り、配下や領民から反感を買い、人心を失う結果となった。