夕日が傾いてきた頃、美胡は炊事場で夕食の用意をしていた。清雅は細い見かけによらずよく食べた。上品だが豪快な食欲は見ていてとても気持ちが良いし、作りがいがある。
(そろそろお帰りになる頃かしら。そういえば桃を頂いていたんだったわ。夕食後にすぐ食べられるように切って冷やしておきましょう)
美胡が氷箱から桃を取り出し、立ち上がろうとした時だった。
(なんか、また胸が重いような……)
最近感じる息苦しさがまた美胡を襲った。深呼吸を繰り返せばいつものように落ち着くだろう。そう思った美胡はゆっくりと息を吸い込んだ。
(……あ、れ……)
良くなるどころか、急に胸が締め付けられたように苦しくなり、呼吸ができなくなった。息を吸おうと口を開くも空気が入り込んで来ない。手から力が抜け、桃が地面に転がり落ちていく。
(く、苦しい……)
美胡は自分の胸元を抑えもがき続けた。次第に視界がぼやけていく。
(誰か、助けて…… 清雅、さま……)
清雅の名を心の中で呼んだ美胡は意識を失ったのだった。
重たい瞼をゆっくりと開く。
(あれ……私……)
自分の身に何が起きたのか理解が追いつかず、美胡は瞬きを繰り返した。
視界がはっきりした時に見えたのは、最近見慣れてきた自室の天井だった。
(私はどうやって……)
倒れた記憶がうっすらと思い出される。しかし、自力でここに来れたとは思えない。戸惑っていると静かに襖が開けられた。音の方を見ると着流し姿の清雅がいた。
「目が覚めたのか?」
「……清雅さま」
「いいから寝ていろ」
「いえ、大丈夫です」
美胡はゆっくりと起き上がった。清雅は枕元に座る。
「無理をするなと言ったはずだが? 美胡、お前ずっとどこか具合が悪いのではないか?」
「いえ、そんなことは……」
「嘘を言うな。夜にうなされたり、咳き込んでいたりする姿を私が知らないとでも思うのか?」
「……っそれは」
どきりと心臓が大きく音を立てる。
決して風邪を引いている訳ではない。ただ、美胡は清雅に言っていないことがあった。いや、互いの利益のために結んだ婚姻なのだから清雅には言わずにやり過ごすつもりだったのに、まさかこんな展開になるとは。
(でも、私の命のことを言ったら清雅さまはどう思われるのかしら……)
怖くて口が開けない。
自分の命がもう長くはないなんて。清雅に治癒力を与えていることで命が短くなっているなんて。口が裂けても言えない。だって言ってしまえば——優しい清雅は治癒力を使うなと言い出しそうだから。それでは契約違反になってしまう。
美胡の瞳に涙が溜まる。泣き顔を見られたくなくて、美胡は両手で顔を隠した。
「美胡」
優しく呼びかけられているが、返事ができない。後から後から流れてくる涙を止めようと試みたが、時間が過ぎるにつれ流れる量は増えていった。
「美胡、一人で抱え込むな」
清雅は美胡の手首をそっと掴んだ。顔を覆っていた手をゆっくりと下ろし、清雅の方を向かせる。
涙でぼやけた視界に、眉を下げた清雅の顔をが見えた。
(どうして清雅さまが、お辛そうな顔をしているの……?)
そんなことをぼんやりと考えているうちに、美胡はいつの間にか、清雅の胸の中にいた。大きな胸は安心感がある。美胡は一人で抱えていた不安を全て吐き出すように、清雅の胸の中で泣き続けるのだった。


