戦場の花は散らず、すべてを魅了する。

 三日後になると、休暇を取っていた兵達が訓練場に戻ってきた。直ぐには戦力にならない深手を負った者までもが、体力作りにと姿を見せている。更に、領内の住民が、桔梗と兵士達にと少ない食い扶持を節約して差し入れをしに訪れた。

 親しげに接する兵達。笑顔で言葉を交わす領民達。その様子を離れた場所から眺めながら、彦十郎はなぜか不愉快でたまらなかった。見掛ける度に人々に囲まれている桔梗。彦十郎には見せる事がない豊かな表情で受け答えをしている。形式上だけとはいえ、桔梗は彦十郎の妻である。夫である自分が一番親しいはずではないのか。そういう気持ちが抑えられなくなっていく。

「あ、殿!!」

 彦十郎の存在に気付いた桔梗が、少し離れた場所から彦十郎の元へと駆けて来る。
 そして、三間ほど離れた場所で片膝を突いた。
 頭を垂れる桔梗の目にした彦十郎は、その姿を見ながらあからさまに憤慨した。

「ふん、励むが良い」
 素っ気無く言い放ち、彦十郎は背を向けて足早にその場を去った。顔を上げた桔梗は、その背を見送りながら小首を傾げた。


 夕食時、自らの態度が理解出来ずにいた彦十郎は、同席していた綾乃に訊ねた。他人と親しくする桔梗に対する苛立ちと、自分に対する主従関係そのままの対応に対する不満を。
 すると、綾乃は目を見開いた後、箸を置いて街娘の様にクスクスと笑った。
「彦十郎様、それは嫉妬というものでございます。自分より親しく見える相手に対して腹立たしく思うという事は、自分にもっと打ち解けて欲しいよいう気持ちの現れですし。本当に契約結婚であれば、主従関係が正しいはずです。しかし、それが納得できないという事は―――――つまり、そういう事です」
「・・・つまり、そういう事?意味が分からないな」
 首を傾げる彦十郎に対し、綾乃は笑顔を見せる。
「桔梗様が正室で私が側室。そして、桔梗様と私は、まるで姉妹の様に仲睦ましく協力して彦十郎様をお支えする。何て素敵な事でしょうか」
 目を瞑り顔を紅潮させて薄ら笑いと浮かべる綾乃を見遣り、更に首を傾げる彦十郎であった。



 それから三月後、冬が目の前に迫って来た頃に急報が届いた。
 その知らせは、桔梗が予測した中で最悪のものだった。西の高倉氏と東の小川氏が同盟を結び、同時に佐山領に攻撃を仕掛けたのだ。佐山氏はこの地域で最大の領地を兵力を保持していたが、先の北方氏との合戦に於いて千近い兵を失い、更に、最高戦力であった又兵衛も失ってしまった。今の佐山氏には連合軍を撃退する戦力は無い。

「我々は佐山氏に協力し、高倉軍の背後を突きましょう。兵力が弱くなったとはいえ、小川氏だけであれば佐山氏は負ける事はないでしょう。ですが、高倉氏が共同で攻めるとなれば話しは別です。どんなに守りを固めても、一週間もつかどうかです」

 桔梗の正確な分析に、作戦会議をしていた部屋には重い沈黙が流れた。
 実際に、戦況的には桔梗の発言通りに事が運ぶ未来しか見えない。ただ、そうなると、佐山氏の領地を高倉氏と小川氏が分割し、力を蓄えた状態で北方領に攻め込んで来るという事になる。そうなれば、九割九分敗北は確定だ。

「では、私は城内の配下二百を連れ、夜陰に紛れて今夜にでも出陣します。高倉軍の背後から襲い掛かり、必ず撤退させて見せます」

 桔梗が立とうとすると、それを彦十郎が止めた。
「待て、私も一緒に参ろう」
 信じられない物を見たかの様に、桔梗は大きな目を更に見開いた。
「殿、殿が死地に飛び込む必要はありません」
 いつもであれば直ぐに納得する彦十郎が、少しだけ語気を強くして言葉を重ねる。
「いや、死地と言うのであれば、桔梗が行く事は認められない。まだ、どうしてもと言うのであれば、直茂と光正を連れて行くが良い」
 直茂と光正は彦十郎の懐刀であり、最終防衛の要になる(ツワモノ)だった。
「それも出来ません。殿を守護する者がいなくなってしまいます。私は大丈夫ですので、お気になさらずとも結構です」
「むっ、では、やはり余も自ら出陣しようではないか」
 彦十郎の言葉に、流石に桔梗も呆れた顔をする。
「御存知の通り、戦場は絶対に安全というものではございません。流れ矢一つで簡単に生命を落としてしまいます。そんな最前線に殿をお連れする事など出来るはずがありません」
「では、御前も行ってはならぬ!!」
 
 再び目を見開く桔梗。
 自分の言に唖然とし、口を開けたままで固まる彦十郎。
 数秒見詰めあったまま、桔梗は聞こえなかったふりをして立ち上がった。

「では、行って参ります」