治癒の花嫁 〜命を紡ぐ契約結婚〜


 買い物を終えた美胡は足早に家に向かっていた。

(さっきまであんなに晴れていたのに)

 晴々としていた空には黒い雲が出始め、辺りを暗く包み込む。今にも雨が降り出しそうな天気に、自然と気分も下がっていった。

(お洗濯物も干したままだわ)

 そう思い、さらに足を早めたその時だった。

「……っ!」

 一瞬胸がざわめき、背筋に嫌な汗が流れた。

(なに……? この感覚……)

 誰かに見られているような感覚。その視線は鋭く、美胡の身体を射抜いていく。
 途端に胸が鷲掴みされたように苦しくなった美胡は、思わず地面に崩れ落ちた。

「……っはぁ、はぁ」

 地面に手をつき、呼吸を整えようと大きく息を吸う。冷や汗が止まらなかった。

『オマエノカラダガホシイ……』

(今の何っ……?)

 胸の中で誰かの悍ましい声が響いた。ぎこちなく周囲を見回しても近くには誰もいない。それなのに、不気味な声は止まない。

『オマエヲクエバワレハツヨクナレル』

「誰っなの……」

 息も絶え絶えに声を絞り出す。しかし、その声に反応は何もなかった。

『コッチダ。コッチニコイ』

 美胡はフラフラと立ち上がると、家と反対方向に歩き出した。まるで見えない何かに引っ張られるように、無意識に足が進んでいく。

(私はどこへ……)

 意識を朦朧とさせながら、歩いていた美胡だったが、いつの間にかぷつりと意識が途切れていた。


 ◇◇◇


「厄介な異形だ」

 清雅はサーベルを片手に異形を睨んでいた。

 事の発端は数刻前。
 隊長室で執務をこなしていた清雅の元に海堂が駆け込んできた。

「清雅! 帝都東側の林に異形が……! しかも以前仕留め損ねたやつと似たような形だと情報が入った」

「なに?!」

 清雅は物音を立てて立ち上がった。
 清雅が一度倒し損ね、怪我を負わされた異形。不気味な姿と声が思い返される。

 サーベルを掴むと、清雅は一目散に駆け出した。

 東の林は空気が重く、嫌な気配が立ち込んでいた。
 清雅や海堂含め異形討伐特殊部隊の隊員が到着した時には、天にも昇りそうな大きさの異形が口から火を吐き、木々を燃やしてなぎ倒していた。

「随分と派手に……!」

 清雅は奥歯を噛み締めた。

「全員配置に付け! この異形は特殊だ。気をつけろ!」

「はっ!」

 清雅の声掛けで隊員たちは散らばった。異形をぐるりと取り囲み、合図で一斉に切り掛かる。

「うぁぁぁっ」

 しかし、異形から放たれる炎の威力は凄まじく、歯が立たない。

(くそっ。このままでは前回と何も変わらない)

 清雅は焦りつつもサーベルを強く握り、異形の足元に狙いを定めた。気配に気づかれないように息を殺して近付き、思い切りサーベルを振り下ろす。

『グォォォォ』

 バランスを崩した異形は雄叫びを上げながらゆっくりと後方に倒れていった。
 このままとどめを刺そうと倒れた異形に向かって手を差し出す。手のひらから熱い炎が湧き起こった。

「これで終わりだ」

 手から炎を放とうとした瞬間だった。
 倒れた異形の背後にふらふらとした足取りの人影が見えたのは。

「おいっ! そこをどけ!」

 大声を上げるも届かない。意識がどこかにいっているのか。今にも倒れそうな足取りだった。
 早くしないと異形が体制を戻してしまう。清雅は声を掛け続けた。

「おいっ! 聞こえているのか! こっちは危険だ。立ち去……れ…… 美胡?」

 だんだんと近づいて来た人影がはっきりと目に映った。
 見覚えのある、いや最近見慣れている華奢な身体に焦茶色の髪。毎日見ている姿を間違えるはずがない。

「美胡っ!」

 声を掛けるが、反応がなかった。美胡は大きく身体を左右に揺らしてこちらに向かってくる。その瞳には光がなく、どこか一点を見つめていた。

(なぜ美胡がこんなところに…… いや、その前にここは危険だ)

「美胡っ!」

 清雅は夢中で駆け出した。倒れている異形を踏みつけ、美胡の元へ急ぐ。そして、美胡の肩に手を置き、軽く揺さぶった。

「おい……! 美胡、大丈夫か?」

「……せい、がさま……?」

 虚だった瞳が瞬きを繰り返される事で徐々に光を取り戻していく。

「あ、れ……? どうして私、こんなところに……」

「良かった……」

 美胡は周囲を見て眉を下げた。清雅は意識を取り戻したことにため息を吐く。
 清雅が美胡に気を取られている間に、異形は体勢を立て直していた。ギロリと赤い目が清雅と美胡を捉え、ニタリと笑った。

『ヤハリアノトキノムスメ……イヤ、チガウ。ダガ、ナバナノムスメダ』

「……っ」

 異形は美胡を見ていた。地を這うような声が美胡の脳内に鳴り響く。

「美胡、大丈夫か?」

 清雅は美胡を支える。顔色がすこぶる悪い。真っ青で呼吸も浅く、具合が悪そうなのが一目瞭然だった。

(なぜ異形のそばに行くと苦しそうになるんだ? この異形に何かあるというのか?)

 清雅は異形を睨みつけた。ギラギラと光る赤い目とかち合う。

「お前は美胡のことを知っているのか?」

 鋭い視線を向けながら異形に尋ねた。すると、異形はまるで昔を思い出すように天を仰ぐ。

『ソイツヲトリコメバ、ワレハエイエンノチカラヲエラレル』

「なぜそうなる?」

『ナバナノチカラガホシイ』

 治癒力は病や怪我を治す異能だ。なぜ異形が欲しがっているのか分からない。清雅は首を傾げた。

『チユリョクテニイレレバ、ムテキ。ムカシニナバナノムスメヲトリコモウトシタガ、チュウトハンパニシカトリコメナカッタ』

 なんとなく予測がついた。

「昔にこの異形は菜花家の娘を取り込もうとしたが失敗した。だが、その時に話す能力や治癒力を得て長い間をかけて強化していったのか」 

 話すことができない異形が話すこと。異能の攻撃が効かないこと。これでなんとなく辻褄が合う。

(それならこいつを倒せば、美胡の寿命も解決するかもしれない……!)

「ドケ。ワレノエモノヲヨコセ」

「美胡は渡さない」

『ウルサイ。クチダシスルナ!』

 異形は鋭い爪に炎を灯しながら清雅と美胡に向かって飛び立った。

 片手で朦朧としている美胡を抱き留めながら、清雅も手から炎の異能を放つ。
 しかし、片手だけでは自由が効かない。清雅は限界まで抵抗したものの、異形の威力に押され、美胡と共に吹き飛ばされていった。

(美胡には指一本触れさせない……!)

 美胡を抱きしめ、庇う。

「くっ……!」

 清雅は背中で異形の攻撃を喰らってしまうのだった。